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作為と錯誤の海に ⑥  殺人武器屋

 「死ねやぁあ! 赤獅子ィイ!!」

 

 男が叫び声を上げ、中段に構えたラビシュと交錯する。

 空気を切り裂くような鋭い音が鳴り、ラビシュの剣が男の体を袈裟懸けになでる。チンという硬質な音をたてラビシュが太刀を鞘へとおさめるなり、慌てたように男は自身の体を様子見る。

 男の体には赤い玉のにじむ描線が薄く引かれ、鎧に覆われた箇所は軽く剣痕が刻まれているだけだ。

 ラビシュの剣は、皮一枚しか傷つけることしか出来なかったのだ。男はほっと安堵し、低く嘲った。

 

 「ハッ、なんだおどろっ……」

 

 そ男がラビシュの剣を馬鹿にしようと声をあげた瞬間だった。

 肩から腰にかけて斜めに引かれた血の線がずるりとずれて、男の上半身がぼとりと落ちる。決壊したダムのように血が溢れて飛び散り、ラビシュの獅子面を赤く染め上げる。

 

 「おぉおっ! さっすが赤獅子っ! 閃光のような一撃ィイ! 五回戦の相手もあっさりずっくり斬り捨てた! トレードマークの黒獅子が今日も真っ赤に染め上がるぅう!!」

 

 つんざくような歓声の合間、興奮しきったアナウンスが鳴り響く。初戦を終えてから、ラビシュの試合には毎度実況がつくようになった。ジゼットというアフロ頭の男がやっているが、ラルーファにいるような本職ではない。ただそう言うのが好きで勝手にやっているらしい。熱心なファンがつくとこういうこともあるのだとラーズが笑いながら言っていた。

 

 「おおおおっ! 赤獅子ィ! 次も頼むぞ」

 「死ねっ! 死んじまえ! 次こそ仮面の下を晒しやがれ!!」

 

 花道を戻っていくラビシュに好悪入り混じった野次が飛ぶ。すでに五回目の戦いだ。ラベル・ワンの雰囲気にはもうなれた。一度だけ手を上げ応え、颯爽と舞台を後にする。

 

 「きしし、チョーシはよいみたいだネ? らびっしゅクン」

 

 言ってラビシュを出迎えたのはラーズでもシスでもない。タリク・ペイズリーという名の女だ。二月ほど前に知り合った武器屋。いまラビシュの持っている太刀を鍛造したのが彼女であり、毎度戦いの後にはこうして現れる。

 

 「剣がいいからな、とでも言えば満足か?」

 

 いやそうな顔をしてラビシュは応える。体中にかかった血が不快だったこともあるが、その原因のほとんどはタリクにある。ラビシュはあまりタリクのことを好ましくは思っていなかった。必然、態度もそういうものになる。

 

 「ノンノン。ぼく様はそんなこと望まないヨ。ぼく様が望むはヒトツ。もっと、もおぉっとぼく様の作品でヒトを殺すところを見せてくれおくレ。らびっしゅクンに望むのはそれだけサ」

 

 独特のなまりの入った言葉でタリクが告げる。

 ラビシュは辟易とした気持ちを抱きながら、黙って体にかかった血を拭い落していく。自分の武器で人が死ぬ様が見たくてたまらないというタリクは、まったく残念なことに職人としては優秀だった。なによりラーズとは対照的に金にほとんど無頓着だ。気に入ったという理由だけで、高価な武器を簡単にあげることさえある。金のないラビシュにとっては、それだけの理由で性格を度外視するほどに得がたい人材だった。


 「さあ、剣を貸したまえヨ。すぐメンテナンスをしなくちゃナマクラになっちゃうヨ」


 ラビシュの試合のたびにタリクがやってくるのにはそういう理由もあった。自分自身の手が届く範囲にある手がけた仕事はどこまでも面倒を見るのが、真の職人なのだという。本当のところは自分の鍛えた太刀で人を殺すところを間近に見たいだけなのではないかとラビシュは思っている。事実、そうだろう。


 「ん」

 ぶしつけにラビシュは剣をタリクへと突き出した。

 「きしし、だいぶなじんできたようだネ。この子も嬉しそうだヨ」

 

 言って鞘から剣を滑り出す。先ほどまで血にぬれていたはずの刀身は鈍く輝く鋼の蒼がちらちらと輝くだけだ。血に汚れてはいない。タリクが言うには鞘が血を吸うのだという話だったが、ラビシュはあまり信じてはいない。ただ便利だなくらいの感覚だ。

 刀身を愛でるように撫で、タリクは深く微笑んだ。

 

