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1・迷入


戒暦2999年11月。


秋野霖は砂丘にいた。

傍らには副隊長のアイシャ・ローランがいる。

二人は部下と共に、基地の東の村を襲った盗賊団を追跡していたが、砂嵐に阻まれ敵を見失い、おまけに部下達ともはぐれてしまった。基地から約一日半の所、大切な磁石を落としてしまったが、それ以上に大切な携帯食と水は無事なので、これ以上何も起こらなければ、太陽を目印に帰還できるだろう。

だが、夕暮れが迫っていた。街道から離れれば離れる程、サンドワームや砂ヒョウなど砂丘特有の夜行性の獣が多くなる。大勢で火を焚いていれば襲ってくることはないが、少人数の時は危険だ。


「そろそろ火をおこそうか、霖?」


アイシャが言った。

霖より二つ年上の彼女は、霖と同じ歳だった頃に盗賊団に夫と子供を殺された。全てを失った彼女は志願して兵士となった。自分と同じ様な存在をこれ以上増やしたくない、というのが彼女の願いである。

普通より遅めの入隊なので年下の霖の下に就かされたが、霖を立て影ひなたなく働き、霖もまた常に彼女の意見を重んじ同等に扱ったので、二人は姉妹のように仲が良かった。


「そうね……あっ、ちょっと待って。あれ、なんだろ?」


緩やかな傾斜を伴った右方の砂丘の影になり、なにか砂や岩ではないものがちらりと視界に入

った気がした。黒っぽい……屋根のような影。


「行ってみよう」


近付くと、それは確かに建造物である事が判った。建造物、と言うより建造物の名残、と言った方が正しいかも知れないが。要するにそれは、半分以上砂に埋もれた廃墟だった。半壊した尖った屋根は、教会を思わせる。他にも周囲の砂から所々、建物の一部のような残骸が覗いている。


「何か、集落の跡みたいね」

「なんだろ、こんな所に?」

「砂丘の中に村だなんてねえ。でも、人の気配はないし、危険な感じはしないわね。何もないとこで野宿するより、いくらか安全なんじゃない?」


アイシャが言う。


「でも、ひょっとして盗賊のアジトだったら……?」


霖が彼女にしては珍しく慎重な意見を述べたが、アイシャは黒い瞳を光らせて明るく首を振った。


「この積もった砂……長いこと誰一人近付いてないって感じよ。ね、入ってみようよ」

「うーん」


霖は暫し考えた。

煉瓦づくりの建物は、一階部分が殆ど砂に埋もれているが、全体が大きく、少なくとも五階建てくらいはありそうだ。彼女たちの目前には、二階部分の窓がそれに続いて崩れ落ちた壁と共に、二人を招き入れるようにぽっかりと穴を開けている。その奥は暗がりで殆ど中は見えない。

正直なところ、霖はこの場所が薄気味悪かった。身体の奥の本能の声は、早くここから立ち去るように告げている。


だが、負けず嫌いの彼女は、怖いとはどうしても言えなかった。常ならば霖の方が猪突猛進に動き、それをアイシャが冷静沈着にフォローするパターンなのに、今は押さえ役のアイシャの方がどうした事か好奇心で一杯になっているのだ。また、冷静に考えればアイシャの意見は正しく、建物の中にいれば獣の類に襲われる心配はかなり少なくなるのは確かだった。結局霖は頷くしかなかった。


携帯用ランプに火を灯してアイシャが先に足を踏み入れ、霖が後に続いた。もう外もかなり薄暗くなっていたが、中の方がもっと暗い。アイシャがランプで部屋の中をぐるりと照らし出す。

底の厚い編み上げ靴が砂の積もった床を踏むと、靴の跡がくっきり付いた。二人の足跡以外、ここには最近残されたと思える痕跡は何一つない。広くはない部屋の中央には足の朽ちたテーブルの残骸が横たわっている。部屋の隅には陶器の破片らしきものが散らばっている。それ以外には何もなかった。

