第五話 "Blood Brothers" 後編
二週間後。
傷も癒えた私とディーは、また迷宮に挑んでいた。
ディーの輝く杖の光を見ると、狼も猿も逃げていく。
それで、地層では、適当に肩を並べて歩く。
あの後、私たちは、どちらからともなく謝罪し合った。
私は、兜の締め具合を確かめるふりをして、何度かディーの様子を伺う。
私の歩幅が広すぎたり、逆に気を遣えば遅すぎたり、息が合わない感じがもどかしかった。
ちなみに、兜の凹みは、治っていない。
ノルドの職人に修復を頼んでみたが、何度も変形させると強度が落ちるらしい。
凹んだ部分が強く頭に当たるのでなけば、放っておけ、と言われた。
円盾は、もう修復不能だったので、持ってきていない。
やがて昇降機の所に着いた。
竪穴の周りにある石造りの井戸側に腰かけている人影があった。
年配の男だった。立派な口髭にも、白い物が目立つ。
鎖かたびらの頭巾と、板状の鼻当てがついた鉄の兜。
兜は、ノルドのそれが複数の曲げた鉄板を接ぎ合わせるのに対して、まったく継ぎ目がなく一枚板から打ち出されてる。
膝まである亜麻の貫頭衣からのぞく手足は、手袋から足の甲まで全て鎖かたびらで覆われていた。
鞘に入った片手剣を床に突き立て、柄頭に両手を置き、背筋を伸ばして座っている。
ディーの明かりに照らされて、彼はこちらを見た。
焦点のあってない瞳。白い肌と青い唇。目尻が充血してる。
口からは、苦しそうな呼吸が漏れている。
「御坊様、お加減でも?」
私は尋ねた。
身なりから、聖騎士だと知れた。
彼らは基本的には、出家した修道僧だ。
ただ、異教徒と戦う誓いを立て、実際に武器をとって遥か東国まで行ったりする所が、普通の修道僧と異なる。
「いささか疲れたので休んでおるだけです。気にせず、先に行かれよ」
彼は、そう言った。
言った途端に、苦しそうに咳き込んだ。
確かに鉄籠の扉部分は避けて座っているので、昇降機を使う事はできる。
「カスパー。あの人、もうヤバイ」
ディーが私にささやくのと、老聖騎士の上体が傾ぎ始めたのが、ほぼ同時。
私は腕を伸ばして、彼が縦穴に転げ落ちるのを防いだ。
老人は、既に意識がはっきりせず、声をかけても、まともな受け答えができない。
私は、ディーを見た。
彼女はかぶりを振った。
「たぶんこういう人は、わたしの術は効かない」
私は、老人を見た。
輝く杖を掲げて、ディーが通路を先導する。
私は老聖騎士を背負って、それに続いた。
彼は大柄だったし、全身を鎖かたびらで覆っているので、ひどく重かった。
途中で、装備を全て脱がせ、打ち捨てていく事にした。
おおむね鎧は武器より高価なので、若干はばかられた。
歩兵傭兵団でよく使われる兜でも、買えば銀貨五百枚はする。
全身を覆う鎧となれば、ひと財産ではあった。
私たちは、市外のとある農家に老聖騎士を運んだ。
たしか篤志家が寄進したもので、彼ら聖騎士の一隊が居を構えているはずだった。
農家は、先日の雪がまだ残っている畑に囲まれている。
冬小麦の芽が出ている畑を避け、何もない畑を横切って、道を急いだ。
こづちを振り上げ、豚をしめている人たちに出くわす。
杖をついて、裏地に毛皮を使った白い長上衣を着た老人が一人。
胴着と長靴下の上に、毛織物の羽織を着た二人の男。
こちらは、庶民がよく着る大青や茜の色だった。
彼らは、老聖騎士の姿を認めると、駆け寄ってきた。
平服の二人が、心配そうに彼の様子を確かめ、建屋の一つに運んで行く。
「本当に助かりました。彼は、ここのところずっと胸を患っていたのです」
白い長上衣の老人が、丁重に感謝の言葉を述べ、歓待してくれようとした。
私は、それを固辞して立ち去った。
三週間ほどして、私の下宿に聖騎士から使いが来た。
庶民の平服を来た、小柄な年配の男。
あの老聖騎士が持ち直したらしく、礼をしたいとの事だった。
北方の異教の女も一緒であれば、と答えた所、構わないとの返事。
「いいのかい? 確か聖騎士って、異教徒を誅殺する誓いを立ててるんじゃ」
「あっしら、東方じゃ異教徒に囲まれて暮らしてたんですぜ。そこら辺は、融通が利くんですわ」
おそらく従者の類いであろう、その男は笑った。
「ともかく"巨人殺し"さんよ。大将を助けてくれた事についちゃ、本当に感謝してるんだ。あっしらかも礼を言わせて頂きやすぜ」
そう言って、使いは帰っていった。
そこで、私とディーは連れ立って、市壁の外の農場に向かった。
寄り添うように、四つか五つほど建屋が並んでいる。
先日の白長上衣の老人に案内されて、建屋の一つの戸口をくぐる。
従僕らしき初老の人に、私とディーの外套を預けながら、私は室内を見渡した。
建屋の半分ほどが、五間四方ほどの、吹き抜けの土間。
すすが染みついたしっくいの壁。
窓は大きく、細長の板が縦格子状にはめてある。
壁際には、脚付の箪笥や長櫃が並んでいた。
中央では、石造りのかまどで火が赤々と燃え盛っている。
目を引くのは、かまどの周りを、円形に加工された長机が取り巻いている事だ。
