表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/49

2・茶番

 番狂わせの結果に終わった虐殺鑑賞祭の後で、やや興奮も冷めかけていたエデンの市民に再び大イベントの告知がなされた。

 ミカエルの予想通りに、エデン最大の興業施設ルナセントラルホールに集まった観客は収容人数最大の五万人。それでも、このイベントを即時で見たいという市民はそれより遥かに多い。だから、入場チケットを買い損ねた市民は配信チケットを買い、自宅で中継を観戦する。もちろん、収益はすべてミカエルのものになる。


『あたしはウリエルを殺したりしない。彼はあたしを助けてくれたし、あたしが死んだ後もあんた達と戦ってくれる人だもの!』


 霖の返答を無論ミカエルは予想していた。


『もちろん見返りがある。ウリエルに勝てば、まず、君の病はすぐに治してやる。それから霖とアクセルは地球に送り返し、君たちが短い天寿を全うするまでは決して地球に手出しはしない事を誓おう。どうだ、破格だろう?』

『何が破格よ! あたしの命はどうでもいい。それよりもこれから永遠に地球に干渉しない、という約束の方が大事だわ』

『ほう、じゃあそれを約束すれば、ウリエルを殺すという条件は飲めるんだね?』

『……』


 霖は唇を噛んで俯いた。

 今やウリエルは大事な仲間であるし、ミカエルが約束を守る保証などどこにもない。

 しかし、直接向き合えば何か道があるかも知れないという微かな希望をあてにここまで来たものの、完璧なセキュリティで護られたミカエルに手出しなど不可能である事は、ここに来るまでに様々なシステムを見せられ説明を受けたので判り切った事になってしまっている。今この瞬間にも、もしもこの男を攻撃しようとする素振りでも見せようものなら、室内に設置された防犯機能が作動し瞬時に捕縛される。この男の言う事を聞かずに、何か新たな道が開ける見込みは全くない。


『だけどそもそも、あたしはウリエルに勝てない。一度闘った事があるけど、全く歯が立たなかったわ』

『そりゃそうだろうな。だからハンデをつける。ウリエルは素手で闘ってもらう。もし霖が負けたら次にはアクセルが闘う。断る権利はないんだぜ?』

『お前の言いなりになんか……』


 アクセルが思わず立ち上がりかけた時、ウリエルが彼を制した。


『私が二人を倒した場合はどうなるんだ?』

『その場合は三人とも公開処刑だな。それはそれで面白い』


 愉快そうに笑みを浮かべるミカエルに霖は心底ぞっとした。


(この男は本物の悪魔だわ)


 だがウリエルは冷静だった。予想していた訳ではないが、驚きもしない。


『いいだろう。だが、霖にはあまり時間がない。発症してしまえば治療も難しくなるかも知れない。先に薬を投与してやってはもらえまいか?』

『駄目だ、限りある時間、というのが面白いんじゃないか。発症を遅らせる投薬はしてやるが、治すのはお前に勝ってからだ』

『……わかった。しかし、絶対に彼女を治してやると約束してくれ』

『ふん、それくらい容易い願いだし、そこまで悪党になっては寝覚めも悪いかも知れないからな、安心しろ、約束する』


 そうした会話があって、今、闘技場にウリエルと霖は立っている。

 何もかもが馬鹿げた芝居のように思えた。ミカエルとガブリエラを倒す為に月まで来た筈なのに、一体何をやっているのか? 自分の身の事なんかどうでもいい。ミカエルの掌で弄ばれるくらいなら、彼の顔に唾を吐きかけて撃ち殺された方がましだったのだが……ウリエルの囁きが彼女を押しとどめた。


『可能性は低いが、勝目がない訳じゃない。ここは奴の言い分を聞くふりをしてくれないか』


 その言葉を唯一つの支えに、霖は闘技場に立っていた。


 観衆の熱気にあてられ、空調のきいた建物内は暑いくらいである。

 五万人、という数の人間がひとつの建物に集まる事が出来るなんて考えた事もなかった。彼女が知る地球上の最大の都市の人口より多いのだから。見たこともない巨大な建築物に見たこともない大勢の人、しかも彼らは全て人間そっくりのバイオロイド……悪夢を見ているような気分だった。

 まだ開かない舞台への入り口の前に待機して人々を観察してみたが、老若男女、皆、超高倍率のチケットを得て、最高のイベントを目の前で見られるという幸運に浮かれ、非常に楽し気だった。大人たちは、試合予想をしては言い合い、子どもらはその間をはしゃぎまわる。平和な光景に見えた。だが――彼らがわくわくして待っているのは、殺し合いなのだ。


