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自分の部屋の前に立って、老婆の言葉を思い出すにつけ、何か曰くのある部屋なのではないのだろうか、だからこんなにも安く借りられたのではないのだろうか、果たしてここでよかったのだろうか、と不安は否応なしに膨れ上がった。何を言ったところでときすでに遅し、と落胆ともいえる覚悟を決めて改めて部屋に入ったが、老婆の不気味さから想像するようなじめじめさは当然なく、それこそ老婆の言葉を聞くよりも前にこの部屋に訪れ感じていた「思っていたよりも綺麗だ」という印象があるのみだ。
隣人への挨拶は翌日に行った。古い建物だからか、インターホンは外にいても内部からの音がうるさく聞こえるほどに不躾なサイレンを上げ、これは扉をノックするに留めておけばよかったと後悔したのも無理駆らぬ話だ。早々に悪い印象を与えてしまったに違いない、と暗澹たる心持でいると、扉が開いた。中から姿を現したのは美しい女性だった。肩の辺りで切りそろえた黒髪はどこにも跳ねる所はなくすとんと地を向き、その中に見える目鼻立ちのくっきりした顔。白のワンピースにグレーのカーディガンを羽織ったすらりと細身の姿は、まるで幻想の中の妖精然として見えた。
「どなた様でしょうか」
まるで硝子細工の鈴を鳴らしたかのようなか細い声でそのように言葉を漏らす彼女に、私がひと目で好意を抱いてしまったことはもはや隠しようもない事実である。
「隣に越してきました者です」
しどろもどろに答えながら、私はこれが隣人との初対面であるにも関わらず手土産の一つも持参しなかったことを恥じた。そのことを非常に落ち込んだ気分で話したものだが、彼女は、
「お気遣いなく。どうぞこれからお親しくよろしくお願いいたします」
と頭を下げるのである。
まるでこの世のものとは思えないほど完璧な女性だ。東京にはこのような女性が存在するのかと、この女性が東京出身であるかも知らぬのに当時の私は馬鹿馬鹿しくもそう思ったものだ。




