11・別れ
ウリエルの飛空挺で竜の亡骸は、元々ケルベロスが眠っていた忌み森へ運ばれた。ケルベロスは大人しく飛空挺の下をついてくる。
アイシャは、破壊された町で生き延びた人々を救助する為に残った。彼女は、被害者達から見ると何とも得体の知れない怪しい集団である霖たちを庇い、行かせるように説得してくれた。
「何が何だか解らないけど、あんたの竜があたしを助けてくれた事は間違いない。あたしは信じるよ」
アイシャは言った。もう逢えないと思って一度は別れた親友の顔を彼女は見つめた。霖は泣き腫らしているが、アイシャが助かって嬉しい、と応えた。
「また会おう。あんたはきっと死なない……そんな気がする」
そう言ってアイシャは霖の手を握ったが、霖は、もう自分の事などどうでもいい、と思う。飛空挺の中でずっと竜の亡骸の傍で、冷たくなった手を握っていた。行きの道ではあんなに温かかった手が、今は強張り、もう彼女の手を握り返してくれる事もない。項垂れ、涙を流し続ける霖に、ウリエルもアクセルもかける言葉が見つからない。
ラファエルの死は、ウリエルにとって相当な衝撃をもたらした。自分が連絡を取った事が彼の死を招いたのだ。長すぎた生ではあっても、彼は死を望んではいなかった。それに、アクセルから聞いた彼の死に様も聞くだに胸苦しかった。塵になって消し飛んだ……生き過ぎた彼らには似合いの末期かも知れないが、それでも、いずれ自分もそうなるのかと思うとやるせない。
「まるで吸血鬼だな……」
と彼は遙か昔の伝承を思い出して呟いた。神の意に背いた魔物。人より遙かに長い寿命を持ち、人の血を啜って生き、清浄な日の光を浴びると灰になって散るという……まさに自分たちに相応しい死に様なのだろう。
アクセルは、ラファエルがいなくなって、竜との最後の約束を果たせるのだろうか、と考えていた。マリアを破壊しケルベロスを無力化したものの、ラファエルと竜を失った。有利とは程遠い状況である。だが、実際どのくらい月に行ける見込みが残っているのかは、ウリエルにしか判らない。
忌み森に着き、あの、思い出すのも辛い建物に戻ってきた。竜がケルベロスの封印を解いた場所である。あの日の闘いの跡も、飛び散った血痕もそのまま残っている。だが感傷に耽っている暇はない。竜の眠る棺は、あの祭壇の傍に安置された。ケルベロスは生前の竜の命令通り、棺を護るようにその傍に身を横たえた。
「わざわざここに近づく者はいないだろう。生命維持装置もなしでは、いくらケルベロスといえども、このまま一月もすれば餓死する。主従は永遠にここで眠る事になる……」
静かにウリエルが霖とアクセルに告げた。アクセルは、もう一度、嘗ての親友の顔を見た。マリアに惑乱されていた頃の影は消えて、昔のままの、正義感に燃えてそれを貫いた若者の静かな死に顔だった。
「……行こう。我々は月に行かなければ」
簡単な黙祷を済ませた後でウリエルが言った。
「ああ。行こう、秋野」
棺に寄り添うように座っている霖にアクセルが声をかける。
「なに……? どこへも行かないよ。あたしはここにいる。あたしの事はほっといて。どうせ死ぬんだもの」
霖がこう言うであろう事は想像していた。
「お前は死なない。月に行けばお前の病気は治せるんだ。竜もそれを望んでいた」
「月……? 行かないわ、あたしはここにいる。元々、あたしの望みは竜の傍で死ぬ事だった。世界は救われたし、後はその望みを叶えるだけ。あたしはもう生きる目的がないの。今まで本当にありがとう。あの世でラファエルに会ったらよろしく言っとくね」
そんな風に言われてアクセルは返す言葉に迷う。月に向かっても、生きて帰れる望みは薄い。そうでなければ引きずってでも連れて行くのだが、もしもその為に途中で命を落とす羽目になるのなら、彼女の望み通りにさせてやる方がいいのかも知れない……そんな迷いがある。だが、意外にもウリエルが口を挟んだ。
