プロローグ
初秋の冷えた風が漆黒の髪をゆらす。陶器のような白い肌に、パーツの揃った美しい容姿。固く閉じられた目元には、涙の跡が残っていた。まさに美少女と呼ぶに相応しい少女が、人目の届かぬ小さな神社の御神木の下で眠りについていた。
オレンジ色の空に薄い月が浮かび上がる時、小さな社殿を囲む背の高い木々によって更に暗さを増すそこは、まるでその場だけが違う世界のようだ。
カラスの鳴き声を耳に、少女は濁り灰色に近い瞳を開ける。だがその瞳は、すぐに蒼くハイライトの入った美しいものへと変わった。
「・・・・んな・・・ん、でぇ」
眠気眼で発する事が出来たのはそんな言葉だった。
暫くしてようやく覚醒した瞳は、更なる驚愕の色が見えだした。
「なんで、なんで私、こんな所に・・・。だってさっきまで・・・、私生きてるの?」
それもその筈、彼女は今まで死にかけていたのだ。目を開けた先に広がるあまりにも今までとかけ離れた光景に混乱するしかなかった。
(おかしい、もし私が生きていたのなら普通はまだ病院のベッドの上だ。)
すぐさま立ち上がり、周りを見渡す。そこは彼女が見た事のない神社の境内、鳥居を抜けた先もまた、彼女の見慣れた東京の住宅街とは似ても似つかない町並み。宛もわからず歩き続ける。履き慣れていないヒールの高い靴に、目にかかる長い前髪の色に違和感を覚えた。
「いったいここはどこなの?東京・・・ではあるのか。このコスプレも、どうしてこんなっ・・・・・・、
はぁ?!」
見慣れない商店街の一角に置かれた売り物の姿鏡、それに写った自分は、自分ではなかったのだ。鏡を両手で掴み、細部まで確認するが、目の色も髪の色も変わり、少し若々しく見えるその姿にセーラー服はとても良く似合っていた。
元々の姿とはまた違った意味の美少女の姿をした自分。
この容姿から察するに自分は他の誰かに成り代わったと推測するが、成り代わったと言うよりは、もともとこうだったのではないかといういう思いがある。
そこで考えつくのが生まれ変わったということだ。
こんな非科学的なことは、実例がないから分からないが考えられるのは確かなのだ。そして自身のこの姿には驚く程に見覚えがあった。
『君と奏でるラプソディー』
人気乙女ゲームの一つである。主人公の少女がピアノの才能を見出され推薦入学をしたのは、数々の有名人を育てた学園。同じく才能で入った者や、名のある家の子供たちが集まるそこで、主人公は翻弄されながらも持ち前の明るさと前向きさで多くの困難を乗り越えていく物語。最後は攻略対象6人のうち1人と結ばれ、めでたしめでたし。
この乙女ゲームは、以前作曲家である自身が全ての楽曲を手がけた作品である。OPからED、サウンドトラックから挿入歌まで全て作曲したものだった。自身の力をフル活用して作った曲の乙女ゲームは大ヒット商品として売れ、CDは販売したその日に完売するというまさかの現象が起きたほど。
その乙女ゲームで最も重要人物として登場するのが悪役令嬢という存在。その姿にとても似ていたのだ。
「私、転生したんだ。それにしては、あまりにもっ・・・」
月宮 葵として、シンガーソングライターとして生きた人生は既に終わっていたのだ。その上転生先は乙女ゲームの悪役令嬢。小説やアニメに良くある話だと思ってたものを実体験出来るとは想像もつかなかった。
いつもの葵だったら、これ好機とみて新しい人生を再出発といきたいところだが、流石に事故後の悪役令嬢転生はわくドキできない。
先程まで事故で、掛け替えのない家族のような存在だった仲間を失い、その上自分まで死んだ。それは少しずつ実感が重さに変わった。
「あーー・・・、うーんどうしよ」
暫く空を仰ぎ見る。もう太陽が落ちかけて、オレンジ色の下に蒼黒い夜空が迫り、綺麗なグラデーションを作っている。ふと急ぎ帰るために飛ぶ1羽のカラスが目に止まる。
昔から、カラスが妙に好きだったのを思い出す。ゴミ置き場を荒らすとか、人肉を食べるとか、その漆黒をまとっただけの鳥はよく嫌われていた。耳に残るダミ声で街中飛び回り、食べ物を求めてゴミをあさるその姿は昔の自分と重なって見えることがある。
