第二話 "No Prayer For The Dying” 前編
あらすじ:うだつの上がらない歩兵傭兵の"老いぼれ"カスパーは、迷宮の中で胸の病を起こして倒れる。
目を覚ました後、彼は、危険な迷宮の深層に足を踏み入れた。
松明の灯火が届くより向こう側。
通路の暗がりから、硬い足音が近づいてきた。
姿を現したのは、歩く白骨死体。
右手には手斧、左手には大きな円盾。
かつては衣服であったろう残骸を、わずかに身にまとわせている。
「よう」
私は、親し気に声をかけた。
短剣を抜きながら、歩み寄る。
向こうも歩みを止めず、縮まる間合い。
彼は、無造作に手斧を叩きつけてきた。
その手斧の柄に、右手の短剣を叩きつけて受ける。
その瞬間、引かれる手斧。
斧頭に引っ掛けられて、短剣をもぎ取られそうになった。
私は、たたらを踏む。
次の瞬間、骸骨は、引いた斧を逆に私の顔に突き上げた。
目の前に、火花が散る。
勝手に崩れ落ちる両膝。
続けて、頭に衝撃を受けた。
目を覚ました気分になる。
怒号を上げ、目の前にある白骨のすねを両腕で抱え込んだ。
肩で膝を押し、骸骨戦士を引きずり込むように倒す。
円盾で殴られたが、ここは逃せない。
殴られつつも盾を腕で払いのけて、強引に馬乗りになった。
左右の拳で骸骨の顔を殴る。
目も鼻も、唇もない顔を何度殴っても、効いている気がしない。
取り落としていた短剣をたぐり寄せ、剣の柄頭で骸骨の顔を叩いた。
前歯が欠けたが、たじろぐ様子もない。
肋骨の下から刃を斜めに差し込んだ。
柄を両手で握って、てこの要領で肋骨をこじ開けていく。
五本か六本、へし折った所で、よくやく骸骨戦士は動きを止めた。
胸から聞こえる、ふいごのような音。
私は、大の字にひっくり返り、しばらく起き上がれなかった。
ようやく人心地がついて、私は、上体を起こした。
痛む前歯を舌で舐めようとして、割れた歯根で舌先を切ってしまう。
指でつまむと、ずるっと前歯が歯茎から抜けた。
身体の一部が永久的に失われるというのは、怪我とはまた違った感じで人を惨めな気分にさせる。
私は、腰帯に吊るした巾着袋に、折れた前歯をしまった。
改めて、動かなくなった骸骨戦士を見やる。
そこで、手斧の斧頭が外れて転がってるのに気付いた。
柄の方がだいぶ朽ちていてる。
抜け止めの楔が打ち込んであったであろう先端が割れ欠けている。
あの突き上げを食らった時か、その前の引っ掛ける動きの時に、外れていたのだと思う。
でなければ、無防備になっていた私の頭に食い込んでいるはずだ。
他に、まだ使えそうな円盾があった。
薄い板に革を張ったもので、中心部に鉄の半球状のお椀があり、裏側に把手がついている。
半径が腕を伸ばしたぐらいの大きさはあるのに、意外に軽い。
私は、それをもらっていく事にする。
他に、骸骨の朽ちかけた腰帯に、青銅らしき金属の鍵が吊られているのに気付いた。
思わず、声が漏れた。
鍵をつかみ取ると、私は、昇降機の所まで駆け戻った。
乗ってきた鉄籠が無い。
思い出して井戸側の操作箱の操作棒を引くと、間もなく鉄籠が降りてきた。
鉄籠に入り、鉄の箱に鍵を差し込む。
引いてあった一番右端の操作棒が、発条の力か何かで元の位置に戻った。
果たして、昇降機は無事に鉄の籠を巻き上げ始めた。
鉄の籠の中でへたり込んで、私はため息をついた。
地上に戻ってみれば、既に午後も遅かった。
市が終わった広場は、閑散としている。
帰り道を歩きながら、思案した。
隊の野営地に着くと、まず中隊付きの軍曹に報告した。
軍曹は、私と青銅の鍵を何度も見比べたあげく、少し待ってろと告げた。
日が落ちてから、私は、中隊長の天幕に出頭させられた。
床机に腰かけた中隊長が、鍵と私をねめつける。
中隊長が口を開くまで、待った。
前歯は折れ、頭にたんこぶ、頬と唇と左拳は熱をもって腫れてきている。
しかも、どこで痛めかのか、左肩から背中にかけて痛みがある。
直立不動を続けるのは、しんどかった。
「それで、どうする?」
不意に、中隊長が尋ねた。
私は、質問の意図を図りかね、戸惑う。
中隊長は、不機嫌に唸った。
その様子を見て、中隊付の書記官が説明してくれた。
「お前はこの鍵を売ってもいい。銀貨百枚で隊が買い取る。あるいは、この鍵を使って迷宮を探索しても良い。その場合、お前を中隊付きの特務兵として扱う。給料は今までの倍だ。月に一度、中隊に進捗を報告する義務がある」
