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作為と錯誤の海 ⑤ 祝勝

 「ふふーふ。初勝利おめでとう、ラビシュ」

 「ハラハラした。でも、生きていることがなにより大事」

 

 ラーズとシスはそう言って、ラビシュを出迎えた。

 場所はラベル・ワンにほど近い酒場だ。ラビシュの初勝利を祝って、祝勝会でもやろうかとラーズが言い出したのだ。

 

 「ああ」

 

 主賓であるはずのラビシュはあいまいな返事を返した。精も魂も尽き果てて、正直いますぐ寝てしまいそうだった。

 

 「ふふーふ。お疲れのようだ。やはり明日にしたほうがよかったな」

 「だめ。嬉しいことはすぐ祝う」

 「ふふー、それはそうだ。祝えるときに祝っておかなければ後悔してしまう。だが、まあ……」

 

 そこでラーズは一度言葉を切って、ラビシュを見た。当のラビシュは杯を持ったまま、頭をぐるんぐるんと回転させ、いまにも眠ってしまいそうだった。

 

 「家でやるべきだったかな。ここじゃあ、大きな声でラビシュを祝えない。それになにより、主賓が眠くてしようがないときた」

 「いや、家での食事はいい……」

 

 眠そうな声ながら、ラビシュはラーズの言葉を否定した。

 

 「ふふーふ、今日はシスが夕食の当番だったものな。納得だ」

 「それ、どういう意味?」

 

 シスが咎めるように言ったが仕方ない。シスの料理はひどく不味いのだ。一月一緒に住んで分かったことは、シスは剣術以外からっきしだということだった。それでも外食より作ったほうが安上がりという理由で食べ続けていたのだから、ラーズの商魂もすごいものだ。とラビシュは変なところで感心していた。

 

 「ふふーふ。ラビシュが来てくれて本当によかった、という話さ」

 

 ラーズはごまかすように笑い、杯をあおった。

 

 「たしかにラビシュの料理はおいしい」

 

 シスが大皿に載った骨付き肉から見事な手さばきで肉をそぎ落す。幾枚にも薄く分けられた肉片がラビシュの前へと差し出される。

 だが、とてもではないが食べる気にはなれなかった。

 

 「眠くても食べる。体が資本」

 

 シスはそう言うが、ラビシュが食えぬのは決して眠気のせいではなかった。ただなにかを口に運ぶ気になれないだけだ。

 フォークを取って、目の前の肉に突き刺した。やわらかな肉に刺さって、肉汁とともに赤い液がこぼれ出す。その様が殺したグルックを想起させ、ラビシュは辟易とした気分になった。できればいまは肉以外のなにかが食べたい。

 

 「ふふーふ。まあ、いいじゃないか。なかなかの激闘だったんだ。一日食わなくとも死にはしないさ」

 「激闘?」

 

 なぜかラーズはひどくご機嫌のようだった。その様を不思議そうに見ながら、ラビシュは聞き返す。すでに寝ることは諦めた。家での食事は決まっているのだ。ここで食わねば夜中に腹が減っても食べるものなどない。なにより事実腹は空いている。 

 

 「んー、耳を澄ませてみたまえよ。さっきから聞えてくるのは君の話ばかりだぜ。獅子面のルーキー現るってね。ふふーふ。おかげで取引も上々さ」

 

 言って、ラーズは嬉しそうに微笑んだ。ラビシュには分からないが、ラビシュが勝ったことでなにかラーズに益があったのだろう。

 

 ───だから、さっきからご機嫌なのか。

 

 納得して、ラビシュは杯をあおる。琥珀色の液体は果実を搾ったものらしい。いままで味わったことのない甘味が喉をなめらかに通り過ぎていく。こんなものが世界にあったことが知れただけで、今日生き残った意味がある。そんな風に思えるほど極上の美味しさだった。

 

 ───なんて美味いんだ。

 

 思わず、ほぅというため息がラビシュの喉から零れ出た。

 

 「ふふーふ。まるで勝利の美酒に酔いしれるかのようだ。美味そうだ」

 「そんなにあわてなくとも、ジュースはなくならない」

 

 名残惜しそうに空の杯を覗くラビシュを見て、二人が笑う。

 

 「え、いや」

 まるで子どもを見ているかのような二人の視線に、ラビシュは赤面した。

 

