第七話 "Powerslave" 前編
あらすじ:カスパーは、老聖騎士と迷宮探索を続けていた。
しかし、街には不穏なうわさが流れていた。
迷宮の地下通路。
床に置かれた松明。
その炎の上に、小さな鉄の三脚。
ディーは、口の閉じた二枚貝をあぶりながら、長い経を唱える。
それが終わると、杖の石突きで貝を砕いた。
彼女は、松明の火を消し、一度消していた杖の石を輝かせる。
その白い明かりに照らされた、迷宮の石造りの壁。
その一角に、溝が扉を描くように浮かび上がった。
「本当に、ありましたね」
私は、それを見ながら言った。
「左様。ここには何かがあるはずだ」
ユテル修道士は、小さめの羊皮紙に描かれた地図を見ながら、答えた。
地図には、通路で囲われた謎の空間がある。
どこかに秘密の出入り口があるはずだと、我々は踏んでいた。
石壁に浮き出た扉を、ユテル修道士と私で押す。
石が擦れる音がして、回転扉の要領で壁が動いた。
できた隙間から、私たちは中に入る。
そこは、十間四方ほどの広さの空間だった。
ディーの輝く杖に照らし出されて、やはり怪物が立ち上がった。
黒髪の女の頭。獅子の身体。鷲の翼に、尻尾は蛇。
女の面は、若いとも年寄とも判別しがたい。
そして、酷い形相をしていた。
絶望にうみ、疲れ切った顔。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足で歩く者は誰だ……?」
女面獅子は、きしむような声で、ささやいた。
「呪に耳を貸さないで!」
背後からディーが叫ぶ。
彼女は、爆ぜる油の入った革袋を投げつけた。
炎が燃え広がったが、女面獅子は、それにひるまない。
獅子の咆哮を上げ、駆け寄ってくる。
狙うなら、頭。
そう思った瞬間、獅子の前肢のかぎ爪が、私の盾を割った。
駆ける動作と前肢の攻撃が一体化していて、起こりが見えない。
背中から倒れ込んだ私に、圧し掛かるように立つ女面獅子。
横合いから、老聖騎士が斬りかかった。
だが獅子は、跳んでそれを避ける。
羽ばたく鷲の翼。
怪物は、ユテル修道士の頭より高く飛び上がった。
獅子の右後ろ肢が、ユテル修道士が掲げた盾に食い込み、防御を引き剥がした。
ほぼ同時に、左後ろ肢が、老聖騎士の頭頂部を引っかく。
顎が胸に付くほど頭を揺らされ、膝から崩れ落ちる聖騎士。
着地した女面獅子に、白骨の戦士が二体、捨て身でしがみついた。
「撤収! 撤収! 逃げるよ!」
私は、意識のない老修道士の身体をつかんで、引きずる。
そのまま、先行したディーの後を追い、隠し扉の広間から逃げ出した。
意識を取り戻した後、老聖騎士は吐き戻し、頭痛を訴えた。
幸いにも、兜が頭を守ってくれていた。
それでも頬の先が少し裂けており、傷口の周りが赤く腫れはじめている。
傷口を洗い清めた後、私たちは老聖騎士を、市街の聖騎士拠点に送り届けた。
その帰り道に、ディーはため息をついた。
「あれは、わたしたちには荷が重いね」
歴戦の彼女が、そう言うのであれば、間違いはないと思う。
「オレも、あれとまたやりあうのは、ぞっとしないな……」
私は、肯いた。
ディーと別れ、下宿に戻った。
居酒屋の女将は、私を見ると、狭い中庭に呼び寄せた。
「ねえ、あんた! 本当にマズいよ。あの聖騎士たち、怖ろしい人たちだったんだよ!」
彼女は、私に訴えた。
「あいつら、神様を冒とくして、悪魔を崇拝してたんだって!」
「そんな馬鹿な」
「それだけじゃないよ。寄進されたお金で酷い高利貸しをやって、修道士の癖にぜい沢三昧。男色やら、いかがわしい事にふけってる」
彼女の言葉は、途中から伝え聞いた体ですらない。
「何でも、前に東方の聖地で戦ってた頃も、異教徒と通じて裏切ってたんだって。それで遠征軍は負けて、聖地を奪い返されたんですって」
私は口をへの字に結ぶ。
「噂じゃ、異端審問の裁判が行われるって」