「サルおんなをやっつけろ!」

「サルおんながんばれ! うらぎりものをころせー!」


 と甲高く叫ぶ子供の声がざわめきを縫って耳に届いた。大人たちは笑っている。平和の皮を被った狂気、それがこの月市民の内面なのだ、と霖は思った。

 彼らの八割は霖に賭けているそうだ。か弱げな女性であるからという判官贔屓ではなく、地球人という物珍しさがおしての事らしい。


 やがて、試合開始の合図がされ、霖は係員から柵の中に押し込まれた。四方八方から見渡せる楕円状の競技場。

 正面の別の入り口から入るウリエルの姿が遠くに見える。

 彼女の武器はアーミーナイフのみ。広い闘技場の真ん中に、約二十メートル離れて霖とウリエルは向かい合った。


(どんなあてがあるって言うの? あたしはあんたを殺したりしたくないよ)


 ウリエルは詳細を語らなかった。ミカエルがどんな風に聞いているか判らないので霖達も詳しくは聞かなかった。

 熱狂した観客達のざわめきが二人を包む。誰もが、これを残酷だとか不道徳だとか微塵も感じていないのが解る。同じ月市民ではないからだ。彼らはミカエルの思想に沿った教育を施されている。


「ねえねえ、あの女の猿、可愛いね。飼ってみたい!」

「駄目駄目、不潔な生き物なのよ」


 そんな会話がふと耳に入る。だが苛立ちは最早感じない。彼らにとって霖達が同じ人種でないのと同様に、霖達も彼らが同じ人間だとは思えなくなった。


(こんな都市、狂ってる)


 しかし、間違いを正すよりも今は、大事なものを守る方が先である。大事な世界……竜が守った地球。だが現実は、自分の身一つ守るのも危うい。


「それでは試合を開始します!」


 ファンファーレが鳴り、殺し合いの幕が切っておとされた。


「本気でかかってこい、霖!」


 あの夜の格闘で、本気で挑んだ所で勝てるかどうかは解らない事を霖は知っている。だがウリエルにとっては、霖を倒しても倒さなくても、死の宣告は変わらないのだ。彼の性格上も、適当に手を抜いて勝たせてくれるだろう。

 霖の一瞬の躊躇を狙って、ウリエルが先に動いた。はっと気付いた時にはウリエルは風のような動きでぐんぐんと間合いを詰めてくる。武器を持たないウリエルは霖のナイフを奪うつもりらしい。


「ちゃんと闘うんだ。ミカエルを退屈させるな」


 あっという間に距離が縮まった。霖は本能的に右に飛んでウリエルの手刀を躱す。二撃、三撃……息つく間もなくウリエルの攻撃が繰り出される。霖はナイフを構える暇もなく防戦一方だ。


「何をやってる! 武器を使え!」


 ブーイングが巻き起こる。


「気を逸らすな! ミカエルとガブリエラの注意を引きつけろ!」


 ウリエルは息を切らす事もなく動き続けながら叱咤した。


 ウリエルとガブリエラは貴賓席に座り、この闘いを観戦していた。自分の手でウリエルを殺したいと息巻いていた彼女だが、夫が考えついたこのイベントに概ね満足しているらしい。市民達の目の前で惨たらしく彼が殺される瞬間を心待ちにして、誕生日プレゼントを待つ少女のように青い瞳を輝かせている。


「引きつけて……どうするの」


 霖の方ははぁはぁと息を切らせている。ウリエルは手を抜くつもりはないらしいと感じ取れた。何の為に……? 頭がぼんやりかすんで、思考がうまく働かない。


「どうした、ナイフを構えろ! 殺す気で来い!」


 霖はもっと俊敏に闘える筈だ。ウリエルは彼女の戦闘能力を見切り、そのぎりぎりの所まで引き出すつもりでいた。そうでないとミカエルに悟られてしまう。だが……。


「あたし……」


 霖の足がふらつき、彼女は膝をついた。両手でナイフを構えたが、その瞳の焦点は合っていない。


「しまった、発症したのか! こんな時に……」


 ウリエルが後退すると霖は立ち上がったが、まともに闘える様子ではない。


(急がないと……!)


