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三章・二度目の挑戦(2)

 ……何時間経ったのだろう? 目を覚ますと馬車の荷台で揺られていた。やけに空気が乾いていて砂っぽい。砂漠の中にでもありそうな街。その景色が視界を右から左へ流れて行く。

 荷台というより檻かもしれない。四方と上を鉄格子で囲まれている。他にも何人か中にいた。くたびれた中年男。目付きの鋭い若い女。まだ幼い子供が三人。どの姿も地球人のそれと大差無い。けれど子供達の頭には水牛のような立派な角。あれが本物なら明らかに種族が違う。

 周囲はさっきのトカゲ達に囲まれていた。全員同じ武器と鎧で武装している。兵士なのかもしれない。自分達を護送中のように見える。

(あっ……リュック……)

 せっかく持って来たリュックサックがその中身ごと消えて無くなっていた。奪われたか、あの場所に置き去りにされたのだと思う。

 それからやけに暑い。理由は明白で、気温が高いのに登山者用の服を何枚も重ね着しているからだ。おかげで汗だくになっていて、このままでは脱水症状で死んでしまう。そう思った彼は、モタつきながらも一枚ずつ服を脱いだ。アンダーウェアとタイツだけの姿になったところでようやく一息つく。不思議な服装を他の五人は訝りつつ遠巻きに見つめていた。彼等の服は映画で見た古代ローマの人々のよう。

 まだ暑い。腰まで届く長い黒髪のせいか。

(切ってから来れば良かった……)

 短くするくらいなら自分でも出来る。今までほとんどやらなかったのは、切っていいか迷い続けていたから。そろそろ、その迷いも断ち切らないといけない。

 道には馬車を取り囲む兵士達の他にも一般人らしきトカゲ人間が大勢歩いていた。どうやら彼等の街に連れて来られたようだ。ずっと遠くに立派な宮殿が建っている。大きな都らしい。

 見知らぬ風景、見知らぬ生き物。今さらになってここが自分の世界とは違う異世界なのだと再認識する。ネットワークの力で環境に合わせた模倣体を用意してもらってなければ、呼吸すらままならない可能性だってある。

「うう……」

 吐瀉した後、飲まず食わずで何時間も経っているからか、喉の奥がイガイガする。気分も最悪のまま。揺れが酷い。もたれかかっている格子の隙間から車輪を見ると、やっぱりゴムタイヤなんかではなかった。金属製の車輪が剥き出しのまま舗装されてないデコボコ道の上で回っている。だからガタガタと激しく揺れる。

 男と、女と、子供達と、雨楽。それぞれが荷台の四隅に、互いを警戒するように離れて座っていた。男は全てを諦めた目。女は、そんな彼に時折哀し気な視線を送る。知り合いなのかもしれない。子供達は雨楽から視線を外さず、怯えた顔で身を寄せ合う。

 直後、一際大きく馬車が跳ねた。そのせいで咳き込んだ彼を見て、子供達のうち一人が近寄り、背中をさすってくれた。まだ小さな女の子。

「あ、ありがとう……」

 子供でも他人は怖い。けれど、彼女が純粋に心配してくれているのが伝わって来たため、雨楽も素直に感謝の言葉を口に出せた。

 でも、その言葉を聞いた女の子は驚き、固まっている間に別の二人の少年に引っ張られ、また反対側の隅っこへ戻ってしまった。

(日本語じゃ、通じないよね……)

 日本人だって突然外国人に話しかけられたら慌てるし、時には逃げ出してしまう。あの子達の態度は当然のことだと思った。

 やがて街の喧騒が大きくなり、馬車は中心部で止まる。広場に数え切れないほどトカゲ人間が集まり、輪を作っていた。その中で男が、女が、子供達が武器を持った兵士達の手で次々に檻から引っ張り出されてしまう。

 最後に、まだぐったりしている雨楽も乱暴に引きずり出された。こちらが弱ってようと怯えていようと、彼等はお構いなし。

「ガゲ!!」

 立て、と言われてるらしい。抵抗できるはずもなく素直に立ち上がる。そして再び腰が抜けそうになった。


 人、人、人、人、人。


 大勢に取り囲まれ、注目されている。顔がトカゲだといっても、彼等は全て人間と同じ知性を持つ者達。服装も自分達と大差無い。そんな“人々”に注目され、また呼吸が乱れ始める。動悸が激しくなり、視界がぐにゃりと歪む。

