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作為と錯誤の海に ④ ラベル・ワン

「おおおおおおおおおおおっ!」

 

 怒声のような歓声がラビシュを出迎える。

 幾十ものやぐら立ち並ぶ闘技場に設置されたふたつの花道、その一方をラビシュはゆっくりと歩いていく。その足取りはたしかで、緊張など微塵も感じなかった。むしろ、心地よい高揚感がそこにある。

 ザノバとの命を賭けた戦いから一月、ふたたびラビシュは闘技場に戻ってきた。ラベル・ワン。剣奴と奴隷、奴隷と魔物などのふざけたショーの見せ場ではなく、純粋に剣奴同士の戦いを見せる場だ。ここで十五回勝利することが次のステージへと上がるための最低条件となる。

 

 「十五連勝か……」

 

 ラビシュはその重さをかみ締めるように、呟いた。勝敗は対戦相手の死を持って決められる。つまるところ、十五勝とは連続十五回での人殺しにほかならない。

 だが、ラビシュにはそんなことどうでもよかった。殺さねば生き残れないのだ。ならば、それをするしか道はない。

 

 「お前が俺さまの対戦相手か? ちっちぇな」

 

 もう一方の花道から舞台へと降りた相手がラビシュを見据え、嘲りの言葉を吐いた。ザノバとの時と同様に、ラビシュとの体格差は歴然だ。大人と子どもそのままの違いだった。

 体ほどもある大剣を携えている男の名はグルックといい、現在二連勝中だという。

 

 「あんたはでかいだけだな。遅そうだ」

 「あぁ? このチビっ! ぶっ殺す。その変てこな面ごと、ぶった切ってやるよ!」

 

 ラビシュの挑発を受けて、グルックがいきり立つ。試合開始の鐘はまだ鳴っていないが、すでにやる気は十分なようだった。

 ラビシュは冷静にグルックを眺めた。自身よりも大きな体躯、体より長大な大剣、急所だけを覆った鎧。ザノバよりはるかに強そうだ。事実、強いのだろう。剣術のケの字も知らなかったザノバとはそれこそ、雲泥の差があるに違いない。

 だが、怖さはない。

 

 ―――あの、ヨロコビを感じたい。

 

 生き残ることは前提だ。だが、できればあの感覚を、世界から祝福されているかのようなヨロコビをまた感じたかった。

 

 ―――それにしても邪魔だな。

 

 ラビシュは慣れぬ違和から自分の顔に手を伸ばす。

 先には硬質な手触りがある。当然だ。ラビシュはいま頭部をすっぽり覆う面を被っているのだ。

 

 『ふふーふ。年齢制限のあったのを忘れていたよ』

 

 ラーズがそう言ったのは、昨日の朝だった。出場の登録に出かけたら、そこでラベル・ワンの出場者年齢にラビシュが到達していないことに気がついたらしい。五つ近くも足りていなかった。

 当然、年齢をごまかすことになったのだが、いまだ幼さの残る顔を見られればごまかすのは容易ではない。ということで、急遽ダングスが用意した粋でこじゃれた(ダングス談)仮面をつけることに相成った、というわけだ。

 ちなみに仮面は口を大きく開けた獅子を象った勇壮なものだった。ダングス曰く、相当なイケメン獅子とのことらしいが、ラビシュには分からない。

 暑くて蒸れる面はイヤだったが、いいこともひとつだけあった。観衆の声が、雑音が届きにくいのだ。ただ目の前の敵を倒すことに集中できるという点で、非常によかった。

 

 ―――ここから、十五勝。生き残る。絶対に生き残る。

 

 「俺は、生き残る」

 

 ラビシュがそう言うと同時に、試合開始の鐘が鳴った。


 「ふふーふ。昨日はどうなることかと思ったが、なかなか似合っているな。あの面」

 

 観覧用のやぐらから下を覗いて、ラーズは言った。

 

 「私はもう少しかわいくてもよかった」

 

 応じるシスの声は若干ならず不機嫌だ。ラビシュに被せる面でダングスと少しもめ、結果として負けたのだ。

 

 「ふふー。ラビシュがダングスのを選んだのが不満だったのかい?」

 最終的にふたつの面を差し出されたラビシュが選んだのは、ダングスの出した獅子のほうだった。

 

 ―――まあ、あれでは仕方ないよな。ラビシュも男の子というわけだ。

 

 シスの出したのは、そこらに花柄やリボンの満載されたどこぞの花売りみたいななんとも言えないものだった。ラーズであっても、まず間違いなくダングスのほうを選ぶだろう。

 

