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梅雨の時期になった。覗き窓の発見から一月も過ぎたころであったが、私は飽くでもなく硝子一枚隔てたこの隣人との距離感に心酔していた。自分でもあの頃を振り返るとどうかしていたとしか言い訳のしようがない。毎日毎日他人の生活を覗き見る行為を、どうして日常として当たり前のことに昇華させてしまったのか、それはもはや私にも分からない。隣人への愛に溢れすぎていたのかもしれない。きれいごとをいうなれば、愛は人を狂わせるのである。
とはいっても、それまでのようにずっと覗き窓を開けておくような愚行はこの時期から減った。というのも、隣室における登場人物が増え始めたからである。
最初は女友達のようであった。彼女と並ぶとそれはそれは霞んでしまうような女性が頻繁に出入りするようになった。恐らく一番近しい女性のようで、稀にそのまま泊まっていくこともあるようだった。私にとって、この覗き窓の存在価値は「一人暮らしの美しい隣人の生活」を覗くからこそのもので、そこに第三者が介在することは好ましくなかった。人前に居る彼女は偽りのものかもしれないのである。そういったわけの分からない理屈から、来客のあるときは、しばらくぼんやりと眺めた後相手の帰りが遅いと判断するとそっと姿見を閉じるようになったのだ。




