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剣闘狂い

 ―――ずいぶんとあっさりしたものだったな。


 降り注ぐ歓声のなか、ラビシュは意外を感じていた。


 目の前の男―――たしか、黒犬(ガウ)といった―――が無防備に突っ込んできたときには何か策があるのだろうと思ったのだが、そんなことはなかったようだ。おかげで避けるはずだった返り血をまともにうけてしまった。


 「なんだか、ずいぶんあっさりしてんのね。もっとこう……、なにかあると思ったわ」


 ラビシュが口に出さなかった言葉をわざわざ口にするのは、ダングスだ。魔法生物として家に寄宿していたダングスは、いまはラビシュの剣に宿っている。


 「そうだな。俺もそう思った」


 剣に載ったままだった黒犬の首を振り落とし、ラビシュも応じた。顔は変わらず面で覆われているので分からない。だが、声音は幾分腹立たしげだ。


 「今更だけど、これマズイんじゃない? こんなにあっさり終えちゃって……。ラーズのやつがまたネチネチうるさいんじゃない?」

 「分かってるよ。だから、不愉快なんだ」


 ダングスの言うように、きっとラーズには色々と言われるだろう。たった一撃で終わるショーなど、ラーズが許すはずがない。


 不愉快だった。


 ラーズに言われることが、だけではない。


 ―――アレだけ無防備に突っ込んできたのだ。普通はなにか策があると思うだろう。


 だが、とラビシュは視線を動かした。事実はラビシュの考えすぎだった。

 視線の先には、切断された黒犬の体と無様な首がある。


 ―――これが、ラルーファなのか?


 「弱いな」


 浮いた疑問をそのままラビシュは口にする。

 拍子抜けだった。ラベルでの黒獅子との戦闘から二年、ようやくやってきた場所だ。あの日から―――自分の弱さを知った日から、求めてきた場所だった。


 ―――これじゃあ、こんなのじゃ……。強くなれない。


 「俺は、どうすれば強くなれる」


 小さなラビシュの焦りの声は、大きな歓声に消え落ちた。


 「強いな。だが、面白くない強さだ」


 会場を見下ろしながら、ローン・ジャイコフは憤然と不満を口にした。


 「ふふーふ。これは厳しいお言葉だ。久方ぶりなのだぜ? 失敗くらいはあるものだろう?」


 応じるはラーズだ。いつも通りのうすら笑いを浮かべ、ソファに深く腰掛けている。その様を見れば、ローンとラーズどちらが部屋の主が分からないほどのくつろぎぶりだった。


 「これは、危険な兆候だぞ、ラーズ」


 言う必要のないことではあったが、ローンはその言葉を口にした。

 今までの赤獅子の戦いには面白みがあった。それは稲妻(ライトニング)の圧倒的な強さとは違う。強者が弱者をなぶりものにする安心感のあるショーではない。生きることに必死な少年が魅せる必死さ、それが圧倒的に足りなくなっている。


 それが黒犬との差だけの問題ではないことは明らかだった。


 戦い方の質が、求めるものが変質している。短い戦闘ではあったが、ローンはそう感じていた。


 「ふふーふ、そうかな? ぼくはいい兆候だと思うけれど」

 「なにを、馬鹿な……。圧倒的な強者など稲妻だけで十分だろう」


 応じながら、ローンは不審を覚えていた。


 誰よりも商人然としたラーズが、商品の利点を見誤るはずはない。ましてや、そのウリが失われることを忌避しないわけがない。痛みいく商品の行く末を案じない商人などいないだろう。


 先の赤獅子は、どちらかといえば稲妻に近かった。必死さはあった。だが、それはかつての生きることへの必死さではない。どちらかといえば、求道者のそれだ。あの稲妻―――シャーリ・エストーと同質の、より強くなるための敵を求める在り方だ。


 それは、ローンが、そしてラーズが、赤獅子に求めたものではないはずだ。


 ―――なにか、あるのか?


