7・救出作戦
ざわめきでは目が覚めない位深い眠りに落ち込んでいたが、身体を叩く雨の冷たさには目を覚まさない訳にはいかなかった。
夜明けと共に、雨が降り始めていた。マリアの予言通りに。衛星による人工降雨だとは無論誰も知るよしもない。
雨から身を隠す術もなく、やがてずぶ濡れになって竜と霖は寒さに震えた。竜は全身の負傷からひどく発熱し始めていた。
雨は次第に強くなり、霖は約束の時間より先に竜が衰弱して死んでしまうのではないかと恐れた。だが、意識が混濁した状態で、竜はかろうじて生きていた。家族の名を呼び、霖を呼び、時には許しを乞う譫言を発し、そして時々正気を取り戻した。
「ごめんよ、霖……」
「ううん、いいの。長話し過ぎちゃったね」
「俺は、先に逝ってしまうかも知れない……君を置いて先には逝きたくないのに……」
「竜、駄目だよ、気をしっかり持って!」
霖はラファエルたちの事や、救出の計画がある事は一切口にしていない。マリアに知られるのを恐れたからだ。本当に絶望しかない状況であるのなら、早く安らかにしてあげたいところだが、そうでない以上、今竜を死なせる訳にはいかない。
霖はずぶ濡れのまま、少しでも体力を分け与えようとするかのように、恋人を強く抱きよせた。汚物も腐臭も雨で洗い流されてしまい、不快感は全くない。ただ、乾きかけていた傷口が開いて、また鮮血があちこちの傷から流れ出していた。泣きながら霖は、懐から出した布で、大きめの傷を抑えた。
昼頃、どしゃ降りの音に混じって、
「秋野! 竜!」
と壁の向こうから呼ぶ声がした。アクセルだ。なるべく目立つ行動は避ける予定だったが、やはり二人の様子が気がかりだったらしい。
「あたしは大丈夫。でも竜が……具合が悪いの!」
天井のない牢に降り注ぐ雨は、既に膝の辺りまで溜まっていた。ぐったりしている竜を寝かせる事も出来ずに、霖は必死で彼の身体を支えていた。
「頑張れ!」
アクセルにはそれしか言えなかった。
雨足は次第に強まるばかりで、衰えを全く見せない。太陽が見えないので時間の経過が全くわからない。だがやがて、暗雲の立ち込めた空が一層の闇に覆われて、夜が来た事を霖は知った。どしゃ降りの雨が叩きつける音の中で微かに、人が周囲に集まってきている気配が感じられた。
水はもう胸の辺りまで来ている。水が顔の所まで来たら、縛られている訳ではなくとも、瀕死の竜を抱えて泳ぐ事は難しい。後から後から頭上から流れてくる雨水で、既に息もつきにくいという状態だ。
身体は冷え切り、何かを考える事も出来ない。竜はさっきから、話しかけても返事をせず、生きているのかどうかも判らない。
希望……そんなものを持ったのは間違いだったのかも知れない。ウリエルもラファエルも、所詮自分たちとは種類の違う生き物なのだ。本当はこの無様に足掻く姿を、マリアやミカエルたちと一緒に笑って見ているのかも知れない。
絶望感が猜疑心を招き、霖は喘ぎながら、速やかな死を願った。それでも、竜の顔が水に浸からないよう、最後の努力を続けた。そうだ、例え騙されたのだとしても、自分は竜と一緒にいる。それだけでいい。
水はとうに頭の高さを越えており、霖は竜を抱えて浮き沈みしながら何度も大量に水を飲んだ。もう間違いなくあと数分も保たない、と霖には判った。その時……唐突に、本当に吹き消したかのように、雨が止んだ。
「…………?」
朦朧としながら霖が見上げると、壁にいくつも梯子がかけられる様子だった。雨が止んだのでようやく松明が灯されて、梯子の上から光が投げかけられた。囚人の様子を見ようとしているのだろう。
「秋野! 生きてるか!」
アクセルの声がした。霖にはもう返事をする力が残っていなかったが、懸命に泳ごうとしているのは、闇を透かしてアクセルにも窺う事が出来た。その時、いちだんと空が明るくなった。月だ。雨雲は跡形もなく消え去り、不吉な程に明るく輝く満月が、空の頂点にさしかかろうとしている。やはり奇跡だ、と興奮して言い合う声がいくつも辺りから上がった。
「罪人はまだ生きている。皆で最後の制裁を加えなさい!」
