生贄の羊
視界が赤く、黒い。
そのなかでラビシュはじっと待っていた。
唸るような炎と煙の乱流のなかで、ラビシュはただその一瞬を待っていた。
すでに、ダングスによる解析が終った。ヴォル・ボールの種は理解済みだ。
人の身で何故それができるのかは分からない。だが、ボールの種は簡単だ。自身の複製を作りだすこと。正確には自身の魔力を分割して複製体をつくることだ。
斬撃をきっかけに分裂する。ゆえに打撃は効くし、魔術もそうだ。
だが、ラビシュの打撃に倒せるほどの力はない。魔力の操作が下手で離れ業の魔術は使えない。ダングスの力を借りたとして、精々が身に纏うくらいのものだ。
「いーい、ラビシュ。ようはまとまる瞬間を狙うのよ。それが、本体なんだから」
すべてを考察してダングスが出した答えはシンプルだ。
「このまま爆発が続いても、決定的ではないわ。だから、絶対、致命傷を与える一撃が必要になる。その瞬間はすべての魔力を注ぐから、分裂体も空けつになって動きが止まる。あとはその一撃に対して痛烈なカウンターを本体に返せばいいってわけ」
「言うのは簡単だけどな……」
相手の必殺の一撃をいなして隙だらけな所を一撃でほふる。言葉にすれば簡単だ。
だが、ラビシュは言い淀んだ。
確実にできる自信がなかったのだ。ボールの雷撃の速度は把握している。おそらく、ぎりぎりの勝負になるのだろう。半歩踏み込みが、少しでも制御がうまくいかなければ、きっとうまくいかない。
―――それに、罠だとしたら……。
「できなきゃ、死ぬわよ」
「―――っ」
ラビシュの臆病を察したように、ダングスが叱咤する。
硬質な有無を言わさぬ響きがあったが、事実だ。
このまま手をこまねていれば、あとはただやられるだけなのだ。
「やらなきゃ、あーたは死ぬわ」
「……そうだな」
ラビシュは、深く息を吐きだした。
爆炎上るその中央で、静かに力をためていく。
待つのは、たった一瞬。ヴォル・ボールがとどめを刺そうとする一瞬だけだ。
空気のはじける音がした。
―――来た。
ラビシュは思った。赤く、ボールに見えないように闘術を練り上げる。小さく、けれど高密度な収束だ。圧縮といった方がいいかもしれない。
と、同時にダングスが自身へと魔術をかけていく。一撃で確実に決するために、自身を鋭く、そして何よりも察知させにくくするために、ダングスは魔術をかけた。
「さあ、終りだ」
パリリ、と白光が音立て、ボールは言う。
爆炎のなかで、揺れ落ちるラビシュの姿を見たからだろう。それは来るべき時のために、ラビシュが腰を落としたからだが―――ボールには膝が折れ、よろめいた決定的な瞬間に見えた。
すでに、その顔は勝利に満ちていた。
魔力が急速に集まって、分裂体から生気が抜ける。存在が薄れ、風となった。
彼方にいるボールの腕先に魔力が集まり、凝固する。
「今っ!」
短く発されたダングスの言葉をスイッチに、ラビシュの体が赤い光に包まれる。
集まるのは、ただ一点。これから投てきされるダングスの刀身だ。
つま先から生まれた光が、膝をかけ、背を通り、肩へと至り、指先から柄を走っていく。
投てきされた剣は、赤い一筋の矢となって、雷撃を裂き貫いて、ボールの首を断ち切った。
「……やったか」
くるりと宙を舞う首と吹き上がる血を見、ラビシュは言った。
「ええ、あなたは見事やりました」
「な……」
突如の言葉は上から降ってきた。
「見事。ゆえにお仕置きの時間です」