 ふらっと倒れそうになった瞬間、思いっ切り槍の柄で脛を叩かれた。

「んぐっ!?」

「ガゲ!! ガゴゲェア!!」

 ちゃんと立て、と怒られたようだ。痛みのおかげでどうにか正気に戻った雨楽は、その兵士に背中を押され、激痛で足を引きずりつつ若い女の隣に並ぶ。

 そして、それが始まった。


「グー、ゲゲンゲ!!」


 兵士達を従える丸々と太ったトカゲ人間。彼がくたびれた中年男を指差し、反対の手で指を三本立てる。よく見ると彼等の指は四本しかない。

 直後、周囲で輪を作っている者達の何人かが同じように手を上げ、


「ガガウ、ゲゲンゲ!!」

「ゴアグ、ゲゲンゲ!!」


 などと次々に声を張り上げた。それぞれ立てた指の数が違う。それで雨楽もやっと状況を理解した。これは競りだ。自分達は売り物なのだと。

(奴隷になるってこと……?)

 奴隷制に関しては小学生の時に歴史の授業で習った程度の知識しかない。ましてや平和な日本で、しかも十歳の時から安全な家の中に引きこもって暮らしてきた彼は知識も精神も幼いままだ。彼等がどうしてそんな酷いことをするのか全く理解出来なかった。

 ほどなくして男に買い手がつく。全身傷だらけの大柄なトカゲ人間に引き渡される。

 その時になってやっと気付いた。周囲の人の輪の中に自分達と同じような普通の人間も少数混じっていることに。

 ただし彼等は一様に手枷と首輪を嵌められ、鎖で繋がれている。やっぱり奴隷にされてしまうらしい。あるいは、種族が全く違うことを考えると家畜のような扱いなのかもしれない。これから自分の身に降りかかる未来を想像して雨楽は震え上がる。

 次に彼と若い女が二人一緒に前へ押し出され、競りが再開した。さっきの男の時以上に客達が白熱する。どうやら自分達は人気商品らしい。

 雨楽は、ただ黙って震えることしかできなかった。

 しかし、その時──


「グガッ!?」

「リエロ!!」


 ──さっき売られたあの男が、隠し持っていた刃物で自分を買ったトカゲ男の顔を切りつけ、若い女に向かって叫んだ。

 その時にはもう、女は素早く姿を消していた。多分どこかのタイミングで打ち合わせをしてあったのだろう。男が隙を作り出し、その瞬間に彼女が逃げる。そういう計画だったようだ。

 でも、それはあまりに分の悪い賭けだった。案の定、群衆の隙間を抜けて脱出しようとした彼女は、その群衆の手で揉みくちゃにされ捕えられてしまう。

「アアッ!?」

「アア……アルナ……」

 服を裂かれ顔を殴られ、再び広場の中央に連れ戻された彼女の姿に、男は肩を落として落胆する。

 けれど、すぐに自分を買った相手へ縋りつき、必死の形相で何かを懇願した。

「ラ、ラエ!! ラッレクテ!! ロテ、ロテッラ!! ロテアラルイ!!」 

 顔を切り裂かれたトカゲ人間は、その言葉を聞いてニヤリと笑う。そして短剣を抜くと、男ではなく若い女の方に近付いて行き、泣き叫びながら手を伸ばす彼の眼前で彼女の喉を切った。男は一際大きな絶叫を上げる。


「アルナ! アルナ!!」

「グゲゲイゲ!!」


 傷だらけのトカゲに指示された兵士達は、泣き叫び、女の名前らしきものを呼び続ける男を強引にどこかへ引きずって行く。

「うっ……ひうっ……」

 雨楽には何も出来なかった。喉を切り裂かれた女の両目が、恨めし気に自分を見つめている。そこから視線を外すことができず、ただ怯えて、息をして、泣くこと以外に何一つしてやれない。


「ググン、ゲゲンゲ!!」


 彼の気持ちなどお構いなしに、そして殺された女の死体すら片付けず競りが再開される。一人だけになってしまった“商品”の値は吊り上げられたのか、それとも下げられたのか。入札する者達はますます白熱した。

 やがて、煌びやかな服を身に着けた細身のトカゲが彼を競り落とす。抵抗一つも出来ぬまま引き渡されると、代わりに何かの詰まった大きな袋が奴隷商人に手渡された。太った商人はその中身を確認して大きく頷く。

