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作為と錯誤の海に② ――商談――

 

 「約束。ふふーふ、そうだった。そうだったね」


 薄ら笑いのまま、ラーズは言った。その様がラビシュを少し不安にさせる。

 

 「守れよ」

 

 ラビシュはそう念を押した。いまさらではあったが、約束を反古にされる可能性もあったことに気がついた。

 

 「言われるまでもないさ。商人っていうのは信用が一番だからね。約束は守るよ」

 

 なにが面白いのか、ラーズはひどくにやついたまま、ラビシュに応じた。

 

 「ほんとうか?」

 「ほんとうさ。信用ないなぁ」

 

 言って、ラーズは苦笑した。

 

 「そんなの当たり前だろ」

 「まあ、それもそうだ。シス、頼む」

 「はい」

 

 シスの応じる声と同時に、真っ二つになった首輪のひとつが地面に落ちた。

 視えなかったが、シスが斬ったのだということだけは分かった。

 

 「な……」

 「首輪は取れた。これで君は自由だ。

ふふーふ、ぼくは約束を守る男だったろう?」

 

 にこやかに、そしてなぜか自慢げにラーズが言う。

 

 「ふ、ふざけんな! 殺す気かっ!」

 「私はその程度ミスしない」

 

 ラビシュとしてはラーズに文句を言ったつもりだったのだが、シスは自分の技量を疑われたと思ったのだろう。少し不満げにシスが言った。

 

 「……あんたに言ったんじゃ、ない」

 

 シスのほうを見ることもなく、ラビシュは呟いた。直接シスになにか言うのは、なぜか気恥ずかしかった。

 

 「ふふーふ。しかし、思い切ったな。ぼくも多くの子どもをここに送り込んできたけれど、首輪を使うのははじめて見たよ。死ぬのが怖くなかったのかい?」

 

 薄ら笑いを浮かべ、ラーズは聞いた。

 やはりラビシュを買った目的は、最初からここにあったということだ。後に聞いたところによると『カドワカシ』という貧民街特有の仕事らしい。ラーズはその道から商人として成り上がったということだ。

 

 「怖いに決まってんだろう。あんた、馬鹿なのか?」

 

 だが、いまさら文句を言ってもはじまらない。ラーズという男が最低な奴だということはすでに知っている。ラビシュはただ事実だけを口にした。

 

 「ふふー、ふふふ。これはいい買い物だったかもしれないな」

 「―――?」

 「ラビシュ。どこか行くあてはあるのかい?」

 「な……」

 

 ない、と言いかけてラビシュは言葉を呑んだ。言ったが最後、ラーズがなにかを仕掛けてくるのではないかと思ったからだ。

 

 「ないのか。ふふーふ、それは好都合だ」

 「ないなんてだれも言ってないだろ!」


 図星ではあったが、ラビシュは否定した。素直に認めることは負けたようでいやだった。


 「親はいるのか?」

 

 ラビシュの否定など聞きもせず、ラーズは聞いた。ラビシュは黙って聞き流す。親はいる。生まれているのだから、きっといるのだろう。当然だ。だが、誰が親なのか。それがラビシュには分からない。生まれたときより孤児だった。

 

 「……」

 「家は?」

 

 二年も前に逃げ出した修道院は家だったのだろうか? 生まれてから逃げるまでずっとあそこにいたが、毎日が地獄のようで早く出たくて仕方なかった。

 クソッタレな思い出だ。

 

 「…………」

 「仕事は? 食べるものは? 仲間は?」

 

 矢継ぎ早にラーズは聞いた。聞くほどにラーズの笑みが深くなる。 

 

 「ねぇよ! 分かってるのに聞いてくるんじゃねぇ!」

 

 無言を貫いていたラビシュだったが、ついに耐え切れず叫びをあげた。

 

 「だろうね。ふふーふ。ま、どちらにしても君はぼくから離れられない」

 

 得々としてラーズは頷いた。

 

 ―――なんて性悪なんだ、こいつ!

