戦争と平和
今回は軍事関係について考えてみたいと思います。
正直このテーマは考えなくてよいのではないかと思っていました。
働かなくてよい世界であっても、本当に必要になったら徴兵制度で強制的に兵士を集める方法があります。
既に徴兵制を廃止した国でも、日本のように軍備を放棄したはずの国でも、本当に有事になったらどうなるか分かりません。
また、人を労働から解放するという理念に関係なく、無人兵器の開発は進むでしょう。
無人兵器が発達した世の中はろくなものではありません。
無人兵器同士が戦って人が死なない戦争とはいかないでしょう。有効な兵器を追求すれば、相手の防衛兵器を突破してその奥の守るべきものを攻撃するした方が効果が高いです。
仮に人の死なない戦争が実現したとしても、それは相手が音を上げるまで資源とエネルギーを消費し続ける消耗戦になります。
人の死ぬ戦争が正しいとは思いませんが、人の死なない戦争では危機感のないままに浪費を続ける恐れがあります。
戦争そのものを無くすことは難しいと思います。
第一次世界大戦の時、「これが最後の戦争になる」と言われていたそうです。しかし、実際には第二次世界大戦が起こりました。
核抑止力によって核兵器を用いた戦争は起こりませんでした。しかし、通常兵器を使用した戦争は起こり続けました。
国家間の条約や、国際的な枠組みを作ったくらいでは戦争を止めることは困難です。
しかし、働かなくてよい世界が実現したならば戦争も起こらなくなるのではないかと、ちょっとだけ期待しています。
戦争が起こる要因として、経済的な理由が大きいのではないかと考えています。
産業革命以前、人類の主要な産業は農家業でした。人間食べなければ生きていけません。
そして農業を行うには広い土地が必要です。農耕に適した広い土地を確保した国は豊かになります。
戦争で領土を奪うということは、国を豊かにすることに繋がります。
日本でも鎌倉時代辺りから戦争に参加して活躍した者に土地を与えるシステムになっていますが、別に土地の不動産としての資産価値を報奨にしているわけではありません。
既に農民が暮らしている土地を、住んでいる住民ごと領地として支配する権利を与えているのです。土地を与えられた者は農民などから徴収する税金を収入としてその土地を管理し、税収で家臣を養わなければなりません。戦をしてででも広くて豊かな土地を欲しがるのは当然でしょう。
農地の他にも、鉄や金銀などの鉱物資源を算出する土地や、交易の要となる港なども狙われやすい場所ですが、やはり経済的に豊かになるためにそのような場所を奪おうと考えるのです。
宗教的な名目で行われる戦争も、単なる侵略戦争を正当化するためとか、同じ宗教を信仰する他国を巻き込むため等、国の都合で宗教を前面に出すことも多いのではないかと思います。
アヘン戦争はお茶の輸入でイギリスの対中貿易が大幅な赤字になったことが発端でした。
太平洋戦争で日本がアメリカに戦争を仕掛けたのは、アメリカの経済制裁で石油などの資源が入ってこなくなったからでした。
東西冷戦は資本主義と共産主義という経済のシステムに対する思想の違いによって対立しました。
中東が紛争地帯になったのは、石油をめぐって消費先である先進国と産油国との思惑が交差した結果です。
米中が新たな冷戦に突入かと危惧されていますが、これも中国の経済が発展して経済的にもアメリカの脅威になってきたからです。
今の世の中、先進各国は自国で全ての資源や食料を確保する必要はありません。どこの国の産物であろうと、必要な資源、食糧、その他工業製品などがちゃんと手に入ればよいのです。
そのためには、資源などを産出する国からなるべく安く必要な物を確実に入手出来て、その購入に必要な金額以上の商品を他国に売る必要があります。
もしも必要な資源や製品を安価に輸入できなくなれば、国内の産業に悪影響が出たり、一般の消費者にも物不足や物価の上昇などの問題が起こります。
輸出が滞る場合も為替で自国の通貨が弱くなり輸入品が割高になったり、輸出製品の代わりに自国の富が流出したりと色々と困ったことが起こります。
だから輸入国に対しては安定して安価に資源や製品を提供することを、輸出相手の国には自国の製品を高価にあるいは大量に購入することを求めます。
それで両国とも十分に利益のあるwin-winの関係になるのならば問題ありませんが、そこに不均衡があれば摩擦が起こります。
大国は小国に圧力をかけて自国に有利になるように従わせようとします。
小国は小国同士で連携して大国に当たるか、大国と対立する別の大国にすり寄ろうとします。
そして外交交渉だけでどうにもならなくなれば、武力衝突が起こります。
軍事や経済力に勝る大国は、相手国の反政府組織を援助したり、大義名分があれば直接戦争を仕掛けてその国の指導者を潰し、自国寄りの新政権を打ち立てようとします。
小国の場合はゲリラ戦などの徹底抗戦やテロを行うなどして、大国側に戦争に見合う成果を上げさせないことで撤退に追い込もうとします。
これが今の時代の戦争ではないかと思うのです。
国が戦争を行う理由は多くが国民を生かすためです。他国の侵略から国民を守るために戦い、国を豊かにするために侵略や略奪を行ってきました。
今の世の中は侵略して植民地化などしても割に合わないと思うのです。
