嫌悪よりも、罪悪よりも
「ちっ」
軽い舌打ちのあと、シャーリ・エストーはその場に乱暴に腰を下ろした。胡坐の片膝を叩く指先だけが、そのいら立ちを教えてくれる。
眼下では、未だグリアによるラビシュへの蹂躙が続いている。
だが、すでにシャーリに先ほどまでの気分はない。ラビシュとグリアの闘いは続いているのだ。その結果は未だ見えていない。時間はすでに過ぎているが、元より方便だ。重要なのは、ラビシュがまだ負けていないという事実であり、その中で、シャーリが横やりを出すことは憚られることだった。
「だから、言ったろう?」
勝ち誇るようにラーズが言った。
「アレが赤獅子の闘いだ」
喜々とした表情でジゼット・ポゥが言葉を継いだ。ヴォル・グリアのボスという立場からはおかしな発言だったが、剣闘狂いとしては正しい反応だった。
「赤獅子はイイ。見ろよ、あの姿を。たまらねぇ、たまらねぇなぁ……」
「チッ」
ジゼットの歓喜に続くのは、シャーリの舌打ちだ。
―――これじゃあ、俺の出番はなさそうだ。
眼下の闘いの意味はすでに変わっている。
生死ではない。ラビシュの心をグリアが砕けるか。つまりはそういう闘いだ。
「あれ、もういいのかい?」
立ち上がったシャーリの背に、ラーズが問う。
―――白々しいやつだ。
いらだちとともに、そんな感想が浮かんでくる。
ラーズには分かっているはずだ。意味が変質した今、ラビシュがグリアに負けるはずなどない。ラビシュがグリアに心砕かれることなどないからだ。
「オレの出番はもうないだろ」
「おや? ほんとうにそう思うかい?」
「なにを言ってやがる? ラビシュがたかが暴力ごときで心折れるタマかよ」
「暴力、だけならそうだろうね」
「なに?」
「言ったろう? 存分に暴れさせてあげるとさ。ボクは商人だ、ウソはつかない」
いつものように、ヘラヘラとラーズが口にする。
それは眼下の闘いがまだ終わっていないということだ。
視線をずらせば、先ほどまで喜色を浮かべていたジゼット・ポウの顔がある。どこまでも冷酷に、けれどたぎる情熱を内に込めて、シャーリを見ている。
その顔は、シャーリもよく憶えのあるものだった。
ほの暗い期待に満ちたクソッタレな悪党の顔だ。変態が己の嗜好を満たそうとするときのえげつない顔に相違なかった。
けれど、嫌悪は抱かない。
おそらく取られる手段は最悪で、ラビシュは大きく傷つくのだろう。
それは可哀想だ。ひどく、可哀想だ。
けれど、罪悪感は抱かない。
―――悪いな、ラビシュ。
嫌悪よりも、罪悪よりも、期待が勝る。
ラーズの用意する舞台への、己の力を存分に振るうことのできる舞台への、熱情だけが燃え上がる。
「それは……楽しみだ」
そこに赤髪の伶人の姿はない。先よりも高く、激しく、闘いに焦がれた獣の相貌があるだけだった。