 ウリエルは決意を固め、霖に駆け寄ると一瞬でその手のナイフを奪った。観客から不満のどよめきがあがったがすぐに、


「殺せ! 女を殺せ!」


 という興奮した叫びが巻き上がった。賭の結果の損得より、残虐な行為が目の前で見られるという期待に観客は湧いた。ウリエルは霖の胸元を目がけるようにナイフを振りかざした。


「あ~あ、あっという間に勝負がついちゃったか」


 ミカエルはつまらなさそうに呟いてワインを一口飲んだ。


「ウリーは粘った挙げ句に彼女を勝たせてやるだろうと思ったんだけど」

「あいつは女嫌いなのよ」


 馬鹿にしたようにガブリエラは笑った。

 その時、ナイフがウリエルの手を離れた。何を思ったか、ウリエルは全力でナイフを闘技場の天井に向かって投げたのだ。強化された腕力で飛ばされたナイフは高い天井に達し、照明の一部を破壊した。ぱぁんとガラスが割れて、破片が飛び散り、ショートして火花が音を立てて弾けた。


「なんだ、なんのつもりだ?!」


 こんな事をしても何にもならない。さすがのミカエルも意図を読みかねて腰を浮かせてウリエルを凝視する。ウリエルは霖を助け起こし、大丈夫か、と囁いた。


「何をしたの……いったい」

「私の賭だ。もしも勝てば……」


 不意に、ホールの全ての照明が消えた。観客席はパニックに陥った。


「なんだ、早く復旧しろ!」


 ミカエルは周りを怒鳴りつける。

 このような事故など、完璧な都市エデンで起こってはならぬ事だ。ウリエルは破れかぶれでナイフを投げただけだろう。たかがその程度の事が制御できないなど、あってはならない。

 冷静に考えればただの停電……しかし、前代未聞の突発的な事故に、市民は完全に理性を失っていた。刷り込まれた完璧性は、イレギュラーに対処する能力を市民から奪ってしまっていたのだ。逃れようとして暗闇の中で将棋倒しがあちこちで起こり、悲鳴と怒声が絶え間なく響き渡る。


「霖! ウリエル!」


 ゲートに待機していたアクセルはすぐに彼を拘束していた警官を殴り倒し、二人に駆け寄ってきた。


「うまく行った。さあ、脱出するんだ」

「脱出ったって、どこをどう行きゃあ……」

「私たちがご案内します」


 暗闇の中で不意に、すぐ近くで別の女の声がした。アクセルには、それが誰の声なのかすぐに判別が出来た。


「マ、マリア!!」


 反射的に身構えたアクセルの腕をウリエルが抑えた。


「違う、彼女はマリアではない」

「だが、この声は、こいつの姿は……!」


 アクセルは闇を透かし見る。真の闇を知らない市民と違い、新月の夜の暗さを知っている彼は、目が慣れるのも早い。翼を持った美少女は確かにマリアその人にしか見えない。


「マリアというのは私たちの姉ですわ。マスターの作品A-01シリーズのナンバー001。私たちは、彼女を元に更に改良を加えられ、マスターの元で教育を受けました」

「なんだって……」

「アクセル、霖、これが私の頼みの綱だった。ラファエルの娘達……ミカエル達にも知らせていない存在だと。洗脳されていた間にも、彼の中の何かが危険に気付き、そのような行動をとらせたのだろう。万が一彼の身に何か起きて我々が月に来るような事態になれば彼女たちは絶対的に我々の味方になってくれるように命じてあると彼は言っていた。私は地球を発つ前に秘かに彼女たちにコンタクトをとっていた。だが、詳しい打ち合わせは何もしていなかった。彼女たちが私の意図と合図を読んで動いてくれるのかは、本当に賭だったんだ」

「なるほど、じゃあこいつらはマリアとは別人格という訳だな」


 胡散臭そうに天使の姿をした三人の美少女を眺めながらアクセルは頷いた。


「そうです。ウリエルさまがアクションを起こせば、ホールの全電源を落とす仕掛けをしておりました。さあ、時間がありません。皆様をお運び致します」


 そう言うと三人はそれぞれ、ウリエル、アクセル、霖を抱えてふわりと舞い上がった。最上階の非常口へ……だが、ミカエルはそれを見逃さなかった。


「あそこにいるぞ、逃げるぞ! おい、何をしてる、撃ち殺せ!」


 非常用のライトが向けられ、続けざまにレーザーが幾筋も発砲される。

 だがラファエルのバイオロイド達は巧みにそれをすり抜け、非常口に向かって人一人を抱えたまま素早く飛んで行く。警備兵達が駆け付ける前に彼女達は非常口から外へ飛び出した。明るい陽光に彼らは思わず目を眇めたが、そうしている間にも、ホールの中は大変な騒ぎである。


「馬鹿! 逃げちゃったじゃないの! どうするのよ!」


 ガブリエラの怒声にも、全ての兵を追跡に向ける訳にもいかない。阿鼻叫喚の混乱状態に陥った観客たちを脱出させるのが先である。


「お前達、さっさと……」


 ミカエルが声を張り上げたその時。貴賓席で爆発音が鳴り響いた。ラファエルの娘達が仕掛けておいた爆発物である。もうもうと煙があがり、場は更なる混乱に包まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