だから大国は直接侵略戦争は行わず、他国の戦争や内紛に介入することが多く、自国に都合の良い政権ができた辺りで手を引きます。
直接戦争を仕掛けたり内戦が絶えないのは、貧しくて立ち行かない国が主なのではないでしょうか。
ウクライナに進軍したロシアは時代を逆行していると思います。
働かなくてよい世界が実現すれば、人の生活と経済活動を切り離すことができます。
商売で利益を上げることは、一部の人の趣味のようなものになります。
一部の人の趣味のために、国民の命を危険にさらしてまで戦争を始めたいと思う者はいないでしょう。
もちろん、戦う理由は経済的なものだけではありません。宗教問題、民族紛争、歴史的な遺恨、軍事的な相互不信等々。
けれども、経済的な理由が無ければ大きな戦争にはなり難いのではないかと思います。
戦争を始めた国に対して、自国に有利な政府ができるようにと他国がちょっかいをかけることも減るでしょう。
経済的な交流によって戦争を思いとどまる効果は減りますが、働かなくてよい世界の無人システムは国境を越えてエネルギーや物資のやり取りを行うことを考えています。戦争によって物流やエネルギー、情報のやり取りが減ればそれだけ災害や事故などによって人々の生活が脅かされる危険が高まります。 戦争を避けようと思うには十分な理由になるでしょう。
それに、戦争は基本的に金食い虫です。
武器弾薬燃料を大量に消費し、それらはほぼ再利用できません。戦闘用の車両や艦船、航空機なども民生用とはものが違うし、整備にも手間がかかります。
資源を大量に消費し、再利用の難しい兵器類はリサイクル前提の無人の生産システムには不向きです。有志の人が頑張って生産するか、お金を出して買うしかありません。
経済が必要不可欠では無くなった世界では税収が減るでしょう。収入のない人からは税金を取れませんし、税を納めるためだけに働かなくてはいけない国からは国民が逃げ出しかねません。
税収が減る代わりに国の行う仕事も減るでしょう。景気刺激策としてお金をばらまく必要は無くなりますし、生活保護や福祉関連、生活に密着したインフラ整備などはお金を必要としない無人のシステムが行います。
政府そのものをある程度小さなものにできるのではないかと思います。
小さな政府にとって軍事費は大きな負担になるはずです。
戦時国債などを発行しても、信用は低いでしょう。国の税収は少なく、戦争に勝っても賠償金を得られる保証もありません。
結局、戦争を続けていると財政破綻するから簡単には戦争を始められない、自衛用の戦力はどうにか確保できても他国に戦争を仕掛ける余裕はない。どこの国も戦争を仕掛けられないから自然と軍縮に向かう。
そんなな世界になればよいと思っています。難しいでしょうけれど。
働かなくてよい世界において、平和が維持されることは重要です。
戦争が起こると、生活を支える無人のシステムは都市機能の弱点として狙われやすい重要インフラになります。
また、他の都市とのエネルギー、情報、物資の流通を遮断されても住民の生活に重大な影響が出かねません。
自然災害などで簡単に停止しないようにシステムは多重化するにしても、人為的に狙って破壊されては堪りません。
それに、徹底的にリサイクルすることで都市機能を維持している各種物資を兵器製造のために吸い上げられてしまったら、世界規模で物不足が発生しかねません。
それから、厄介なのがサイバー攻撃です。
無人の各システムを乗っ取られたり機能を停止させられたりしたら、物理的に破壊された場合と同様のダメージがあります。
強固なセキュリティーを施していても、情報ネットワークから切り離したり、システムの改修を受け付けないようにすることはできないので、絶対に大丈夫とは言い切れません。
一度攻撃が成功してしまうと同じ手法で何処の都市にでも攻撃可能で逃げ場はありません。攻撃を受けた側の国でもいずれは同じ攻撃方法を開発するでしょうから、サイバー攻撃の応酬が始まってしまいます。
銃弾もミサイルも飛び交いませんが、多くの人が命の危険にさらされることになります。
戦争で狙われるからと無人のシステムに頼らない暮らしを始めれば、もう働かなくてよい世界ではいられません。
これが、働かなくてよい世界の一つの終焉の形だと思います。
やはり平和が一番です。
働かなくてよい世界にとって戦争は相性が悪いです。
本気で国の存亡がかかった戦争が始まったら、無関係でいられる国民は存在しません。
徴兵されて戦場に送られたり敵国の攻撃に巻き込まれたりしなくても、物資やエネルギーを戦争に取られたり行動を制限されたりとろくなことはありません。
働かなくてよい世界が実現したとして、衣食住の保証された生活を捨てる覚悟で戦争を始めたいと思う人がどれだけいるでしょうか?
戦争を始めたいと思う人にとっても、働かなくてよい世界は相性が悪いと思います。
大義名分はともかくとして、貧困とか生活苦とか将来の不安とか言った不平不満があるから外部に敵を作ってそちらに目を向けさせようとします。
利害が対立するからこそ異民族とか異教徒とかを仮想的として仲間内で団結します。
生活が確実に保障されていれば、そうした不平不満も減るのではないでしょうか。
皆が皆、安定した生活を送っていれば、わざわざ敵を作って団結する必要も、戦争を仕掛ける必要もなくなるのではないか。そんなことを期待しています。
私は、正義の戦争よりも、怠惰な平和を望みます。