(「カラスって、ゴミだめの中を抜けても前を向いて飛び立つじゃん!私たちはゴミだめから生まれたカラスの子だけど、いつか太陽を背にして飛び立てたらいいね。そしたら、私たちは太陽を覆い隠す月になれるよ!」)
子供の頃、ある少女は空を見上げ、そんなことを口にしていた。最初は何を言ってるのかと思ってたのを思い出す。
彼女は、迷い立ち止まった自分をどう思うだろうか。いつからこんなにも弱気になっていたのだろうか。
いつの間にか右も左も分からない迷子の子供になっていた。
「はー・・、しょーがないっ、新しい人生やる事は一つぅ!」
まずは悪役令嬢について思い出さなきゃ…。
「おっ、この子ちゃんとスマホ持ってんじゃん!」
ひとまず位置情報を確認し、歩き始める。
『君と奏でるラプソディー』に登場する悪役令嬢、名を雪織 紫苑 という。物語の舞台である私立御守高等学院に裏口入学した雪織財閥の長女。雪織家は有名な楽器会社"OlFace"の創設者で、世界に多くの店を構える一大企業となっている。その上、一族からは多くの才能を持った音楽家を生み出していた。
紫苑の父幸正は、名のある指揮者であり。
母璃桜はピアノのソリストだ。 その上2つ上の兄の司は将来有望なバイオリンの才能を持ち、学校に行く前はドイツ留学していたほどだ。紫苑の一つ下の弟優希も、母親の才能を色濃く受け継ぐピアニストなのだ。ちなみにこの2人は攻略対象で、顔よし成績優秀、運動神経抜群、な生徒会委員なのだ。
その素晴らしき神子の間に挟まれた唯一の女の子である紫苑もまた才能を秘めた才女・・・というわけにもいかず、紫苑にはこれといった才能が一つも無かった。1人だけの女の子であったため蝶よ花よと育てられ、音楽の才能があると信じて疑わなかった両親が多くの楽器を教えこませたが、何一つ上達しなかった。それよか勉強も運動も嫌いで、何をやらせても我儘を突き通した。両親は、いつかきっと見つかると信じて待ったが、結局最後まで凡人のままだった。
だが両親は、凡人でも彼女を娘として愛したが、紫苑は兄と弟がどんどん先を行くのを見て、才能が無いことを両親のせいにした。周りが役立つだからなのだと、反対を押し切り御守学院の音楽科に裏口入学。だがまったくついて行けずやさぐれ、大好きな婚約者やイケメンたちに囲まれた才能ある主人公の少女を妬み虐めるも、攻略対象たちから断罪され退学。その上雪織の人間がしでかした事が広まり、両親の会社が倒産に追い込まれる。終いには一族から追い出された紫苑は自殺を図る。
大体はそのパターンが多いが、選択の仕様によっては逮捕だったり、事故死、誘拐によっての死亡、学校から突き落とされての死亡がある。ほとんど死亡ではないか。
死ぬのは流石に嫌だ。金が無く露頭に迷った経験はあるし、我儘というものが何なのかも葵は知らない。家族の記憶など葵には無知ほど存在しなかった。金が無くとも、才能があっのだから別に追い出されても構わないのだ。
「ん?・・・・・・、あそっか、私って天才だった!」
周りの人間が聞いたらイラッとするような台詞を余裕で吐くも気にしない。立ち止まって左手のグーを右の手のひらにポンッとする。
「そもそも才能が無かったからなら、才能があるなら人間関係上手くいくってことっしょ!じゃー何もしなくてもいいね!」
まさに日本刀でザックリ切り離したかのような直訳は、間違ってはいないのだ。
元々乙女ゲームやイケメンには興味が無かった。葵は死ぬまで作曲し続けると決めた身。今自分がやらねばならないのは、今の紫苑として生き、元の作詞作曲家としての地位を取り戻す事だけだ。
そうと決まればまず雑誌や作曲オーディションでデビューを勝ち取ることだ。そして金だ。
「なんか落ち着いたらインスピレーション湧いてきたかも、早くこの感情を曲にしなきゃ!でもまず家に帰らねばならぬな、どうしよ・・・。」
「お嬢様!」
(うわー、今時お嬢様なんて呼ばれ方する人いるんだ。すごー)
ふと聞こえた声に関心してしまうのを余所に、何故かその執事服をきた20歳越えの男性がこちらにやってきた。
「お嬢様!こんな所におられたのですね。奥様や旦那様が心配しておりますゆえ、お早くお帰りなさりませんと。」
「えっ!私ですか?」
「とぼけても無駄です。さ、車にお乗りください。」