 「おかわりする?」

 いつもと変わらぬ声音でシスがたずねる。ただその眼はどこか優しい色をたたえている気がした。

 

 「っ! あ……。そうだ! 俺の話をみんなしてるって本当か!」

 

 タンッと勢いよく杯をテーブルに置いて、ラビシュは早口にそう言った。なんだかシスの態度が子どもをあやすそれのようで恥ずかしかったのだ。

 

 「ふっ、ふー。なんだかんですごい人気さ。獅子の面と小さな体が受けたらしい。謎めいた仮面。その上、小さな者が自分の倍もある大男を倒す。まるでどこかの物語のようだ、と大うけさ。それに……」

 

 ラビシュの急な話題転換も微笑ひとつで片付けて、ラーズは言い連ねた。普段から饒舌なほうではあったが、今日は輪にかけてよく喋る。

 

 「本当かっ!」

 

 ラーズの言葉を途中で遮って、ラビシュは嬉しそうな声を上げた。自分がだれかの注目を浴びているということがたまらなく愉快にさせる。それはザノバを倒した時のヨロコビに似た心地よさだった。

 

 「本当さ。ほら、あっちでもいままさに話している」

 

 言って、ラーズは少し離れた席に座っている男たちを指差した。一見して堅気ではないと分かる格好をした三人組の男だ。恐らくラベル参加者か、それに近い者たちだろう。

 

 「いや、なに言ってるのかなんて分かるわけないだろ」

 

 店は満員なのだ。子どもはラビシュのほかにはなく、酔った輩が歌なんかも歌っている。こんな状況のなか、離れたテーブルの話など聞けるわけがなかった。

 

 「ふふーふ。それもそうだ。ま、これからおいおい分かってくるはずさ」

 

 薄ら笑いを浮かべ、ラーズはそう嘯いた。その訳知り顔な態度がラビシュにはなんだか気に入らない。自分のことなのに自分が何も知らないのは、なんだか疎外されたような気分だった。

 

 「ったく、適当言いやがって」

 「ラビシュ」

 

 つまらなそうに毒づいたラビシュの前に、ジュースのなみなみ注がれた杯が置かれる。

 

 「おかわり、もらってきた」

 「あ、……ありがとう」

 

 見れば、いつの間に席を立ったのか、ラビシュのすぐ傍にシスがいた。

 

 「なんだよ?」

 

 座る様子もなく、シスはラビシュをいつものように見つめている。先ほど抱いた疎外感を見透かされているような気がして、ラビシュは拗ねたようにたずねた。

 すっとシスの細い手がラビシュの方へと伸ばされる。

 

 「おかえり、ラビシュ」

 言って、シスがラビシュの頭を撫でる。

 

 「ふふー」

 向こうで笑うラーズの声が聞えたが、いまだけは気にならない。

 

 ただラビシュの頭を撫でるシスのやわらかなぬくもりがあるだけだ。

 

 ───俺、生き残ったんだな。

 

 ラベル・ワンで感じた高揚感とは違う安らかな、けれどはっきりとしたヨロコビを感じながら、ラビシュはしばらくシスにされるがままになっていた。

 その後に飲んだジュースは二杯目だからか、不思議に先ほどまでの陶酔感は得られなかった。ただ甘さが疲れた体に心地よい。

 

 「……おかしいな。種類が違うのか?」

 

 ラビシュはいぶかしげに首を傾げたが、それだけだ。

 

 ───まあ、次も勝てば美味しく飲めるだろう。


 そんなことを思いながら、ラビシュはジュースを飲み干した。

 

 「ふふーふ。しかし金貨一枚とは……。ラベルもずいぶんとケチだな」


 ラーズはそう言って、手の中の金貨をころころと転がした。珍しいことにずいぶん酔っているようだった。こんなことは滅多にない。


 「一枚は一枚でも、ラビシュがはじめて勝ち取ったもの。そんじょそこらの金貨とは意味が違う」


 いまラーズの手の中にあるのは、今日ラビシュがはじめて得たファイトマネーの全額だった。ラベルでは人気によって多少変動があるが、それでも一回戦は決まっている。将来のグラファであっても、最初は金貨一枚からはじまる。なかには後生大事にお守りにする者も多いと聞く。


 ───私の場合はどうだったろう?