アイシャは扉だった穴にランプを向けた。石壁の廊下がぼんやりと浮かび上がる。光の届く範囲より先は、まったくの闇だ。


「奥に行ってみよう」

「アイシャ……崩れてきたらどうすんの。ここでいいじゃない」

「大丈夫よ。しっかりしてそうじゃない。危なそうなら引き返せばいいでしょ」


アイシャは振り返ってからかうような視線を投げた。


「霖、怖いの?」


霖の身体がかっと熱くなる。


「ンな訳ないでしょっ!」

「お化けでも出そうな感じだもんねえ。あんた、怖い話だけは苦手だもんね」

「ばっ、莫迦なコト言わないでよ! 子供じゃあるまいし、あたしはただ、どんな危険があるか判らないと考えて、慎重にねえ……!」

「慎重に、だって! なんか、あたし達いつもと台詞が逆じゃない? 生きてる相手だったら、慎重どころか猪みたいに突っ込んでくくせに、お化けが相手だと、途端に……」

「お化けなんかいる訳ないでしょ!」

「いるわよ! あんたの後ろにほら!」

「わああっ!」


場所が場所だけに、辺りに不気味に響くアイシャの声に霖は本当に背筋がぞっとして、飛び上がってアイシャに抱きついてしまった。


「わっ、バカッ!」


いきなり霖に抱きつかれて、アイシャはランプを取り落とした。


「あっ……!」


ランプが割れ、火が瞬いて消える。あっという間に辺りは闇に包まれた。


「やだっ……ごめん、アイシャ」


だが、返事がない。


「アイシャ?」


暗闇の中、霖は手を伸ばした。すぐ側にいる筈のアイシャの身体に触れない。


「うそ……ちょっと、返事してよ! アイシャ、お願い! ふざけないでなんか言って!」


霖はパニックに陥った。

自分の鼻先に持ってきた自分の掌さえ見えない程の闇……乾いている筈の空気さえねっとりした闇を含んで重く鼻腔を満たし、そのまま体内に入り込んで身体を溶かしてしまいそうな気がした。夢中で一歩踏み出した時、足に何かが触れた。


「なに……?!」


泣きそうになりながらも、そっと手を伸ばしてみる。温かく、柔らかい感触。触れているのは人間の手。


「ア……アイシャ?」


アイシャが倒れている。それ以外の人間とは考えられなかった。


「どうして……アイシャ、アイシャ!」


揺さぶってみるが反応はない。手探りで息をしているか確かめようとした時、霖ははっと身を硬くした。何かの気配を感じた。


「……」


闇を通して伝わってくる。微かな息遣い。押し殺した呼吸音は、腕の中のアイシャのものではなく、少し離れた場所から感じる。パニックに陥っていた霖の理性が急速に覚めてゆく。


(敵……)


呼吸をしているという事は、相手は幽霊ではなく生身の人間なのだ。それがアイシャを襲い、今、闇の中から霖を狙っている。

だが、例え不利な状況でも、相手が普通の人間であるなら霖は恐怖にすくんだりする事はなかった。左腕にアイシャの身体を抱え、右手で腰のサバイバルナイフを静かに抜き放つ。自分に相手が見えないのと同様に、相手からも彼女の様子は見えない筈だ。


「……」

「……」


緊張感が皮膚をひりつかせる。


(全身の毛穴で敵の気配を感じろ!)


かつての教官の口癖が脳裏に浮かぶ。霖は両目を閉じた。どうせ何一つ見えやしない。なら、余計な感覚は省いて、その分僅かでも神経を集中させねばならない。

空気が動いた。本能的に身を反らす。頬を何かがかすめた。それが飛んできた方向にすかさず身を踊らせた。闇の中、障害物があるかどうかなんて分からない。だが、迷いはしない。迷ってやられるくらいなら、勘に全てを委ねる!

廊下とおぼしき方向に跳んだ彼女の腕が、人間に触れた。そのまま体当たりで相手を瞬時に組み伏せる。


「何者?!」


ナイフを喉元に突きつけ、霖は叫んだ。ナイフの感触は相手にも伝わる筈だ。しかし、霖の耳に聞こえたのは、落ち着き払った男の声だった。


「止めろ、女。お前が先に死ぬだけだ」

「何……!」


次の瞬間、辺りがぱっと明るくなった。いきなりの眩しさに目が眩んだ途端、あっと言う間に男が霖をはね跳ばし、逆に彼女を組み伏せた。


「……!」


男の口には何かがくわえられている。


(吹き矢……!)