 「不満。あんなにかわいかったのに」

 

 嫌がるラビシュにむりやり着けさせたときのことを思い出しているのだろうか。にこやかに笑うシスを横目にラーズはラビシュに同情を禁じえなかった。いくらラビシュが女顔だとしても、男は男だ。好き好んで女用のヘルムなどつけたくもないだろう。それも、あまりに悪趣味で誰もつけたがらないような品なのだ。

 シスに言われていくらか仕入れたものだったが、まったく売れない不良債権だった。正直、ラーズにとっても頭が痛い商品だ。それ以来、たとえ女性をターゲットにした商品であってもシスに助言を求めたことはない。本当にいい教訓だ。

 

 「そんなことより、本当に出してもよかったのかい? ラベル・ワンが公平を期すといっても、一月は速すぎるような気がするけれど」

 

 ラベル・ワンの対戦組み合わせは公平だ。名声や実力に関係なく、その連勝数に応じて対戦相手が決まっていく。一勝もしていないラビシュの場合は、最高でも三連中の相手にしか当たらない。そのシステムを悪用するラベル住まいと呼ばれる連中もいるにはいるが、そんなアホにはめったにあたることはない。

 だが、そうした組み合わせの公平さは時に残酷な運命を用意する。一回戦からグラファ級の人間と当たることだってあるのだ。

 

 ―――ラビシュの場合、それ以前の話だと思うがね。

 

 ラビシュはおよそ戦うことに関して素人だ。ザノバにしても、運と油断を上手く突けば殺せるだろうくらいの相手をラーズが厳選した結果に過ぎない。だが、ラベル・ワンではそうはいかない。運を含んだ完璧な実力勝負。ラーズとしてはまだ二月ほどは出場することはないだろうと思っていたのだが。

 ちらりと横に控えるシスを見る。いつもと変わらない横顔。それはシスがラビシュのことを不安にも思っていないということだ。勝つ、と信じているのかもしれない。それが不思議で仕様がなかった。

 

 「大丈夫」

 

 確信めいた口調でシスが言う。

 

 「ふふー、珍しい。武芸ではとかくうるさい君が。そんなに筋がよかったのかい?」

 

 言いながら、ラーズは嘲った。わずか一月ごときなにか教えを乞うたところで変わるものなどないだろう。これはシスなりの訓練の一種なのかも知れない。早いうちに現実を叩き込んでおこうということだろうか。

 

 ―――シスもなかなかスパルタだ。

 

 「分からない。だから、戦わせる」

 

 だが、返ってきたのはそんなあいまいな返事だった。

 

 「分からない? それはどういう」

 

 ことだ? と問おうとして大きく鐘が鳴った。試合開始の合図だ。

 

 他の観衆と同じように、シスはラーズのことなど気にすることもなく、眼下の試合を食い入るように覗き込む。

 

 ―――まあ、いいか。見終われば、すべて分かるだろう。

 

 そう思ってラーズも視線を動かした。その下では黒い獅子の面を被ったラビシュの体躯が揺れている。

 

 「せいぜい、楽しませてもらうとしよう」


 「ふっ!」 

 

 気合一閃、鐘が鳴るとともにグルックの大剣が上段から振り下ろされる。

 

 ―――迂闊だな。

 

 ただでさえ、重く大きな大剣だ。振り下ろすにもかなりの無駄がある。にも関わらず、グルックの一撃は輪にかけて隙の多いものだった。ラビシュを甘く見たのか。それともよほど頭に血が上っていたのか。どちらか定かではなかったが、ラビシュはその一撃を冷静に受け止めた。

 

 「な、なにっ!」

 

 グルックが驚きの声を上げる。

 ラビシュの練習刀で受け止められたのが、意外だったのだろう。木製の練習刀はぎしぎしと音を立ててはいるが、問題なくグルックの一撃を受け止めていた。

 

 ―――へー、シスの言う通りなんだな。

 

 どれほど大きかろうと、形状が特殊であろうとも剣とは畢竟刃物だ。刃物を刃物として扱うことが剣術の第一歩となる。たしか、そんな意味のことをシスは言っていた。

 大剣というのは扱いが難しい。目いっぱい搭載された鋼は、研ぎ澄まされた刃物ではなく、ほとんどハンマーと同じだ。大剣でものを斬ることは、相当な訓練を経ていないと難しいらしい。

