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子どものあり方

視線を挙げる暇もなく、ラビシュは空を飛んでいた。

 

 「ぁ……ああ?」

 

 浮かんだのは不可解だった。

 

 ―――殴られた? どこから、どこを、下だ。上から来たのに! 下から殴られた!!

 

 「不可解ですか? 理解できませんか?」

 

 喜々とした声が鳴る。

 

 「くっ」

 

 ラビシュは声のした後方へ首を回した。同時に腕を回して体をひねる。

 見えてはいなかったが、声のした方から攻撃がくると思ったからだ。

 

 ―――まともに受けるのだけはっ!

 

 「なにをしているのです? 私はこちらです」

 「がぁあっ!」

 

 後方―――さきほどまでラビシュが向いていた方向から思い切り殴打され、地へと叩きつけられた。

 

 「なっ」

 

 ―――なぜだ。声は確かに後ろからしたのに!

 

 「捕まえましたよ。やはり、というか、なんというか。

五分は十分過ぎる時間でしたね」

 

 多量に上がった粉塵のなか、声とともに、自身の腹に誰かが乗った感触がラビシュの精神を支配した。手もすでにがっちりと押さえつけられている。

 

 ―――捕まった。

 

 思うより早く、顔面を打撃された。

 

 「主が望んでいますから。殺すことはしませんが。それでも教えて。やることは。重要でしょう。私とあなたの関係を。あなたと主の関係を。弱さを。教えてやるべきでしょう」

 

 上に乗ったグリアの言葉が切れるたび、打撃が加えられる。一撃、二撃、三撃と絶え間なく、振り上げられては拳が落ちる。

 当初こそ上がったラビシュの嗚咽も、いまはない。

 

 「おや、この程度で気を失いかけているのですか? 情けない、情けない子どもですね。男の子でしょう? もっと我慢したら、どうなのです?」

 

 「う。ボま、え……」

 

 視界は暗く、鉄の味しかしない。殴られ、折られた鼻に多量の血が詰まって、息苦しくて仕方ない。これなら気絶した方が楽だろう。

 それでもラビシュは言葉を継いだ。

 そうすることが、いま意識を失わないようにする最善だからだ。意識を失えば、自分はたやすく殺されるだろう。それがいま最も恐ろしかった。

 

 「なんです? 話せないのですか? 痛くて喋れないのですか?」

 言って、グリアは頭を鷲掴みにして持ち上げた。その声はかすかに興奮しているようだった。

 

 ―――痛みはいい。

 

 「痛みバ、いい……」

 「度し難い。なんと、度し難い子どもでしょうか。痛みがいいなんて、とんだマゾ野郎ですね」

 「まだ、痛みバいい。死んでない、死んでないことを、教えデぐれっがら」

 「むかつきますね」

 

 さも不快そうに、ヴォル・グリアは吐き捨てた。

 

 「むかつきますよ。このような子どもが、痛みではなく、死を怖がっていることが……。死の恐ろしさを理解していることは、ほんとうにむかつきますね」

 

 ―――あ、あたたかい……。これは、治癒の……。

 

 感じるあたたかさとともにラビシュの視界が広がっていく。鼻孔を支配していた血の匂いも消え去って、ラビシュはようやく敵の姿を認めた。

 淡い茶色の短髪に、中性的な顔を讃えた人物だった。片耳についた金の鎖が印象的だ。高貴で清浄なその姿からは、とてもフィッタ・フィーロの一員とは思えなかった。

 ヴォル・ボールと同じく、黒い団服を身に付け、手にはナックルがつけられている。そこから垂れる赤い血と白い肌を濡らす返り血だけが、ラビシュに無慈悲に拳を振り続けた人物であることを示していた。

 

 「……なんで?」

 

 問う。すでに傷はほとんど塞がっていた。

 

 「なんです、その顔は?