「グガガ」

 雨楽を買い取った裕福なトカゲも嬉しそうだ。彼は両手で雨楽の両腕を掴み、自分の方へ振り向かせると、怯えて固まっている顔をベロリと細長い舌で舐めた。

「ひっ……」

 脳裏に蘇る恐竜に喰われた時の記憶。あの時の怪物の顔と、目の前のトカゲ人間の顔が重なって見える。

 さらに記憶は遡り、恐怖が、嫌悪が、生き延びたいという衝動が胸の奥から込み上げて来た。それが喉から悲鳴になって迸り出そうとしている。

 しかし彼が叫ぶ直前、事態はまたしても予想外の方向に転換した。


「お母さん!!」


 誰かにそう呼ばれたのだ、日本語で。

「え?」

 涙目で振り返ると、同時に近くの建物の屋根から影が一つ飛び降りて来た。ボロ切れを纏って全身を隠した小柄な人物。風圧で舞い上がったその布の下に一瞬見えたのは、黒いジャージに包まれた細身の身体。

「その手を離せ!!」

 凛と発せられた声は少女のもの。彼女は瞬時に間合いを詰めて抜刀する。骨の砕ける音が響き、日本刀の峰が雨楽を掴むトカゲ男の腕を叩き折った。

「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

「ゲギ!?」

「ギガウガ!!」

「ふんっ」

 絶叫が上がり、兵士達が武器を構えても少女は動じない。邪魔になったボロ布を左手で投げ捨て、右手に握った刀へ呼びかける。


嗚角(おづの)! 薙ぎ払え!!」


 途端、風が吹き荒れた。少女を中心に発生した竜巻に翻弄され、人々は吹き飛び、倒れ、隣にいる者達を巻き込み、混乱の坩堝に陥る。

「来て!!」

 少女は雨楽の手を取り走り出す。やはりジャージ姿。その左胸に刺繍された校名が目に入り、困惑していた雨楽はますますわけがわからなくなる。


“私立鏡矢(かがみや)女子”


(か、鏡矢!?)

 たしか、親戚の経営している中高一貫教育の女子校がそんな名前だったはずだ。けれど、その学校の生徒がどうして異世界に? しかも日本刀を持って、不思議な力を操っている。

「あなた達も来なさい!!」

 少女は角付きの子供達を縛っていた縄も断ち切り、呼びかけた。言葉は理解できずとも意味は伝わったようで、やはり困惑しながらも指示に従い、後へ続いて走り出す。

 謎の少女は立ちはだかる障害を全て圧倒的な力で蹴り散らし、逃げるための進路を切り開く。屈強な兵士達が腕を一振りされるたび、木の葉のように宙を舞った。頼もしいけど乱暴すぎる。

(あ、でも)

 振り返った視線の先で兵士達は次々に起き上がる。どうやら死なない程度に加減はしてあるらしい。

 やがて彼女は無人の馬車を見付け、雑に子供達を捕まえると荷台にポイポイ放り込んだ。それから素早く御者台に座る。

「早く乗って!!」

「う、うん」

 この迫力には逆らえない。雨楽も素直に馬車へ乗る。

 よく見れば、繋いであるのは馬ならぬ大きなトカゲ。あのトカゲ人間達とは異なる種類のようだが、言うことを聞いてくれるだろうか?

「走れ!」

 少女が手綱を掴んでピシャリと叩いてやると、大トカゲは素直に走り出した。ところが直後、何を思ったか彼女は立ち上がり、荷台に飛び移って来る。

「ちょっと手綱を握ってて!!」

「え!?」

「早く、追いつかれる!!」

 後ろを見ると大トカゲに直接跨った兵士達が追いかけて来ていた。慌てて雨楽は揺れる荷台の上を必死に這いずり、御者台に座って手綱を握る。こんなことをした経験は一度も無いのに。

 同時、少女が刀の切っ先を頭上に掲げる。

「嗚角! 思いっ切りやっちゃえ!!」

 ヒュンと風を切って振り下ろされる刃。直後、後方にまた暴風が生じた。風に巻き上げられ次々に落馬する兵士達。それだけでなく洗濯物が吹き飛び、鉢植えが割れ、民家の壁が崩落し、街はさらなる大混乱に陥った。

「やりすぎだよ!」

「そんなことないっ!!」

 怒鳴り返した少女の瞳に激しい怒りが燃え盛っている。あの時、広場を見渡せる建物の上に潜んでいたということは、逃亡を企てた男女が迎えた結末も見ていたのだろう。

「そんなこと、ない……!!」

 彼女の中のその炎は、しばらく消えることは無かった。

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