2・きょうだい喧嘩
長い話を聞き終わり、霖とアクセルは、暫くただ呆然とする事しか出来なかった。
克巳への真の感情を除くすべてを、ウリエルは語った。なるべく二人が理解しやすいよう、言葉を慎重に選びながら。
三千年前に栄えたという文明や、月に栄える都市の話など、いくら説明されても、二人には想像の域を超えている。車も電気もガスもない、前時代で言えば、ほぼ中世くらいの生活・教育水準で育ってきたのである。だが、それは確かに真実だと、肯定的に考えなければ、現在の状況を打開する糸口すら掴めない。現に今、見た事もなかった乗り物に乗り、高速で移動しているところである。
「話はわかった……事にするわ」
霖は言った。
「少し前なら、とても信じられなかったろうが、何しろ最近、信じられんようなものを目にし過ぎた。乗り物に乗って月へ移り住む、など、子供の夢物語のようにしか思えんが、しかし、それが現実なのだろう」
唸るようにアクセルも答えた。
「だが、今の話と破壊獣、裁きに、どういう関係があるんだ?」
「きみたちが裁きと呼ぶ現象は、姉が、主に復讐の為に起こしているものだ」
苦々しくラファエルは告げた。
「復讐って……まさか」
霖は息を呑んだ。
「まさか、克巳っていう人に捨てられたから? その腹いせ……って事?!」
「そういう事だ……」
あまりの事に、霖もアクセルも、暫く何を言ってよいかわからなかった。
三千年もの間、何度も地上を襲った大虐殺。それが……たったひとりの女の、色恋の恨みから起こっている事だなどというばかげた話を、そう容易く受け入れられるものではない。
「姉は、自分を女神だと言っていた。女神なのだから、人間に罰を与えるのは当然の権利だと……」
「そんな馬鹿な。不老不死だかなんだか知らないけど、あんたの姉さんなんでしょう? ただの人間なんでしょう?!」
「そうだ……」
ラファエルは、深く頭を下げた。
「僕は、克巳が去っておよそ二百年後、彼女が最初のこの愚かな行為を企てた時、無論必死で止めた。彼女にそんな権利はない……誰にもない。それでも彼女は言う事を聞かなかった。僕は、彼女を殺すしかないと思った。いくら不老不死と言っても、肉体を爆破すれば死ぬ」
束の間、遠い目で彼は、姉を殺害しようとした日の事を思い出していた。
―――
「さよなら……ガヴィ」
オレンジの炎が渦を巻き、黒煙が吹き上げるガブリエラのラボを、上空のヘリの中から見下ろしながら、ラファエルは呟いた。
耐火強化ロボットが次々に投入されているようだが、何しろ、このような大規模な事故が起こったのは、エデンの歴史始まって以来の事だ。コンピュータのシミュレーション通りに作業は進められているが、既に計算の答えは出ている筈だ。即ち、屋内の人間の生存・救出は不可能……と。
二百数十年の時を共に過ごした双生児。少女の面影をそのままに残した愛おしい半身を自らの手で爆破した痛みは、この先何千年生きようと、消えはしないだろう。ラファエルは咽び泣きながら、自分のラボへ戻った。
彼を逮捕し得る者はいない。彼はこの都市の市長であり、権力は、彼とガブリエラ、そしてガブリエラの夫であるミカエルが握っていた。
ミカエルは、昔から、何を考えているのか窺い知れないところがあった。
軽薄で皮肉屋。頭は切れるが油断のならない人物。そういうイメージを出会う人に持たせる男だった。
いつも傍には違う女性がおり、本気の恋人がいたという過去はなかった筈だ。克巳とウリエルが去って十年後、突然ミカエルとガブリエラの婚約が発表された時、ラファエルは心底驚いた。
ガブリエラが克巳の事を思い切り、ミカエルを愛するようになったのなら、それは良い事だ。だが、ラファエルにはとてもそうは思えなかった。
また、ミカエルの方も、表面上はガブリエラに甘く優しく接していたが、彼女の心が克巳にある事はよく知っているのだし、それでもよいとか、いつか心変わりをする日を待つだとかいう献身的な男ではない筈だ。彼らは四十一歳になっていたが、これまで共に過ごした間、彼女に恋愛感情を持っているような素振りは欠片もなかったのだ。
しかし、結局、ラファエルは二人を祝福するしかなかった。
二人は幸福そうに見えた。そして、都市機構は安定し、移民初代の人間が皆老衰死して世代が完全に代わる頃には、三人の地位は揺るぎのないものとなっていた。
―
「地上の人間を滅ぼす事にしたわ」
ある朝、久しぶりに弟の私邸を訪れたガブリエラは、大した事でもないような口調でそう宣言した。
「何を言ってる……? ガヴィ?」
「あいつら、増えすぎだわ。知ってる? いまや、総人口は数千万よ。一度は滅びかけたというのに」
「良い事じゃないか」