―――まさか、私があなたを助けたと? そんな風に思っていますか?」

 

 不快そうに眉根を寄せたまま、グリアはラビシュを地へと放り出す。

 

 「私はヴォル・グリア。―――あなたを蹂躙します」

 

 言って、グリアの肩が動くのをラビシュは見た。

 瞬間、息が詰まった。

 

 「がっ、ぁ……」

 「私、子ども、結構好きなんですよ」

 

 深々とラビシュの鳩尾につま先をぶちこんだまま、グリアは言う。

 

 「子どもは、素直ですからね。痛みに弱く、甘言に弱い。肉体的にも精神的にも脆弱なんて……。ああ、なんて保護欲をそそられる存在なんでしょう」

 

 下がった顔を蹴り上げ、髪を掴んでラビシュの面を上げ、また地面へと叩きつける。それを幾度も幾度も繰り返す。

 振りほどくどころか、声を上げることすらできやしない。

 

 「どこへいくのです?」

 

 逃げようとして、けれどあっさりと掴まれる。そのまま高く持ち上げられた。

 たった片手で、それも女の細腕だというのに、動けないどころか、窒息しそうなほどくるしかった。


「ぎ、あっ」 


 殴ろうとして防がれ、蹴ろうとして脛を殴打される。もがいても、もがいても、ラビシュは逃れることができなかった。

 抗うことのできない暴力。

 ここまで蹂躙されたのは、思えば、久方ぶりのことだった。

 

 「あなたのことは、主に誘われて何度か見ました。反吐が出ましたね。なんです、あの姿勢は? まったく子どもらしくない。その挙句が、『痛みはいい』ですか? ほんとうに不愉快です。むかつきますよ。

 子どもは守られるべきものなんです。保護されるべき対象でしょう? 

 私たち大人におびえ、いつも顔色をうかがいながら、理不尽な暴力におびえ、ぶるぶると震えているのが正しい姿なのです。だから、あなたはまったく子どもらしくありません。甘えなさい、もっと大人に」

 

 「がっ、あっ!」

 

 グリアが連続して、ラビシュの頬をはたきあげた。

 

 「だから。私が。教えて。あげます。正しい。子どもの。姿というものを。お仕置きの。痛みに。おびえ。恐れる。正しい。姿に。そして。それを知って。甘えなさい。甘えと知りなさい。そのために。そのときだけ。私は。失った母性を。取り戻せるのですからっ!!」

 

 「ちょ、ちょっと! あーた、ラビシュに何してんのよ!」

 

 びしゃびしゃとラビシュの頬を打つ音が連続する中、ダングスが怒鳴った。

 倒れたボールの体の横で、がちがちと音を立て吠えるその内容はすべて、グリアを口汚く罵る言葉だ。

 

 「うるさいですね。武器のくせに、よく喋る」

 

 言いながら、ラビシュを乱暴に引きずって、グリアはダングスを拾い上げた。

 

 「ぎゃああっ! 触るんじゃないわよっ!! この暴力女。さっさとラビシュもあーしも解放しなさいよっ!!!」

 

 無造作に叩き割ろうとして、グリアは首をひねった。天才殺人武器職人タリク・ペイズリー謹製のダングスは、容易に割れなかったのだろう。

 

 「ふむ。折れはしませんか。

―――面倒ですね。埋めてしまいましょう」

 

 折ろうとしてあきらめ、グリアはダングスを地へと突き刺した。

 

 「ちょっと、あーた!! あーしに何すんのよ」

 「私はいまお仕置きの最中なので、あなたのようにうるさい女の相手をしている暇などありません。埋まっていなさい」

 

 ずぶりと、グリアが突き刺したダングスを殴打するたびに、深く地へとはまっていく。

 

 「あ、ああっ!! 柄が、あーしの美しい柄がひしゃげてっ!!!」

 

 たった五発でダングスが、ひしゃげた柄を残して地に呑まれた。アレでは、ラビシュの力では引抜くことはできないだろう。

 

 「さて……」

 

 ―――こいつは、こいつはなんだ。

 

 ラビシュは気圧された。

 自身を翻弄する強さに、ではない。

 

 「それでは気を取り直して、はじめるとしましょう。

ラビシュ、私があなたをただの子どもに戻してあげましょう」

 

 自身の理解できない彼女のあり方に、恐怖したのだ。

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