「本当か!?」
私は、思わず女将の両肩を掴んで、問い正した。
「ほ、本当だよ。みんながそう言ってるから!」
彼女は顔をしかめて身をよじり、私の手から逃れた。
「ともかく、あんた、あの連中と手を切っておくれよ。じゃなきゃ、ここには置いておけないからね!」
女将は、私に宣言し、厨房に戻っていった。
数日後。
私は、ディーを連れず、一人で聖騎士修道会の拠点を訪れた。
農家の二階で、ユテル修道士は寝床に伏せっていた。
顔には、包帯が巻かれている。
あの後、熱を出したが、快方に向かっているそうだ。
「街のうわさの事は、我らも聞き及んでいるよ。なに、口さがない連中には言わせておけばいい」
老聖騎士は、私にそう言った。
看病についていた従卒が、拳を握りしめ、おえつをこらえはじめた。
「もう下がっていいぞ。カスパー殿と二人で話がしたい」
ユテル修道士が、優しい声音で従卒に言った。
すみません、と頭を下げて、従卒が階下に降りて行った。
「しかし、異端審問官が派遣されてくるとなれば、そうも言ってはおられません。彼らの取り調べは、怖ろしく苛烈だと聞きます」
私は、椅子から立ち上がり、寝床のそばに片膝をついた。
老聖騎士の手を取り、彼の目を見る。
「ユテル修道士。どうか一刻も早く、ここをお去り下さい。修道会の本部なり、知人なりを頼って、教会への取り成しをお願いするのです」
私の言葉に、老修道士はかぶりを振った。
「それはできぬ。狂公を見つけ、この地の厄災を終わらせるまで、私はここを去らぬ。だが、貴殿らに同行してもらうのは、もう止めよう。特にディー殿の事を思えば、余計なうわさは避けたい」
「一人であの怪物と戦う気ですか? どうして、そこまで……」
思わず、つぶやきを漏らした。
「何故、と言われれば、そうだな。私の兄弟たちも、そのように戦ったからだ。
野心もあった。間違った事も為した。しかし例外なく我らは、神の戦士たらんと一度は志し、そしてその身を散らしたのだ。
私は生き残ってしまったが、そんな兄弟たちに続くべく、三十年間この身を律してきた。だから、私は続ける。そうでなければ、私を否定する事になってしまう。
若き兄弟よ、覚えておきなさい。人は誰でも、自分の人生を受け入れねばならぬ。そうせずには生きてゆけないのだ」
老修道士は、そう言った。
地下迷宮。昇降機の前。
私とディーは、ユテル修道士を待っていた。
ディーの輝く杖の明かりの中に、傷が癒えた老聖騎士が現れた。
老聖騎士の装備は、いつもと同じ。
私は、壊れた涙滴型の盾の代わりに、それの上端を切り詰めた鏝型の盾を持ってきている。
その分軽く、首にかけるベルトも無い。
リーチはないものの円盾のように縁を使う操り方もできるし、頭上にも掲げやすいので、これを選んだ。
それと、歩兵傭兵が使う錐槍を六本、紐で束ねて担いでいる。
「かたじけない。貴殿らのご助力、本当に感謝する」
老修道士は、そう言った。
「ユテル様。今日のカスパーには限界まで呪をかけております。あまりお話かけにならぬよう」
ディーが、説明した。
その彼女も、瞳の中の黒目が、やたら大きい
ユテル修道士は、私を見た。
私は、肯いて見せた。
自分の中で、速く強い何かが流れ、渦巻いているのを感じる。
その力感は私に、"何でもできる""何にでも成れる"という高揚感を与えてくれた。
口を開けば、それが遠吠えになってほとばしりそうで、沈黙を守った。
あと犬歯が伸びているので、それを見せたくなかったのもあったが。
女面獅子さんの戦いぶり参考動画。
人がライオンや虎に襲われる、大変ショッキングな動画です。ご視聴にはご注意下さい。
https://youtu.be/FtqdR7Wdo2Q?t=1m14s
https://youtu.be/whz9bafVvFE
https://youtu.be/G9toz9rLnow