 「ラーズ」

 「ダメだよ、閣下」


 ローンの問いかけをその一言で切り落とし、ラーズが扉の方へチラと視線をやった。それだけで、ラーズがなにを言いたいのか理解できた。


 客だ。


 しかも、面倒な客に違いない。


 「……変わらず、目鼻の効く男だ」

 「ふふーふ。お褒めに預かり、恐悦至極」


 言って、慇懃にラーズが頭を垂れた。礼儀などではない。人を小ばかにする道化のそれだ。


 ローンは、思わず小さく舌打ちした。


 ここ二年の間に、ローンとラーズの関係は少しずつ変化しつつある。

 気づいたときにはすでに遅かった。少なくとも、気に入らぬという理由だけで関係を解消することはもうできはしない。


 ―――ほんとうに、面倒なことだ。


 「入れ。鍵はしていない」

 「ココにいたか……。ラーズ」


 無遠慮に入ってきた男の一言目はそれだった。


 「やあ、ジゼット。どうだい、今日も楽しんでくれたかい?」


 ラーズは立ち上がり、ジゼットへと手を差し出した。

 だが、ジゼットは差し出された手を一瞥して、


 「すまねぇな、ダンナ。突然の訪問でよ」


 ローンへの侘びを口にして、さきほどまでラーズが座っていたソファへと腰掛けた。


 「いや、べつに構わぬ。が、珍しいな。プライベートの時にここにやってくるとは思わなかった」


 ジゼット・ポゥは、公と私をきっちり分ける男として有名だ。その分け方は、病的だと言ってもいい。なにしろ、公と私でその外見、喋り方すら変えてしまうのだ。


 「あー、そうなんだけどよ。今日は特別だわ。てか、ちょっと俺も混乱しててよ。悪いな」


 ―――混乱か。


 自身で言うように、今日のジゼットはかなり不自然だ。

 アフロ頭に派手な服を着た姿は、私の時間のジゼットのソレだが、話し方が違う。かと思えば、公の時間の一人称である「俺様」ではなく、「俺」と自称している。


 じつにちぐはぐだ。普段のジゼットを知る人間ならば、疑問に思って当然だろう。


 「よくは分からんが、混乱しているのは確かなようだな。それで、それほど混乱した貴様が、私に一体なんの用だというのだ?」


 「あ? ああ……ま、それはいいとしてよ。

一体、どういうことだ、ラーズ。今日の赤獅子は」


 「なんだい、いつも通りだったろう?」


 空いたソファへと腰掛け、ラーズが応じた。


 「アレが、いつも通りだと? ハ、俺様は冗談が嫌いだぜ、嫌いだな、ラーズ?」


 ―――ほう、用件はそのことか。

 

 いつもの公の話しぶりに戻ったジゼットに、ローンは得心した。

 

 ジゼット・ポゥ。|この都市≪ゴード≫の裏側を取り仕切る組織の最大手フィッタ・フィーロのボスだ。短く刈り込まれた白髪に精悍さが漂う裏の男にはもうひとつの顔がある。

 

 生粋の剣闘好きなのだ。

 

 気に入った剣闘士がいれば、どこまでも追いかけていくほどの熱狂的な信者だ。その上、入れ込みすぎて実況まで自分の手でやってしまう。

 

 ゴードに住むものならば、誰もが知っている有名な剣闘狂い。

 それがフィッタのボス、ジゼット・ポゥのもうひとつの顔だ。

 

 「そうかい? ふふーふ、ボクは結構好きだぜ、冗談。ま、言うのは苦手だがね。哀しいことにユーモアに欠けているんだ、ボクは」

 

 「ハ。じゃあ、なにかい? てめぇは今日の赤獅子が前となにも変わらないと、そう言うんだな。ソレは俺様に喧嘩を売ってるんだな? そうなんだな、ラーズ」

 

 ―――なるほど、そういうことか。

 

 ジゼットが立ち上がり、ラーズの首根っこを掴んで引き寄せる。

 その様は、この街の裏の顔フィッタを統率する悪党としては相応しかったが、一私人としてのジゼット・ポゥにはあるまじき蛮行だった。

 

 「二年だ。二年だぜ、ラーズッ! あの日から来る日も来る日も俺様は待ちつづけた。クズどもを拷問するときも、部下を叱り飛ばすときも、女を抱くときも、クソをするときもだ。それが、蓋を開けてみりゃあ、なんだアレは? なんなんだよ、アレはよぉ!!」

 

 叫ぶ。

 この二年待ちつづけた鬱憤のすべてを晴らすかのような低く大きな怒声だ。

 