 その点、グルックは明らかに訓練不足だった。ハンマーでもなく、もちろん刃物ではない、ただの鉄の塊を振り回しているに等しい。

 振り回しているのならば、話は簡単だ。勢いそのままにずらしてしまえばいい。

 

 「ふう」

 「ぅおっ!」

 

 グルックの一撃を受け止めていたラビシュの練習刀から急激に力が抜ける。それにつられてグルックの大剣が練習刀の表面を滑り落ち、グルックは前のめりにたたらを踏んだ。

 

 「よっ」

 「あぐぅあ」

 

 ラビシュが返す刀で、グルックの手首を殴打する。グルックの手から大剣が離れ、地へ落ちる。

 この一月、幾度もいくどもシスにやられたことだった。いまだにシスの剣を受け止めることはできなかったが、無意味に振り回される剣であれば、弄ぶくらいには上達していた。

 

 「このチビッ!」

 

 痛みに顔をしかめたグルックが砂を蹴り上げる。粉塵が舞い、ラビシュの視界を覆う。ラビシュは大きく後退した。

 戦闘で油断や過信の次にしてはならぬのは、あて推量で動くことだ。確信があるのならば追い詰めろ。なければ、一歩退け。倒すのではなく、生き残るためならばそれが最善だ。訓練をはじめてまだ一月ではあったが、すでに耳にタコができるほどに聞いた言葉だ。 

 

 「く、くそっ」

 

 ラビシュが突っ込んでくると思って身構えていたグルックが悔しそうな声を上げた。

 

 「ふう」

 

 一度大きく息を吐く。頭の中は冷静だ。己の技量がグルックよりも上にあることをラビシュは自然に理解した。だが、同時に自分にいま足りていないものも知っている。

 決定打に欠けている。一撃でグルックを殺める一撃が足りないのだ。

 いくら攻撃を捌こうと練習刀ではよほど上手くやらねば、人は殺せない。木製のなかでも特に軽い素材なのだ。勢いよく打ったところで、そのダメージは知れている。事実、力いっぱい打ったはずのグルックの腕も、赤く腫れ上がっているだけだ。アレでは折れてすらいないだろう。

 

 「やっぱ、借りとくべきだったか……」

 

 いまさらながらの後悔を口にする。一月前、ラーズから武具を買うなら金を貸すと言われていたのだ。だが、店頭で値段を知るなり、スラム生活のなかで住み着いたラビシュの貧乏性がそれをだめにした。どんなに安くても人を殺すための武具は金貨五十近くするのだ。その後の手入れなどを思えば、借金はどんどんとかさんでいく。なまじ計算ができるがゆえに、ラビシュは武器を手にすることを諦めた。

 その結果が、シスからもらった練習刀と皮の胸当てといういまのラビシュの貧乏ったらしい姿だった。

 

 「どうした? 来ないのか」

 

 グルックはすでに気づいている。

 すでに練習刀の一撃を受けたのだ。その一撃の軽いことは身を持って知っている。

 ラビシュには決定的な一撃がないことを知って、グルックは方針を転換しようというのだ。己の優れている体力を最大限生かせる消耗戦を仕掛けようとしている。時が経てば経つほどに、体力の優れているグルックのほうが有利になる。かといって、闇雲に攻め入っては、ラビシュの少ない体力が底をつく。

 

 「早く戦え! なにやってんだ!」

 

 両者距離をとり、睨みあっていることに業を煮やした観衆が野次を飛ばす。ラベル・ワンの観覧料はなかなかに高い。彼らには文句を言う権利があった。

 

 「来ないなら、こっちからいくぜ!」

 

 言って、グルックが走り出す。その手にはさきほど飛ばされた大剣の代わりに、腰に差していた肉切り包丁が握られている。

 

 「くっ」

 

 グルックの乱雑な攻撃をそらしながら、ラビシュの剣がグルックの体のそちこちを打ちつける。だが、それだけだ。赤く腫れはするが、グルックの足を止める決定打足りえない。

 

 「ちっ、しぶとい!」

 「それは俺様の台詞だ! さっさとへばりやがれっ!」

 

 数分にも及ぶ息をつかせぬ攻防のすべての勝者はラビシュだった。だが、決定的な一撃は一度として入らない。グルックも打たせてよいと思っているのだ。多少の痛みを覚悟すれば、絶対に守らねばならぬ箇所は限られる。そこだけを防ぎながら戦うことは容易だった。

 一方的ではあったが、こと体力の消費においてはラビシュの惨敗だった。

 

 ―――ちくしょう! 攻めてるのにジリ貧だ。なにかがいる。状況を変えるようななにかが!!

