終わり呼ぶ紅
事の始まりは、『赤い霧』が世界各地で目撃されるという報告だった。
霧、というのも表現としては正確ではない。それが起こった場所のものは赤く見え、人によっては視界のぼやけを感じるが、本物の霧のように視界が遮られはしないからだ。
霧が風で流されるように、その現象も少しずつ位置を変え、発生時と同様に前触れなく消える。
黄昏時の夕焼けとは違い、この影響を受けたものは血のような赤黒い色へと変わる。不気味ではあるが、「そう見える」という事以外に実害は無かった。
人の少ない僻地で起こる事が多く、発生頻度も少なかったこの現象。
多くの人がこれを知るようになると、「発生しやすい場所へと見物に行く人」や「この現象を観光に利用する人」も現れ始めた。
はっきりと目に見える、原因不明の現象でありながら危険は無い。
「移動する『赤い霧』に人が巻き込まれる」という事態が起こっても、当人の健康状態に異常は見られなかった。
これは、人に『直接』害を与える性質の物ではなかったからだ。『直接』は。
人類が調査を始めた頃、対応の遅さをあざ笑うかのように現象は牙をむいた。
これまでに無い規模で発生した『霧』が、一気に世界中を包み込んだのだ。現象の強度に差こそあれど、世界中が赤く染まった。
調査をするまでもなく、人類はこの現象の恐ろしさを知る事になる。
そもそも、「赤く見える」というのはどういうことか。
色は、目に入った光の波長によって決まる。見るものが放つ、あるいは反射する光の波長が長ければ赤く、短ければ青や紫に見える。
赤い半透明なシートを通して見ると同色の文字が見えなくなるのは、赤く見える光だけがシートを通過し、元から赤い部分との区別がつかなくなるからだ。
目に見える波長の領域から外れた光は、波長が長くなれば赤外線や電波、短くなれば紫外線やX線と呼ばれる。
……『赤い霧』が影響を与えるのは、可視光だけではなかったのだ。
可視光を赤くするこの現象は、空気中を伝わる電磁波や回路を流れる電流のふるまいをも狂わせる。これにより起こるのは、「通信の遮断」と「電子機器の誤作動・停止」。
暴走する車両が多少の人命を奪い、そうした事態と通信の断絶によりもたらされるパニックが被害を何倍にも拡大させた。
物流、ライフラインの停止による物資の欠乏も、被害の拡大に拍車をかけた。
現象の大規模な発生はほんの数日続いただけだったが、パニックによる物資の奪い合いが発生し、復旧の目処が立たなくなってしまうには十分過ぎるほど長い。
また、大規模な現象の発生自体は納まったが、これ以降は発生頻度の上昇や発生圏、範囲の拡大によって、人類の活動は阻害される。
電子機器は無事なものを見つけ、起動できたとしてもいつ停止、誤作動を起こすか分からない。
通信も、「送受信する二つの機器がそれぞれ正常に動作する」という条件に加えて「電波や回線が現象の影響を受けない」状態でなければ成立しない。
効率を大きく落としはしたが、それでも人類の生活は続いた。
文明の利器を奪われはしたが、それらが無くとも支えられる程度まで人口も減少したからだ。
急激な変化により多くの命が失われはしたが、そういった代償と引き換えに、人類は赤い色に侵食された世界へ適応していく。
あちこちに『赤い霧』が発生し、電子機器は使えない。だが、電子制御を必要としない機械は現象の影響を気にせず使用する事ができた。
通信は壊滅したままだが、流通や生産はある程度の能力を取り戻すことができたのだ。
『赤い霧』の脅威は、これで終わりではない。
「赤く見える」ということは、「赤い色に対応した光の波長が目に届く」ということだ。
そして『赤い霧』は可視光の領域のみならず、不可視光の領域や導体中の電流にすら影響を与える。
光が温度を伝える際に最も寄与する領域は、「赤外線」。赤い光よりも、さらに長い波長。
この現象の発生した場所は、「赤く見える」というだけで「明るく」は見えない。「赤以外の光が赤く変わっている」のではなく、「赤以外の光がどこかに消えている」のだ。
太陽から地球へ届くはずのエネルギーを、『赤い霧』は奪っている。
かつて、隕石によって巻き上げられた大量のチリが、日光を遮り地球を冷やした。
「赤い光のみを残す」この現象もまた、程度の差こそあれ同様の効果をもたらすだろう。
観測された気温の低下、現象の調査によって得られたデータから寒冷化を予見できた各地の人々は、割ける限りのリソースを使いそれに備え始めた。
現象は輻射熱を奪いはするが、物体が持つ熱を直接奪うことはない。地熱を利用した生活環境を構築すれば、生きる望みはある。
寒冷化のその後、「現象が終息してかつての生活は取り戻せるのか」は誰にも分からない。
冬への備えを済ませなければ、春まで生きる事はできないのだ。