葬儀
Side 織田信勝
親父殿が亡くなられた。殺しても死なないのではないかと思わせる様なお方だったが、流行り病に倒れられるとあっと言う間の出来事だった。
葬儀には多くの方が参られた。その数に尾張を実質的に差配していた重みが伝わってくる。それがどれ程の重圧だったのかは私には分からないが、存外それが原因だったのではないかとさえ思う。
この方々の中には、親父殿と敵対関係にあった方々もいる。実質的に尾張を差配していたとは言え、陪臣風情に指図される階級上は上の方々は業腹だろう。この世はまだ伝統や格式が息ずく世界である。敵対者はそういった点では目上の方々ばかりだ。
形式上は部下であったり同僚だった親父殿の死をこの方々はどう思って葬儀に参加していたのだろうか。目の上のたんこぶがなくなったと思っていたのではないか。有るべき所に権力が戻って来たと。
そんな最中に、嫡子である兄上は史実通りの行動に出た。実際に目にして分かる奇行ぶりに固まってしまった。参加者の目にはうつけな振る舞いに映ったのだろうか。後の歴史を知る私としては何かしらの意味があったのだろうとは思うが、私程度の人間には推し量れるものでは無いようだ。
人前で奇行に走れるような度胸の無い私には形式通りの行動しか取れず、これまた史実通りの行動になってしまった。このままだと面倒極まりない事が起こるだろう。それもまた運命、結果を受け入れるのみ。人間成るようにしか成らないものだ。
Side 林秀貞
先日の大殿の葬儀での出来事をいまだに忘れられん。あろうことか嫡子である信長様は大殿の棺に向かって抹香を投げつけられた。前代未聞の行いだ。
それに比べて信勝様は作法に乗っ取った素晴らしいお振る舞い。やはり弾正忠家の家督は信長様ではなく信勝様がお継ぎになるべきだ。
今思えば、嫡子に相応しくない行いばかりだ。着物は着崩し、人にもたれ掛かりながら瓜などを頬張りながら城下を練り歩く。家臣の子等を集めて何やら訳のわからぬ遊びに興じ、終いには兵を銭で集めるという事まで仕出かしている。
一方、信勝様は品行方正で非の打ち所がない。決まった時間に起床し、決まった時間に武芸の稽古を行い、決まった時間に執務を執り行われる。
うつけの信長様に弾正忠家を任せる訳にはいかぬ。戦国乱世のこの世をあの様なうつけに渡って行けるはずがない。信長様お一人ならば好きにするが良いが、我ら家臣一同まで巻き込まれては堪らん。
しかし信長様の正室は美濃の斎藤道三の娘。迂闊に手を出すわけにはいかん。それすなわち美濃一国を敵に回すことになる。今はまだその時ではないということだ。弟の通具や柴田殿といった志を同じくする同志もいる。機を待つべきであろう。