 

 そのなにかがなんであるかなど、すでにラビシュは知っている。

 先ほどから視界の端にある。地に落ちた大剣。グルックが先ほどから意図して拾わないその大剣を使えば、話は至極簡単だ。文字通り必殺の一撃をくれてやれる。

 

 「ちっ、あからさまなんだよ!」

 

 大きくラビシュは毒づいた。

 

 「はっ! なにがだ!」

 

 グルックが包丁を振るう。それをいなしながら、再度ラビシュの剣がグルックの手首を打った。だが、弱い。冒頭とは比べものにならない疲労した一撃は、グルックの手から包丁を落すことすらできなかった。

 

 「ははぁ。随分お疲れみたいだな、チビぃ」

 

 勝ち誇った顔をして、グルックが歩みを止める。

 

 「は、なに言ってんだか。ちょうど体があたたまってきたところだ」

 

 そう強気に返したが、ラビシュはあせっていた。


 知らず大剣にちらちらと視線がいってしまう。だが、だめだ。シスより習ったのはいま持っている練習刀のような片手剣だけだ。慣れぬ剣を使えば、すぐにボロが出る。そもそもあんな重い剣をラビシュが扱うのは難しい。使えば最後、それは死への招待状だ。

 グルックもそれを知っている。ゆえに拾わないのだ。人は希望に縋りつく。本当にきつい時、その大半が間違いであると知りながら、もしかしたらという可能性に賭けることが往々にしてある。グルックはそれを知っているのだ。

 決定的な一撃もなく、ただ防ぐだけのジリ貧をどうにかしたい。そう考えるラビシュにとって、大剣が危険な希望と成り得ることをグルックは経験から知っていた。そして、それを握った瞬間がラビシュにとっての終わりだ。

 

 「拾ってもいいんだぜ? ちょっとだけ待っててやるよ」

 

 にやりといやな笑みをグルックは浮かべた。

 

 「はっ、気遣い無用だ。おっさん」

 

 ―――でも、ほんとうやばいな。どうにかしないと。

 

 ラビシュはふたたび上段に構えた。ひどく窮屈だ。一月でなじんできたと思った構えだったが、いまはなぜか違和感が大きくなっていくばかりだ。

 

 『そうじゃねぇだろう』

 

 腹の底からなにかがラビシュを突き上げる。それは、シスとの訓練の時もたびたび感じたものだった。

 剣を握るたび、剣を振るたびに、腹の底でなにかが騒ぐのだ。

 

 『お前の剣は、そうじゃねぇだろう』

 

 シスの教える剣とは異なる剣が自分のなかにある。ラビシュが感じていたのはそれだった。腹の底、それこそ全身からわき上がるように、自身の理想とする体の動かし方、剣の使い方があった。

 

 『お前が使うのは、アレだよ』

 

 そのなにかが先ほどから強く呻きを上げている。グルックの大剣を使えと。それこそがラビシュにあった剣なのだと、腹の底から話しかけてくる。

 

 「そんなことできるかよ」

 

 ラビシュの理性がぎりぎりのところで歯止めをかける。使えば死ぬのだ。ただでさえ疲労した体だ。あの大剣をまともに触れるかすら分からない。やるべきは速さをあげることだ。グルックの守りを突破して、致命傷を与えるほどの速さを保った一撃があれば、事足りる。そのはずだ。

 

 「ふっ!!」

 

 迷いを断ち切るように息を吐き、ラビシュがグルックへ向けて走り出す。

 

 「ちっ」

 

 うんざりしたように舌打ちし、グルックは包丁を振った。ラビシュは身を屈め、ぎりぎりのところで包丁をかわすと、そのままの勢いでグルックのあごを狙って下から突き上げる。

 グボッ、といい音がしてグルックがとっさに守った右手に防がれる。だが、それでもラビシュは止まらない。そのまま体を半回転させ、今度はグルックの左足を薙いだ。軽い一撃だ。だが、ラビシュほどではないが、グルックも疲れはじめていたのだろう。

 

 「うおっ」

 

 という声とともに、ぐらりとグルックの体が傾いた。

 

 ―――ここだ!

 

 グルックの体が傾くと同時に、ラビシュは跳躍し、グルックの肩を踏み台に背後へと体を逆さにして回り込む。そのまま無防備にさらされたグルックの首筋へと力いっぱいの一撃を振り下ろす。

 

 ―――やった!

