表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/49

9・罠

 エアカーの中で、霖はずっと竜の手を握っていた。竜の手は温かい。そうしていると不思議に心が落ち着き、死の不安も遠のくような気がした。逆に不安なのは、計画が失敗して竜の身に危険が及ぶ事だ。

 竜もまた、複雑に絡み合いながら己を責め苛む自責や恐怖が、霖の存在によって随分と和らぐような気がしていた。自分でも、勝手なものだと思う。霖を捨ててマリアと結婚したい、そう思ったのは遙か昔に思えるが、実際にはほんの数日前の事なのだ。そして霖はそれを知ってもなお、責めるどころか、一緒に罪を負おうとさえしてくれたのだ。


(霖に生きて欲しい)


 痛切に思う。アクセルが思いついたように彼もまた、ラファエル達の技術で霖の病を治せないかと頼んでみたが、月でしか治療は出来ないし破壊獣を止めるのが先だと言われた。ならば、霖の為にもまずは自分が獣を止めなければならない。


「あの町にいるようだ」


 煙が幾筋か立ち上る町から少し離れた丘の陰に飛空挺を降ろしてウリエルが言った。


「小型の探知機を飛ばしている。今、画像を見せよう。あのマリアという女も来ているようだ」


 壁面に画像が映る。五人は息を呑んだ。あまりに凄惨な情景がそこに映し出されたからだ。

 竜とアクセルは既に体験していたが、それでも見慣れるなどという事はあり得ない、破壊獣による虐殺、破壊……。女も子どもも関係ない。ただ、獣は殺す為に殺している。瓦礫が舞い炎が広がり、屍もまだ生きているが動けない者も同じように焼き焦がしてゆく。


「あっ! アイシャ!」


 急に霖が悲鳴に近い声を上げたので、男達は振り返って霖を見た。

 霖は画面に映る一人の女性を凝視している。幾箇所も傷を負いながらぼろぼろの姿で住民を護ろうと駆け回っている警護隊の女性は、霖の親友のアイシャに違いなかった。


「ここは基地からそんなに離れてなかったのね。ああ、早く、早くアイシャを助けて!」

「あの時の友達か」


 とウリエル。霖は何回も頷きながら、


「早く獣を止めないと! ねぇ、なんでこんな所で見てるのよ? 早くあそこに行こう!」


 と叫ぶ。だがウリエルは難しい表情で、画面の上方を指す。マリアがケルベロスの頭上を飛んでいた。


「何か罠があるに違いない。竜の身柄を確保したこちらがケルベロスを狙う事は相手も判りきっているのだから」

「罠って何、どんな?」

「判らない。だから迂闊には……」

「もういい、ウリー」


 ウリエルの言葉を遮ったのはラファエルだった。彼は虐殺の場面に吐き気を堪えて蒼白になりつつも言った。


「僕が間違っていた。この期に及んでマリアを救いたいなどと……僕が行けばマリアは止まる。竜が行けばケルベロスは止まる。それだけの事だ。考えてる暇はない。あれを止める為には、行くしかないんだ。例え危険があるとしても!」

「……解った、確かにそうだな。では行こう」


 ウリエルはパネルを操作し、飛空挺は浮かび上がると、焦土と化しつつある町へ向かって動き始めた。


「マリアが攻撃してこようとしたら、僕がハッチを開けて姿を見せる。あの子はすぐに解る筈だ。その間に竜はケルベロスに止まれと叫ぶんだ」


 沈鬱な声でラファエルは言った。その間にも目前のフロント窓から見えるケルベロスの姿が大きく近づいてきた。マリアは飛空挺に気付き、何か叫びながら飛んでくる。その掌から光弾が放たれ、数撃は凌いだものの、ひとつの弾がアンテナを吹き飛ばした。