 

 ラビシュは心中で毒づいた。だが口にしたのはべつのことだった。

 さきほどラーズが言った『離れられない』という言葉が気になったのだ。

 

 「なんで離れられないんだ。もう俺は自由だろう」

 「おや、気づいてなかったのかい?」

 

 意外そうにラーズが聞いた。

 

 「……手が治ってる。足も痛くない」

 

 手のひらを見、次いで毛布をはいでラビシュは自身の足を見た。

 痛みがしなかったため逆に気づかなかったが、ラビシュの傷ついた手足はすっかりきれいになっている。

 

 「ふふーふ、感謝してくれよ。足はただの打撲だったが、手はひどかったんだぜ。腕のいい治癒師を探すのは大変だったよ」

 

 「それは……。っ……ありが」

 

 嫌そうに眉をしかめながらも、ラビシュはお礼の言葉を口にする。たとえイヤなやつであったとしても、救われれば礼を言う。ラビシュはそういう点ではまだスレていない子どもだった。

 

 「礼はいらない。どうせ君が払うんだ」

 

 ラビシュの言葉を遮って、ラーズは言った。逆にラビシュが礼を言おうとしたことに少し驚いているようだった。

 

 「なんだと?」

 

 信じられないものを見た顔をして、ラビシュはラーズに聞き返した。

 

 「なんだい、その顔は。当然だろう? 治癒を必要としたのはぼくじゃない。君だ。諸々の経費を含め、しめて二十万ゴルドー。金貨にして二百枚だ」

 「に、二百っ!」

 

 あまりの額に、ラビシュは上ずった声を上げた。

 ゴルドーは首都で最近流行りだした通貨の名前だ。ラビシュには耳慣れないものだったが、金貨二百枚は違う。同じく聞きなれないものだったが、それは非現実的なものとしての聞き慣れなさだった。

 

 ―――金貨二百あれば、いったいなにができるのだ?

 

 そうラビシュは思ったが、実際はそれほどの多額ではない。ゴードの四人家族の中流家庭が、二年ほど暮らすうちに使う額だ。だが、それはあくまでも中流の話だ。ラビシュは金貨の十分の一の価値もない銀貨二枚の最底辺のお命だ。それを思えば、金貨二百枚は余りある大金に違いない。

 そしてなにより金貨二百枚もの借金を返すあてなど、それこそ強盗くらいしかラビシュには思いつかなかった。

 

 「ふふーふ。当然、ぼくが立て替えた。端数はサービス。その上、特別に利子もなしだ。優しいだろう?」

 「ふざけんなっ! 俺は治癒なんて頼んでない。あんたが勝手に呼んだんじゃないか!」

 

 ラビシュは激昂した。先ほどの感謝など露ほどもない激しい口調で罵った。

 だが、それも当然かもしれない。起きるなり、一生かかっても返せる見込みのない借金を背負わされていたのだ。だれでも驚き、怒るだろう。

 

 「おいおい、そんなこと言ったら君が悪いんだぜ? 怪我なんてしなけりゃよかったんだ。ぼくは感謝されこそすれ、恨まれる覚えはないよ」

 

 心外だ、とでも言わんばかりにラーズは頭を左右に振った。

 

 「感謝? 勝手に借金こさえられて感謝しろってのか?」

 

 まるで馬鹿にするように、ラビシュは言った。いまだ借金を背負ったのだという現実感は乏しかった。

 

 「君の手やばかったんだぜ。指なんてついてるのがやっとのぷらんぷらん。ひどい有様だった。放っておけば、確実に指は残らなかったね。そんな状態で生きていけるかどうか……君なら言う必要はないと思うが?」

 「ぐ、……くそっ!」

 

 ラビシュはそう言って歯噛みした。

 ラーズの言うことはもっともだ。怪我だって、本当にそんな状態だったのかもしれない。仮にそうではないとしても、怪我が治っているのは事実だ。その上、ラビシュは治癒師への正当な支払額が分からない。反論しようにもどうすることもできず、ラビシュは口をつぐむことしかできなかった。

 

 「ふふーふ。さて、ここで商談といこう」

 

 さも楽しそうにラーズが言う。

 その口調、浮かべた薄ら笑いがラビシュの怒りを刺激した。だが、怒りまかせに殴りかかることなどラビシュはしない。どうせシスに止められて終わるのだ。

 結果、積もった怒りや不満は投げ出すという行為で現れた。

 

 「知るかっ! どうせ奴隷に逆戻りだろう! 勝手にしろ」

 

 言って、ラビシュはその身を反転させた。それはラーズに向けてのささやかな反抗であり、明確な拒絶だった。

 

 「………………はぁ」

 

 向けられたラビシュの小さな背中を見ていたラーズが、大きくため息をついた。

 

 ―――ため息をつきたいのは、こっちのほうだ。

 