「何が良い事なの! このままじゃ、やがてまた、あの愚かしい歴史を繰り返すに決まっているわ。あれは、そういう劣悪な生物なのよ」
「姉さん……」
ラファエルは嘆息した。
「かれらは、僕らと同じ人間だよ。忘れてしまったのか?」
「何を言うの」
ガブリエラはそんな弟の言葉を一笑に付す。
「私たち、そしてこのエデンの住民は、選ばれた月人――ルナティカン。原始人のように成り果てた地球人――アーシアンとは、次元の違う存在……特に、私たち三人は、人間の限界点である、老衰死を超えた、神といってよい存在なのよ」
「何を言ってるんだ……僕らはただの偶然から、そうした特性を持っているに過ぎない、ただの人間だ!」
「おまえは、なんにもわかってないわ」
「わかってないのは姉さんの方だろ。地球は……地上の民は、克巳が守り、愛おしんだものだ!」
瞬間、ガブリエラは、殺意すら含んだ目で、弟を睨み付けた。
「滅ぶべき存在でありながら、私から克巳を奪った!! やつらはその報いを受けるべきなのよ!!」
―
火災を見届け、心身ともに疲れ果て、真っ暗な書斎にふらつく足取りで入ろうとしたラファエルは、人の気配を感じ取った。
このプライベートエリアには、許可せぬ者は決して入れない筈なのに。
「……ミカエル?」
呼びかける前から、ラファエルには判っていた。セキュリティを破れる者がいるとしたら、それは彼しかあり得ない。
「よう、ラフィ」
暗がりの中、ミカエルの表情は読めなかった。その口調はいつも通り、明るく、そして冷ややかだった。
「おれの奥さんを殺してきたのかい?」
「ミック」
呼びかけようとしたが、喉が乾き、張り付いて、ひび割れた声しか出ない。ラファエルは唾を飲み込み、やや大きな声で応えた。
「ミック……わかっているだろう。仕方がなかったんだ」
「おや、随分ひどい弟だな」
ミカエルは小さく笑う。
「なにがおかしい」
ラファエルはかっとなり、怒鳴った。だが、ミカエルは笑うのを止めなかった。暗い室内に、場違いな哄笑が空しく響く。
「なにがおかしいんだ!」
怒鳴り声にミカエルはようやく笑うのをやめ、義弟に歩み寄り、肩を軽く叩いた。
「オーケー、ブラザー、すまなかった。わかっているとも……しかたがなかったんだ。そうだろ?」
「ミック……何を考えているんだ?」
ラファエルは、そんな彼の態度に、やがて怒りよりも困惑を感じ始めた。
「そう、わかっていた筈だ……僕は、警告した。ガヴィを止められるのはきみだけ……きみが止めなければ、僕が力ずくで止める、と」
「しかし弟よ、普通、『力ずく』と言ったって、実の姉を爆破したりはしないものだぞ?」
「他にどういう方法があったというんだ?! やらなければ、数千万の命が失われたかも知れないんだぞ!」
「本当に彼女にそこまでできたかどうかわからない」
「いいや、彼女はやったさ! あの目を見ただろう? まさに狂気だ。彼女は克巳への思いを捨てきれず、常人より長い年月を恨み続けて生きすぎた為に、狂気にそのまま取り込まれてしまったんだ!」
「あら、私は正気よ」
突然の第三者の声に、ラファエルの背筋に冷たいものが走った。
照明が切られたままの部屋の片隅に、それまで押し殺されていた気配が、突然顕わになった。
「ガ……ヴィ?」
「こんばんは、ラフィ」
ガブリエラの声と共に、灯りが点った。ミカエルと並んで立っていたのは、確かにガブリエラだった。
「どう……して。確かに、ラボにいた筈だ。確かに……」
「確かにいたわよ。そして、確かに吹っ飛ばされたわ」
「なら……なぜ」
ミカエルは腕を伸ばし、妻の身体を抱き寄せた。
「愚かなる弟よ。彼女の得意な事が何だか、考えていなかったのかい?」
僅かに考えを巡らしたラファエルは、不意に顔を強張らせる。
「まさか……まさか、クローン体? しかし……」
「そう……私を殺す事は、不可能よ。ストックが、いくらでもあるんだから」
可笑しくてたまらないとでもいうように、ガブリエラはくすくす笑う。
「だが、身体は複製できても、記憶や感情は白紙な筈だ!」
「ラフィ……そこで、おれの出番という訳だ」
ミカエルは妻の身体をそっと放し、義理の弟に微笑みかけた。
「ガヴィのクローン技術とおれの専門を合わせれば……」
「クローン体に、記憶と人格を移植したのか!」
「あたり」
ゆっくりとミカエルは近づいてくる。
「さあ、弟よ。いくらきょうだい喧嘩とはいえ、過ぎたる暴力はよろしくない。お仕置きの時間にしようか」
「ミック! きみは、ガヴィのやる事に賛成なのか! 恐ろしい虐殺に……」
「人聞きの悪い。大いなる実験と言えよ」
ミカエルの掌で衝撃銃が赤く点滅した。




