第一話「ハート・オブ・メイルストローム」 後編
迷宮に入る階段の前には、昨日と違う見張り番がいた。
「よう、"老いぼれ"。何処行くんだ?」
上下の歯がほとんど無いそいつが、臭い息を私に吹きかけながら言った。
「昨日、死んだ奴がいる。そいつの一部でも回収して弔ってやりたいんだよ」
私は用件を告げた。
それを聞いて、見張り番は腹を抱えて笑った。
銀貨を一枚、そいつに弾いてやった。
「余計な事、言いふらさないでね。笑われたくないんで」
そう告げて、迷宮に続く階段を下りる。
迷宮の中の主な通路は石造りで、およそ二間幅、高さも同じくらいだ。
しかし細かい通路は、ただ掘りぬいただけだったり、自然のままの洞窟だった。
その為、細かい割れ目や抜け道が無数に走っている。
それらを、おおむね私は覚えていた。
岩棚に登り、適当な小石を投げつけていれば、狼は諦めて去る。
"暴れ猿"と我々が呼んでいる獣にも、よく出くわす。
小柄な子供ぐらいの大きさだが馬鹿にできない。
こいつに耳や鼻、髪をつかまれると、容易に引き千切られる。
狭い割れ目に身を潜ませ、入口を松明でけん制していれば、猿も去った。
野の獣なら、獲物をそんな簡単に諦めたりしない。
どうもこの迷宮の生き物はよく判らない。
何を食って生きているのか、そもそもどうやって入ったのか、別の入り口があるのか?
よく判らないから、怪物なのだろう。
私は、昨日の場所までたどり着いた。
しかし亡き骸は、もう無かった。
私は、周辺を捜して歩いた。
歩き疲れた頃、"昇降機"と呼ばれる場所に行き当たった。
井戸のような深い縦穴の上に、鎖で鉄の籠がぶら下げられている。
籠には開き扉がついており、武装した男が一人か二人ぐらい入れる大きさだ。
中には、腰の高さに鉄の箱が取り付けられている。
そして鉄の箱に取り付けられた操作棒を引くと、鉄籠は縦穴に降りていく。
その先は、"深層"と呼ばれる迷宮の更に奥だ。対して、今いるここは"地層"と呼ばれる。
この昇降機は基本的に一方通行になっている。
降りた先の深層で怪物を倒すと、数々のお宝と共に"鍵"が手に入るという噂だ。
その鍵を鉄の箱にある鍵穴に差し込まないと、昇降機は上に上がらないらしい。
実質的な迷宮探索は、この昇降機を降りた先で繰り広げられている。
我々分隊がやっている巡回は、昇降機までの安全を確保する露払いに過ぎない。
現在、"鍵"を所有していて深層に潜っている者は、うちの傭兵団でも数名しかいない。蛮族や騎士を合わせても数えるほどらしい。
"鍵持ち"たちは、莫大な富を築いてると吟遊詩人たちが歌っている。
実はこれが、傭兵隊の募兵に人が集まる理由の一つだ。
だから傭兵隊も、深層に挑戦する事を禁じていない。
もし深層から生きて戻り、晴れて"鍵持ち"となれば、深層潜りだけに専念していい事になっている。
命を賭した一獲千金。貧しい者が見る夢。
我知らず、鉄籠にかけていた手を離した。
私は、年季こそ積んでいるものの、腕っぷしは、からきっし駄目だ。
だいたい歩兵傭兵の仕事は槍ぶすまを作ることで、一人で戦う訓練など受けていない。
ため息をついて、改めて昇降機を見やる。
すると、石組みの井戸側の横に、もう一つ小さな鉄の箱が付いているのに気付いた。
こちらにも、小さな操作棒が一本付いている。
よく見ようと回り込んだら、井戸側にもたれるように座る誰かに気付いた。
武装した男だ。
兜に手斧、大きな円盾を持った男だが、うな垂れたまま動かない。
揺すってみて、死んでいる事を確認した。
長く伸ばした顎のひげと身なりを見る限り、北方蛮族の連中だ。
私は思案したのち、蛮族を地面に横たわらせた。
顎とまぶたを閉じる。
腹の上で手を組ませて、その上に斧を置いてやった。
手を合わせて祈り、地上に戻ろうと歩き出した。
その時、通路の前方から灯火が見えた。
松明を掲げた蛮族の若い男。
眼鏡形の鼻当てのついた兜。
炎にきらめく鎖かたびらの胴着。
光沢のある革の外套を、右肩で飾り細工に留めている。
円盾を背負い、腰には剣。
背が高い。私も高い方だが、それよりも大きい。
その分、遠目には痩せて見えるが、近寄るにつれ、身体の厚みの印象が強くなる。
歩き方も、静かでしなやかだ。
戦で大怪我をしたとか、無様をさらした事がないのだろう。
