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1・大天使

 西暦二千××年。

 紀元前数千年に端を発した人類の文明は、円熟期、そして沈滞期を迎えていた。

 安全かつ高性能な新たなエネルギーの開発により、世界中のどこへでも、数時間以内に移動する事が可能になった。大気汚染やその他の有害物質の発生も激減した。

 コストの低い動力の普及により、世界的に景気は安定し、飢餓に苦しむ人もなくなった。

 宇宙開発が進み、月面旅行も可能になった。

 

 様々な面で、かつて夢に描かれた豊かな生活が実現し、多くの人々が、その利便性を当たり前と感じ、享受していた。

 だが、長年の研究にも関わらず、未だ人類が憧れつつも手にし得ない『幻』があった。

 『不老不死』。

 遺伝子解析が進み、悪性の疾患もほぼ完治し得るようになってもなお、人は、『老化』という現象には打ち勝てなかったのだ。


 そんな時代……。

 ある非合法の遺伝子操作の実験にて、非常に確率の低い操作ミスが重なった偶然から生まれた『奇跡の人類』『スーパーチャイルド』……。

 生みの親の博士により、ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエラと名づけられた四人の少年少女は、老化の源である細胞死アポトーシスを完全にその遺伝子プログラムから排除し、常人の数十倍の身体再生能力を持ち、そして、一人一人が、天才的な頭脳を生まれながらに与えられていたのだ。

 偶然の産物だけあって、この能力を他の個体に再現する事は不可能だった。

 やがて博士は逮捕されたが、四人の子供の人権は認められ、政府の庇護と監視の下、10歳までに一流大学の博士課程を終え、政府のシンクタンクでそれぞれの分野で研究に勤しむ生活を送るようになる。

 ミカエルは脳生理学、ウリエルは宇宙工学、二卵性双生児のガブリエラとラファエルは生体工学のリーダーであった。

 『大天使』……そう渾名された四人は、初めは経験豊富な年長者たちの激しい妬みや妨害、中傷に晒された。だが、それらすべてを、既存の理論を鮮やかに完膚なきまでに覆す程の優秀さを示してからは、「あれは普通の人間ではないから」という認識がなされ、周囲の人々は完全に脱帽、そしてただ敬遠していた。

 四人もまた、自分たち以外の『普通の人間』と交流するなどとは、考えもせず、四人の『家族』だけが心許せる対象として、十代の時間をただ研究に費やし、過ごしてきた。

 そして19歳の時、彼らは『小林克巳』と出会った。


 克巳は四人と同年齢の19歳。四人の中でも最も童顔であるラファエルよりも若く見えたが、彼もまた、バイオテクノロジーの分野に於いて、天才と呼ばれていた。

 東洋人離れした彫りの深い凛々しい顔立ちに柔らかな笑顔を絶やさない彼は、人種的な偏見も受けず、周囲にはいつも人の輪があった。

 そんな彼が、同じ年頃だからと気安く話しかけてきた時に、四人はこれまでと同じように警戒をもって接した。これまでにも何人か、そうやって近づいてきたものの、皆、下心があったり、からかいの種にしようという悪意があったりし、最早彼らは、自分たち『家族』以外の者に何か期待をする事を止めてしまっていたのだ。

 だが、克巳は彼らにあくまで友人として接し、紆余曲折を経て、いつしか互いに認め合う絆を築き上げたのだ。

 皮肉屋のミカエル、穏やかだが頑固なウリエル、繊細なラファエルは、親友を得た。

 そして、ガブリエラは、恋人を得たのだ。


 ガブリエラは、豊かなブロンドと濃いブルーアイ、幼女のようなあどけなさと、妖女のような蠱惑の艶やかさを併せ持った才女だった。

 無垢な心で克巳を愛し、また彼もガブリエラを誠実に愛した。きょうだいのような三人もこのカップルを心から祝福した。彼女が『老いない』事を除けば、どこから見ても、飛び抜けた容姿と才能に恵まれた素晴らしい組み合わせだった。