「竜の最期の言葉を忘れたのか。諦めるな、生きる望みを捨てるな、と」
しかしそれでも霖は首を横に振った。
「竜の望みは叶えたい……でも、もうあたし、力が出ない。竜を助けて世界を救う、それだけの為に頑張った。だけど竜は死んじゃった。もう……頑張れない。ここで死ぬ事以外、望みなんかないの」
「霖、愛した者が護った世界をこのまま代わりに護りたくはないのか」
ウリエルは霖の傍に跪き、静かにその目を見つめた。落ち着いた黒い目は彼女を通り越して遠くを見つめているようにも思えて、霖は僅かに戸惑う。
「え……? 世界は救われたでしょう? たくさんの人が死んだけど、危険はもうない」
「いいや、取りあえずの危険は去った。だが、このままでは、いつ次のマリア、次のケルベロスが現れるか判らない。我々は月へ行かねばならない。ミカエルやガブリエラにこんな事は決して二度としないようにさせなくては、終わったとは言えないんだ。きみの時間は限られているが、それでもまだやれる事はあるし、命を賭けた代償に死の運命から逃れられるかも知れない。勿論その後どうするかは君の自由だ。竜の後を追いたければそうしてもいいが、彼は君に生きろと言った筈だ」
「……あたしに、まだ何かしろと言うの?」
「竜が護った世界を、彼が望んだような明るい世界にしてゆきたいのであれば」
かつて、克巳が死んだ時、ウリエルは共に死にたかった。どれ程永らえても、彼のいない生に最早喜びはあり得ない。そう思って、一度は命を絶とうとした。永遠かも知れない生を与えられた身では、精神の安定を保つ事が欠かせない。自分は誰とも違う……それを自覚し過ぎれば狂ってしまう。だから、決して自殺出来ないように彼らは自らにコントロールをかけていた。それを無理に外そうとしたのだ。無理に外せばやはり狂ってしまい暴走したまま最期を遂げるかもしれなかったが、それでもいいと思うくらい絶望していた。だがあの時、世界はまだ混沌として、誰かの手助けを求めていた。土壇場で彼を引き留めたのは、『地球を頼む』という克己の言葉。
結局、その約束を自分はただおめおめと生き延びただけで守り切れていなかった。それなのに、霖を引き留める権利なんかあるのか。そんな気持ちもあったが、それでも言うべきだと感じた。彼女は生きるべきだと思う……というより、彼女が生きて何かを成すのを見たい。
今、霖に告げた言葉は、遙か三千年の昔に己に向かって言った言葉。これを霖に向かって言う事が正しい事なのかどうか、彼自身にも判らない。しかし、彼女を救いたい事も手が足りないのもまた事実である。ここに彼女を置いて行けば、彼女にはもう何の可能性も残らない。
(可能性……)
そんなものはとうに諦めていた暮らしだったのに、いきなり飛び込んで来て全てを変えたのは彼女自身なのである。エネルギーの塊のように思えた彼女に、こんな所で尽きて欲しくないと思うのは、ただの自分の我が儘なのかも知れないともウリエルは思う。
暫く霖は黙って何か考え込んでいる風だった。その目はただ、ガラスの棺の中の竜を見つめている。霖の頬に、徐々に赤みが差しはじめた。
「あたしにも……まだ出来る事がある? それが……竜の願い?」
「そうだ、秋野、そうなんだ」
被せるようにアクセルが言う。霖は小さく頷いた。そしてゆっくりと立ち上がった。
「解った。例え後になっても、いつか竜の所へは行ける。だったら、やれるだけやってみる」
前へ、前へ進む。今までだってそうして来た。その思いで、たくさんの人を助ける手助けが出来た。そして今、竜が護った世界をもう一度救う手助けをする機会があるというなら、それに賭ける……!
最後に霖はもう一度棺の中の竜を見た。
「あたし、行ってくるね」
ケルベロスは寂しそうに鼻を鳴らしたが、その場から動く事はなかった。