「面白いでしょう? 前の主人が、家族みんなで顔を合わせて食事できるように作ったらしいですよ」
白長上衣の老人が、気さくに声をかけてくれる。
背もたれのない腰掛けを勧められたので、私とディーは座った。
そうこうしているうちに、先だっての老聖騎士も広間に入ってきた。
彼も、長身痩躯を白長上衣に包んでいる。
「このあばら家に住む修道者たちの取るに足らぬ僕、"ユテル"修道士から、尊敬すべきカスパー殿に御礼を申し上げる」
彼は、私の両手を押し頂いた。固い掌だった。
「もったいないお言葉です。私たちの為に祈ってくれる御方が苦しんでおられるなら、お助けするのは当然の事です」
私は目を伏せて、答えた。
私たちは、食事を振る舞われた。
円卓に並ぶのは、空豆のこし汁、卵と乾酪。
ふるいにかけてない小麦粉を焼いた、褐色の薄いパン。
虹鱒を、刻んだ玉ねぎ、にんにく、迷迭香と共に炒めた物。
それと麦芽酒。
汁物以外は、二人に一枚置かれた深皿に盛られ、そこから分かち合う。
薄いパンを、取り皿代わりに使うようだった。
「申し訳ありませんが、我々は戒律を守る事を誓願した身ゆえ、食事中は沈黙を守ります。もちろん皆さんは結構ですので、何か御用がありましたら従僕にお申し付け下さい」
最初から私たちに対応してくれていた長老風の修道士が、気を使って言ってくれる。
席に着いたのは、私とディー、長老修道士、ユテル修道士と、他に三人の白長上衣の修道士。
三人の修道士は、ユテル修道士と同じ五十台、老修道士が六十台といったところか。
三人の修道士たちは、どこかしら身体を痛めていた。
一人は、三角巾で片腕を吊り、一人は、松葉杖。
もう一人は、半身が麻痺しているようで、介添えを受けている。
私はユテル修道士と、ディーは長老修道士と同じ皿を分け合った。
自家製と思われる食材は、大変に滋味が豊かだった。
ユテル修道士は、深皿の中身が無くならないうちに食事の手を止めた。
私も、同じ様にした。
それを見て、彼は、控えていた従者に顔を向け、卓の上で掌をひらひらと振った。
「ディー。肉は要るかい?」
私は、彼女の方を見て尋ねた。
「食べる」
彼女は、口に卵を詰め込んだまま答えた。
「私も、もう結構です。肉は彼女にあげて下さい」
私は、従僕に頼んだ。
ユテル修道士が、不思議そうに私を見ていた。
我々の食事が終わると、次は従僕たちの番のようだった。
私たちが屋外に出るのと入れ替わるように、平服の彼らが広間に入っていく。
ユテル修道士は、私とディーを冬小麦が見える東屋に案内した。
腹休めという事らしい。
彼は、釉薬をかけた焼き物の小さな壺を持ってきた。
小さじで中の液体をすくって、振舞ってくれる。
一口すすった私は、それをディーに勧めた。
「甘い……!」
「牛乳酒だよ。冬至の祭りの季節に、よく作られるんだ」
冬至の祭りには、街でも甘い物が数多く出回るはずだ。
表情の柔らかくなった彼女を見て、祭りの日に、街に連れ出したらどうかと思いついた。
一年の内でも、その時期だけは街に甘い菓子があふれかえる。
その考えに思いをめぐらしていると、ユテル修道士と目が合った。
「カスパー殿。一つお伺いしていいだろうか?」
「もちろんです」
そう答えた。
「貴殿は、どこかの修道会とよしみがあったのだろうか?」
「いえ……。子供の頃、修道僧にいささか礼儀作法を教えてもらった事があるだけです」
剃り跡を確かめるように顎に触りつつ、老聖騎士は私を見た。
私は、珍妙に見えるのだろう。
北方の女を連れ、切れ込み胴着を着ていない歩兵傭兵が、修道僧の仕草を知っているのだから。
「ところで、私もお尋ねしたいのですが、ああいった仕草は、どこの修道会でも同じなのでしょうか?」
掌をひらひらと振って見せた。
指で輪を作って親指を立てたり、小指を吸う仕草をする。
「いや、あの手の合図は修道会ごとに違う。我々の規則を作る時に参考にした修道会であれば、同じかもしれないが」
「私の師は、必ず食事を残して、残り物を貧しい人に恵んでいました。あと、肉を食べるのは週に三日と決めてたんです」
それを聞いて、老聖騎士は肯いた。
「であれば、我々の兄弟だと思う。彼は、きちんとした墓所に弔われたのだろうか?」
ユテル修道士は、私の師の名は聞かず、ただそれだけを尋ねた。
「……残念ながら、あの年は流行り病が本当にひどくて。それがなければ、父が良きように図らっていたと思います。私たち家族は、彼を大切に扱っていましたから」
考えて、そう答えた。
老聖騎士は、雪に覆われた小麦の畑に目をやった。
私は、今は亡き修道僧と故郷に思いをはせた。
ディーが、私の背中に掌を当ててくれた。
そうしているうちに、ユテル修道士が口を開いた。
「カスパー殿。折り入って頼みがある」
顔を上げて、彼を見た。
「我らに合力して頂けぬか。この災厄の迷宮を討つ為に、貴殿の剣を御貸し願いたい」
意外な老聖騎士の言葉に、私は驚いた。
農家のイメージ動画です
https://youtu.be/tUidHd1lA28