銀貨一枚で、一日分のパンが買える。
私は、特務兵になる事を選んだ。
「"老いぼれ"が倍給兵? ふざけてらぁ」
「使い道ないでしょ。まあ幾ら積まれたって、アタシ嫌だけど」
「どうやって鍵を手に入れたんだか」
分隊の天幕に戻る道すがら、色々言われた。
戻ってみれば、伍長がさっそく絡んできた。
「よう、俺たちの英雄がご帰還だ! 今夜は飲み明かすぞ!」
強引に肩を組み、私をのぞき込む伍長の眼。
「それなら、女たちを呼んできます」
「そんなの俺たちが準備してやるよ、何しろ英雄様だからなぁ?」
ひるんだ気配を嗅ぎつけて、肩に回された腕が私を強く締め付けてきた。
無言の威圧。
私は、腹に力を入れた。
「今日はオレが全部おごるんで、先に酒保の親父に話つけてきます」
無い前歯をむき出しにして笑い、強引に伍長の腕を外した。
もちろん、酒保になど寄らず、そのまま野営地を逃げ出した。
再び街の中に戻りながら、私は手持ちの金を掌に広げた。
銀貨が十ニ枚。銅貨が六枚。
ちなみに銀貨一枚が銅貨十二枚ほどの価値を持つが、両替すると手数料が引かれる。
秋の日暮れ時の冷たい空気の中、私はいくつかの旅籠を訪ね歩いた。
野営地を出て外泊する事には、何の問題もなかった。
街にめかけを囲って、そこから野営地に通っている将校は大勢いる。
分隊の巡回や細々とした当番から解放された私も、野営地で寝起きする必要がない。
しかし街で暮らすには金が要る。
最低限の木賃宿でも、日に銅貨十五枚はとられる。
食費も日に銀貨一枚は要る。
少なくとも三、四日は傷を癒したいし、松明やら支度も整えたい。
それを考えると、なかなか予算が折り合わなかった。
次の給料の支払い日まで、まだ二週間ある。
私の給料は四週で銀貨五十六枚だったが、今後は倍になる。
ここから、前借りで買った長槍と短剣の月賦が二十四枚抜かれる。
私は、ぬかるみに小石を並べて数を数えた。
なんとか、傭兵団の野営地に戻らず、暮らしていけそうな気がする。
本当に住みかと食い物だけで、衣服や装備、不意の出費には耐えられないが、それは深層で手に入るというお宝に期待するしかない。
ともあれ、まずは、この二週間をしのがないといけない。
背を丸めて二の腕を擦っているうちに、手に持った円盾に目が留まった。
日が落ち切ってしまう直前。
私は、北方蛮族の居留地を訪れた。
歩兵傭兵団の宿営地と同じように、市壁の外に貼り付くように、そこにあった。
ただこちらは、板造りの塀が周りを取り囲んでいた。
それに、天幕ではなく、木造の小屋が立ち並んでいる。
門衛に用件を告げると、"竜殺し"が出迎えにきてくれた。
「よく来たな。歓迎する」
彼は右手で私の手を握り、左手で肩を叩いた。
それから、私の様子を見て、けげんそうな顔をした。
「これ、あんたらの使う盾じゃないのかな。深層で襲ってきた骸骨が、持ってたんだ」
そう言って、円盾を渡した。
門に備え付けられた篝火の灯火で、彼は円盾に描かれた模様を改めた。
「行方知れずの、仲間の物だ。間違いない」
ソーリンは、そう言った。
その晩。蛮族の小屋の中。
土間の中央に設えた囲炉裏に一番近い場所に、私は座らされた。
小屋自体は、ニ間四間ほどの細長い造りだ。
囲炉裏を挟んで柱の列が二列、長手方向に立ち並んでいる。
列と列の間は、一間ほど。
柱より壁際は長椅子兼、寝床兼、収納空間のようだ。
そこに髭面の男たちが連なって座り、酒を飲み、笑う。
彼らは、盛んに私の角杯に、酒を注ぎにきた。
「お前は恩人だ! おかげで、仲間が呪われた生から解き放たれ、ヴァルハルに旅立てる!」
そんな風に言われて、背中を手荒く叩かれる。
宴は盛り上がっていたが、私は早いうちから、ぼんやりとしていた。
日中の疲れと、慣れぬ蜂蜜の酒のせいた。
そのせいで余り覚えている事はないが、男たちが低い声を合わせて歌っていた事は覚えている。
いざたて戦人よ
怖るな死地を 勲しを求めよ
剣に生きよ 剣に死せよ
我らともにヴァルハルを望もう
神々の盃を受けよう
我らともにヴァルハルを望もう
そんな歌だった。
北方蛮族の小屋の様子の、イメージだよ!
http://www.hurstwic.com/history/articles/daily_living/text/longhouse.htm