足りない覚悟 1
◇
「簡単に言えバ、だネ。よいかイ? らびっしゅクン。人間というのはふたつの要素で構成されているのだヨ」
意気揚々とタリクが口にする。
『シスを救う方法なら彼女に聞くといい』
ラーズに言われてやって来たのが、自称天才殺人武器職人タリク・ペイズリーのところだった。
「ひとつはこのニク、そしてもうひとつがタマシイダ。ニクの存続には栄養ガ、タマシイの存続には魔力がイル」
「魔力……」
「マ、意識することはないヨ。ふつー、呼吸するようにヒトは生存に必要な魔力を補給スル。この魔力を意図的に収束させ操れバ、魔術となル。闘術の場合ハ、ニクに宿っているえねるぎーだネ。故に、魔力を許容量以上集めれば体に収まらず爆発するし、蓄積された以上のえねるぎーを搾り出せば、命がオワル。その辺のことハ、もう知ってるんダロウ?」
言われ、思い出す。
かつてラベル・ツーで見た光景がよみがえる。
許容量を超えれば弾け飛び、使い切れば砂になって消えていく。
「きしし」
黙りこんだラビシュの姿を見て、タリクが笑う。
「タマシイとニク。この二つでヒトはできていル。けれど、コレらは独立して生存することはできなイ。ヒトリ立ち出来ない子どものようだネ。タマシイにはニクというウツワが、ニクにはタマシイという核が必要ダ。コレらの均衡が持たなくなるとヒトは死ヌ。ヒトが年老いて死ぬのは、劣化しないタマシイと劣化するニクとの均衡が保てなくなるから、だとされているネ」
「じゃあ、仮にそれが安定したとしたら、ヒトは永遠に死なないとか言うのか?」
ラビシュは問うた。
ヒトの自然死が魂と肉体の不均衡の果てにもたらされるならば、そういうことも可能なのではないかと思ったからだ。
「きしし。ナーイスな質問だヨ、らびっしゅクン。それはずいぶん前からケンキューされてイル。結論から言えバ、それは不可能だが可能だヨ」
「可能だが不可能?」
―――それは、いったいどういうことだ?
「ヒトの身のままでは不可能だけど、ヒト以外を選べば可能ということサ。
例えば、ヒトが死ぬと必ず教会で式典を経なければならナイというのはナゼか知っているカナ?」
「さあ? 金のためだろ。教会が生きていくために必要なことだ」
ラビシュは即答した。
かつて孤児院に居たこともあった身だ。教会という組織がなにを目的に運営されているかなど、分かりきっていた。やつらは神を商品として暴利を貪る商人だ、というのがラビシュの穿った見解だった。
「……きしし、らびっしゅクン。思考放棄はだめだヨ。物事の本質というのはサ、現在だけを見ていてはいけないのだヨ。現在の不必要も、ソレがソコにあるということは必ずハジマリにおいては理由があったはずなのサ。故にこそ歴史には学ぶ価値があるのだと、ぼく様は考えるネ」
言ってタリクは立ち上がる。
向かうのは戸棚だ。そこには常備された飲料と菓子類が置かれている。
「どうしたんだヨ? そんなハトがマメデッポウをくらったような顔をシテ……」
盆に茶と菓子を載せ戻ってきたタリクがそんな言葉を口にした。若干驚いているように見えるが、ほんとうに驚いたのはラビシュの方だ。
「いや……。まともなことを言うときもあるんだなと思って」
目の前に差し出された茶を受け取りながら、ラビシュはそれだけを口にした。
タリクに言われるまで気づきはしなかったが、たしかにラビシュは思考放棄していたのだ。
考えれば、タリクのように必要のないものがこの世界に流布するはずがない。必要があったか、そうでなければ、それを必要にした人間がいるはずなのだ。
「失敬ダナ。ぼく様はいつもマトモサ。
……ホントだヨ?」
ぱきり、と虹色のクッキーを頬張りタリクが言う。最後の確認がつくあたり、タリク自身自分のことをよくわかっているのだろう。
とてもじゃないが、いつもマトモだとは口が裂けても言えない類の女だ。
「そんなことはいいから。話してくれよ、続き」
同じように菓子を頬張りながら、ラビシュは先を促した。タリクの出す菓子は見た目はアレだが味は中々だ。
