第九話 "I only dream in black and white, to save me from myself" 前編
あらすじ:
カスパーは、財を成した。騎士にも叙任された。
ディーや、年若の友人に囲まれ、その生活を楽しんだ。
しかし、迷宮の有りように疑念を感じ始めていた。
「実は、家督を継げる事になりました」
赤毛の冒険者マリオンが、そう報告してきた。
「おお、すごいじゃないか! おめでとう!」
私は、祝福した。
「先日、牛頭人身の怪物を倒したじゃないですか。あの件が父の耳に入ったみたいで」
「あれは凄かったねぇ」
私は、その時の光景を思い出した。
大聖堂から、郊外の傭兵騎士隊の天幕まで、武装したマリオンと盾持ちが歩いた。
その後ろを、騎馬の従士が、怪物の亡き骸を引きずって続いた。
何しろマリオンの事であるから、輝くばかりの若武者振りだった。
街の人々の熱狂も、相当のものだった。
「お兄さんたちのほうは、どうするんだい?」
「長兄は身体が弱かったので、療養に専念します。次兄は元々学究肌だったので、修道院に入ってますし」
「なるほど」
私は、肯いた。
「よし、まずは祝い酒だ! 使用人君、葡萄酒を用意してくれたまえ!」
私は、喜び勇んで立ち上がった。
しかし、、階下から渋い顔をしたディーが上がってきた。
後ろに、見知らぬ幼い少女を連れている。
亜麻の肌着に、黄花木犀草で染めた女性用長衣。
襟ぐりは深く、肌着を見せており、胴と脇をひもで締める形。
頭には粗い亜麻のほっかむり。
小ざっぱりした町娘と言った風情だが、いささか顔色が悪い。
「マリオン。あんた、この子、どうしたんだい?」
「ええ、実は先週、物取りに襲われかけている所を保護しまして。聞けば、身寄りもなく、街に出てきたばかりだとか。それで、ふびんに思って面倒を見ております」
赤毛の若者の返事に、我が愛する中年女は、鼻でため息をついた。
「ヒルデガルデさん! ちょいとガランガー煎じベルトラム増し増しで、この娘にあげてやって頂戴!」
ディーは、三階にいる寡婦の女中さんに大声で呼びかけた。
私には、何を言ったのかさっぱり判らない。
しかし、女中さんには判ったようで、かしこまりましたー、と返事が聞こえた。
「さあ、お行き」
ディーは、少女を階段に優しく押しやった。
「ディー、聞いておくれよ。マリオンが家を継ぐ事に……」
「わたしから、先にお話しがあります」
「という訳で、拾ったからにはきちんと面倒を見るように」
ディーは話を終え、麦芽酒の杯に口をつけた。
大変、端的な表現が用いられた。
迷宮で失血死しかけた私としては、身につまされるものがあった。
「……奥方様。私には、少し荷が重いようです」
牛頭人身を倒した若武者は、早々に白旗を上げた。
長机に肘を着き、組んだ手に額を乗せて、うな垂れている。
「あんたん所にも、ちょっと気の利いたご婦人ぐらいいるだろうに」
「私の槍組は、街に家を借りてまして。完全に男所帯なんです」
ディーが、微かに舌打ちした。
「じゃあ、うちで預かるかい」
「お願いします……」
二人の話がまとまりかけた所に、先ほどの少女が、階段を駆け下りてきた。
「嫌です! 私、マリオン様にお仕えするんです。どうかおそばに置いてください!」
線の細い身体を振るわせて、くまさえ浮かぶ顔で訴えた。
私は、面食らった。
「オードリー……」
赤毛の若者は少女の名を呼び、その後は言葉に詰まった。
「……どうするの?」
「……どうしましょう?」
ディーとマリオンが、私を見た。
えっ何で? 君ら二人の担当分野と責任範囲で、私関係なくない?
今、君ら二人だけで話まとめてたよね?
