3・裁きの真実
「そうして、意識を奪われた僕は、次に気づいた時、何も覚えてはいなかった。姉を殺そうとして失敗した事はおろか、姉のしようとしていた事さえも。ミカエルは、脳に刺激を与え、他人の記憶や意思をある程度操作する技術を会得していたんだ。忌まわしい事件について何もかもを忘れた僕は、自分のラボに引きこもり、ひたすら研究に没頭した。外に対する興味はまったく湧かず……外出する事もなく。数十年か数百年に一度くらい、姉かミカエルのどちらかが様子を見に来た。会えば普通に接したが、それだけだ。そしてもう、千年くらいも、姉には会っていない。その事を疑問に思うどころか、気づいてさえもいなかった……ウリエルから、連絡をもらうまでは」
ラファエルは、そう言って深い溜息をついた。そしてウリエルが話を継ぐ。
「わたしもまた、何も知らなかった。かつて、『裁き』という名の虐殺が行われた事は、理解していた。エデンから最初の恐ろしい災厄がもたらされた時、わたしは、人々を護る為に出来る限り戦った。克巳が護ったこの地上の民が惨殺されるのを、許す訳にはいかないと思ったからだ。わたしは兵器と呼べるような代物を持ち合わせてはいなかったし、対抗する手段は乏しかった。ところが、ある偶然により、わたしは、破壊獣にとって絶対的に致命的な習性を発見したのだ。わたしは、それにより、破壊獣の活動を停止させる事に成功した。だが……破壊獣に止めを刺そうという時、わたしの前にミカエルが現れた。彼は、言葉巧みにわたしに近付き、ラファエルにしたのと同様のやり方で、わたしの意志を封じた。霖、初めて会った時、わたしは、おまえに『裁き』は何年前の事であったかと問うた。わたしの言ったのは、最初の裁き、今からおよそ二千数百年も前の事だが、わたしにとっては、せいぜい数百年の時間の経過しかなく、また、同じ事が何度も繰り返されていたなど、まったく思いも寄らぬことだったのだ」
「……その、ミカエルという奴にやられて、裁きの事を忘れてしまった、というのは、まあ解ったわ」
ややあって、霖が言った。
「だけど、それなら、いったいどうやって、あんた達はその事を思い出して、こうしてやって来たの?」
アクセルも同じ疑問を持っていた。
「写真だよ、霖」
ウリエルが応えた。
「写真??」
「そうだ。おまえがわたしに見せた、『竜』の写真……それが、封じられた記憶を解き放つ、鍵だったのだ」
霖は思いもしなかった答えに戸惑う。
「竜の写真? だって、今の話と竜に、どういう関係があるの?」
「わたしはおまえに言った筈だ……『竜』は『克巳』と見紛う容姿であると」
「え……」
霖には、まだ話の先が見えない。ウリエルは、彼女たちに理解しやすいよう、言葉を探し、そして言った。
「『竜』は『克巳』のクローン体……複製なのだよ」
ガブリエラが、自分を捨てた恋人と、その心を奪った地球人に対する復讐の手段として選んだのは、自らの研究の粋であるクローン技術と生体改造を軸とした、おぞましいものであった。
克巳が去る前に密かに採取していた彼の体液から創造したクローン体を地上に送り込み、その個体に人類虐殺のすべての責を負わせ、怒りに狂った暴徒がそれを嬲り殺すのを、映像を介して愉しむ……。
そしてまた、『破壊獣ケルベロス』とは、かつての克巳の愛犬だったのである。
月を離れる時、克巳は可愛がっていた秋田犬をガブリエラの元へ残していった。
彼女もまた、子犬の頃から共に育てていたのであるから、害を加えるとは思いもせず、少しでも彼女の悲しみと怒りを和らげる存在となれば、と克巳は考えたのである。彼の知っている、彼の愛したガブリエラは、並びなき知性と美貌、特異な存在故の傲慢さはあれども、異常性など欠片も顕さない、優しく明るい娘だったのだ。
もしも、彼が死ぬまで彼女と共にあれば、或いはその異常性は永遠に発現する事なく、虐殺も起こらなかったかも知れない。彼が地上に降りなければ、地上の民は核の後遺症から立ち直る事無く、滅んでいたかも知れない。運命の皮肉であった。
『ケルベロスって、地獄の犬だろう。なんでそんな名前をつけるんだい?』
『月並みな名前じゃつまらないわ。強そうでいいでしょう。ねえ、ケリー?』