 ラファエルは唾を飲み込み、ハッチを開けて身を乗り出した。


「やめろ、マリア! 解るだろう、僕だ!」


 その声に、マリアははっと動きを止めた。


「声紋確認……マスター? マスターなのですか?」


 風に煽られながらもハッチの手すりをしっかりと掴んで身体を固定させようとしているラファエルの声と姿を確かめ、マリアの顔に驚きと喜びの色が浮かぶ。


「今だ、竜、ケルベロスの元へ!」


 ラファエルの叫びに応じてさっと、パラシュートを背負った竜がハッチから飛び降りる。目論み通り、マリアは竜に見向きもしない。嬉しそうにラファエルに向かって飛んでくる。


「竜……!! あ、アイシャ!!」


 側方の窓から竜とその真下にいる獣をはらはらしながら見つめていた霖は思わず悲鳴を上げた。獣が、逃げ遅れた子どもを抱えているアイシャを見て、彼女に向かって咆吼したのだ。その音響にアイシャの足がすくみ、子どもを抱きかかえたまま、逃げもせずに俯せている。やられる……!


「アイシャ、アイシャ! 逃げて!」


 聞こえない事は解っているが言わずにはいられない。背後でアクセルも固唾を呑んで見つめている。その時、竜が地上に降り立ち、獣に駆け寄りながら叫んだ。


「止まれ、ケルベロス!!」


 ぴくり、と獣の耳が動いた。緩慢な動きで振り返り、駆け寄ってくる竜を見た。そして、その場に居合わせた全ての人は次に、信じがたい光景を見た。あの凶暴な獣が、まるで子犬のようにぱたぱたと尻尾を振りながら竜に甘えるような鳴き声を上げたのだ。ほっと竜は安堵の溜息をつきながら、次の命令を出す。


「これ以上誰も殺しては駄目だ。壊してもいけない。町の外へ出て行くんだ。俺も一緒に行くから」


 小首を傾げるような仕草を見せたケルベロスだが、竜の言葉を理解したようだ。鼻を鳴らしながら今までの凶暴さは嘘のように消えて大人しい飼い犬のように竜の後をついていこうとする。

 マリアはそんなケルベロスの様子に気付いてはっと竜に対する怒気を漲らせた。


「何をしている!」


 そう叫ぶと、掌に光弾を集めて竜を攻撃しようと身構える。だがラファエルが、


「やめろ、マリア。誰も攻撃してはいけない!」


 と、先刻竜がケルベロスに出したのと同じ命令を出す。マリアは戸惑った顔でラファエルを見る。彼女は、マスターであるラファエルは、彼女に直接命を下したガブリエラに同調していると思い込んでいる。

 ラファエルは苦しい気持ちでマリアを見た。ミカエルの提案したルールを破ったのだから、いつ彼女は破壊されてもおかしくない。不思議そうに、だが、信じ切った目で自分を見つめながら近づいてくる彼女に、ラファエルは腕を差し延べた。全ての記憶が戻ったいま、やはりマリアは彼にとって、精魂込めて生み出した我が子のような存在である。犯した罪は拭えないが、せめてこの腕の中で看取ってやりたいと思った。


「マスター……褒めて下さらないのですか? 今までみたいに……愚かな地上人共を駆逐した事を?」

「マリア……その記憶は誤りなんだ。すまなかった、僕がもっと早く現実に気付いていれば……」


 そう言いながら、ラファエルはハッチから船内に後退し、飛び込んできたマリアを抱きとめた。マリアは親に甘える幼子のような目で彼に縋っている。


「私がやった事は間違いだったと……マスターの命令ではなかったと仰るのですか?」

「そう……お前は騙されていただけなんだ。お前は破壊されてしまうが、僕はずっとお前を愛しているよ」

「マスター……」


 マリアはラファエルを見上げる。ラファエルは涙ぐんでマリアを見つめ返す。彼女が動きを止める瞬間がいつかと待ちながら唇を噛んだ。


(許せない……姉さん、ミカエル)


 だが。次の瞬間、永い永い生の中でも経験した事のない、身体を貫く痛みが彼を襲った。何が起きたのか把握するのに要したのは数瞬。


「マ……リア?」


 ラファエルに抱きついたマリアの手刀は、正確に彼の胸部を貫いていた。こぽりと血の塊が口の端からこぼれ落ちる。信じられなかった。彼のバイオロイドがマスターに逆らう事などあり得ない。いかにミカエルやガブリエラが研究しようとも、彼のプロテクトを外す事は不可能な筈だ。