 記憶の糸を辿る必要もなく、すぐに答えに行き着いた。

 

 「私もラーズに渡した」

 

 シスのファイトマネーはすべてラーズに渡してきたからだ。

 

 「ふふー、なにをだい?」

 

 テーブルに突っ伏したままで、ラーズがたずねる。

 

 「はじめてのファイトマネー」

 「あぁー。そうだった。……そうだったかもしれないな」

 

 ラーズが何度かもごもごと反芻する。だが、それが思い出すためなのか、酔人特有のものかの判断はつかなかった。シスには酒に酩酊した記憶がないのだ。おそらくこれからもないのだろう。

 

 「ふふー。ラビシュは?」

 

 ぼんやりとした目をして、ラーズがたずねる。平生の姿を知っていれば、目を疑いたくなるような変化だ。シスは自然口角がゆるむのを感じた。

 

 「もう帰った」

 

 素っ気なくシスは返答した。すでに何度目かの問いだった。

 ラビシュはラーズのこの姿を見ることもなく、本日のファイトマネーをラーズに手渡すなりさっさと戻っていった。グルックの持っていた大剣を引きずるように帰っていく姿がほほえましかった。

 シスはラビシュが好きだ。いままで触れることのなかった小さな命は、愛でるに足るかわいさがある。弟が居ればきっとこんな感情を抱いたのかもしれない。その上、ラビシュには才能がある。ぞっとするほどの剣の才能が、あの小さな体の中にある。予想のつかない成長を見るのは楽しかった。

 

 ───ラーズはどう?

 

 無言でシスはラーズを見た。情けなく酩酊している。

 平生とのギャップがありすぎて、おかしくもないのに笑ってしまう。

 だが、この姿をラビシュが見ることはないだろう。ラーズはラビシュを警戒している。どこまでも金儲けの道具としてしか見ていない。ラーズがラビシュに酩酊した姿を見せることは今後もきっと訪れない。

 それは長年、ラーズを隣で見続けきたシスのなによりも確かな確信だった。

 

 「なんだい? これが欲しいのか?」

 

 言って、ラーズが手で弄んでいた金貨を指し示す。ラーズにとって、ラビシュが渡したその金貨も一枚の金貨としての価値しかない。言えば、きっとラーズは笑うだろう。

 

 『ふふーふ。金貨はどこまでいっても金貨だぜ』


 少し昔を思い出す。いま弄んでいるのと同じ金貨を、なによりもかけがえのないもののように、シスから受け取った日のラーズを。

 

 ───いつの間に、ラーズはこうなった。

 

 いくら問いかけようと答えは出ない。ともに居た時間が長すぎて、もう分からないことのほうが多くなってしまっていた。

 

 「欲しい」

 押し寄せる感傷をよそに、無感情にシスは言う。

 

 「ふふーふ。それじゃあ、いくらで買う?」

 

 返ってきたのは予想通りの返答だ。シスは小さく微笑んだ。

 

 「金貨二枚」

 「よしっ! 売った」

 

 ピンッ、と金貨を弾き、ラーズが言う。それを空中で掴んで、代わりに二枚の金貨をラーズの手へと握らせる。

 

 「ふふー。金貨一枚が二枚になった。次は何枚に増えるかな」 

 

 ラーズがしゃりしゃりと二枚の金貨を摺り合わせながらシスを見た。その眼にすでに酔いはない。ただ商人然とした薄ら笑いがあるだけだ。

 

 「いつから?」

 「ふふーふ。さっきさ。明日は朝が早いからね。二日酔いはごめんだ」

 

 即効で酔いに効く薬を飲んだのだ。答えるラーズの姿は、少し赤みが差した白目以外はいつも通りだった。

 

 「ひとつ聞きたいことがある」

 

 急に声を改めて、ラーズが言う。低く、なにか問い詰めるかような声。なにか言いたいことがあるときの声だった。

 

 「なに?」

 「今日、ラビシュを出した理由はなんだ?」

 

 それはラベル・ワンでも尋ねられたことだった。

 

 「……見極めたかった」

 「見極める? それはどういうことだい? あれでラビシュが死んでいたら、ぼくはむざむざ四百の金をどぶに捨てることになってたんだぜ?」

 

 ラーズは怒っているようだった。今日のラビシュの戦いがぎりぎりに見えたからだろう。せっかく手に入った金づるをシスの見立て違いで殺されてはたまらないという思いがそこにはあるのだ。

