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三章・二度目の挑戦(1)

「僕、行きます」

 彼なりの啖呵を切って自室へ戻った雨楽は、しばし遅れて姿を見せたレインに対し早速告げた。異世界へ行くと。

『よろしいのですか? 準備が必要だったのでは?』

「一応、してあります……」

 そう言うと、彼は机の下に潜り込み、そこに隠してあった大きめのリュックを引っ張り出す。さらに前回のような厳しい自然環境に放り出される可能性も考え、登山初心者向けレイヤリングウェア一式とトレッキングシューズも買っておいた。

 先日届いた荷物はこれらだ。リュックと服。非常食に飲料水その他。インターネットでサバイバルについて調べ、必要になると思った物一式。子供の頃に使い道が思い浮かばず貯金しておいたお年玉が予算なので、どれも高い物ではない。とはいえ無いよりはマシだと思う。

 ちゃんとレインに確認は取っておいた。前回の跳躍で着ていた服がそのまま再現されたように、自分の所有物だと認識している物は直接触れてさえいれば向こうの世界で同様に再現してもらえるらしい。この鞄のような入れ物を使えば、中のものもまとめてあちらへ持ち込むことが可能だそうだ。

 逆に向こうからこちらへ何かを持って来ることと自分以外の生物の移動は不可。後者はウイルスや細菌などを互いの世界へ運んでしまう可能性があるため。現地活動用の模倣体は跳躍先の物質で構築したものなので問題無い。ちなみに酸素の無い世界では別の気体で呼吸できるようにするなど、環境に合わせた調整も模倣体生成時に自動的に行われているという。

 しかし、そんな彼の備えを見て彼女は一蹴する。

『不十分では?』

「……はい」

 たしかに雨楽自身、本心ではそう思う。まだ時期尚早だと。

 もちろん少しずつではあるが努力は続けている。もっと体力がついてから、そうすべきだと、ついさっきまでは考えていた。


 でも雫に言われてわかった。自分が鍛えるべきは体より、まず心。


 それに約束通り探したい。絵を通じて人に伝えたい何か。まだ不確かで明瞭な像を結ぶことのできない、けれど心の中に絶対あるはずの、自分が描くべき“一枚”を。

「だから行きます……今回が駄目でも、もう一回あるんですよね?」

『ええ、それはその通りです』

 頷くレイン。同時に、これは失策だと評する。雨楽は勇気を出したわけではない。親戚から浴びせられた辛辣な言葉に焦り、自分から泥沼にはまろうとしているだけ。ましてや次があるからなどという甘い考えを持って生き抜けるほど次の異世界は優しくない。高い確率で無為な死が彼を待ち受けているだろう。

 けれど、それでも──


(自分で決めることが大事……でしたね)


 創設者のその理念に逆らう機能は、彼女には実装されていなかった。

『わかりました、では跳躍シーケンスを開始します』

 言うが早いか、輪郭を覆う青い光が輝きを増す。

『目標界球器(かいきゅうき)座標特定。内部並行世界情報取得………………条件に合う世界を発見。跳躍先として設定。現地活動用模倣体(アバター)構築完了。精神跳躍(マインドジャンプ)演算開始』


 二度目の挑戦が始まった。いや、最初は強制的に跳ばされただけだから実質的にこれが初めての自分の意志での挑戦。雨楽は緊張した面持ちでレインを見つめ、今しがた聞いた彼女の言葉を反芻する。


「界球器……」

 先日の跳躍前に受けた説明を思い出す。それは複数の並行世界を内包する容器。いわば、より大きな世界。前回は同じ界球器内の並行世界へ移動しただけだったから、今回はあの時よりもさらに遠い異界へ旅立つということ。脳内に刷り込まれた知識によると界球器が違えば物理法則さえ変わることも珍しくない。

 不意に心細くなった。本当に帰って来られるだろうか? 今さらながらレインの言葉を疑い始める。お腹の下の方がキュウッと引き絞られる感じになり、眩暈もした。

 そこでハッと気が付く。

「あっ、そ、そうだった」

 嫌な想像を打ち消しながら慌ててベッドに駆け寄り、背中から下ろしたリュックを両腕で抱え、仰向けに寝そべった。前回は向こうの世界へ行っている間、床に倒れていて母に心配されてしまった。危うく同じ過ちを繰り返すところだ。


『四、三、二、一……それでは良い旅を、雨楽様』

「い、いってきます!」


 そう答えた瞬間、また視界の全てが急速に縮み、代わりに意識が拡大した。地球、太陽系、銀河、その集合体を、さらにそれらの集合体を、宇宙そのものを見渡して透明な壁を突き抜け、外へ飛び出す。

 けれど、今回はさらに意識の拡大が続いた。自分の飛び出してきた世界が泡のような姿で暗い虚空に浮かんでいる。それもまたあっという間に小さくなって輝く一点の星になり、気が付けば周囲には無数の星々が浮かんでいた。

(うわあ……)

 しばし、夜空のようなその空間を漂いながら思う。

 いってらっしゃいは毎日のように言っているのに、いってきますを言ったのは何年ぶりだったかなと。

 十年間、あの家から一歩も出ることのできなかった自分が、今は生まれた宇宙をも飛び出して遥か遠いどこかを漂っている。

 思わず赤ん坊のように体を丸めた。胸が締め付けられる。こんなに不安で哀しい気持ちになったのは、きっと生まれて初めて。二度と帰ることは出来ない。そんな想像が頭の中いっぱいに膨らむ。

 すると、そんな彼を遠くから誰かが見つめた。姿は見えないのにたしかに視線を感じる。その何者かは珍しそうに声までかけて来る。


【おや? 随分と透き通った魂が漂っているな】


 誰、ですか?