 繰り返すが、ジゼット・ポゥは生粋の剣闘好きだ。いや、狂信者だと言ってもいい。

 

 稼業が稼業だけに、多くの人間が剣闘を餌にジゼットに近づこうと試みた。様々な接近法があったが、結局それは彼等を繋ぐ絆にはなり得なかった。それどころか、それらすべてがジゼットを怒らせる火種になった。

 

 『剣闘は神聖なもの』

 

 ローンには、ジゼットのような低俗なやからの考えることなど分からない。だが、ひとつだけ理解している。それは、ジゼットにとって剣闘とは神聖であり、それに関してなにか手が入ることは決して許されないことだということだけだ。

 

 二年前、黒獅子の暴走に関してのジゼットの怒りはすさまじいものだった。

 稲妻を除く、ぺデットの関係者はこの二年のうちにみな死んでいる。あの事件の一月前に奉公に上がった丁稚でさえも、だ。

 

 狂信者という異名がその時ほど実感できたときはなかった。

 

 ラーズが事前に用意した完璧な証拠がなければ、ローンもラーズもその標的になっていたことは確実だった。

 

 事実、二月もの間、ジゼットの部下に見張られていたのは不愉快な思い出だ。

 

 「ふ、ふふーふ。あの日のキミもいまみたいな感じだったのかな? ちょっと意外だよ」

 

 ひとつの動揺も見せることなく、ラーズは笑った。それは、強者におもねるための卑屈な笑みではない。平生と変わらぬ商人特有の薄い笑いだ。

 

 「あ? なにがだ?」

 

 問うたジゼットの声は未だ感情で荒れていたが、その目は違う。どこまでも透明な、肉食獣のような目をしていた。

 

 「ふふー、キミは公と私をきっかり分けると聞いていたからね。黒獅子の暴走での不愉快は、あくまでもキミ個人―――つまりは(わたくし)の感情だ。それを(おおやけ)の組織フィッタ・フィーロを使って解決するとは思わなかった。アレ、組織の私的流用だぜ?」

 

 「ふ」

 思わず、ローン・ジャイコフは失笑した。

 

 ふざけている。どこまでも、ラーズという男はふざけている。

 

 迂闊な言葉を吐けば、それだけで死ぬかもしれない状況だ。にも関わらず、ラーズは変わらない。

 

 「ちっ。むかつく奴だぜ。てめぇはよ」

 

 言って、ジゼットはラーズをソファへと放り捨てた。

 流石のジゼットも毒気を抜かれたのだろう。ソファへと再度深く身を沈め、疲れたように視線を天井へとやった。

 

 「あ~、ほんとっにむかつくぜ、むかつくよ……。

てめえが赤獅子の飼い主じゃなければ、すぐにぶっ殺してやるのによ」

 

 「ふふーふ。いいのかい? そんなこと言って」

 

 「チッ」

 不快気に眉根を寄せて、ジゼットは舌打ちする。

 

 ジゼットとラーズの関係は、商売人と顧客という関係もある。現在外への物流を握っているのは、ラーズだけだ。フィッタとして、ラーズを切るにはそれなりの理由がなければマイナスがかち過ぎる。

 

 ジゼットという男は、粗野ではあるが愚かではない。正確なそろばんを弾くことのできる男ではあった。

 

 ―――だが、それすらためらないなくさせるほどの剣闘狂いか……。なにかに使えぬものか。


 「それで、結局赤獅子は大丈夫なのだろうな?」


 好きなだけラーズを罵ったジゼットが部屋を辞したあと、ローンはうやむやになっていたことを再度聞きただした。


 ジゼットほどではないにしろ、ローンにも今日の赤獅子は気がかりだったのだ。


 「ふふー、大丈夫さ。今日のところはアレでいい」

 「……そうか。貴様が言うのならば、今回は信じよう。


 だが、次はもう少しマシな闘いを魅せてくれ」

 言いたいことはあったが、ローンはすべてを飲み込んでそれだけを口にした。

 ローンが心配すべきは、赤獅子のことではない。


 「心配ないよ。ラビシュは優しいからね。きっとみんなを裏切らない。最高のショーを魅せてくれるはずさ」


 目の前で笑って席を立つ商人にどうやって首輪をかけるか。それだけがいまローンが考えねばならないたったひとつの問題だった。

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