第九話 "I only dream in black and white, to save me from myself" 後編
その晩は、雨が降り、寒さがぶり返した。
明け方に、オードリーは、マリオンの家に戻った。
昼頃になって、マリオンの盾持ちが、血相を変えて我が家に飛び込んできた。
「マリオン様が、昨日から戻って来ないんです」
「鍵は?」
「鉄の鍵を持っていきました」
「わかった。オレが捜しに行く。心配するな」
私は、そう言って盾持ちの肩を叩いた。
私の鎧を持ってくるよう、使用人君に頼んだ。
独りでも着れない事はないが、使用人君が手伝ってくれれば四半刻の半分もかからない。
そうやって三階で鎧を着ていると、今度はマリオンの従士がやってきた。
「オードリーの姿が見えないんです! それと、予備の鉄の鍵が一本無くなってます!」
「嘘だろ」
私は頭を抱えた。
「あんな小さな子が迷宮に入ったら、あっと言う間に、狼か猿の餌食だぞ」
ディーも、三階に駆け上がってきた。
「カスパー。実はわたし、あの子に、太陽石を一つ与えてるの。もし、あれを使ってるなら、地層の獣は寄り付かない」
「あれって、誰でも使えるのか?」
「あの子、才能あるのよ。だから何かの時のお守りにと思ったんだけど……」
ディーは唇を噛んだ。
「とにかく、あなたたちは昇降機の所まで見てきてちょうだい。見張り番が普通に仕事してれば入口で止められてるはずだし」
盾持ちと従士に、彼女は指示した。
それから、私たちの鉄の鍵を彼らに渡す。
「操作箱に鍵を差し込んで、操作棒がどう動くか確認してきて。鍵を差し込んだ時に、その層に誰かいれば、発条仕掛けで引いた位置に動くから」
マリオンの従士たちは、肯いて飛び出していった。
鎧戸を閉めたディーが、暖炉の火を盛大に起こした。
何かの植物の芽らしきものを、口に含む。
彼女は、それを私にも渡した。
「かんでて。飲み込んじゃダメ」
渡された芽をかむと、ひどく苦い味がする。
ディーは床に、迷宮の地図を並べた。
私たちがこれまでに調べたもので、蝋板のままだったり、羊皮紙に書き写してあるものもある。
ディーは、私を床に座らせた。
彼女も向い合せに座り、胡坐をかいた。
「あなたをいかりにするから。私が呼んだら、引き戻して」
彼女は、私にそう言って、呪を唱え始めた。
部屋はひどく暑くなり、汗が垂れる。
ディーの単調な詠唱が、眠気を呼んだ。
私は、まぶたを開けていられなくなった。
一瞬、私は意識を失っていた。
気付けば、ディーが、床の上に身を乗り出して、地図や蝋板を見つめていた。
何故だか、ひどく色合いがあせていて、白と黒以外の色が感じ取れない。
ディーの後ろから、私も地図をのぞいた。
彼女の目を通して視ると、蝋板と地図のつながりや折り重なりが、よく判る。
私たちが"地層"と呼んでる層の下は、"青銅の一層"だ。
"真鍮の一層""鉄の一層"が続き、その下に"青銅の二層"が来て、順繰りになっている。
そして、一番下の"鉄の三層"の下には、もやのような物が渦巻いている。
渦巻は、漏斗状に中心に行くほど下がっている。
それは、最後には細い竜巻のようになって、地の底へ続いていた。
ディーが、昇降機を視た。
昇降機の鉄の籠は、上に巻き上げられている最中だ。
マリオンと彼の石弓係が、乗っているのが視える。
"真鍮の一層"で、歩兵傭兵の若者が怪物に殺されている。
倒れた身体がぼやけて、白いもやのような物になる。
そのもやは、少しずつ薄まって散っていくように見えたが、突然、下の方に吸い込まれる。
それは、"真鍮の三層"の、例の女面獅子の部屋に吸い込まれ、そこから再び最下層の渦巻に送られる。
元は若者だったもやは、渦巻に飲み込まれ、溶け合う。
今度は、その渦巻からもやの一部が離れ、漂う。
漂ったもやが迷宮の通路に吹きだまると、蜥蜴男が立ち上がった。
ディーが、"真鍮の三層"の女面獅子の部屋を視た。
部屋には、いつぞや私が商人ジュリアーノに売り払った木彫り人形が、再び鎮座している。
