2.入団会場
目の前に佇たたずむ大きなビルを前に、山田幸太郎は大きく深呼吸をした。
そのビルは「国際異能連合庁」と呼ばれ、新たに試験を乗り越えた者達が入団するため集っていた。幸太郎の脇を何人かが通過して行く。無論、彼らも試験を乗り越え、今か今かとこの日を待ち侘びていたのだ___中には彼らの上司、先輩になる者も出勤しているのだが___。
ここで突っ立ていてもしょうがない、と思い歩き出そうとした幸太郎の足元に、ひらりと紙が落ちてきた。幸太郎が拾い上げた時、
「すみませーん!!」
と女の子らしい高い声が聞こえた。見れば、「それは私のです」と言わんばかりに手を振って走っていた。幸太郎の元までやって来ると、少しだけ上がった息を整える様に深呼吸した。
「それ、私のなんです」
「見つかって良かったです。どうぞ」
幸太郎にそう渡された紙を少女は「ありがとうございます」と大切そうに鞄にしまった。そして、幸太郎を改めて見るとにっこりと笑って口を開いた。
「入団の人ですよね。同じなら一緒に行きませんか?」
「いいですね! あ、僕は山田幸太郎です……ってこれから仲間になるんだし、堅苦しいのは無しの方向にしません?」
幸太郎が「だめかな」と言わんばかりに首を傾げると、少女は目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私は古阿八千代だよ。これからよろしくね」
□■□
受付で渡された資料と受付嬢の言葉を頼りに、迷路の様な廊下を進んでいた。とは言っても、渡された資料はさっぱり分からず幸太郎が唸っていた時、
「あ、幸太郎くん。こっちじゃあないかな」
八千代は資料を一瞥すると、幸太郎の前を歩き出した。慣れた様に案内する姿は頼もしいが、幸太郎からすれば「何故分かるんだ」と叫びたい気持ちだった。
叫びたい気持ちの代わりに出たのは、
「まるで家みたいに歩くね」
そんな言葉だった。ふと八千代は立ち止まり悩んだ末に、「まぁ……」と口を開いた。
「受付の子の説明が分かり易かっただけよ」
「え? 分かり易かった?」
幸太郎が受付嬢の説明を思い出して、あれは分かり難いと考えていると、八千代は止まった歩みを促した。ついでに話題を変えた。
「それより、幸太郎くんはなんで入団しようと思ったの?」
そう尋ねられた幸太郎はすぐに答えられなかった。何故、と改めて問われると理由が浮かばなかった。
(なんとなくで選んだだけだからな)
みんなが行くから行くことにした、親に進められたから行くことにした。ただそれだけだった。真っ当な理由がなく、どうしようかと答えあぐねているうちに、目的地に着いてしまった。
幸太郎は「しまった」と言わんばかりに焦っていたが、八千代は気にする素振りを見せず「着いたよ」と言った。
「会議室だって。なんだか会社員みたいだね」
悪戯っ子の様に笑うと躊躇せずドアを開けた。中には既に五人程がおり、てんでばらばらに過ごしていた。入ってきた瞬間、チラッと横目で見られたが気のせいにすることにした。
「どこか適当に座ろうか」
席順は決まっておらず、八千代は適当に選んだ席に座り「おいでよ」と幸太郎に向かって隣の席を指さした。幸太郎が座ろうとした時、
「あ? 弱虫が何で居るんだよ」
聞き慣れた声がして振り返ると、男が視線だけで幸太郎を射抜ける程睨んでいた。睨んでいる男は氷室劉牙といい、小学生の頃から幸太郎と同じ学校に通い事あるごとに幸太郎に突っ掛かって___ほぼ虐めに近いが___いた。そのため、お世辞にも良い思い出は無く、どちらかと言えば嫌い___嫌いを通り越して関わりたく程だが___な方だった。
そして、近寄って来る劉牙に幸太郎は思わず身構えた。
「てめぇ……そんなに虐められてぇのかよ」
幸太郎の元まで来ると、幸太郎にしか聞こえない位の低い声でそう言った。
「そっ、そんなわけ……」
無論、幸太郎はその身を恐怖で震わせるのだが、それに劉牙が舌打ちをし、追い打ちを掛けるようにガタッと椅子を蹴り倒した。
(殴られる……!)