アイシャはそれにやられたのだ。そして今はそれが霖の眉間を狙っている。男が息を一吹きすれば、彼女の命は消えるかも知れないのだ。なす術もなく霖はただ男を凝視した。


浅黒い肌の彫りの深い顔立ちをした、40前後と思われる男だ。その漆黒の瞳は何の感情も映さず、ただの獲物を眺めるように機械的な眼差しを霖に向けていた。

息詰まる一時の後、男は口から吹き矢を離した。首から下げた紐によって彼の武器は胸の上に垂れ下がる。相変わらず強い力で霖の両腕を締め付けたまま男が口を開いた。


「お前は何者だ?」

「そ、そう言うあんたは誰なのよ?」

「自分の立場が判らんのか? この状況で、人にものを問う事が出来ると思うのか?」

「……あたしはチャイナス北の基地に所属する小隊長よ」

「義勇兵か。何故、女の身で兵士になったのだ? それ程に争いが好きなのか?」

「莫迦にしないでよ。あたしはただ、自分自身で大事なものを守れるようになりたいと思っただけよ」

「お前に何が出来る? 今、私の気分一つでお前の命は潰える」


霖は唇を歪めた。


「仕方ないわ。悔しいけど、どうしようもないわね。でも、今までしてきた事は特に後悔してないわ。あたしのこの手で命を救えた人が何人もいるもの」

「潔いことだな。女らしく泣いて命乞いでもすれば助けてやらんでもなかったが、そこまで覚悟が出来ているならこのまま死ぬが良い」

「……!」 


男の唇に冷たい笑みが広がるのを霖はぞっとしながら見つめた。

どうすればよかったの? 死にたくない……こんな廃墟で誰にも知られずに死ぬなんて。竜……竜にもう逢えない? そして、あたしがこんな所で殺された事を、竜が知る事すらないなんて。

男の下敷きになったまま、大きく見開いた霖の双眸から涙が伝った。


「泣いているのか。やはり、死にたくないのだな?」

「あ……当たり前でしょ。まだやりたい事がたくさんあるんだから」

「では、最初からそう言えばよかったのだ。女は素直な方が可愛いぞ」


そう言うと、呆気なく男は手を離した。


「えっ……?」


霖はゆっくりと起きあがる。

疑い深い表情をありありと浮かべた霖を眺めて男は小さく笑った。


「言っておくが、余計な手向かいをするなよ。この場所にいる限り、お前に勝ち目はないのだ。お前が気付かぬだけで、あちこちにトラップが隠されているし、私がこのように……」

「きゃっ……!」


男が何かを取り出すと、一瞬で辺りは再び闇になった。


「明かりを消しても、私には何がどこにあるか、手に取るように分かるのだからな」


再び瞬時に照明が点る。この明るさが何処から来ているのか、霖にはさっぱり分からない。ランプの一つもないのに、昼間のように室内は明るい。


「……」


深呼吸して霖は激しく動揺する気持ちを静めようと努めた。何か未知の、想像もつかない事に巻き込まれたようだ、と直感が告げている。この場所が恐ろしいと感じたのも直感だが、男から殺意が消えたのを感じ、今は好奇心が徐々に恐怖感を凌駕しつつあった。だが、まだ男を信用する訳にはいかない。


「アイシャ……アイシャをどうしたの?」

「お前の連れか? 案ずるな、眠っているだけだ。少し痺れは残るが朝には目覚めるだろう」


霖は振り返り、倒れているアイシャのもとに駆け寄った。小さな規則正しい呼吸を確かめ、安堵の吐息を漏らす。


「お前たち二人とも眠らせ、夜明けと共に離れた所へ放り出すつもりだったのだ。お前が闇の中で私の矢をよけるものだから、つい興が過ぎてしまった」


静かな声で男が告げた。

霖は改めて男をまじまじと見つめた。

黒髪に黒い瞳……竜と同じ組み合わせだ。だが、口髭を蓄えた彫りの深い顔立ち、憂いを湛えた静かな表情は、若者らしい覇気を持った竜とは似ても似つかない。そして、服装も変わっていた。古ぼけた白い長衣は、神事の時などに神官の着る衣装を思わせる。