でも、そう言ってしまえば、自覚が足りないとかなんとか、なじられそうだ。
「ええと、夜はうちで寝泊まりして、昼間はマリオンの所に働きに行くという事でどうだろう」
私は、折衷案を出した。
ディーと、マリオンと、オードリーという少女。
その三人は、そんなんで本当にいいの? それで上手くいかなくても知らないよ? みたいな空気を出してくる。
突然ぶん投げた癖に、私の回答に納得いかないみたいな顔をするのは、理不尽だと思う。
結局、私の出した案の通りになった。
夜だけ、オードリーなる少女を預かる事になる。
「十四歳? もっと幼い子かと思ってたよ」
「流行り病で親を亡くしてから、だいぶ苦労したみたいね」
ディーから、彼女の歳を聞いて驚いた。
私が歳をとり、年若の者が幼く見えるようになったのだろうか。
たぶんそれだけでなく、実際に体格が小さい。
「料理人に、飯を多めに作るよう言っておくよ」
「あら。聖騎士式? お優しい事」
「よせよ。そういうのに弱いのは、知ってるだろ」
「でも、今時、そんなのは珍しくない。ほどほどにしておきなさいよ」
そう。珍しくはない。
今も、この地方は流行り病と飢饉に苦しんでいる。
この街にいると、つい忘れてしまうが。
オードリーを預かってみると、マリオンの生活の様子も何となく察せられるようになった。
彼は、今でも三日と日を空けずに迷宮に潜っている。
同行者は、自らの槍組の盾持ちか従士、あるいは石弓係だ。
しかし、彼らの方が身体が持たないので交代で付き添っているらしい。
一回に潜っている時間も長い。
私やソーリンなんかは、朝に入って昼過ぎには出てくる感覚でやっていた。
しかし、マリオンは戻りが深夜になる事も珍しくない。
「何やってるんだろうな、あいつ。もうすぐ領主になる身なのに」
「オードリーも、彼の無事を祈って夜遅くまで起きてるの。健気でねぇ……」
私とディーは、居間で麦芽酒を飲みながらそんな話をした。
「ほだされちゃった?」
「ああいうの、弱いの」
ディーは少女を可愛がっていたし、オードリーも彼女に懐いていた。
私には、そうでもない。
"あんなオジサンでも男だし、男はみんな狼なんだから、絶対二人きりになっちゃダメ"などと、ディーが教育しているせいだ。
私は深く傷ついているが、その方針に異論はない。
むしろオードリーのマリオンへの傾倒ぶりを見てると、危うさを感じてしまうぐらいなので、やっぱり歳なのだろう。
「白馬の王子様なんだろうなぁ……」
「あら、あの子はもっと現実的よ。割と本気で、お目掛けさん狙ってる」
「そうなんだ? たくましいというか末怖ろしいというか……」
「いいじゃない。男と女なんて、どこでどうなるか判らないんだから。命短し恋せよ乙女ってね」
ほろ酔い加減のディーは、上機嫌だった。
私とディーは、久しぶりの迷宮から帰宅した。
使用人君に、鎖かたびらの欠けた輪を編み直すよう、頼む。
その後、昼過ぎに、オードリーがやってきた。
鎖かたびらの補修の様子を見て、彼女は、私に尋ねた。
「迷宮に行ってきたんですか?」
「うん。骸骨戦士の膝を、外してきた」
「え。なにそれ」
戦槌のつるはしを、骸骨戦士の膝に引っ掛けて一気に引っ張ると、すねの骨が外れる。
たぶん生身の人間なら、膝の靭帯を痛めるだろう。
「まあ、鍛錬がてらね」
「ずいぶん、余裕なんですね」
少女は、不思議そうに私を見た。
鍛錬気分で、青銅の一階を回れる程度には、迷宮にも慣れてきた。
板金鎧の守りが固く、骸骨戦士の粗末な武器ではそうそう怪我をしなくなったのも大きい。
迷宮に行く時は面頬を外してるが、そこを狙うような知恵も骸骨戦士には無いし。
一方で、積極的に深い層に踏み込む熱意は薄れていた。
既に十分稼いでいるし、無駄に危険に身をさらす必要はない。
自分では、そう思っていた。
「最初の頃は、"オレは怖くて仕方ないよ"なんて言ってたのにねぇ」
ディーが、茶々を入れてきた。
「待って。ディーだって、"ここは冥界に片足踏み込んでるのよ"なんて脅してきただろ。あれよく考えると、君、楽しんでたろ?」
それに私も乗った。
「あはは。あれ? ディーさんも一緒に迷宮に行ってるんですか?」
オードリーは笑顔を見せた。
「実は、この稼業じゃ私の方が大先輩なの。"老いぼれ騎士"カスパーは私が育てたようなものです」
そんな風にして、私とディーは面白おかしく冒険譚を語っていった。
この時間に来たという事は、今日は赤毛の冒険者は迷宮に入っている。
そういう日は、少女はいつも不安げだからだ。
骸骨戦士の膝外しのイメージ動画です。
https://youtu.be/gTVC25hYJaY?t=2m30s