 身体の特殊性を気にする彼女を、克巳は優しく受け止め、プロポーズした。

 涙と笑顔をもってガブリエラがそれを受けたその晩に、奇しくも世界は崩壊した。


―――


 その前兆は、殆ど誰も感じていなかった。

 大半が既に廃棄されていた、前時代の遺物、核兵器。

 安全装置の老朽化のチェックミスという、単純ミスの為の暴発、そしてそれが招いた更なる暴発……大都市のいくつかは跡形もなく消え去り、いくつかは紅蓮の炎に包まれ、そして辛くも直接的被害を受けなかった地域には、『核の冬』が訪れた。

 地球を覆う厚い煙の層により、平均気温は急激に低下し、旱魃が起こり、農業は壊滅、世界中に飢餓と病が蔓延した。

 この状態はあと数十年、改善の見込みはなく、人類は滅亡する、とシンクタンクは結論付け、そこで採られた道は、特権階級と知識集団の、秘密裏の月面移住、であった。

 『大天使』、そして克巳は、この移住計画において、重要な一角を担わされた。

 だが克巳は、地上に取り残される、何の力も持たない人々への裏切り行為であるという罪悪感を持ち、人類を滅亡から救う為の進化的英断であると主張するガブリエラと激しく対立した。


「地球を見捨てる事に僕は反対だ。残された最後のエネルギーは、あくまで地球を救う為に使うべきだ」

「それは綺麗事だわ。地球の命運はもう尽きているのよ。愚かな前時代の人類の淘汰は、ある意味、必然だったのかも知れない。選ばれた者たちが新しい土地で、もっと進化した世界を築くときが来たのよ」

「僕だって、人類がこのまま地球と心中すべき、と思っている訳じゃない。だが、移住をするのなら、すべての者に同等の権利が与えられるべきだ」

「何を言ってるの。愚者の血を新世界に入れてしまっては、また同じ歴史が繰り返されるだけだわ」

「それは可能性の問題だし、誰にも断定出来ない事だ」

「では、あなたは、あの何の役にも立たない者たちに、私たちと同等の権利を与えるべきだとでもいうの?」

「まさにその通りだよ、ガヴィ」


 ガブリエラの選民意識は、憂いのない時代には、二人の間の大きな壁にはならなかったのに、この時、底知れぬ深い溝となって愛情を裂こうとしていた。

 だが結局、葛藤を別にして、克巳は課せられた役割を果たさない訳にはいかなかった。

 平等主義や博愛といった道徳的観念より、責任感が勝ったこともある。しかし何よりも、宇宙への移住、という、人類史上初の試みにあたって、極めて重大な一端を任される局面に対して、純粋に科学者として突き動かされずにはいられなかったのだ。

 そうして、一般には知らされる事無く、核爆発から二年後、月面ドーム都市『エデン』に三千人の男女が移住を行った。


 克巳とガブリエラの愛情は、失われた訳ではなかった。

 特にガブリエラは彼に激しく執着し、彼の『間違った考え』を正し、新天地で共に幸福に暮らす事を夢見ていた。

 初めのうち、その夢は叶えられていくようにみえた。

 克巳は以前と同じように愛情深く彼女に接したし、地球に関する話題を持ち出さない限り、静かで優しい時間が流れた。

 『大天使』と克巳が中心となり開発した環境維持システムにより、ドーム都市は快適に保たれ、過去の研究の粋を結集させたバイオテクノロジーの導入により、病もなく、食料や娯楽が不足する事もなかった。そして、二人の間では、この新しい世界をどのように発展させていくか、実りある話題に事欠く事はなかったのである。


 だが、そうしている間にも、地上では悲惨な状況が加速度的に悪化していた。

 総人口は激減を続けており、大部分の土地は住める状態になく放棄されていた。

 子供が生まれても育つことは奇跡に近くなり、この有様を天から眺めている人々は、やがて最後のひとりが地上で生を終える日も遠くはないだろうと、他人事のように囁き合った。

