内紛
Side 織田信勝
四月の長良川の戦で道三殿が息子の義龍殿に討ち取られた。それは美濃の国主が代わった事を意味する。道三殿の後ろ楯で勢力を拡大していた兄上にとってはかなりの痛手だろう。
後ろに道三殿がいることで手出しが出来なかった者たちが行動を始めている事だろう。今までは尾張国内だけに集中出来ていたが、これからは駿河の今川と美濃の斎藤にも対処しなくてはならなくなった。
今こそ一致団結して事に当たらなくてはならないにも関わらず、家内から家を二分しかねない主張が上げられている。以前から懸念していた後継者問題だ。兄上の当主としての器量に疑問を持っている者は相変わらず多いようだ。
現状の兄上に当主としての落ち度はない。二年前の天文二十三年には兄上の謀殺を画策した織田大和守家の当主織田信友を討ち取り、清州城を奪取して居を移している。
ただ、家督を継ぐ前の振る舞いや家督を継いでからの強引な態度から評価を下げているようだ。これらは一貫して兄上の行動原理が理解出来ないが為の擦れ違いが原因だろう。
そしてもう一つ、年の近い私という存在がこの問題を増長させている。我が道を行く兄と常識的な弟ではどちらの方が家臣にとって都合が良いか一目瞭然だろう。かといって私の行動原理を変えることは出来ない。何故なら前世から染み付いているものなので今更変えられるものではないからだ。
さらにこの問題の一番の問題点は、兄上の筆頭家老である林秀貞が主導している事だ。林の弟の通具と私の筆頭家老である柴田勝家もこれに同調している。始めこそ日を置いてであったが、最近では連日のように私の下に来るようになった。私からも翻意するように説得しているが聞く耳を持っていないようだ。
私に弾正忠家を継ぐ意思はない。太平の世ならともかく乱世を治める度量など無い。そんなものは兄上に任せてしまえばいい。という訳でこれら一連の謀議は兄上に報告してしまおう。
Side 柴田勝家
今日も殿は、信勝様は首を縦に振ってはくだされなかった。信勝様は常識的なお方なので、実の兄を弑して当主の座を手に入れることを良しとされないのだろう。
しかし弾正忠家の為にそこは曲げて頂ければならない。今の大殿では弾正忠家を守る事は出来ないだろう。行動が余りにも突飛に過ぎる、あれでは家臣の心は離れて行くのも時間の問題だろう。
今は尾張国内だけでなく、美濃の斎藤や駿河の今川もこの尾張を狙っている。この問題は早めに片付けて終わなければならない。事ここに至っては強硬手段に出ることも視野に入れなくてはならん。もちろん実行する際には信勝様にお話を通してからだ。