第八話・オーロラに触れてみたい
「君は森に残るの?」
そう私に聞く夜涼はいつもと違い、無表情だった。瞳は私を見ているようで何も映していない。何かしらの感情を抱いているのだろうが、頑なに見せようとしていなかった。
辺りは静まり返っており、さわさわと木の葉が擦れる音がする。乱暴に転がされた男達も眉間にシワを寄せ、苦しそうな表情で気絶したままだ。
どうしようか。動物としての本能が森から出るなと訴えている。外の世界には何があるか分からないのだ。
だが、此処に居ても兄弟達や母ウサギにまた会えるとは限らない。野生本能の薄い小さな子ウサギが一匹で生きていけるというのだろうか。
残念ながら今の所、前世の記憶は生存率をさらに下げる足枷となっている。人間だった頃の思い出が動物としての生活を忌避させているのだ。
――――初めから、こんな記憶が無ければ良かったのに。
初めてこの世界に来た時のように、寂しさが募る。ウサギにも人間にもなりきれない、私はこの世界の異分子だ。
「僕と一緒に来ない? こんな混じり者でも良かったら。」
聞こえたのは抑揚のない声だった。だけどそれは私を必要としてくれる提案で。こんないい提案があるはずが無い、ましてそれを言っているのは私を攻撃してきた相手なのだ。だというのに、私はどうしても期待してしまう。
ならいっその事、危険なのは承知で夜涼と人里に降りていこうか。恐らくもう二度とこんなチャンスは来ないだろう。
「はは、何言ってるんだろうね、僕は。
馬鹿みたい。敬意を払うためじゃなくて本気で話すなんて。こんな子兎が分かるはずもないのに。」
いつの間にか伏せていた目を開けた。そこには悪役風に口元をつり上げて笑う夜涼がいた。だと言うのに怖い雰囲気は無かった。悲しげな色を瞳にのせていたからだろうか。
夜涼は自分の事を『混じり者』だと言う。それが何を指すのかははっきりとは分からない。だけどそれが夜涼を苦しませているのなら――――
私は夜涼の手に小さな前足を乗せ、胸を張った。そして少し高い位置にある夜涼の綺麗な紫電の瞳を見つめる。
「ぷぷっ!(連れてって!)」
夜涼は独りじゃない、私がずっといるから。知ってる? ウサギは淋しいと死んでしまうんだよ。だから一匹にしないで。
話が分かるとバレたら酷い目に遭うかも……という考えが少し過ぎったけれど。どの道一匹じゃ生きていけなさそうだし、これから厄介になるなら隠すだけ無駄だ。
「っっ!! 本当にいいの!? 都まで付いて来てくれる?」
僅かに目を大きくさせた後、目元と口元を緩ませた。仮面ではない、優しい笑み。
身動きが出来ないぐらいに、その笑顔に見とれる。
――――はぅわっ。後光が見えるっ。
思わず変な心の声がっ! 慌てて顔を振る。平常心。平常心。
「君ってやっぱり頭良いよね。僕の話が分かるみたいだし。ここまで良いのは初めて会ったよ。
やっぱり『能力』も高いのかな?最上位だったりして。ふふっ。」
――――やっぱり早まったかも……。
さーと血の気が引いた気がしたが女は度胸だ。二言は無い!