【通りすがりの旅人さ。君のようにレインボウ・ネットワークを使って色んな世界を見て回っている】


 どうして? あなたも自殺しようとしたんですか?


【君は自殺志願者(しにたがり)か。僕のは、まあ、取材を兼ねた旅行だよ。物書きをしていてね】


 作家さん……?


【ああ、そうだよ、絵本やら小説やら色々と……ん? 待て待て、君とは以前一度会っているじゃないか】


 えっ?


【それにあの世界でも……ああ、なるほど、まだ君は僕と出会う前の時間軸にいるのか】


 どういうこと、ですか?


【世界はそれぞれ時間の流れが異なっている。だから、たまにこういうことが起こるのさ。君にとっての未来は、僕にとっての過去だ。もっとも、未来は可能性によっていくらでも変動するし分岐する。今そこにいる君の未来が僕の知る未来になるとは限らない。結局は自殺してしまうのかもしれないし、生き延びて、その上で僕の知らない未来へと到ることだって有り得る】


 複雑なんですね。


【まったくだ。こんな面倒臭いものを七人で抱え込むべきじゃない。だから僕とあいつはネットワークを創った】


 創った?


【色々教えてやりたいが、それはそのうち過去の僕がやってくれるだろう。ほら、界球器の壁が見えて来たよ。君がどんな選択をするにせよ、使えるものは大いに使って役立ててやってくれ。それじゃあ、いつかまたどこかで】


 ──それっきり、彼の気配はどこか遠くへ去って行った。雨楽は不思議な体験に静かに高揚する。他人と話していたのに、何故か全く怖くなかった。むしろ落ち着いた。こんなことは初めて。

 誰だったんだろう? もっと話したかった。作家だというあの人の話を聞けば、自分が探している答えも見つけられたかもしれない。

 もっとも彼の言葉が本当なら、いつか自分は再び彼に出会えるのだろう。ここではないどこかで、今よりも昔の彼と。


 目の前に、しゃぼん玉の表面のような虹色の輝きを放つ透明な膜が迫って来た。

 そこに頭から突っ込み、強い抵抗を感じながら、どうにか抜ける。


「うわあ……」

 七色の光で満たされた空間。そこに無数の星々を内包したしゃぼん玉が数え切れない数、浮かんでいた。雨楽の魂は勝手にその中の一つへと吸い寄せられて行く。

 不思議だ、自分達の界球器はもっと暗かったのに。

 視界を巡らせた彼は、直後に目撃する。

(なに?)

 今しがた通り抜けてきた透明な膜。その向こうに、よく見れば巨大な黒い球体があった。そしてさらに彼方にそびえ立つ一本の大樹の影。


 再び、胸がざわめく。


 何か恐ろしいものを見てしまった気がしてならない。それを振り切るように意識の急速な縮小が始まる。視界は拡大していく。目前に地球に似た惑星が迫って来る。

 次の瞬間、靴底が固い地面を踏みしめた。

「う、うわわっ!?」

 これまでの浮遊感のせいでバランスを崩し、たたらを踏んで、早速生命の危険を感じた彼は必死に両手をばたつかせる。それによりどうにか姿勢を安定させた。

 そして、やっとこさ安全な足場の上に踏み止まり、熱気で汗を流しながら叫ぶ。

「ど、どうしてこんなところに!? レインさん!」

 なんとそこは溶岩が流れる灼熱の大地だった。幸い足場はたくさんあるものの一歩でも踏み外せばあっという間に死んでしまう。いくら精神的成長を促すためだからって、いきなりこれはないだろう。厚着しているせいで物凄く暑いし。

 しかし、呼びかけても彼女は現れなかった。

 代わりに──


「ゴォ!! ギンゲ!! ギンゲ!!」

「グガガェロ!! ギガグア!!」


「ひっ!?」

 地面から立ち昇る蒸気の向こうで二つの人影が動いた。慌てて逃げようとするも足場が足場なため、もたついてしまう。

 その間にあっさり追いつかれた。彼等はこの環境に適応しているのか溶岩など気にすること無く闊歩して来る。相手の姿を至近距離で見た雨楽は驚愕に目を見開いた。

「ト、トカゲ!?」

 現れたのは二足歩行のトカゲが二人。片手に長槍を持ち、胸と肩を金属の鎧で保護している。ファンタジー作品が好きな人間なら“リザードマン”と称するだろう。しかし彼はサブカルチャー全般に疎い。そのため“トカゲ人間”と名付けた。言語が違うだけで結局は同じ意味だが。

「ギゲグア! ゴゴガッギグギオ!!」

「グォイ!!」

 雨楽に槍の穂先を突き付け、喚き散らす二人。その姿の異様さにもかかわらず、彼等が言葉らしきものを発したことで対人恐怖症の青年は別種の恐怖に囚われる。


 トカゲ人間。

 そう、彼等は──人だ。


 他人がこんなに間近にいて、武器を向けられ、詰問されている。その事実に気が付いた途端、呼吸が早くなった。視界が歪み、足から力が抜ける。

 ガクッと膝から崩れ落ちて溶岩の中へ倒れそうになった彼を、トカゲ達の片方が慌てて駆け寄り受け止めた。

 ハッと正気に返る。

「あ、ありがとう、ござっ!? う……ぶっ……」

 助けてもらった。そう思って礼を言おうとした瞬間、腹を拳で殴られた。この間の恐竜の踏みつけよりマシだが、それでも彼が胃の中のものを全部ぶち撒けて昏倒するには十分な一撃だった。

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