 そんなことを思いながら、ラビシュは少し首を回して、ラーズの様子を窺った。

 ラーズの言うように、借金のあるラビシュとその貸主であるラーズの関係は切れないのだ。ゆえに、ラビシュの背を向けるという行動は子どもじみた反抗にすぎない。ラビシュもそれを知っている。ラーズはなんだかんだラビシュを同等に扱ってくれている。そんな大人に出会ったのははじめてだった。だから、それゆえの甘えがこの時のラビシュにはあった。


 もしかしたら、同情してくれるのではないか。ラビシュは不覚にもそう思ったのだ。


 だが、ラビシュのそのあまい思惑も、ラーズの顔を見た瞬間に霧散する。


 先ほどまでの薄ら笑いなどどこにもない。まるで路傍のゴミを見るかのように、冷え切った目をしてラーズはそこに立っていた。

 

 ―――え?

 

 ラビシュは困惑した。

 だが、そのラビシュの困惑など気にもせず、ラーズは口を開く。その内容は、ラビシュのあまさを砕くに十二分なものだった。

 

 「ぼくは、すっかり君に失望した。この商談はなしだ。君への借金は金貨二百枚。と言っても、払うあてはないだろう? 君は顔はなかなかいいからね。そっちの人に売るとしよう。それでも足りないが仕方ない。ぼくの商人としての勘が間違えていたということだ。うん、いい勉強になった。ちと高い授業料だったが仕方ない。長く商人をやっていれば、こういうこともあるものさ」

 

 低くなんの感情も感じさせることもなく、早口にラーズはそうまくしたてた。もうお前と話す気はない。その態度は言外にそう感じさせるに十分だった。

 

 「え、……待て、待てよ」

 

 慌てて、ラビシュは口にした。知らず、声は震えている。

 

 ―――自分は決定的な間違いを犯した。

 

 いったいなにが悪かったのか分からない。だが、自分がいま危機的状況に陥ったことだけは、はっきりラビシュにも感じ取れた。

 

 「ああ、この部屋からすぐ出て行ってくれるかい? ここはぼくが借りた部屋なんだ。商談相手にもならない君はいらない」

 

 取りつく島もない。ラーズは辟易とした態度で、部屋のドアを指差した。

 

 「待て、待ってくれ。……頼む、待って下さい」

 

 寝ていたベッドから跳ね起きて、ラビシュは地へと額づいた。プライドなどない。いまこの場で放逐されれば、死んだほうがマシだったと思うようなことの後、死ぬことになるのだ。はっきりとラビシュの運命はラーズの手のひらの中にある。やっと、その事実にラビシュは気がついた。

 

 「いまの君に価値はない。ザノバを殺したときはよかった。必死だった。生きるためにどうすればいいのか必死に考えて、それだけを思ってすべてをかけた。ぼくが欲しいと思ったのは、その君だ」

 

 面倒そうに言って、ラーズは下げられているラビシュの頭を上から踏んだ。

 

 「ぐっ」

 

 地に頭を打ちつけ、ラビシュの口から苦痛がもれる。それでもラビシュはなにも言わなかった。いま、どうにかしなければ死ぬのだ。死ぬくらいならば、プライドなど、体裁など犬に食わせても痛くはない。

 

 「いまの君はいらないよ」

 

 すげなくラーズはそう言った。先ほどとなにも変わらない何の興味もない声だ。いま顔を上げれば、先ほどと変わらないラーズの顔に会えるだろう。

 

 「お願いします。もう一度、もう一度だけ、俺に機会をください」

 

 踏みつけられながらもラビシュは言葉を繰り返した。いまはそうするほかに道はない。ただラビシュの垂れる気まぐれに縋るしか道はないのだ。

 

 「いまも惨めだが、さっきのは最悪だった。君は生きる権利を、生き続ける意志を放棄したんだ。がっかりした。ぼくはがっかりしたよ」

 

 ラビシュの拗ねた態度をラーズはそう評した。借金があるとはいえ、生きているのだ。それも相手からなにか条件を出そうとしているときだった。有体に言えば、助かる可能性をラビシュは聞きもせずに放棄したのだ。


 ラビシュも頭を下げながら、それを悔いた。生死を分けるのが、たったひとつの偶然ということもある。ザノバの一撃がもう少し重かったら? 首輪がもう少し薄かったら? ラビシュはここにいない。ラビシュがいまここにいるのは、その偶然をひきつけたからに他ならない。