へっぴり腰になりかけていた脚に気合を入れなおす。
すると私を落ち着かせる様に夜涼の手が、額からまるい尻尾までを行き来した。これが結構安心する様で徐々に身体から余計な力が抜けていくのが分かる。少しうとうとして来た所で夜涼の声が聞こえた。
「あっ、そうだ。人里に降りるなら契約しておいた方がいいよね。こんな面白い子を攫われたら困るし。サクッと始末してもいいけど。」
「ふぎゅっ!(ダメだよ!)」
いやいやいや! 穏便に! どうか穏便に対処して下さい。必死に首を横に振る。
「え~。駄目なの?」
そんな物欲しそうな顔してもダメですから。
そんな会話をしている間に、私はまた夜涼の懐に押し込められた。何をするのかと見守っていたら、夜涼はおもむろに腰にあった短剣を取り出し、自分の左手の親指を切りつけた。
何が起きたのか分からなくて呆然と見てしまった。
「ふぎっ!(うわっ!)」
「嗚呼、人里に降りるなら『契約』しておいた方がいいと思って。縁を結ぶ妖術で、本来はお互いの場所がわかるぐらいの効果しかないよ。
能力持ちの獣は戦闘にたけているから、よく密猟者に横取りされたり、攫われて売られるんだ。でも『契約』してしまえば前の人と解消するまで消えないし、契約者が護ってくれるから安全なんだ。あと『能力』の受け渡しができるようになるよ。
契約者には奴隷のように隷属させる『契約』や呪具を付ける奴もいるけど、僕はそういう卑怯な手は嫌いだし、何より反撃が無いのはつまらないから付けないよ。」
思わずビクりとなった。
最後の本音!? いや夜涼ならありうる……。私にそんな度胸と攻撃力はないから!でも契約するのが夜涼でよかった。危うく私の自由が無くなる所だった。
それで『契約』ってどうやるんだろう?
「『契約』はお互いの名前と血を交換するんだよ。」
心なしか夜涼が子供の様な純粋無垢の瞳で見つめてくる。君の名前はどうしよう、と聞いてきた。そう言えば今世は名前を呼ばれる機会がなかったせいか、名前が無かった。
うっ。こ、断れない。さっきまで恐ろしげな発言をしていたくせに~。
じっと見つめられ、落ち着かない。
「君って翼兎種のくせに色は明るい色だし、凶暴じゃない。寧ろ友好的で変わってるよね~。これで瞳が金色なら伝説の神獣〈月兎〉みたいなのに。君のやつも黒曜石みたいで綺麗な色だと思うけど。
そもそも君って妖獣? 魔獣? 流石に神獣ではないよね? 神獣ってほとんど絶滅してて、今確認出来てるので十頭も居ないんだよ。『能力』も低位の奴ばかりだし。」
金色の瞳って心当たりがあり過ぎるぞ。幸い昨日は新月だったから夜でもばれなかったけど。
この世界では十日ごとに新月と満月を繰り返すから、気をつけないとあっと言う間に瞳が金色になってしまう。
てか私って魔獣じゃなかったの?
魔法っぽい力が使えるから勝手にそうだと思い込んでいた。能力持ちの獣は妖獣・魔獣・神獣の三種類があるらしい。
それにやっぱりこの薄ピンクの体毛も珍しかったようだ。私は神獣に分けられるのだろうか。だとしたら先行きが不安である。攫われないように気合を入れ直さないと。
「ん~、月代なんてどう?其の薄紅の体毛が淡い月の光に凄く似合うから。」
つきしろ、月代。
新しい名前を頭の中で何度も反芻させてみる。何処か曖昧だった自分が新たな“子ウサギ”として形づくられた気がした。。
前世は前世! 今は今!
無性に嬉しくて衣の中でうずうずする。
「ぷぎゅぎゅ! ぷぎゅぎゅ!(月代! 月代!)」
私を見守っていた夜涼はその反応に安堵したらしく、ほっと息を漏らした。
「良かった~。気に入ってくれたみたいだね。
月代、僕と契約して。僕が護るから。」
夜涼に優しく前脚をつかまれ、短剣で小さな傷をつけられた。少しピリッとするぐらいでそんなに痛くない。血の出てる夜涼の左手と私の前脚を絡ませられる。
「吾、夜涼の名において月代たる獣と契約を此処に交わす。」
絡ませた部分から橙、紫、金の粒子が出て混ざり、それぞれの身体の中に戻っていく。全然違う色なのにそれぞれの輝きを保ったまま様々な色に移ろい、綺麗だった。
先程の光景に浸っていたら、なんか身体がほかほかしてきた。
「お互いの魔力が馴染むまでもう少し掛かりそうだね。これからよろしくね、月代。」
「ぷぷっ。(こちらこそよろしく、夜涼。)」
そう言って撫でてくれる夜涼の手は何時もより温かく、安心して身を任せたのだった。
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