その音に肩を震わせた幸太郎はそう直感し、ぎゅっと目を瞑った。しかし、いつまで経っても衝撃が来ず、何かがおかしいと思った幸太郎は恐る恐る目を開けた。
「暴力は……一発で退場よ」
劉牙の腕を掴み微笑んで言う八千代の声は冷たかった。しかし、その微笑みも目は笑っていなかった。
「……てめぇは誰だ」
瞬間、劉牙の意識は八千代に向き不機嫌そうに声を低くした。周りの空気はこれでもかと言う程冷え切り、劉牙の視線に肩を震わす者さえ居た。それでも微笑みを崩さない八千代は怖がる素振りを見せないどころか、余裕さえ感じられた。
(強い……けど、いくら精神が強くても殴られたら終わりだ)
今すぐにでも助けたいが、幸太郎が出たところで反撃に合うのは目に見えていた。だからこそ何も出来ず、見ていることしか出来ないのがもどかしかった。
「私? その前に貴方が名乗るのが先だと思うけど」
そう言って鼻で笑った八千代に、遂に劉牙がその拳を振り上げ鼻先まで近付いた時、
「そこまで!!」
一際大きな声が聞こえ、驚いたのか劉牙の拳もピタッと止まった。拳を止めたのは、羽織りを着た男だった。細くとも力ある手で、劉牙の手首を離さんとしていた。
「彼女の言う通り、人に名前を聞く前にはまず自分からだよ」
口調は柔らかだが、手首を掴む手はさらに力を込めた。
「……痛ってーな。さっさと離せよ」
「わぉ! 反抗的! 僕そういう子って嫌いじゃあないよ」
おどけた様に言ってその手を離した。顔には出しはしなかったが相当痛かったのか、掴まれていた手首を擦っていた。
男はそれを見て満足したのかホワイトボードの前まで歩き、ぱんっと手を叩いた。
「それじゃあ、皆座ろっか!」
それで空気が一変し、指示通り席に着いた。その頃には騒動の時に来たのか、人数が増えていた。
「よし、皆座ったね。まずは自己紹介からしようか」
男の自己紹介は終始コミカルだった。名前が蘭川銘斗ということ、二十五歳という若さだが、老け顔のせいで三十代によく間違われること、最近彼女に振られその事を同僚に伝えたところ大笑いされただの関係ないことまで喋った。
(プライドとかそういうのがない人なのかな)
あまりの喋りっぷりに幸太郎がそう思う程だった。
「そして! 君たちの指導員でもある。と言っても、初歩的なことを教えるだけだけどね」
銘斗は「ここからが大事」と言って、ホワイトボードにペンを走らせながら説明を続けた。
「次に何を学ぶかって事なんだけどね……さっきも言った通り、初歩的なこと。つまり、連合の成り立ちや歴史、戦闘において重要な体幹だったりを鍛えるだけさ」
「……歴史とかは試験で出てきたろ」
未だ手首を掴まれたのが恨めしいのか、試験で出てきたものを復習させられるのが不服なのか、劉牙の声は不機嫌そのものだった。
銘斗は「それも一理ある」と口を開いた。
「確かに試験でやった事だ。でも、それは簡略化されたものだけ。それもその筈、試験は一般公開しなくちゃあならない。大っぴらに深い所まで___それこそ一般人に知られちゃあ元も子もないし___やらせる気はないんだよ。それに筋力だって同じだ。君達はまだ産まれて間もないヒヨコ同然なんだ」
微笑を浮かべ淡々と話す銘斗は劉牙を見据えると、
「天才でもない君が初歩的な事をやらないでどうするんだ」
心底呆れた様に話す銘斗の迫力に劉牙は肩を震わせた。だが、それが腹立たしいのかすぐに舌打ちをした。それを了承と見た銘斗がぱっと笑顔になった。
「ま、そういう事で移動しよっか」
そう言って「まずは……」と呟く銘斗は、「どこに行くんですか!?」という問いに目を丸くして答えた。
「どこって……授業だよ」
さも当然の様に言う銘斗に、八千代と幸太郎は顔を合わせ苦笑した。