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少年とかつて少女だったもの2

赤い瞬きとともに、獅子が落ちてきた。地面に落下するや刹那、赤い光が跳ね散った。

 まるで岩場を跳ねる獣のように移動する。

 地に着くたびに赤い光が瞬き消える。ぽっ、ぽっと浮かんでは消えていく。

 

―――下ッ!

 

思うなり、グリアの顎が跳ね上がった。

 

「ぐっ!」

 ―――速いっ!!

 

思うと同時に出た拳は、しかし、当たらない。

 瞬間、横殴りにされた。

 血が飛散する。獣に切り裂かれたように、グリアの頬は裂けていた。

 

「ちぃ……、どこにっ!!」

 

自身の体が垂直に跳ね上がる。かろうじて回避が間に合った。鼻先を赤獅子の踵がかすめていく。

 だが、次の瞬間にはよけたはずの踵が、自身の腹にめり込んでいた。

 

「ぐっ、ふっ!!」

 

空気の塊が、自身の口からもれる。

 と同時に、痛みにゆがむ眼が赤い光を捉えた。

 体をねじる。それでも間に合わず、とっさに左腕を差し出した。

 衝撃が肘を貫く。肋骨まで折れたかと思うほどの衝撃がグリアを襲った。

 もちろん、腕は折れていた。

 

「ぐうぅう」

 

すさまじい痛みが脳髄を駆け巡るが、無理矢理に抑え込んだ。

 いまは一瞬が命取りだった。

 

「ァインスッ!」

 

言葉に応じて、球形のシールドがグリアを包む。

 

―――これで、少しは……。

 

破砕する。灰褐色のグリアの魔力が、音を立てて瓦解する。

 安堵もつけぬ間に、グリアのシールドがひび割れ、破砕した。

 その様をグリアは驚愕を持って受け止めた。

 

「そんなっ、馬鹿な」

 

ばらばらと散え消えていく灰褐色の魔力の先にある圧倒的な赤い光。ちかちかと発光するその光を纏ったラビシュが、グリアを見ていた。

 すでに、その姿は先の少年とは似ても似つかない。あの稲妻―――シャーリ・エストーのように凶悪ではない。だが、圧倒的だった。

 

「あ、あなたは……、一体」

 

動揺を宿したグリアの言葉に、しかしラビシュは答えない。

 獲物を見定める獣のように、ラビシュはグリアを見据えていた。

 黒く変色した獅子頭に覆われてラビシュの顔は拝めない。

 唯一開いた獅子の眼から漏れ出すのは、赤い光だ。ラビシュの纏う闘術の残滓が不気味に揺れていた。

 

―――鬼火のようだ。

 

ぞっと、体中の毛が逆立つのを感じた。グリアはその感覚がなにを指すのか知っていた。

 畏れだ。

 

「ぁああああああっ!!!」

 

瞬間、グリアは雄たけびを上げた。

 そうしなければ、呑まれてしまいそうだった。

 ラビシュが動く。ゆらりと獣じみた挙動で、ラビシュが動いた。

 放った拳が空を切る。

 放った魔力が壁を穿ったが、すでにそこにラビシュの姿はなかった。

 瞬間、首根っこをラビシュに掴まれた。

 グリアの体が持ち上がる。上るたび、首には深くラビシュの手が喰い込んだ。

 鬼火が揺らめている。

 

「くっ、う……。はっ、はな、せっ」

 

ゆらゆらと、ゆらゆらと風に吹かれて鬼火が揺れる。

 赤く燃えるような光の先で、黒い瞳がグリアをのぞいていた。

 それは先と同じ純粋な瞳だ。その瞳に、苦しみもがく自分自身が写り込んでいた。

 

―――なぜ、だ……。

 

先まで蹂躙していたのは、私だ。

 グリアは思考する。

 

「くっ、ふっ」

 

締め上げられ苦し気な息が漏れる。

 それは先ほどまでラビシュがあげていたものだ。

 ぎりぎりと締め上げる力が強まっていく。

 

「がっ、あ」

 

苦しみのあまり、グリアの瞳から涙が一筋零れ落ちた。

 

―――な、泣いている……。私が、泣かされている。

 

黒い瞳に映る自分は、確かに泣いていた。

 いつか、どこかで見たように、苦痛に顔を歪めませて、醜く涙を流している。

 泣くのは弱さだ。

 

「っ、わ、たしばっ……」

 

かろうじて動く右腕でラビシュの手を掴んだ。

 

「………」

 

いくら魔力を注ごうと、ラビシュの手はぴくりとも動かない。

 グリアの爪がラビシュの肉に食い込こんだ。だが、ラビシュは顔色一つ変ず、グリアをさらに締め上げる。

 

「よっわぐっ! などっ!!」

 

ぼこっ、と歪な音が鳴った。

 瞬間、グリアの右腕が爆発した。

 

「ぐぅぅ。あぁあ、ああああっ!!」

 

自身の手に魔力を過剰に収束させ、グリアはラビシュの拘束を振りほどいた。

 

「ああああああっ!!!」

 