……嗜虐的な嗜好は、周囲が気づかなかっただけで、元から潜在してはいたのだろうか、と、後になってラファエルは思ったものだが。
ガブリエラは、恋人を偲ぶよすがとなった犬を、なんと冷凍してしまった。
後に、ジャッジメント・プロジェクトと名づけた復讐を思いついた彼女は、犬を氷の眠りから覚まし、改造を施した。巨大な体躯と強靭な牙爪を与え、ミカエルがその脳の凶暴性、肉食性を大幅に増幅させた。
そして、地上の檻でまた歳月を超えた眠りに就かせた。犬は、克巳のクローン体の呼びかけにより目覚め、破壊を行う。
それが、『裁き』の真実であった。
「ケリー……ケルベロスは、克巳に忠実であるという性質を失っていない。改造過程において、そういう条件付けのようなものが必要で、消さずに残しておいたのか……まあ、理由はともかく、そういう事なのだ。克巳と竜は、肉体的には同一であり、ケルベロスは、克巳=竜の声紋を認証し、目覚める。破壊と人類虐殺という行動目的がインプットされており、14日の間、それに従い、活動する。14日間で人類の約八割を死滅させ、そして休眠期に入る。これを繰り返している」
「14日……」
アクセルと霖は息を呑んだ。
「だが、14日以前に奴を止める手段がある」
「あんたたちの力で、破壊獣を殺す、ってこと?」
「違う。わたしは身を護る以上の武力を持たないし、ラファエルも、攻撃を受けてシャトルと共に全て失った。そうではなく、ケルベロスに破壊をやめさせ、眠りに就かせるのだ」
「どうやって?」
「さっき言ったろう。ケルベロスは克巳に忠実で、克巳と竜は同じ声を持つ。竜が、破壊を止めろと命令すればいいんだ」
「ほんとうに……?」
霖は半信半疑の表情になったが、聞いた瞬間、アクセルには思い当たる事があった。
『やめろ! こいつを傷つける事は俺が許さん!』
竜が叫んだ時、破壊獣は確かに、攻撃してこなかった……。
「秋野、おそらく本当の話だ。破壊獣は、竜や、竜が庇った俺を攻撃してこなかった」
「じゃ……じゃあ」
霖の顔に安堵の色が浮かんだ。
「人類の八割が殺される、なんて事はないのね。竜が、止めろってさえ言えば……!」
「そうだ。だが、それにはまず、無事な竜を確保しなければならない」
「そ、そうか。もしも奴がもう、生き残った都市の住民に殺されちまってたら……」
「その時は、救いの手だては、ない」
沈痛な面持ちで、ウリエルはアクセルを見返した。
「ガブリエラは、あまりにも皮肉な罠を仕掛けているのだ。人類のたったひとつの希望である、克巳のクローン体は、過去の裁きに於いて必ず、破壊獣ではなく、怒り狂った人間たちに殺されている。その瞬間に、かれらは知らずに自分自身の命運を断ち切ってしまうという訳だ」
「ひどい……」
霖は唇を噛んだ。
「しかしウリエル、あんたはさっき、奴はまだ生きてると言った。なぜ、それを確認した時点で、奴をつかまえなかったんだ?」
「わたしが見た時、彼は既に都市の生き残りの人間たちに囚われていた」
「なんだって! じゃあ、奴は……!」
「慌てるな。まだ生きている。かれらは、処刑は明日と決めている。明日の正午、破壊獣の怒りを収める為の生贄として殺される。生き残りのうちに指導者となった者がいて、その者の示す通りに、処刑の儀式を行うらしい」
「なんで……なんですぐに助け出さなかったの?!」
竜が処刑される、と聞いただけで、霖の胸は激しく疼いた。いま、すぐに助け出したい。
「かれらが見知らぬわたしの説得など聞くとは思えないし、わたしは大した武力を持っていない。ひとりで闘うのは分が悪すぎた。だから、先にきみたちと合流しようと思ったのだ。アクセル・オーウェンの言葉なら少しは聞くかもしれないし、聞かなければ、四人で力を合わせて、かれを奪還すればいい」
ウリエルの言うことは尤もだった。
「竜はどこにいるの?」
「街外れの牢だ。見張りもいたし、周囲に人々が集まって罵詈雑言を浴びせていた。牢に入れられているのは、明日までに殺されてしまわない為でもあるようだった」
「それで、その指導者というのは、どんな男なんだ?」
「男ではない。アクセル、きみのよく知っている人物だ。若い女だ……マリアと名乗っている」