 

 木製とはいえ、一応は刃だ。首は落ちないまでも尋常ではないダメージがグルックを襲うだろう。そうなれば、あとはどうとでもなる。

 ラビシュは達成感を胸にその一撃の行く末を見守った。

 瞬間、木製の練習刀が音をたてて砕け散る。グルックの首をたしかに捉えたが、その最中、首を守るためにつけられていた鉄製の防具を掠めていた。幾度もグルックの攻撃を受け止めた練習刀は、たったそれだけで、その役目を終えることなく砕けてしまったということらしかった。

 

 「そんなっ」

 

 呆然とした台詞を残しながらも、ラビシュの体は地に着くやいなや大きく後退した。衝撃からいまだ立ち直ってはいなかったが、ラビシュが決定的な危機に陥ったことだけは確かだった。

 

 「おお。痛てぇ、痛てぇ。惜しかったな、チビ」

 

 ゆっくりとグルックがラビシュの方へと向き直る。その顔は凶悪にゆがめられている。

 

 ―――死ぬ。

 

 ラビシュの脳裏をその二文字が高速で駆け巡る。すでに剣はなく、また体力も底をつきかけている。最初の高揚感など露ほどもない。ラビシュは戦慄した。

 

 「はっは、もうちょっと大きくなってから出直してくるべきだったな」

 

 笑いながら、グルックは悠然と身構えた。その姿を見ながら、ラビシュの視界にはまだあの大剣が転がっていた。

 

 ―――いまさら、なんになる!

 

 せりあがってくる後悔をむりやりに押さえ込む。大剣を拾っていればなどという夢想に逃げることは許されない。

 考えろ。生き残る可能性を。ただ必死に、考えろ。自身に言い聞かすように、ラビシュはグルックへと視線を釘付けた。

 だが、いくら入れないようにと思っても、なにかが呻く。

 

 『剣を取れ。生きたいならば、剣を取れ!』

 

 強くつよくうめくのだ。

 くらくらとよろめくように、ラビシュの足が動き出す。もちろん、先には放り出された剣がある。

 

 「ああ? いまさらか。しかたねぇ! しかたねぇなぁ! 拾えよ、チビィ。後悔なく、俺さまがあの世に送ってやるよ!」

 

 グルックが叫ぶように声をあげ、それに応えるようにやぐらの観衆がはやし立てる。どんどこと鳴り響く観衆の足踏みが、響く怒号と重なって、一種の異界を作り出す。それは闘技場、ラベル・ワンがもっとも盛り上がる瞬間―――人の命がなくなるときだ。敏感な観衆たちは知っている。次の瞬間にラビシュかグルックのどちらかが死ぬことを、彼らは肌で感じ取っていた。

 単調な音楽の鳴り響く闘技場の真ん中を、ラビシュはゆらゆらと夢遊病者のように歩いていく。そして、ラビシュの手が転がった大剣に伸ばされたところで、グルックが痺れを切らしたように走り出した。

 

 「これで、三勝目だッ! 死にさらせ!」

 

 肉厚な刃が勢いよく振るわれる。瞬間、ラビシュはその身を空へと上げて、置かれた大剣の柄を思い切り踏みしめた。

 ぐん、と柄の先を支点にいきおいよく大剣が跳ね起きる。その最中、ラビシュが片足で刃の側面を蹴り上げて刃の角度を変えた。平べったい姿をさらしていた大剣は直角に回転し、鋭くとがった刃先が向かってくるグルックの腕をするりと扇形に撫であげる。

 

 「ぐああああっ! あああっ!!」

 

 狂ったような雄たけびを上げ、グルックがひざをつく。さきほどまであったはずの両腕はすっぽり切り落とされ、あたり一面血花が咲いた。

 

 「いてぇ! いてぇえよぉ!!」

 

 だくだくと溢れ出る血を撒き散らしながら、グルックが苦痛を訴える。その様を見下ろしながら、ラビシュは緩慢な動作で大剣を大きく構えた。

 体はすでに剣を支えることで手いっぱいだったが、それでもこの一撃を下ろさぬかぎり終わることはない。生き残るため、ラビシュはいまにも倒れそうな体に鞭打って、剣を支えた。

 

 「俺が、勝者だ」

 

 その一言とともに、(うずくま)り苦悶するグルックに向かって大剣が落ちてくる。ハンマーのように圧倒的な質量を誇る鉄の塊は、けれど見事にグルックの体を真っ二つに引き裂いた。

 

 「うおおおおおおおおおっ!」

 

 瞬間、大地を揺らすかのような歓声が巻き起こる。

 それがラビシュの初勝利の瞬間だった。



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