(狂ったのか)


 それ以外に考えられない。だが、マリアの目は攻撃的に煌めいてはいるものの、理性を失ったり暴走したりしているようには見えない。なぜ、と問おうとしたが、痛みと苦しみに声が出ない。彼らは不老の遺伝子と普通の人間より強い肉体を持つとはいえ、不死身ではない。

 胸部に開けられた大穴から溢れ出した血液が床に大きな血溜まりを作ってゆくのを見ながらラファエルは、これが『死』というものなのか、と思った。


「ラ……ラファエル!」


 アクセルが駆け寄ってきて彼を抱き起こす。


「何なんだよ! こいつはあんたには絶対服従なんじゃなかったのか!」

「…………」


 口をきけないラファエルに代わって、薄笑いを浮かべた血塗れのマリアが応えた。


「声紋認証……マスター確認。容姿も寸分違いない。だけど、これはマスターではない」

「?!」


 マリアの言葉に薄れゆく意識を必死に引き戻しながらラファエルは考えた。そうか、そういう事だったのか……!


「エデンから通達を受けている。残念だったね、偽物。知っていたんだ、最初から。お前はエデンから逃走したマスターのクローンだってね!」

(……ミカエル……!!)


 ラファエルの全身から力が抜けてゆく。あのルールの申し出自体が罠だったのだ。ミカエルはマリアを破壊する気などなかった。抹殺するつもりだったのは、この、自分。マリアを偽りの情報で操って……。


(これが、報いなのか。現実を知らずに自分の中に引き籠もって何もしなかった長い年月の……)


 アクセルに抱えられた肉体から、次第に命が消えてゆく。


(後は、どうか……姉を止めて……)


 光を失ってゆくその瞳から、アクセルは彼の思いを読み取った。


「解った、後は任せろ!」


 あてもなくアクセルがそう言うと、ふっとラファエルは目を閉じた。


「なにっ……?」


 ラファエルの命が尽きた瞬間、彼の肉体は粉々に散った。三千年もの間活動してきた肉体はとっくに生体として限界を越えていた。ただ、細胞死を防ぐ遺伝子がその限界をないものにしていただけの事。遺伝子自体が死んだ今、その肉体はただの物体になった。


「ラファエル!」


 ハッチから吹き込む風にラファエルはあっという間に地球の大気に溶けてゆく。アクセルは呆然としてその様を眺める事しか出来なかった。


 だが、呆然とした者がもう一人いた。


「……マスター?」


 小声でマリアは呟いた。自分が見たものが信じられなかった。マスターの形をした者が、灰になって飛んだ。クローンならば、死んでもこんな風にはならない筈。こんな風になるのは……オリジナルの大天使のみである筈。


「嘘……だって、エデンからの指令では!」


 混乱して叫ぶマリアに思わずアクセルは、


「こいつは正真正銘の本物のラファエルだった。てめー、偉そうにしておきながら、自分の親の区別もつかねーのかよ! こいつは最後までてめーの事を……」

「嘘だ! 私がマスターを手にかけたなど、嘘だ!!!」


 マリアの思考回路は、この現実を受け入れられない。絶対服従すべきマスターを、その命に反して自分が殺してしまった、などという現実は。刷り込まれた記憶の中でのマスターはいつも、地上人を敵視し、虐殺に貢献した彼女を褒め、頭を撫でてくれた。だから、『誰も攻撃してはいけない』と言われた時に、やはりこれは狂った偽物なのだ、と確信したのに……。マスターは、本当は、虐殺を、否定していた……?


『マリア……僕の娘。優しく、人間らしく育つのだよ。かつて地上は素晴らしい所だった。いつかまた、きっと素晴らしい所になる』


 遙か昔に聞いたこんな言葉が、マリアの抑圧された記憶中枢から甦ってくる。マスターの声だ。ガブリエラ様の所へ行く前の日? 


『優しく、人間らしく』


 それが、マスターの願いだった……?


「うそだーーーっ!!」


 マリアは、絶叫した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