生贄の羊
ヴォル・ボールは前を見た。
眼前、罠にかかったラビシュの姿がある。
ラビシュの咄嗟の斬撃によって引き起こされた分裂体の連続爆破。それを必死に防ぐラビシュの姿を見据え、ヴォルは深く笑んだ。
地力では勝っていなかっただろう。
対等な勝負では相手にならなかったはずだ。
―――だが、現実はどうだ?
いま、強者であるはずの赤獅子は、ヴォルの手の中で踊っているにも等しい。
「た、たまらねぇ、たまらねぇなぁ」
思わず快楽の言葉が漏れ出した。
ヴォルがフィッタ・フィーロの一員になったのは、この快楽の為だけだ。自身より強いもの、おごれるものを、欺き、屈服させる。
そのためだけに、彼は自分の半分も売り払ったのだ。
強き者が落ちていくさまが。絶望するさまが。『なぜだ』と驚愕する顔が。ありえない死を直視せざるを得ないときの顔が、たまらない愉悦だった。
―――それこそ、愛おしさすら感じるほどのものだ。
破裂した分裂体に与えていた魔力が急速に自身へと戻って来る。
そのまま、火を練り、風を巻く。二つの異なる魔力が大気に溶けて、速度と威力を持った雷撃へと化けていく。
パリパリと空気が音を立て、漏れた電気が青白く光り空に道を描いていく。
「さあ、終わりだ」
一言、それだけ告げて―――次瞬、ヴォル・ボールの首が宙を飛んだ。
◇
くるりと首が飛び、次に血しぶきが間欠泉のようにのぼった。
「な、なにが」
思わず声を上げたのは、ヴォル・グリアだ。
彼女は見ていたはずだ。
連続する爆発のなか、赤獅子へとのびる一筋の雷撃を、たしかに見ていたはずだった。
「へぇ、ラビシュも本気かぁ」
のほほんとした口調で、ラーズが言う。
そこにグリアのような驚きはまったくなかった。想定内、なのだろう。
―――本体がやられている。アレでは本当に死んでしまった。
グリアは思う。
思うのはふたつの事だ。
ボールの死。それがひとつ。
そして、もうひとつは、この事態をどうするかということだ。
彼女のボス、ジゼットの望みはひとつ。ラビシュこと赤獅子を追い込むことだ。追い込んで、追い込んで、その先でジゼットの願いを通す。
―――ボスのためには……。
刹那の逡巡を経て、グリアは結論へと至った。
フィッタ・フィーロの一員なのだ。どうあったとしても取るべき手段は決まっているのだ。
―――決まっている。だが、……。
自然、視線が動く。
自身の横で薄ら笑いを浮かべているであろう、獣とその飼い主を、グリアは見た。
「ふふーふ。……五分、買うかい?」
「買おう」
笑うラーズに向けて、グリアは金貨を放り投げ、そのまま下へと落ちていく。
「頑張るといい。五分後には稲妻が降る予定だ」
―――十分だ……。
不吉な予言を背に、グリアは術式を展開した。