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序章・プログラム、開始(1)

『失礼ながら、その自殺、少々お待ちいただきます』

「えっ?」

 夜なのに灯りも点けていない部屋。今まさにカッターで手首を切ろうとしていた青年が何者かに声をかけられ驚きながら振り返ると、いつのまにか自室の中央に一人、見慣れぬメイドさんが立っていた。ここは日本の一般家庭なのにだ。

 金髪碧眼、白い肌で、顔立ちも明らかに異国のそれ。白縁の四角いメガネをかけており、不思議なことに輪郭が柔らかい青光で覆われて見える。


『はじめまして、浮草(うきくさ) 雨楽(うがく)様。≪レインボウ・ネットワーク≫へようこそ。私はネットワーク接続者の皆様のサポートを目的として開発されたAIプログラム。名前はレインと申します。どうぞ、レイン、レイ、レッちゃんなど、お好きなようにお呼び下さい』


「え? え? ええっ?」

 誰? レインボウ・ネットワークって何? インターネット関係? この部屋にはパソコンもスマートフォンも置いていないのに? いきなり現れた見知らぬ女性の姿と言葉に、青年は大いに困惑する。

 それを見て相手はたおやかに笑った。

『ご安心を。私を初めて認識した方は高確率で同様の反応をなさいます。なので雨楽様の精神状態は現在ご自分で考えておられるより、ずっと健全で正常ですよ』

 わけがわからない。自分はずっと部屋にいたのに。どうして、どうやって? いつ中に侵入されたのか全く気が付けなかった。

「あっ、あっ、あ、の……」

 誰なんですか? どこからここに? どうしてこんな場所へ? 色々質問しようとして、けれども雨楽は言葉に詰まる。

 どうにもならない。初対面の人間にいきなりあれこれ質問できるような性格なら、そもそもこんなことにはなっていないのだから。


 浮草 雨楽。つい先日の六月九日、とうとう二十歳になった引きこもりのニート。彼は対人恐怖症である。

 人を直視すること、直視されることが怖い。会話も難しい。両親以外とは数年間話していない。目の前に他人がいるという事実、それだけで鼓動が早くなる。唇が渇き、背中に脂汗が滲んだ。怖い、怖い、怖い、怖い。他人の意識が自分に向けられると、どうしても怖くてたまらなくなる。


『恐れる必要はございません』

 そう言って謎のメイドは、ベッドに座っている彼へ一歩近付く。

 次の瞬間、緊張が極限に達した雨楽は咄嗟に手に持っていたカッターを誰もいない方向へ投げた。無意識に力み過ぎていたのか枕に当たって跳ね返ったそれは床に落下し、カラカラと音を立てながら回転する。

 相手に当たらなくて良かった。そう思いつつも両手を前に突き出し、固く目をつむった。手足は追い詰められた小動物さながらに震えている。

「こ、こな、こな、ぃ……で……」

 か細くて高い声。まるで少女のようだと自分でも思う。

『まあっ』

 一方、謎のメイド──自称“レイン”は彼の行動に感心した。

『私に危害を加えてしまう可能性を考え、即座に凶器と成り得る物を捨てましたね。良いご判断です。それに、とてもお優しい』

 彼女は艶然と頷き、前に突き出された両手に自分の両の手の平を重ねる。瞬間、雨楽は何かに驚き、思わず目を見開いた。

「えっ……?」

(おわかりになりましたか?)

 レインと名乗る女性の声が、目の前からではなく頭の中から響いて来た。そして確かに触れているはずの手には、実在するようでしないような、極めて説明し難い不思議な感触が伝わって来る。

(本当に触っているような気がしますね。けれどそれは、ただの錯覚。私に実体はございません。けれど存在はしている。雨楽様、あなたはそれがどういうことか、すでにご存知のはず)

「あ、あ……」

 相手の言葉通り、頭の奥から情報が湧き上がって来た。全て知らないはずの知識。それは彼女が≪レインボウ・ネットワーク≫と呼んだものから注ぎ込まれている。自分の脳が、いや、精神がそれに直接繋がったのだと否応無しに理解させられる。

「ネットワーク……は、世界、と……世界を繋ぐ……道?」

 浮かんで来たイメージが勝手に言葉に変換され、口をついて出る。するとレインは笑みを崩さず、けれども頭を左右に振った。

『間違ってはいませんが、不完全な解釈です。情報の解凍が滞っているようですね。では時間を有効に使うために、私めが足りない部分を補足いたしましょう』

 長いスカートをクルリと翻し、再び部屋の中央まで戻る彼女。周囲に次々と立体映像が浮かび上がる。


『まずは改めて自己紹介を。私はレイン。ネットワークの上位接続者限定機能にアクセスする権限を得た≪有色者(ゆうしきしゃ)≫の一人が、その限定機能の一部を利用して構築したサポート用AIプログラムです。主に並行世界間および界球器(かいきゅうき)間跳躍機能使用時のナビゲーションを目的として設計されております』


「へい、こう……? かいきゅう……き?」

 ベッドの上で膝を抱え、蹲ったまま耳を傾けていた雨楽は、まったくわからない単語の連発に大きな疑問符を浮かべた。

 その呟きを質問と受け取ったレインは新たな立体映像を投影する。彼女の背丈ほどあるガラスの球体の中で色とりどりのシャボン玉がふわふわと漂っているイメージ。本物かと思うほどリアル。

『実際にこうなっているわけではありませんが、人間の感覚でも理解しやすいよう大幅に抽象化してあります。この泡の一つ一つが一個の“宇宙”だとお考え下さい』

「えっ……?」

 宇宙は途方も無く大きくて広いものだと思っていた。いや、実際そのはず。でも彼女が示した映像は自分みたいにちっぽけな存在から見てもあまりに小さく、そして儚い。

『お気付きですか? 泡がどんどん増え続けていることに』

「……」

 たしかに無数のしゃぼん玉は分裂を繰り返している。分かれても何故か大きさが変わることはなく、数だけをどんどんどんどん増やし続ける。いったいどうして?