私は若者の雰囲気に呑まれて、口を開けなかった。
若者は私から目をそらさず、できうる限りの間合いをとりながらすれ違った。
そして、井戸の所で死んだ蛮族を見つけると、膝をついて亡き骸を改めた。
「これは、あなたがしてくれたのか?」
彼は、深みのある声で私に尋ねた。
私は、無言で肯いた。
「俺は、彼を捜しに来た。残念だ」
若者は亡き骸の革帯についてる巾着袋を探った。
そこから青味がかった金物の鍵を取り出し、彼は私に掲げて見せた。
「この"青銅の鍵"が、昇降機に使う鍵だと知っていたか?」
私は驚いた。
深層に潜る文字通りの鍵は、それ自体が高値で取引されると聞く。
知っていたとして、死者から盗ったかどうかは正直判らない。
判らないが、千載一遇の機会を見逃していたのは間違いない。
「……知らなかったな」
私は、答えた。
若者は、片方の口角を吊り上げて見せた。
「同胞を敬意を持って扱ってくれた事に感謝する」
彼はそう言って、亡き骸を肩に担ぎ上げた。
「礼がしたい。我らの居留地を、後で訪ねてもらえないか」
「わかった」
「俺の名はソーリン。ソーローブの息子、ソーリンと言ってもらえれば伝わるだろう。あなたの名は?」
若者の名に、聞き覚えがあった。
「勇者と呼ばれた戦士の息子、"竜殺し"のソーリンって君の事か? 故郷を襲った竜を倒し、首長の娘をめとった蛮族の英雄。"鍵持ち"の一人にそんな男がいると、吟遊詩人に聞いていたよ」
私の口ぶりは、若干熱が入り過ぎだったかもしれない。
「そうだ。俺がそのソーリンだ。それであなたは?」
「カスパー。"老いぼれ"カスパーで通ってる」
「わかった。必ず来てくれ。歓迎する」
そう言い残し、亡き骸を担いだ蛮族の英雄は立ち去っていった。
勇者を見送った後、私は井戸側のへりに腰かけた。
何となく気疲れを感じ、しばらくほうけていた。
左胸に違和感を覚え、手で押してみる。
立ち上がり、両肩を回す。首を傾げた。
不意に胸に激しい痛みを覚え、膝から崩れ落ちた。
胸の中央から鳩尾にかけて、かつて覚えた事がないような強烈な痛み。
焼けた火箸を突っ込まれたかのよう。
このままでは死ぬ、と不意に悟り、そのまま意識が途絶えた。
気がついた時には、石畳にうつ伏せに倒れて、嘔吐した物に頬を埋めていた。
色々な光景を見ていた気がする。
石造りの小さな部屋。
細い狭間から差しこむ光の中、僧衣の老人が、小さな子供に書を読み聞かせている。
開いた頁には、竜を退治する騎士の挿絵。
塔が一つだけで、あとは石壁に囲まれた中庭があるだけの小さな砦。
人気がない。
男が、荷車を引いている。
綿を詰めた刺し子縫いの胴着姿。
荷車には、肌が黒ずんだ亡き骸が積まれている。
彼は突然、胸を押さえてうずくまった。
子供が現れて、彼を何度も揺さぶっている。
女性用長衣の上から鎖かたびらを着こんた、背の高い女性。
彼女は剣を佩き、子供の手を引いて、森の中を歩いている。
場面が変わる。
渓流のほとりで、先ほどの女性が座り込んでいた。
女性の顔は、まだらに黒く変色している。
子供が、両手で川の水をすくって女性の口に近づける。
しかし女性は動くそぶりを見せず、唇の端から水が零れる。
暗い通路の中で、初老にさしかかった男がうずくまっている。
やがて死後硬直を起こし、手足が曲がり、潰れた蛙のような姿勢になった。
徐々に肉が腐り、失われていき、そして白骨が残る。
「父さんも、突然だったんだよなぁ……」
私は、独り言ちた
火がついたままの松明を拾う。
立ち上ろうとして、胸にまだ若干の違和感がある事に気づき、思わず手で押さえた。
顔を上げると、昇降機の鉄の籠の中に白い人間の骸骨が立っていた。
骸骨が、私を見て笑った。
思わず見つめる。
その時、松明の炎が風もないのに激しく揺れた。
それに気を取られ、目を離した隙に、骸骨は消え失せた。
空っぽになった鉄の籠を見つめた。
どれくらい、そうしていたのだろう。
結局、私は鉄の籠に乗り込んだ。
鉄の箱には、鍵穴が一つと、操作棒が三本付いている。
私は、一番右端の操作棒を引いた。
唸りを立てて鉄の鎖が繰り出され、鉄籠が縦穴に降り始めた。
北方蛮族さんたちのイメージです
https://youtu.be/MTHd0bSa8sY
(Youtubeの動画です)