 ―――こうなると長いんだよな。

 

 深く息を吐きながら、ラビシュは椅子へと腰掛ける。もう戦いの後に疲弊は感じない。ただ生き残ったことへの心地よいヨロコビといまだおさまらない熱があるだけだ。そっとラビシュは目を閉じる。試合後に必ずするようになった行為のひとつだ。

 シュッ、シュッという太刀を研ぐ音がする。外からは試合を見終わった観衆たちの騒がしい声が響き、耳の奥では血の脈打つ音が鳴っている。それらを聞くともなく聞きながら、ただただ気持ちを落ち着ける。


 ―――今日で五人目。あと十人……。


 以前ほどの死の恐怖は感じない。三月が経ったが、ラビシュの調子は概ね順調だ。グルックとの一戦からこっち危なげな場面はひとつもない。純粋にラビシュの腕が急成長しているのもあるが、一番大きかったのは武器を買ったことだ。


 「ふふ~、ふ~ふふ~」


 鼻歌まじりに剣を研いでいるタリクを眺め見る。

 不快ではあったが、タリクから購入した剣がやはり一番大きな要因だった。



 殺人武器職人タリク・ペイズリー。

 そう名乗る女にラビシュが出会ったのは二月前、ちょうどグルックとの一戦を終えた翌日のことだった。


 「俺もついて行っていいのか?」

 「問題ない。ラーズに許可はもらってる」


 昼までの鍛錬のあと、ラビシュはシスとともに街中を歩いていた。いつもならば、鍛錬のあとはラーズの仕事の手伝いをすることになっている。


 「ラーズが? 珍しいな」


 疑うような目でラビシュはシスを見た。あの守銭奴のラーズが安く使えるラビシュの同行を許すとは思えなかったのだ。ラビシュの一日の時間は、午前はシスとの鍛錬。午後は夕食までラーズの手伝いという契約になっている。夕食までというのがミソだ。夕食を食べるまではラーズの仕事を手伝わなければならない。空がとっぷり暮れようとラーズは夕食を食べずにラビシュをこき使うのが常だった。


 「昨日のご褒美」


 短くシスが答える。その答えで疑問が解けたわけではなかったが、ラビシュはなにも返さなかった。うっかり追求して、せっかくの同行がご破算になるかもしれない。薮蛇はごめんだった。


 「……ここ」 


 しばらくしてシスが嫌そうに言って立ち止まる。目の前には質素なレンガ造りの店があった。ドアにかけられた看板には「殺人武器屋ヒッグ・ホッグ」と書かれている。


 「殺人武器屋?……」

  

 ───武器は全部人を殺すためのものだろう? 


 そんなことを思いながら、シスのあとへ続いて店の中へと入っていく。途端、異臭が鼻を突いた。

 

 「うわっ! なんだこの匂い」

 「……だから、ここはいつ来てもいや」

 「きし、きしし。今日もシス氏は言うことがきっついネー。いつも言うように武器の保護のためには必要なのサ」

 

 ごちゃごちゃとした部屋の奥、布を垂らした壁の奥から一人の女が出てきた。小柄な体に不釣合いな白い長衣を引きずった、少女といってもいいくらいにあどけない風貌をした女だ。

 

 「よーこそ、よーこそ。ぼく様の殺人武器屋ヒッグ・ホッグへ。昨日はお見事。歓迎するヨ。赤獅子クン?」

 

 青い髪の下の青い瞳がラビシュを捉え、にんまり微笑んだ。

 

 「あんた……、どうして俺のこと」 

 

 もちろん、今日のラビシュは獅子の面をつけてはいない。アレをつけるのはラベルだけだ。獅子面をつけているのがラビシュであることは、ラーズとシス、そしてラベルの総支配人しか知らないことになっている。

 

 ───なのに……。こいつ。

 

 一瞬で見破られたことにラビシュは驚いた。


 「きしし、天才殺人武器職人タリク・ペイズリーにかかれば、こんなものはお茶の子サーイサイサ。赤獅子クン」

 

 言ってタリクが白い袖にうずもれた右手を差し出した。その手をいぶかしそうに見つめながら、ラビシュが告げる。

 

 「赤獅子ってなんだよ? 俺はラビシュだ」

 「おやまァ……まだ耳に入ってないのかイ? キミのリングネームだヨ。らびっしゅクン」

 「リングネーム?」

 「ラベルでの貴方の名前……。実名だと面倒なことが多いからってラーズがつけた」

 

 横からシスが困惑するラビシュに説明する。ラーズの仕事の関係上剣奴であることがバレると色々と面倒なことが多いゆえの配慮だった。

 