 恵まれた生活に戻った人々の多くは、地上で過ごした苦しい日々の記憶にあっさりと蓋をし、自分には最早関係のない世界と思う事で罪悪感からうまく逃れられていた。

 中には、Xデーがいつか、賭けの対象にする者まであったのだ。


 そしてある朝、克巳はガブリエラに告げた。

 自分は役割を果たした。地上に戻る、と……。


 半狂乱になったガブリエラは、最初罵倒し、それから懇願した。

 だが、克巳の意志は変わらなかった。


「僕は地上で出来る事があると思う。このエデンで行った事をそのまま地上でやる訳にはいかないけど、この数年で蓄えたエネルギーで、幾ばくかの土地に命を吹き込む事ができると思う」

「そんな事をしてなんになるの! 地上に戻りたければ、あいつらがすっかりいなくなって、大気が自浄されて再び地面が蘇る頃に、行って別荘でも建てればいいんだわ」

「それにはいったい何十年かかると思っているんだい? 僕には君のように時間はない。第一、人類が滅びてしまってからでは意味がない。僕は、あのひとたちを救う為に行くんだ。遊びに行く訳じゃない」

「あなたがそんなことする必要なんてないわ! ねえ、ここで一緒に研究を続けましょう。今の理論が進めば、新しい人類を誕生させる事ができる……バイオロイド……それを地上に戻したっていいじゃない?」

「……君に解ってもらえなくて悲しい。だが、それでも愛しているよ。地上で死を迎える瞬間まで、僕の心は君ひとりのものだ」

「いかないで! 克巳、いかないで!!」


 克巳が振り返る事はなかった。


「愛してる、克巳、愛してる! こんなに愛してるのに、私を置いていくの?! だったら……」


 その時、ガブリエラの瞳に生まれたのは、狂気。


「だったら……あなたを、呪うわ。あなたと、あなたを奪った地球を。私が生きている限り、全霊をこめて呪ってやるわ!! かつみィィィィ!!!」


―――


 この、克巳の片道旅行に、ウリエルが同行した。


「無理に付き合ってくれなくてもいいんだよ?」


 克巳の言葉に、ウリエルは微笑した。


「ひとりよりふたりのほうが、やれる事は多い筈だ。それに、わたしにはたくさんの時間がある。帰りたくなったら帰るから、心配しなくていい」

「……そうか、君の友情に感謝する、ウリエル」


 それから二人は、僅かな人々が暮らす集落を探しては、最低限生き延びられるだけの農耕を行えるよう、土地を浄化する作業を行い続けた。

 エネルギーには限りがあったが、克巳が63歳で生を終える頃には、世界人口は数万まで回復していた。


「……ウリエル。付き合ってくれてありがとう。月に帰ったら、ガヴィに……済まなかったと伝えてくれ」


 過酷な生活の為、痩せて老いた克巳の骨ばった手を、地上に降り立った日と変わらぬ姿のウリエルは、涙しながら握りしめた。


「一緒に月に帰ろう、克巳。まだ間に合う。帰れば、きみはまだまだ生きられる筈だ」


 克巳は力なく首を横に振った。


「わたしは地上で生き、地上で死ぬ。わたしの亡骸は、この地球の土に還してほしい。後の望みは、それだけだ」


 克巳は疲れたように目を閉じ、そして二度と開けなかった。


「わたしは……」


 ウリエルはかすれた声で言った。


「わたしは、きみを愛していたんだ、克巳……」


 その声が、克巳に届く事はなかった。


 結局、ウリエルは月に帰らなかった。

 克巳の墓標の傍に住処を定め、廃墟の地下に、コンピュータ制御により生活を維持できるシステムを作った。

 そして約三千年もの間、月とも地上の民とも接触を断ち、死ぬ事も出来ず、独りで生き続けたのである。

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