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入居の一週間前に鍵を借りることができたこともあって、当日の荷物は少なかった。ここへ来るまでの暇つぶしにとすっかり茶色くなった江戸川乱歩の文庫本のほかには水の入ったペットボトルや、財布や携帯電話と言った常日頃から身につけているようなものだけという軽装で済んだ。
鍵は管理会社を通して借りたものであったので、アパートのすぐ隣の家に住むという大家にはその日に初めて会った。これもまたアパートと同様にずいぶんと古めかしい家で、そこのインターホンを鳴らすと庭先に居たのであろう腰の曲がった老婆がなにやらぶつくさと言いながら脇から姿を現し、ひどく驚いたものだった。狼狽により上ずった声で、
「二○五号室に入居することになりました」
と挨拶をすると、九十度近く曲がった腰に当てていた手をやおら突き出すように手前に出して、
「よろしく」
ごわごわにしわがれた声でそう答えるのである。
私はそれこそ恐々とそのかさかさの手を握ったのだが、老婆は握手には長すぎる時間じっくりと手を取ったまま、その虚ろな双眸で私を見据え、
「いい部屋を選んだよ」
そう言うのであった。
その不気味さたるや、なんとも形容しがたいものである。引っこ抜くようにしてそのかさかさの手を離すと、一度お辞儀をしてそそくさとその場を退散した。




