複雑な気持ち 16
「イーレッセが学校に――しかもこんな日中に現れるなんて……」
「……そこまでおかしいことではないと思う」
「でも、今まではこんなことなかったのに……」
人の少ない場所と時間だったからこそ、これまでは戦いに集中できた。。
「むしろ今までがおかしかったとも考えられるわ」
「今までが?」
「そう、だってイーレッセは人間を襲うために現れているんだから。だったら――もっと人の多いところや、時間に出てくるべきじゃないかしら。たとえば――今日みたいに」
「言われてみれば……」
凛子先輩の言う通りだ。イーレッセの出てくる過程は全くわからないけど、もし場所や時間が限定的でないのなら、もっといいタイミングがあるはずだ。それなのにいつも夕方で、人気もない場所で、まるで戦いの邪魔にならないよう、待ち受けているとさえ思えるくらい。
「だからこれからは、もっと様々な時間、場所で戦わないといけないのかもしれない」
「そんな……」
今までは部活のあとで出てくれたからこそ、生活に支障が出ることなく対処することができた。けど、今日みたいなことが続けば、最悪学校を休まないといけない可能性だってある。
「あくまで可能性の話よ。もしかしたら今日だけで、あとは今まで通りかもしれない」
「だといいんですけど……」
「さあ、まだ授業中なんでしょう? 結衣も教室に戻りなさい」
とにかくいくら考えても実際に起こってみないことにはわからないことで、それで凛子先輩との会話もひと段落してしまう。
「でも……」
「心配しないでも、しばらくはここでゆっくりして、体調がよくなったら戻るわ」
私の言いたいことを察して凛子先輩が答えた。そう言って微笑する凛子先輩は、もういつも通りに見えた。凛として、私にも気を使ってくれる、憧れの先輩。これから無茶をしそうな雰囲気はないように見える。
「わかりました……」
それ以上ここにいる言い訳が思い付かなくて、うなずくしかなかった。こうやって一緒に話しているのが楽しいからとか、嬉しいなんて理由じゃ駄目だと思うし。
凛子先輩がちゃんとベッドの上に仰向けで寝そべるのを確認してから、私は静かにカーテンの覆いを潜っていった。
*
保健室から出ると、ちょうど霞が廊下の先から来るところだった。
「結衣! 凛子はどうだった?」
「あ、はい、さっき目を覚ましました」
「そっか、よかった……」
凛子先輩が大丈夫だと知ると、霞はほっとした表情を浮かべた。
「でもまだ痛むようだったので……安静にしてもらいました」
「そっか。まあ無事なら何より!」
「会ってはいかないんですか?」
保健室から出てきたばかりだから、凛子先輩はまだ起きているかもしれない。
「ううん、やめとく。起こしちゃっても悪いしね」
霞は首を振って断った。私には二人の関係性がよくわからない。すごく仲がよかったら顔だけでも見に行くと思うんだけど、でも心配はしていて、仲が悪いって感じでもないし。
「結衣はどうするの?」
「看病していたかったんですけど、追い出されちゃいました」
「そっか……それじゃあ仕方ない、教室戻ろっか」
「はい」
後ろ髪引かれる気持ちはあったけど、それでも霞と一緒に歩き出す。保健室は一階だから、お互いの教室まではそれなりの距離があった。
「先生たちはどうでした?」
「それなんだけど全然騒ぎになってないんだよね……」
霞は首を傾げながら言った。
「え……そうなんですか」
間違いなく福留先生は屋上に来て、私たちの姿を捉えたはずなのに。見たことを他の先生に報告するのが普通じゃないだろうか。授業中に生徒が屋上で何かをしていたわけだから。
「あの福留先生って、結衣のクラスの教育実習生なんだよね?」
「はい、そうです」
「職員室にもちらっと寄ってみたんだけど、誰も私たちが屋上にいたことなんて知らなかったんだよね……それどころか福留先生自身が早退したみたいでさ」
「どうして福留先生が……」
もともと風邪を引いていた? いやそんなわけない、朝のHRでは元気そうだった。どうして誰にも私たちのことを伝えないで、自分だけ帰ってしまったんだろう。
「あたしもよくわからないけど……凛子の魔法は見たかもしれないわけだから、驚いたとか?」
「そう、ですね」
確かにイーレッセの姿は見えなくとも、凛子先輩が守った時に使った氷の盾と、それが砕け散る光景は目撃したはず。
「とにかくさ、よかったんじゃないかな」
頭の後ろで手を組みながら、霞はにこやかに言った。