わけも分からず自分を人差し指で指し問いかけるが、素早く手首を取られ、強引かつやんわりと車に載せられ発進した。
(あっとゆう間に車に乗せられてしまった。そういえば私チョーがつくお嬢様だった。てことはこの人は確か)
「穂積?」
「おや、珍しく私の名前を覚えておられたのですね。何でしょうか。」
どうやら名前は間違っていなかったらしいが地味にイラッとくるもの言いはさて置き、執事の穂積とは雪織家の分家の生まれで、代々執事をやっていた。彼は紫苑の専属執事だ。
紫苑は執事やメイドを置物のように扱い、穂積は顔が良かったため専属にしたが、媚を売っても目移りしない事に今は彼を飾りのように使っている。今までの私も私である。今までの所業を、多くの者にこれから謝って行かなければいけない。そう思うと、自然とそれは発せられた。
「色々・・・・と、ごめんなさいね。」
運転席から息を呑む音が聞こえた。ミラーで彼の顔をあえて伺わず、窓の外を見ながら小さく、だがハッキリと呟いた。
それからは、一言もお互い無言を貫き通し、気づいた時には家に到着していた。
「でかっ」
呟いた言葉は聞こえていたらしく、何言ってるんだこいつみたいな目で一瞬見られたのは気のせいではあるまい。
RPGの魔王の城を見た時の勇者ってこんな気持ちだったのかーと感動を覚えてしまう程のデカさと威圧感がある。
入口はなんとも立派な柵の門。その周り。巨大な塀がある。右も左も塀の景色から敷地は結構な広さだ。これなら、家の周りを1周するだけでいい運動になるだろう。
穂積がインターホンの前で何かを伝えると、巨大な柵の門は大きな音を立てて開き始める。うち開きであった。
車は中へ進み、見えてきたのはまたまた巨大な見事に真っ白な豪邸である。造りはアンティーク調の彫刻芸術が施されたお屋敷。
(家に帰るってより聖地巡礼って方がしっくりくるのではないか?)
車をおりて、またまたまた大きな両開き扉を開け、穂積について行きながら長い廊下をハイキングして辿りついたのは、他より少し立派な大きな扉の前。
穂積はノックして少し扉を開けると、私が来たことを伝えると、今度は勢いよく両開きの扉を大きく開け放ち脇にすっとよけた。
中は想像通りのアンティーク部屋で、本棚の立ち並ぶ書斎というに相応しい部屋だった。奥に社長机があり、威厳豊富なおじ様が鎮座している。その前の客席らしきソファに、これまた美女が空気椅子をしていた。
それも一瞬のことで、すぐに美女は目にも留まらぬ速さで目の前にまで駆け寄り、後は気づけば豊満な胸の間に顔を挟めていた。
「もがっ!」
「心配しましたよ紫苑!何故家を飛び出したりなんかしたんですか!あなたが誘拐されたのではないかと、電話しても繋がらない。いったいどこにいたんですか!」
もう離さないとばかりにきつく抱きしめられ、息もできないでもがき続けていると、重低音なハスキーボイスが聞こえてきた。
「そこまでにしなさい璃桜。紫苑が苦しんでいるよ。」
はっ、と気づいた美女はすぐさま紫苑をはなし、ごめんなさいと言って今度は紫苑の両手をギュと握ってきた。表情は今まで泣いていた事が見て取れる。
おそらくこの2人が紫苑の両親で間違いないだろう。妻の璃桜は乙女ゲームでも1、2回顔を出していたが、父の幸正の顔は見ることが出来ず、初めて見た顔である。
「お父様、お母様、ご心配をおかけして申し訳ありませんわ。」
優しさを含んだ笑顔でそう返せば、何故か両親は固まった。近くで待機している穂積も唖然とした表情をしている。
なにかまずいことをしてしまっただろうかと冷や汗が出る。言葉使いはあってるはずなのだが。
向こうからコホンッというのが聞こえて我に返る。
「取り敢えず、何もなくて良かった。どうだろう、話は明日にして今日は紫苑を早く休ませてやろうじゃないか。きっと長旅で疲れているかも知れない。」
父も我に返ってすぐ、優しく微笑みをこぼしながら言ってくれた。
「え、ええそうね。疲れているでしょ、今日はゆっくり休みなさい。」
(ん?なんか空気が重くないか・・・?)
一言話した父はその場離れた。
母の方も、悲しい顔をしながら紫苑の頭を撫で早歩きで部屋を出ていった。