 なのに、自分は手を抜いたのだ。一瞬でも生きることを放棄したのだ。その事実にラビシュは辟易とした。

 

 「お願いします。もう一度機会を! ラーズさん」

 「……さん、かぁ」

 「ラーズ様っ!」

 

 間髪入れず、ラビシュは言った。その言葉をラーズは満足そうに受け取った。 

 

 「ふふーふ。まあ、間違いは誰にでもある。いいよ、許そう」

 

 ふっ、と頭の上に乗っかっていたラーズが足がどけられる。

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 恐る恐るラビシュは顔を上げた。その先には薄ら笑いをうかべたラーズの顔があった。

 

 「ふふーふ。それで、いくらで買う?」

 「……なにを」

 

 突然の言葉に、ラビシュは問い返す。控えめな、怯えているような声だった。

 

 「商談の機会さ。勝利の女神は通り過ぎたら掴めない。それを呼び戻そうというんだぜ? それ相応の対価がいるのは当然だ。そしてぼくは商人だ。となれば、金を積むしかないだろう?」

 「そ、それは……」

 

 ラビシュは言い淀んだが、ラーズの主張はもっともだ。一度過ぎ去ったものは、容易に戻ることなどない。なにか代償なしに戻ることなどないのだ。

 

 「さあ、いくらで買うんだい?」

 「う、うう……」

 

 ―――いくらだ? いくらならばラーズは売る?

 

 ラビシュは逡巡した。己の命の価値を決めろ。ラーズの言うのはそういうことだ。自身の命に値段などつけられない。だが、値を言わなければこの窮地は脱せない。そして値段を言えば最後、現実に返していかねばならないだろう。

 

 ―――どうすればいい。

 

 実際返すのだと思えば、安く見積もるべきだ。そうでなければ意味がない。だが、その額がラーズの希望に届かなければ? ―――簡単だ。ここでラビシュは終わり。そういうことだ。

 

 「さあ、いくらだ?」

 

 ラビシュの葛藤を見透かすように、実に楽しそうにラーズが聞いた。決める時間すら、いまはラーズの手の中だ。

 

 ―――後のことなんて知るか。俺はいま、生き残るんだ。

 

 「い」「い?」

 「……言い値で」

 

 震える声で、ラビシュは自身の値段を口にした。

 その答えはともすれば、さきほどと同じように、自身の命を放棄したと勘違いされてもおかしくはないものだった。

 

 「ふ、ふふ。ふふーふ。なるほど、なるほど。言い値か……。

君が商人だったら、相手に値段をつける権利を与えるなんて許せるものじゃないが……。ここでは君自身が商品だ。ぼくが君をいくらで買うつもりか。そういう風にも受け取れる」

 

 ラーズは言って微笑んだ。先ほどとは違う、その言葉の裏にあるラビシュの覚悟をラーズは見て取ったのだろう。

 

 「いいだろう。金貨二百で売ろう」

 「……ありがとうございます」

 

 対価は背負う借金と同じ額だった。借金分がラビシュの価値、つまりラビシュ自身は無価値とラーズは判断したのだろう。それもそうだ。いまのラビシュは、ラーズの欲しかったものを一度放棄した役立たずの木偶だ。その価値がマイナスに落ちていないだけでも喜ぶべきなのかもしれない。

 

 「なに。良いってことさ。敬語ももういいよ。商談はお互いが対等であるべきだ」

 

 薄ら笑いを浮かべ、ラーズはその手を差し出した。

 

 ―――はっ! こいつ……。

 

 ラビシュの命を握っているのは間違いなくラーズだ。この後も借金を返すまでそうだろう。そのことをここまでまざまざと見せつけ、覚えこませておきながら『対等』と嘯くそのあまりの厚顔無恥さにラビシュは思わず微笑んだ。

 

 ―――生きてやる。あんたのその薄ら笑いが凍りつくまで、しつこく俺は生きてやるよ。

 

 「ああ。あんたの望むようにどこまでも、どこまでも生き抜いてやる」

 

 言って、ラーズの手を握る。

 

 「あは、それは結構。楽しみだ」

 

 いつも通りの薄ら笑いを浮かべて、ラーズはその言葉に頷いた。


20160116修正しました。

修正前→「ラーズは下げられているラーズの頭を上から踏んだ」

 

こんなアホな間違いをほかでもやらかしていると思いますので、教えてくださると助かります。

 

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