 それもこれも、予想以上に今日でラビシュへの注目が集まったからだ。ラベル・ワンで聞いたときには、死んだら死んだでいいいか程度の認識だっただろう。

 

 ―――ほんとうは百もないのに。

 

 ラビシュの怪我を治した治癒師に払ったのは五十にも満たぬ小額だったことをシスは知っている。すでに、その金額を上回る額をザノバ戦で回収している。実際ラビシュが今日死んでいたとしても、ラーズが受ける損害は皆無だった。

 だが、いまそんなこと言ってもはじまらない。

 

 ―――私も同罪。

 

 「今日の最後、見た?」

 

 押し寄せる罪悪感をおくびにも出さず、シスは言葉を返す。

 

 「見たよ。見事だった。あんな馬鹿でかい剣を足で扱うとは、正直驚いたね。アレのおかげで次は結構な人気がつきそうだ」

 

 人気云々を除けば、シスもラーズと同意見だった。

 見事だった。だが、シスが驚いたのは足で大剣を扱かったことではない。

 それよりも驚かされたのは、むかしから大剣を扱ってきたのではないかと思うほどに、きちんとラビシュが刃物として振れていたことだ。普通ならば、グルックの体を半端に潰すことはできても真っ二つに寸断することなどできはしない。

 

 訓練しているときから感じていた違和感が、おぼろげながら形を取った瞬間だった。

 

 「転生者」

 

 それは昔聞いた話だ。世の中には前世を色濃く引き継いで生まれてくるものがいる。異様な成長、異様な能力がその特徴だと言われている。

 一度言葉にしてしまえば、そうとしか思えなくなってくる。あの自分のなかにあるなにかを求めて突き進もうとする様は、かつての自分へと戻ろうとする無意識の欲求のようにも見える。学校に行ってもないのに、計算ができ、文字が書ける。そんな子どもがいるか。疑えば、なにもかもが疑わしい。

 

 「は、あんなのは御伽噺だろ? ラビシュはたまに居る天才。それでいいじゃないか。その天才が、いま四百の借金を背負ってぼくの手の中にいる。文字も書け、計算もでき、料理も美味い。その上闘って金を運んでくれる。そんなやつがぼくの手の中にいるんだ。それだけで十分。……転生者が金になるのなら、話はべつだがね」

 

 言って、ラーズは鼻で笑う。ラーズにとっての重要事項は金になるかどうかだ。金さえ運べば、転生者だろうと魔物だろうとかまわない。

 

 「そう」

 

 短く、シスは言葉を切った。シスとて本心から信じているわけではない。ただそうであるならば、気になることがあるだけだ。

 

 「ま、今日ので十分ラビシュがやっていけることがわかったから、それはそれでいいさ。ただこれからは十分気をつけたまえよ。アレは、金の卵を産む雌鶏になるかもしれないからな」

 

 そう言い放ち、ラーズは席を立った。すでに勘定は済ませてある。さっさと出て行くラーズの後をついて歩きながらシスは思った。

 

 ───あの子には、幸せになってほしい。

 

 転生者の御伽噺はひとつの教訓譚だ。

 

 結末は決まってこう結ばれる。

 

 『……そして、彼はまた間違えた。人生は取り返しがつかないからこそ美しい。幾度失敗しても蘇る転生者はこれを忘れる。ゆえに彼らは何度生まれようと間違える。総じて、彼らの人生は不幸のうちに終わるのだ』

 

 「ラビシュ……。あなたは違う」

 

 ビロードを敷きつめたような雲ひとつない空の下、手中におさまる金貨を強く握りしめながら、遠く空に浮かぶ三日月を眺め見る。

 

 真黒な空からあざ笑うように、ひとつ星が流れて落ちた。


 

 剣を振る。

 

 「こうじゃない……」

 

 『そう。こうじゃない。俺の描く剣はこうじゃない。もっと速く、もっと鋭く。強い』

 

 腹の底からなにかが響く。それはひとつのシグナルだ。ラビシュを高みへと推し進めるなにかのしるべだ。

 玉のような汗が額をすべり、頬を伝って落ちていく。こうこうと照る月の下、ラビシュはただ一心不乱に大剣を振っていた。

 振るたびになにかが体を突き抜ける。見えるはずのない斬撃を幻視する。宙に描かれる不可視の軌道。自分にだけはたしかに見えるその道の名残を、寸分たがわぬようになぞっていく。

 

 届かない。力も速度もなにもかもが届かない。

 

 「まだだ」

 

 そのたびに考える。足りぬものに気づくたびに思考する。

 どうすれば、補える? どうすれば見ているものに近づける? 