 「分かったけど、なんで赤獅子なんだ? あの面黒いぞ?」

 

 ダングスの薦めた面はたしかに獅子だが、色は赤くなどはない。真っ黒だった。当然のようにラビシュは指摘したが、返ってきたのは笑い声だった。

 

 「きし、しっしし! キミはそう思ってもあの日の獅子は赤かったヨ。返り血で真っ赤っか! だから赤獅子というわけサ」

 「返り血……」

 

 いやなことを思い出してラビシュは苦い顔をした。血をそのままにしておいたため、今朝方黒く凝固した血を落すので四苦八苦したのを思い出したのだ。その上ダングスが拗ねて扉を開けてくれなかったので、朝飯を食い逃すなんてこともあった。

 

 「きしし、きれいな赤だったネ。それで話題のルーキーがぼく様の店に来たってことは、もちろんお客だと考えてよいのかナ?」

 「これをラビシュに合わせて欲しい」

 

 シスが持っていた大剣をタリクの前へと差し出した。昨日グルックから奪った戦利品の大剣だ。

 

 「ふへ、グルックのを再利用って訳かイ? さすが守銭奴ラーズだネ。……あー、随分粗末だヨ。これじゃああんまりよくないと思うけどネ」

 

 シスから手渡された大剣を検分しながら、タリクは気の進まなさそうな声で言う。

 質が悪いのはラビシュが見ても分かることだ。だが、残念ながらタリクの言うように守銭奴であるラーズが余計な出費をさせてくれるわけはない。ラビシュも出来れば借金を増やしたくはなかった。

 

 「昨日の戦いは見たはず。ラビシュにはきちんとした刃物が必要」

 「……もって二回ってところだろうネ。次回と次々回のラベルにはまともな刃物を持って出れるようには出来ると思うヨ」

 「三回戦までか……」

 

 二回戦に勝てば金貨は五枚、三回戦で十枚、合わせて十五枚だ。ラーズから給金として支払われる金額が月に金貨三枚。以前見た店では金貨五十枚くらいが武器の最低の値段だった。併せてもまともな武器を買うことはできそうにない。

 

 「それは困る。三回戦までしか持たないんじゃ次の剣を買う金が足りない」

 「ふへ? 三回戦まで勝てば十五枚は手に入るヨ? それで十分足りると思うのだがネ」

 

 意外そうにタリクが言葉を返した。横でも意外そうな顔をしてシスがラビシュを見ている。

 

 「え? いや武器って金貨五十枚くらいするだろ」

 

 その反応にラビシュのほうが驚かされる。

 たしかに金貨五十が最低だった。短刀でその値段だったから、ほかは見るまでもないと思って店を後にしたのだ。見間違いかと思い何度も何度も見た。絶対に間違いではない。

 

 「ラビシュ、それは違う」

 「え?」

 「きしし、らびっしゅクンはどうやら魔物用の武器を見て早ガッテンしたみたいだネ。人用の武器はそんなに高くはないヨ」

 「ひとよう? まものよう?」

 「きっと冒険者専用店でも見たんだろうネ。毒性を持つ魔物の血液や堅い皮膚なんかから刀身をまもるように色々工夫されているからネ。魔物用の武器はお高いのだヨ」

 

 タリクが言うには、武器には二通りある。

 ひとつは人や動物を殺すためのもの。これは刃に特殊な加工など必要ない。だがもうひとつは違う。魔物を殺すための武具。堅い皮膚を切り裂くための特殊な金属や工法、武器を侵食する魔物の血液から刃をまもる特殊な加工など数え上げれば恐ろしくなるほどの細工がなされているものらしい。それゆえ護身用の短刀であっても、普通の刃物と比べればべらぼうに高くなる。ラビシュが見て買えるわけがないと思い込んだのは、そちらのほうだったのだ。

 

 思えば、貧民街でも刃物は到るところで目についた。普通に気づくべきことだったのだ。

 

 「そもそも店に縁がなかったから……」

 

 赤くなりながら、いい訳めいた言葉をラビシュは呟いた。店で何かを買い求めることは稀だった。あったとしても腹が膨れる食べものだけだ。それにしたって大半は買うのではなく、盗むのだったが。

 

 「しかしアレだヨ。今日の支払いはどうするつもりだったのサ。加工にしてもかなり高いと考えるはずだよネ」

 「いや、それはラーズがグルックの諸々売り払った金でって言ってたから。結構高く売れたんだと思ってたんだけど……」

 

 言いながらラビシュはシスへと視線を向けた。シスは困ったように首を振る。

 

 「あわせて金貨二枚もいってない」

 