ディーが、"鉄の三層"を視た。
蛍のように明滅する、小さな輝きがある。
ただそれは、我々が用意した地図の外だ。
ディーが、"鉄の二層"を視た。
彼女は、地図に描かれた通路に沿って歩く。
地図が描かれた既知の領域はすぐに終わったが、ディーは、構わず先に進む。
私はその後から付いて行く。すぅっと滑るような感じで、歩いている気がしない。
彼女は、遠くに見える微かな光に向かって歩き出した。
いくつもの曲がり角や四つ辻、三叉路を抜けて、光に辿り着いた。
光は、不規則に明滅を繰り返している。
ディーが振り返って、私を見た。
口を動かしているので、何か言っている。
声は聞こえないが、表情から何か必死に訴えているのが判る。
私は、愛しい彼女に手を伸ばした。
ひどく、息が苦しかった。私は溺れているのだと思った。
がむしゃらに手足を動かすが、どこが上なのか判らない。
不意に、誰かに頭を抱えられた。
「苦しかったね。ありがとう」
ディーの声が聞こえて、彼女が私の頭に口付けするのを感じた。
そこは、私の家の寝室だった。
暖炉に火が赤々と燃えている。
混乱して、息を荒げた。息ができる。
私の呼吸が落ち着くのを見計らって、ディーが麦芽酒の杯を渡してくれた。
口を付けて、自分の犬歯が異様に伸びているのに気付いた。
女面獅子の件以来の、最大強度だ。
たぶんこれ以上は、私は人の形を保てない。
ディーは、牢板に地図を書き付けはじめた。
出来上がったそれを私に渡すと、彼女は疲れ果てたように寝床に倒れ込んだ。
「それが最短の道。わたしは、しばらく役に立たない。もうすぐマリオンが帰ってくるから、彼と一緒にオードリーを迎えに行って」
果たして、マリオンが我が家にやってきた。
盾持ち、従士、石弓係も連れている。
「こんな事になって、本当に申し訳ない」
武装したままの彼は、やつれた顔で謝罪した。
完全武装して彼を待ち構えていた私は、無言で肯いて見せた。
「オードリーは、"鉄の三層"にいる。地図があるから、二層から階段を使って行って」
寝床に横たわったままのディーが、マリオンに言った。
「鎧は脱いで行って。階段を使うから、普通に歩いたら二日はかかる。それじゃ、間に合わない」
赤毛の若者は、書き付けと、武装したままの私と、やつれたディーを戸惑ったように見比べた。
「カスパーはいいの。むしろ、あなたが付いて行けるか心配」
ディーの言葉に、マリオンは一瞬ためらった。
しかし彼は、肩当てを結ぶ革紐を解きはじめた。
従者たちが、慌てて他の鎧を外しはじめた。
"鉄の二層"を、私とマリオンは走った。
彼は、綿入り刺し子縫いの胴着姿で、長めの剣を一振りだけ携えていた。
柄が長く、両手で振るえる剣。
私が、松明と戦槌を持ち、先行した。
適時、休憩は入れた。
それでも、呪で強化されている私でも辛い行軍だった。
しかし、赤毛の若者はよく付いてきた。
昨日から迷宮に潜っていて、おそらくろくに寝てないはずなのに、驚くべき耐久力だ。
雑魚の怪物は適当にあしらって、道を急ぐ。
やがて、二層と三層をつなぐ階段に近づいた時、牛頭人身の怪物が現れた。
身の丈、六尺あまり。長い山刀を両手で構えている。
私は、松明を放り出し、両手で戦槌を構えた。
だが、マリオンが先に飛び出した。
牛刀人身が振り下ろした山刀と、打ち合わされる長剣。
そう見えたが、長剣は山刀を弾くように斬り落とし、その軌道のままに、怪物の喉元に突き込まれた。
膝から崩れ落ちる怪物。
奴は、溺れるようにもがいて息絶えた。
赤毛の冒険者は、肩で息をしている。
「ハ! ハハハハハ!」
私は、哄笑し、彼の背を叩いた。
彼は、素晴らしい若狼だ。
牛頭人身の肝を食わせて、少しでも彼を回復させなければ、と思った。
匕首に手をかけたところで、正気にかえる。
私は再び走り出し、赤毛の若者が後に続いた。
マリオン君の斬り落とし突きのイメージ動画です。
https://youtu.be/sMVNKpHTY5A