 

 その時間は楽しかった。ただ剣を振るだけのつまらぬ光景だ。

 だが、ラビシュにはそれがたまらなく楽しかった。目に見える目標がそこにあり、振るたびに一歩一歩、それに近づいている自覚がある。

 踏み込み、腹の位置、柄の握りと細かな点へ注意を払いながら剣へと没入していく。シスとの訓練ではあいまいとして分からなかったことが、はっきりと理解できる。

 

 ───なぜだ?

 

 疑問はあったが、かまわない。それ以上にこのひとり遊びは楽しかった。まるでほんとうの自分を追いかけているような楽しさが、確信がある。

 そう、確信だ。

 この道をなぞっていけば、きっと自分は強くなる。いま幻視する剣にいつか自分はたどり着けるはずだ。そんな確固とした予感があった。

 

 「俺は強くなれる」

 

 瞬間、やわらかな感触を思い出す。

 先ほどシスに撫でられたときの感触だ。ラベルで勝ったときのヨロコビとは違う。なにか心の奥底から湧いてくるような満たされた思い。強くなれば、もっともっと勝ち続ければ、それをさらに感じることができるだろうか。

 

 すでにラビシュにとってラベル・ワンは恐怖の対象ではない。今日ですべて覆った。ザノバを殺したときと同様に、ラベルはラビシュを認め、賞賛してくれる。勝てば、シスもラーズも喜んでくれるのだ。

 

 強くなること。勝つことは、ラビシュにとって生きるだけの方法ではなくなった。それは自己実現のひとつの手段だ。明確に認識したわけではなかったが、ラビシュは強くなることに、剣を振ることにべつの意味を見出しつつあった。

 

 ゆえに剣を振るのだ。

 

 ───早く、もっと早く強くなりたい。

 

 「あーた、いつまでやってんのよ。いい加減子どもは寝る時間よ」

 

 ダングスの嗄れた声が響く。すでに何度か繰り返された台詞だった。

 

 「寝られないんだ」

 

 戦利品の大剣を家の前で振りながら、ラビシュはそう返す。

 一度は横になったが、目がさえて眠れなかった。強くなったときのことを思えば、じっと横になっているなどできるはずがなかった。

 

 「寝られないって……。その年からそんなんじゃあ、じいさんになってから困るわよ。そーだ! あーしが子守唄でも歌ってあげましょうか?」

 「いや、それはいい」

 

 ラビシュは即答した。

 

 「けっ、せっかくのあーしの好意を蹴るなんて、ほんとうガキねっ!」

 

 ダングスがひねたように毒づく。

 

 一月が経つが、その間ダングスはラビシュによく話しかけてきた。シスとはなぜか折り合いが悪く、ラーズもまともに相手をしないので、珍しがって話を聞いてくれるラビシュのことを気に入っている節があるらしい。

 毒づいてはいるが、心配してもいるのだ。なにしろ、戻ってきてからすでに一時間近くもラビシュは剣を振っている。ダングスも今日、ラビシュがどこでなにをしてきたかを知っている。だからこその心配だろう。

 

 「悪かったな。でも、子守唄なんて歌ってもらったこともないからなぁ。うるさくされたら、普通眠れないだろう?」

 

 大剣を地にさして、ラビシュはダングスに謝罪した。なんだかんだと、ダングスがラビシュを気にかけてくれているのだということは感じていた。

 

 「やめてよ、さらっとそういうこと言うの。子守唄も聞いたことないなんて、あーし涙出ちゃう」

 「ダングスって、時々変なとこで泣くよな。俺、よく分かんないや」

 

 ダングスもダングスだが、ラビシュも少しずれている。生きることに直結する事柄以外では、ラビシュは往々にして不感症なところがあった。もっとも多少なりとも自分の感情に疎くなければ、貧民街での生活など耐えられない。武具を諦めた貧乏性と同じく、その心の鈍さも貧民街で自然と培われたものだった。

 

 「はあ。なんかあんたと話してるとあーし、いろいろ考えちゃうわ」

 「へぇ、どんなこと?」

 