 がっくりとラビシュは肩を落とした。金貨二枚ではすずめの涙もいいとこだ。どこまでいってもラーズはケチだった。

 

 「おやマァ。随分少ないネ。先に言っておくけど、ぼく様の店で出世払いは通用しないゾ」

 「知ってる。でもここが一番安いから。加工、くらいはできる」

 「本当か?」

 

 シスの言葉にラビシュが顔を輝かせてタリクを見る。

 

 「できるネ。できるとも。……ただネ」

 「ただ、なに?」

 「きしし、気が進まないネ! ぼく様はいずれ朽ちるものを他人様に売りつけるような悪徳は気が進まないのだヨ」

 

 両手を必死に振って、タリクが叫ぶ。

 

 「今回は特別。やって欲しい」

 「やだヨ。ぼく様を誰だと思っているのかネ? 天才殺人武器職人だヨ!! ぼく様が造った剣は誰よりも長く美しく、人を殺し続ける道具でなければならないのだヨ。壊れる武器を造らされるなんていやだ、いやだ、いやだ、いやだネ!」

 

 母親にねだる子どものように、激しい身振りでタリクが叫ぶ。小さな体躯とあいまってほとんど駄々をこねているようにしか見えなかった。

 

 「じゃあ、壊れない武器を造ればいい」

 

 シスがそう言った瞬間だった。激しく抗議していたタリクがぴたと動作を止め、にやりと大きく微笑んだ。

 

 「きし、きししっ! なんだ、ハナからそういう魂胆かイ。のせられるのは好きではないガ……マァ、よいヨ。ちょうどよいものもあるしネ」

 

 言ってタリクがカウンターに載せてあったなにかを取った。赤黒い布に巻かれた細長いものだ。

 

 「これは?」

 

 かかっていた布をはぎながら、ラビシュは訊ねた。赤黒い布のなかからは黒く漆の塗られた鞘に描かれた金蒔絵がちらりと顔を覗かせている。剣のようだった。


 「昨日、キミの試合を見た後に造ったものサ。獅子ヅラした子どもがあんなにも見事に大剣を扱ったのを見て、ぼく様不覚にもぬれちまってネ。居てもタッテモいられなくなったのサ。出来たてほやほや正真正銘ぼく様印の殺人武器だヨ」


 タリクがなにか言っているがラビシュの意識には入ってこなかった。

 鞘から抜取った太刀を手にとって陽へかざす。砕けた波のような刃紋が両刃に流れるように裂いている美しい剣だった。グルックの大剣の半分ほどの太さの細身だが、容易には折れぬだろう厚さもある。そしてなにより刃の鋭さが段違いだった。

 

 「すごい……手にしっくりくる。それにこの刃」

 「美しいだろう? きれいだろう? 舐めたくなるダロウ? きしし、舐めてもいいんだヨ」

 「舐めるわけないだろ。……気持ち悪いな」

 

 言いながらもラビシュの視線は刃へ釘づけだ。一度目にすると容易に目を離せないような妖しい美しさがそこにはある。

 

 「きしし、じょーだんだヨ! 自信作だからネ。金貨二百くらいでいいヨ」

 「話聞いてなかったのか? 払えるわけないだろう」

 

 思わず剣を落としそうなになりながら、ラビシュが叫ぶ。

 

 「聞いてたヨ。ジョーケンさえ聞いてくれれば、金貨二枚でいいヨ」

 「……」

 

 金貨二百から二枚とはいったいどういう計算をしたらそうなるのだろう。ラビシュは胡乱げな目でタリクを見据えた。金貨二百は言いすぎだが、金貨二枚は安すぎる。

 

 ―――この剣の価値はそんなものではないだろう。

 

 きっとひどい条件をつけられるに違いない。ラビシュは警戒した。甘い話などないのはラーズと付き合ってから身にしみて学んでいる毎日だ。

 

 「きし、しし! そんな疑わしげな目で見るなヨ。ぼく様は別に金なんてどうでもよいんだ。ただぼく様印の武器が人を殺すさまを見れればそれでいいのサ! だから、キミがその剣を持つ限り人を殺して欲しイ! それがぼく様のたったヒトツのジョーケン」


 ―――武器は人を殺すためのものだろう? 