「あんた、何者なの?」


先程拒まれたにも関わらず、もう一度同じ質問をせずにはいられなかった。だが今度は男はそれに応じた。


「私の名は……ウリエル。かつてそう呼ばれていた」

「かつて? 今は?」


男は微かに笑った。笑うと途端に印象が和らぎ、優しい感じになる。


「今はもう、長い間名を呼ばれたことがないのだ。だからおまえもそう呼ぶがいい」

「ここには一人で住んでるんだ? 何年も?」

「そう……何年もな。人と話すのはどれくらい久方ぶりだろうか。たまに、おまえたちのように迷い込んでくる者があっても、皆眠らせてしまうからな」


どう聞いてもまっとうな暮らしとは思えない。身を隠している犯罪者、としか考えられない。だが、霖にはその考えがぴんと来なかった。どちらかというと、ウリエルの雰囲気は修行僧のそれに似ている。


「おまえにひとつ尋ねたいのだが……先の裁きから、今は何年たったのかね?」

「は? 裁き?」


霖はきょとんとした。


「神の使いの裁きのことだ」

「裁きって……? えっ、まさかあの、聖典に出てくる裁きのこと?」

「そうだ。……そうか、先の裁きは最早聖典の中の説話としてしか伝えられていないのだな。そんなに月日が流れたか……」


ウリエルは嘆息した。


「どういう事? まさかあれってほんとにあった事って信じてるの?」


眉を顰めて霖は問い返す。男の正体がある程度解った気がした。

彼は狂信者なのだ。裁き……神の使いによる人間の大虐殺……が史実だと信じる集団の事は何度も耳にした。人は生まれながらに罪深い存在であるがゆえに、精進して善行を積まねばならない、と戒める為の聖典の訓話を、いつかまた繰り返される宿命と信じ込み、怯え、神の許しを乞う為に、人里離れた所に住み修行に明け暮れる者たち。ただ修行をするだけなら無害な集団だが、過激な派になると、神への供物と称して赤ん坊を生贄にしたりするという。


(嫌なのと関わっちゃった……)


彼に対する僅かな親しみが消えていく気がした。

だがウリエルは、そんな霖の様子は意にも介さず何事か考えに耽っているようだった。やがて彼はふと思い出したように訊ねた。


「おまえ、名はなんというのだ?」

「秋野霖よ」

「そうか、やはり日本人か」

「ええ……出身は日本村よ」


不安を面に表さないよう気を使いながら、霖は言葉少なに応える。


「昔、日本人の友人がいた。ずっとずっと昔だ……」


意外な言葉に霖は驚き、


「え、だれ、それ?」


と思わず聞き返していた。


「おまえの知らぬ者だ」

「小さな村よ? 知らない人なんていないわ」

「もう、死んだ者なのだよ」


憂いを含んだ笑み。霖はそれ以上何も言えなくなった。


「彼にゆかりのおまえがここに来たのも何かの縁。まあ、奥に来るがいい。おまえとおまえの友人に一夜の宿を与えよう」


ウリエルは言うなりさっさと暗い廊下の奥へと歩いてゆこうとしたが、逡巡する様子の霖に、振り返るとからかうような眼差しを向けた。


「どうした? 別にこの床の上がいいというならそれでも構わないが」

「……」


霖は、埃の積もった冷たい石の床と、そこに横たわっているアイシャを恨めしそうに眺めた。もともとここで寝るつもりだったので、それは特に厭わない。だが……。


「わかったわよ。客になってやろうじゃない」


彼女の中で、結局、好奇心が警戒心に勝った。アイシャを背に負い、霖は負けん気に眼を光らせながら長身のウリエルの後に続いて暗い廊下へと足を踏み入れた。

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