「そんなこと? マ、いいけどサ」
つまりだネ。とタリクは言葉を続けた。
「ソモソモ、教会は死を管理することに端を発した技能者の集団だったのだヨ。ヒトが死ぬのが、先のニクとタマシイの均衡が崩れることであるならバ、ニクもタマシイも本来の意味での死―――生命の終わりにはいたっていなイ。マ、個人としてのヒトはそこで死んでいるし、本当に正しいのか実証はされていないけれどネ。でも、ヒトが死に、そのニクから魔物が生まれルという過程を思えバ、あながち間違いではないとぼく様は思うネ」
「ちょっと待ってくれ。人が魔物って……。じゃあ、あの黒獅子も元々は」
「そう。ニンゲンだヨ」
平然とタリクはそう口にした。
逆にラビシュの動揺は激しかった。というよりも、容易には信じられなかった。
「うそ、だろう? だって、いくら何でもそれは」
「そこだヨ。ぼく様も疑わしくて仕方なイ。ヒトのニクがあのような化け物に変わるなんて、質量からいってもおかしいと思うのだヨ。質量どころか、形状も材質も変化しすぎていル。どう考えたとしても、同一物だとは思えなイ」
と、ラビシュの疑問を遮ってタリクが口にする。
―――そうだ。アレが人間だなんて……。
とてもではないが信じられない。二年が経とうと、ラビシュは覚えている。あの黒獅子の巨大さを。禍々しい獣臭すら、生生しく覚えていた。
「でも、事実は事実ダ。
ヒトが死に、教会による正統な手順によって埋葬されねバ、ヒトは魔物になル。ぼく様ももう何度も目にした、この世界の現実ダ」
「……何度も見たのか?」
「そうだネ。何度もナンドも、何度もみたヨ。両の手ジャ数え切れないほど見たネ。らびっしゅクン、不思議に思ったことはないカ? この街はお世辞にもよい街ではなイ。暴力も殺人もありふれた日常の風景ダ。でも、死体だけはナイ。放置され腐れていく死体だけは見なイ」
それは、新しい事実だった。
思い出す。ガキの頃から彷徨っていた貧民街を。クソッタレなこの街の風景を。
―――たしかに、そうだ……。
目の前で死ぬ人間を見たことはある。でも、その後のことは覚えていない。さきほどまであったはずの裸の死体が、次の瞬簡にはないことはザラだった。
「たしかに、そうだ。でも、なんで?」
「放置すれば魔物が生まれる。それを知っていて放置するような人間がこの世界にいるとは思えなイ。それに、死体を教会に運べば金にナル。マ、教会はそれ以上をもらうのだけれどネ」
「……。でも、おかしいだろう。死体がすぐ回収されるなら、どうしてあんたは死体が魔物に変わるのを見れるんだ?」
「きしし。それは、ホラ。アレだヨ」
笑いタリクが部屋の片隅を指差した。
そこにあるのは、ラビシュもよく見覚えのあるものだった。
「き、きしし。マ、そういうことサ。
言ったろウ? 死体にも使い道があるってネ」
あったのは、壷だった。ラビシュも運んだことのある人間の死体が漬けられた壷だ。かつて刃のコーティング剤の一部として使うといっていたものには、別の使い道もあったということだろう。
「ほんとうに、クソッタレだな。あんた」
湧き上がる嫌悪を噛み砕き、ラビシュはそれだけを口にした。
「きしし。ぼく様に倫理など求めるなヨ、らびっしゅクン。
ぼく様は天才殺人武器職人なのだヨ? 完全にニンゲンを殺すためには、倫理などフヨウ、情などフヨウサ」
にんまりと満面の笑みを浮かべ、タリクが言う。
幼い美貌が、下卑た色合いを持つのは決まってこの時だ。人から大きく離れた倫理を口にする時、このタリク・ペイズリーという女は変質する。
それまでの無邪気な姿ではなく、ただの異常者へと変質するのだ。
「……もういい。
はやくシスを救ける方法だけ口にしてくれ」
ラビシュは何も言い返さず、ただそれだけを口にした。
これ以上の問答を続ける気力も、タリクの考えを変えることができるという希望も、すでに持ち合わせてはいなかった。
キャラクターに説明させるのは難しい。
不完全燃焼ですわ。
次の投稿は、たぶん今日中。
めざせ、三時間後更新