凛とした女の声が月明かりの中に響き渡った。
背の翼で空に浮かんだマリアが、月を背に禍々しくもぞっとする程美しい笑顔を浮かべ、民衆に命じている。その姿はまさに、月の女神のように人々には思えた。
「今こそ罪人を殺すのよ! そうすれば、おまえたちの罪はいくらか購われる!」
その声をきっかけに、いくつもの石が竜と霖に向かって飛んできた。梯子で土壁の上に昇った者たちは皆、石を手にしており、それで二人を水に沈めようとしているのだ。
「あっっ……!!」
比較的大きな石の塊が額を直撃すると、霖は痛みに呻いて竜の身体から手を離しそうになり、慌ててそれを抱き戻す。
人々には最早、昨日垣間見せた霖への同情はなかった。マリアの言葉に操られ、竜と霖を沈めて殺す事が救いの道と固く信じている。大小の石つぶてがいくつも当たり、霖は遂に意識を手放しかけた。
(守れなかった……ごめんなさい、竜……)
その時、空に大きな音が鳴り響いた。
「来た、来たぞ、秋野!!」
壁の上で、石を投げるふりをしながら今か今かとはらはらしながら待っていたアクセルは、霖に向かって叫んだ。
マリアは予想外の出来事に目を吊り上げて音のする方を睨み付けた。飛空挺に姿を変えたウリエルのエアカーがこちらに向かってエンジン音をたてながら近づいてくる。
「こっちだ、こっちだ!」
アクセルの叫びに呼応したように、飛空挺は高度を下げ、牢へと近づいた。ハッチが開き、人影が縄梯子を放った。アクセルはそれをしっかりと掴む。
「謀ったわね、アクセル!」
マリアが怒りの声を上げた。それに反応して、アクセルの傍にいる者たちが一斉にアクセルに襲いかかろうとする。だがその手をすり抜けて、アクセルは縄梯子に掴まったままふわりと壁の上から離れた。勢い余って何人かが水の中に落ちる。
「秋野!」
アクセルは片手で縄梯子を掴み、もう片方の手を霖に伸ばす。霖はもがきながらも、半ば本能的に、自分よりも竜の身体を押し上げようとする。
「まずおまえだ、秋野! 竜は俺が!」
そう叫んで、霖の手を掴もうとした時、マリアが何か叫び、アクセルに向けて光の弾を放った。
「ちっ、そいつは反則だ!」
アクセルの悪態とほぼ同時に反応したのは、ハッチにいた人影だった。片手に持った何かの装置が光ると、マリアの弾はふっと消えた。
「なに?!」
予想もしなかった事態にマリアは歯噛みをして何発も光の弾を放つ。だが、ハッチに立ったウリエルは、その全てを無効化した。そうしている間に、アクセルは沈みそうな霖の腕を掴んで梯子を握らせようとした。
だが体温が下がりきっている霖は、既にそれを掴む力がない。アクセルは軽く舌打ちしたが、それは霖に対してではなく、ここまで追い込まれた状況に対してだ。彼は決意を固め、左手で梯子を握ったまま、右手で霖の身体を抱え、更に竜の襟首を掴んだ。左手一本で、自分を含む三人の人間を支えようというのだ。
「大丈夫なのか、アクセル!」
遠くでウリエルが叫んでいる。その間にも、三人を逃がすまいと民衆は怒声を上げながら石や木ぎれを投げつけてくる。そのひとつがアクセルの右腕を掠め、アクセルは竜を落としそうになる。
「大丈夫もくそも、行くしかない!」
アクセルが吠えるように応えたのと、飛空挺が上昇を始めたのは殆ど同時だった。右腕にかかる負荷にアクセルは歯を食いしばって耐える。ここで二人を落としてしまっては一生自分を許せなくなる。たとえ後で腕が使い物にならなくなろうと、死んでもこの手は離さない!
マリアは怒り狂ったように喚きながら羽ばたいて追いかけてくるが、速度を上げ始めた飛空挺には追いつけない。遂にその姿も民衆の怒声も遠くなり、消えて行った。
飛空挺が町から離れた砂地へ着陸態勢に入り、高度を下げると、アクセルの指は遂に力を失って梯子から外れた。三人は砂地に投げ出されたが、それで大怪我を負うような高さではなかった。アクセルは全身を覆う疲労も押しのけて二人の呼吸を確かめる。辛うじて霖も竜も息をしていた。ふうっと力が抜けて、アクセルは二人の上に倒れ込んだ。