咆哮を上げ、グリアが先の無くなった腕を振る。

 鮮血が大気に撒かれ、弾丸のように降り注ぐ。

 

「ぎゃああっ!!」

 

悲鳴が上がり、石片と肉片が空を汚した。

 めちゃくちゃだった。

 自身の血に魔力を注ぎ武器と化したのだ。自身の保身など無視した決死の攻撃だった。

 ラビシュを殺す。ただそのためだけに、ヴォル・グリアは命を懸けていた。

 

「あなただけはっ! あなただけは許せないっ!!」

 

感情のままに、グリアは言葉を継いだ。

 あなた、ではなかった。

 いまのグリアにとって、ラビシュはあなたなどという個人ではなかった。

 過去の自分を犯し、傷つけた人間たちの無数の顔が浮かんで消える。

 

『俺が君を護るよ』

 

たどり着く。何重にも封じ続けた記憶と記憶のシールをはぎ取って、ヴォル・グリアはそこにたどり着いた。

 

―――世界が憎い。

 

このクソッタレな世界が憎い。

 そうではない。そうではないのだ。

 世界がクソッタレなことなど生まれた時から知っていた。生まれ落ちた時から知っていたのだ。

 だから、すべてはそれでよかった。クソッタレなら、そういうものだとあきらめがつくからだ。

 

「世界がクソッタレなのは当たり前……。だから、私は傷つかない、だから、私は悲しまない、たとえ、どんなことがあろうとも、私は傷つかない」

 

けれど、そうではなかった。

 世界はクソッタレなだけじゃない。ときに、気まぐれなやさしさを見せるのだ。

 

―――ほんとうにクソッタレだ。

 

汚水のなかで生まれ、泥にまみれて生きた人間にも。絶望を抱き続けることでしか救われない人間にも。世界は無条件に与えてくれる。

 

「恋、などという……、暴力を与えてくれるっ」

 

恋というのは暴力だ。

 理不尽極まりない世界で一番の暴力だ。勝手に吹き荒れて、過去の自分のすべてを壊す。

 

『強いんだな、君は』

 

「あ、ああ……」

 

漏れる。どこまで封じ込めても、どこまでなかったことにしようとも。

 ふとした時に、こぼれてしまう。

 それは幸いなのか、残酷なのか。

 

『騙していたのか、ぼくを』

 

―――私は騙してなんかいない。そうしないと生きられなかった。

 

「おぞましい。おぞましい。おぞましいっ」

 

愛など知らなければ。憧れることを知らなければ―――

 

『僕に触れるな! そんな手で僕に触れるなっ!!』

 

―――傷つくことなどなかったというのに。

 

消えたいと。

 自分の生きてきたすべてを消してしまいたいなど、決して思わなかったはずなのに。

 

「私は、そうすることでしか生きられなかったっ!!!

不快ではなかったかっ、だとっ!! イヤではないのか、だとっ!!!

感情など意味がないっ!!! 私は、そうしなければ生きられなかったんだっ!!!」

 

とめどなくあふれる激情を引き金にグリアは魔力を爆発させた。

 術式など完全に無視した暴風のような魔力の奔流を巻き起こす。グリアの心象と同じ、灰褐色の魔力が吹き荒れる。

 がらがらと建物が街が朽ち落ち、人が潰され死んでいく。

 

―――傷つけられ、泣くしかなった。

 

だから、グリアは強さを求めた。

 もう二度と、誰も頼らないでいいように力を求めたのだ。

 自身の傷ついた心をそのまま放置して、グリアはひたすら強さだけを求めた。

 口調も、態度も変えた。もちろん、涙などもう流さなかった。

 

―――私は死ぬのでしょう。

 

それはいい。もういいのだ。

 だが、アイツは。アイツラは殺さなければならない。

 偽善者面して、私たちを苦しめるアイツラは殺さなければならない。

 

―――あの少女は、まだ間に合うのだから。

 

恋をする前であれば、恋をする前でさえあれば、間に合うのだ。

 そう心を決めて、ヴォル・グリアは懐から一包の粉を取り出した。

 なかにあるのは、青い粉。それを口へと含む。ざらりとした粉末特有の感触が喉を覆い、そしてすぐさま消えていく。

 グリアの口内の熱に溶かされ気化した煙が、口から漏れた。

 

「私のすべてをかけて、あなたを殺します!」

 

失った腕の代わりに、魔力の手が生える。

 先よりも硬く、そして不気味な青色の腕だ。

 

―――再生した? 一体どういう類の薬だ?

 

ラビシュは思考する。

 失った腕を生やすなど、正直想像できない範囲のことだった。腕のいい治癒師でも、失われたものを再生させるなど不可能な話だ。

 不可思議とともに、警戒がラビシュに生まれた。

 

「ぁあああああっ!!!」

 

咆哮とともに、グリアの放った石弾と魔弾が飛来する。

 圧倒的な物量で、グリアはラビシュを近づけさせない。ただただ降り注ぐ弾丸と、時折突っ込んでくるグリアを防ぐことで手いっぱいだった。


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