 興味深そうにラビシュは聞いた。シスにラーズと、感情を隠すことの上手い大人に囲まれたラビシュにとって、あけすけなダングスの反応はいちいち面白かった。意外に思うことが多かったのだ。

 

 「なんであーしはこの扉から離れられないんだろうとかそういうことよ」

 「そりゃあ、魔法生物だからだろう?」

 

 当然だろう? という言うようにラビシュは言葉を返した。

 

 「そうだけどっ! そうだけどっ! あーしが言ってんのはそういうことじゃないでしょ!!」

 

 がしゃがしゃと咥えた輪を揺らしながら、ダングスが抗議する。だが、ダングスがなにを言わんとしているのか、ラビシュにはやはり分からなかった。

 

 「じゃあどういうことだよ」

 「はあ。いいわ。あーたと話してるとあーしの塗装、ストレスで剥げちゃいそう」

 「なんだかよくわからないな」

 

 言って、ラビシュはまた大剣を掲げた。握ってまだ一時間しか経っていないというのに、手にかかる重さがなぜか懐かしい。

 

 「それ、今日の戦利品?」

 「ああ。防具もあったけど、サイズが合わなかったからって全部ラーズが売り払ってた」

 

 ラベルでは敗者のものはすべて勝者のものになる。家や貯金などもそうらしいが、あいにくグルックは宵越しの金は持たない主義だったようだ。装備品以外ほとんど金になるものはなかった。

 

 粗末な家はグルックの埋葬代に消えた。死体の処理もラベルではなく勝者がすることが通例らしい。その辺のことはラーズが代わりにやってくれたようだった。

 

 敗者のすべては勝者のもの。それがたとえ死体であろうとも。というのが、ラベルのルールらしい。

 ただ妻子などの家族、借金は違う。むかしそれで色々問題があったのだとラーズが得意げに嘯いていた。

 

 「へぇ、それも随分大きすぎると思うけど?」

 「明日、シスが知り合いの鍛冶屋で加工してくれるってさ。元から買うと高いけど整えるなら安いから、今日の戦利品売ったはした金でもなんとかなるだろうってラーズも言ってた」

 

 いまも振っていて重さと長さがかなりきつい。加工しなおされたら、もっと理想の剣筋に近づけるのだろうか。そう思うと明日が楽しみで仕方ない。それもラビシュの睡眠を妨げるひとつの要因だった。

 

 「あーた、それ頭から信じたの?」

 

 不満げにダングスが問いかける。若干馬鹿にするような響きもあった。

 

 「あ? そうだよ」

 

 反論したい気持ちもあったが、ラビシュは素直に頷いた。信じたという点は間違いではなかったからだ。

 

 「あまりラーズのこと信じるのはよしなさい。痛い目見るわよ」

 「信じてなんかない。ラーズは商人だから、金に関わることだけは信じてるだけのことだ。それに痛い目にはもう一度あってるしな」

 

 口に出すのはいやだが、事実だ。ラーズはあくまでも金のためにラビシュと接している。ラビシュがなんらかの理由で役に立たなくなれば、あっさりとラーズは切り捨てるだろう。それはすでに分かりきっていることだった。だが、それは裏返せばラビシュが金になる限り、役に立つ限り、置いてくれるということだ。

 そうした点で、商人としてのラーズをラビシュは信じていた。

 

 ―――だから強くなる。

 

 結局そういうことなのだ。強くなって勝ち続ければいいのだ。勝ち続ける限り、ラーズはラビシュを認め、シスも喜んでくれるだろう。

 

 単純な話だ。生き残るためには強くならねばならず、強くなれば自分を含めてみんなが喜ぶ。ほんとうに単純なお話だった。

 

 「あーしが言ってるのはそういうところなんだけど……。聞くわけないわよね」

 「なに?」

 

 小さく、ダングスがなにか言ったがラビシュには聞き取れなかった。

 

 「いーや。なんでもないわ」

 

 聞き返したラビシュにダングスはそう冷たく返す。しょせん、扉から離れることもできぬ魔法生物では案じることしかできないのだ。ダングスにできることは黙って見守り、そして願うことだけだ。

 

 「いままでも、これからもあーしにできることはそれだけよ……」

 

 低く冷め切った声が暗い空へと溶けていく。その向こう、あつく夢見る少年が必死に剣を振っていた。

 

 「あーしも、トシをとったわ」

 

 ぽつりとだれにあてるでもなく、リリー・ダングスは呟いた。


 

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