『これは可能性によって世界が分岐しているからです。いわゆるパラレルワールドというものですが、良いタイミングですね。ご理解されたようなので説明は省略します』

「あ、はい……」

 今しがたまでそれが何なのかは知らなかった。けれど彼女の言う通り、また知識が勝手に頭へ流れ込んで来た。それによると彼女の言うパラレルワールドとは以下のような概念のことらしい。


 ──例えば左右に枝分かれした道がある。左に進めば左へ進んだ世界。右に進めば右へ進んだ世界。その道と同じように選択次第で歴史は分岐し、元々一つだった世界が二つになる。他にも両方選ばず引き返した世界や道無き道へ突き進んだ世界もあるかもしれない。そういう“かもしれない”の数だけ世界は分裂し、数を増やしていく。

 その仕組みをわかりやすくイメージ化したのが、あの球体の中で増え続ける泡なのだと、自分の意志とは関係無く理解させられてしまった。言葉で説明されるより直観的で便利な方法だとは思うけれど、他人の記憶が自分の頭に強制的に植え付けられるのは正直言って気味が悪い。


 でも、あの泡の一つ一つがそうして生まれた無数の宇宙、並行世界(パラレルワールド)だとするなら、泡を収めている大きな球体はなんなのだろう?

 彼の思考を読み取り、質問される前に答えるレイン。

『それが界球器です。世界を包む球形の器の略ですね。これらもまた宇宙の星々のように数え切れないほど存在しています。ただし内包する並行世界群とは異なり可能性によって増えることはございません』

「どうして……ですか?」

『界球器を創造したのが≪始原七柱(しげんななちゅう)≫と呼ばれる原初の神々だからです。彼等以外にこれを生み出せる存在はいません。スケールを縮小した模倣なら可能かもしれませんが、同等の“大きな世界”を他の誰かが生み出した事例は今のところ一つも』

「ううっ……」

 再び頭に流れ込む情報。その中に、様々な資料を閲覧した記憶や言い伝えを聞いた記憶が含まれていた。どうやら彼女を創り出した人物とその仲間達は始原七柱なる神々のことを以前から調査しているらしい。


 何故そんなことができるのか?

 単純な話だと、再び他人の記憶が回答する。全ての世界はレインボウ・ネットワークの上に成り立っている。世界も人も動物も昆虫も無機物も有機物も、神羅万象ことごとくが誕生以前からネットワークに接続されているのだと。

 より正確に言えば、全ての世界を形作る最も根源的な力を利用して形成されたのがこのネットワーク。遠い昔、おそらくは始原七柱の内の誰かが生み出した“意志を持つ全ての存在を繋ぐ通信回線”だと、記憶の本来の持ち主の声が言う。


「つまり……別の世界同士を繋ぐインターネット、みたいなもの……? 誰でも最初からアカウントを持っていて、知らないうちに繋がっている……」

『素晴らしい。ご理解が早くて助かります』

 褒められた。でも本当にすごいのはこの知識を与えてくれた人物の方で、自分は情報をそのまま受け入れたに過ぎない。

 おかげで、どうして彼女が突然現れたのかも理解出来た。

「あ、あなた……は、僕が、死のうとして、いたから……?」

『その通りです』

 軽く頷くレイン。彼女がここに現れて最初にしたことは、自ら命を断とうとする雨楽の制止。レインボウ・ネットワークには自殺を実行しようとしている者の元へ自動的に彼女を送り込み、説得させる機能があるのだそうだ。

『雨楽様、そのお考えについても補足させていただきます。自殺防止プログラム自体は私が誕生する以前からネットワーク創設者の手で組み込まれておりました。ただしご自身もそれを体験されたマスターがあまりにも不親切な仕様に対し憤慨。後続の方々のため開発したサポートAIプログラム。それが私なのです』

「……それじゃあ……」

『はい、マスターも元は自殺志願者(しにたがり)です』

 どうして? 同じ境遇の人間に対し率直な疑問を抱く。でも、それに関する情報は流れ込んで来た記憶には含まれていなかった。

『マスターはご自身の過去を詮索されることを嫌います』

 なのに他人の過去は詮索しているのか、とも思った。このレインというメイドさんには思考を読まれているはずだけれど、彼女はそれについて何も言わない。

 代わりに別の質問を投げかけて来た。知っているはずなのに。

『自殺なさろうとした原因は、そのお顔ですね?』

「っ!?」

 指摘されて慌てて顔を隠す雨楽。レインが放つ青い光に照らし出されていたその容姿は、とても二十歳の男性には見えず、十代半ばの少女のようだった。

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