 

 そんな当たり前のことを条件にするタリクに疑問を感じ、ラビシュは言葉を飲み込んだ。なにかべつの意図があるのではないか。そう思ったのだ。

 だが、そんなことどうでもよくなるくらいに、タリクの提案は魅力的だった。腕があるのに金に頓着しない変人。ものすごく割安な取引相手だ。ラーズがわざわざ店を指定するだけはある。

 

 「……まあ、いいけど」

 

 内心思うことはあったがラビシュは頷いた。これからも生きていくためには武器がいるのだ。それが格安で手に入るなら悪くない話だった。

 

 「では、商談は成立だ。きっちりかっちり次の戦いが決まったら教えてくれヨ。首をながっくして待っているからネ」

 

 タリクが言って、首を伸ばす動作を真似る。その様がどこか愛嬌があって、ラビシュは思わず微笑んだ。

 

 「用は済んだ。こんなところすぐに出る」

 

 シスがタリクに金貨を払い、ラビシュの手を取った。最初から分かっていたが、シスはあまり長くは居たくないようだった。それがタリクのせいなのか、店のせいなのか。それとも両方なのかラビシュには分からない。

 

 「ああ」

 言ってシスに続いて店の出口へと歩き出す。

 

 「きしし、シス氏はやっぱり厳しいネ! らびっしゅクン、最後にヒトツ忠告を。剣に殺されぬよう気をつけたまエ」

 

 出て行くラビシュの背を見ながら、タリクが告げる。振り返ることもなく、ラビシュはその言葉を受け取った。意味は分からない。

 

 だが、

 ―――そんなの分かってる。剣にも誰にも俺は殺されない。殺されてなどやるものか。生きるんだ。どこまでも生きてやる。

 

 そう心の中で答えて、ラビシュは店を後にした。


 「でーきた、できた! できたよ、らびっしゅクン」

 

 賑やかなタリクの声でラビシュは目を覚ました。いつのまにか軽く眠ってしまっていたようだ。

 

 「ん、ああ」

 

 タリクの差し出した剣を手にとってラビシュはあいまいに頷いた。やはり気を張っていたのだろう。若干の体のだるさを感じる。慣れたといっても、ラベルの雰囲気に圧倒されなくなったことだけだ。人殺しに慣れたわけでは決してない。

 

 「きしし、大切に使ってくれているようでなによりサ」

 「まあ、命を預けるものだからな」

 

 言いながらラビシュは赤面した。はじめて手にした日のことを思い出したのだ。ラーズに、シスに、ダングスに自慢するだけでは飽き足らず、寝るのも惜しんで剣を振り、寝る時まで抱えていた。ラーズに『恋人みたいだね』なんてからかわれもした。

 

 「けっこう、けっこう。きしし、このままぼく様に人の死ぬ様を見せ続けてくれると期待しているヨ」

 

 腕組をしながらタリクが言う。

 

 「おろ? それは……」

 

 ラビシュの首にかかった金貨を見て、タリクが不思議そうに聞いてきた。なぜ金貨なんぞを首輪にと言うのが、タリクの言いたいことだろう。

 

 「シスからもらったんだ。はじめてのファイトマネーをお守りにするとラベルで勝ち抜けるんだとかなんとか」

 

 はじめてタリクの店に行った帰りにシスに渡されたものだった。お守り云々は知らないが、ラビシュにとってははじめてもらった誰かからの贈り物だった。以来常に身に着けている。

 

 「きしし、シス氏もあれで乙女だネ。それじゃあ、ぼく様はこれで失礼するヨ」

 

 道具をしまってタリクが去っていく。あれでなかなか繁盛しているらしい。ラビシュと同じくタリクの贔屓の客も数人いるようだ。

 

 「ああ、毎度ありがとう」

 

 何気なくラビシュは礼を口にした。理解できないところはあるが、二月の付き合いだ。それに毎度べつの目的があるとはいえ、メンテナンスもしてもらっている。そんなこともあっての礼だったのだが、タリクにとっては意外だったようだ。

 

 「ありゃ、礼なんて言われちまったヨ」

 

 驚いたように足を止め、タリクが振り返る。

 

 「きしし! こちらこそアリガトウサ、らびっしゅクン」

 

 にこりと笑ってそう言うなり、振り返ることもなくタリクは外へと出て行った。そのさま見ながら、ラビシュは小さく息を吐く。

 

 「ありがとう、か……」

 

 ここ三月ほどで慣れてきたとはいえ、やはりその言葉はラビシュをひどく動揺させる。ラベルで勝って賞賛されてもその言葉は聞けない。生きることは簡単だ。ラベルで勝って勝ち続ければそれでいい。

 

 だが、

 ―――『ありがとう』って言うのはどうすれば言ってもらえるのだろう?

 

 分からない。ただその言葉は心地よい思いにラビシュをさせる。どうすればいいのか。そんなことを思いながら、ラビシュはシスからもらった金貨をいじっていた。


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