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そして、服従の鐘がなる⑭

 着いた先はどこか見覚えのある場所だった。

 風化した石造りの扉に、長く伸びた煙突、特徴的な二本の塔が附随している。どこから見てもラビシュの嫌いな教会だった。ただ、色鮮やかに花が咲く花壇と汚れた建物だけが記憶のなかの教会と違っていた。

 

 「貴方の方から訪ねて来るのは久しぶりですね、シャーリ。またなにか面倒に巻き込まれたのですか?」

 

 錆ついた鉄格子のさきで、男がひとり出迎えた。

 すらりとのびた鼻梁の上に銀の眼鏡をのせた柔和な男だった。花壇の手入れをしていたのだろう。手には抜いた雑草の束があり、麻の作務衣は土で汚れていた。

 

 「ちげぇよ。……いや、面倒と言えば面倒か」

 

 シャーリの言葉に促され、男はラビシュたちを見た。男の温顔がラビシュを捉え、ついでラビシュの後ろに居た少年へと向けられた。クラウの姿はない。クラウは仕事があるからと、ここに来る前に別れたのだった。

 

 「なるほど……。ここではなんです。奥へ行きましょう」

 

 手に持った雑草を花壇の端へまとめ置いて、男はラビシュたちを建物へと導いた。

 

 「……」

 「どうした。行かねぇのか?」

 

 無言で見上げたラビシュに、シャーリが応じた。

 すでに少年は男のあとを追って教会のなかへ行っている。その後姿を眼で追いながら、ラビシュは問うた。

 

 「アンタは行かないのか?」

 「なんでそう思う?」

 

 通用門を押さえたままシャーリは問い返した。

 その態度がラビシュの予想を裏づけた。理由は分からないが、シャーリはここから先は関わるつもりがないらしい。

 

 「べつに。なんとなくそう思っただけだ」

 「ハ、ガキじゃないんだ。てめぇのことくらい、てめぇで出来るだろう?」

 

 ―――やはり、ついてくる気はないのか。

 

 「不満か?」

 「いや……感謝してる。俺だけじゃきっと困ってた」

 

 ラビシュは素直にそう応じた。

 あの男がなにものかは分からないが、シャーリが紹介してくれなければ今ごろラビシュは途方にくれていたはずだったからだ。

 

 「いいのかよ? そんな簡単に礼なんて言って。あいつ、ラーズみてぇな奴かも知れねぇぜ?」

 

 からかうようにシャーリが言った。

 

 「いや、それは大丈夫だ」ラビシュは言い切った。

 

 「ラーズみたいな奴が二人もいるわけないからな」

 

 ―――本、ばかりだな。

 

 通された一室でラビシュはそんな感想を抱いていた。

 天窓がひとつ有る以外に四方は本棚に囲まれ、多様な本が所せましと収められている。

 応接用の椅子と長机、そして簡素な執務机以外ほかに家具はない。応接室というより書斎といった部屋だった。


 「失礼。ぼくの名はドゥーザ・アルガス。この教会で牧師をやらせて頂いています」

 

 男はそう言ってラビシュの正面へと腰掛けた。

 ラビシュを通して姿を消していたが、着替えてきたのだろう。汚れた作務衣から、鬱陶しい黒い礼服の神父へと姿を替えていた。

 だが、そんなことよりもラビシュには気になったことがあった。

 

 「俺はラビシュだ。ところで神父、あいつは……」

 「ラビシュくん」

 

 名前に続いて疑問を発しようとしたラビシュを制して、アルガスがラビシュを呼んだ。

 

 ―――なんだ?

 

 言葉を止めて、ラビシュはアルガスを見た。

 

 「細かいことで申し訳ない。けれど、ラビシュくん。ぼくは神父ではなく、牧師です」

 

 ―――それがどうした?

 

 言葉の意味が分からずラビシュは首をひねった。

 アルガスにも分かったのだろう。

 温顔が苦笑した。ラビシュの無知への困惑ではない。申し訳なさ気な笑みだった。

 

 「ラビシュくんにはあまり関心がないと思いますが、教会の神父と牧師は違うものなのです。ぼくは神父ではなく牧師であることを誇りに思っています。ですので、できれば牧師と呼んでいただけると助かります。それがいやならば、ただアルガスと呼んでいただきたい」

 

 「分かった」

 

 アルガスの言うことの大半は分からなかったが、ラビシュは首肯した。相手の嫌がることを無理にする必要などはないからだ。

 

 「すみません。どうも難儀な性格のもので……。そういうことが一々気にかかかる性分なのです」

 

 言いながらアルガスはまた苦笑し、「みんなにも、よく怒られるのです」と小さくつけ足した。

 

 「それで、あいつはどこに行ったんだ?」


  ラビシュはその呟きには答えず、疑問した。


 さきに部屋へと通されたはずなのに、ラビシュたちが連れてきた少年の姿がいまここにはなかった。それがひどく気がかりだった。意味もなく、いやな予感が胸に滞留していた。

 

 「あいつ……。ああ、クルルくんのことですか。彼ならお風呂に入ってもらっていますよ。ずいぶんと汚れていましたし、彼が居ては色々話しにくいでしょう?」

 「クルル?」

 

 ラビシュは反駁した。

 アルガスの言う『クルル』なる人物に心当たりはなかった故の反駁だ。

 

 「おや、ご存じない? 貴方が連れてこられた少年の名前ですよ」

 「……知り合いだったのか?」

 

 ラビシュは素直にそう返した。

 少年の名前を知っているということは、そういうことだろうと思っての発言だったのだが、実際はちがったようだ。

 アルガスは少し眉をひそめて、首を振った。明確な否定だった。

 

 「いえ、まったく。さきほど聞いたばかりです。その様子ですと、貴方も彼と会ってからあまり時間が経っていないようですね。

……話してはくれませんか? 貴方と彼のことを。そして、これからどうするかを」

 

 言葉を重ねるアルガスを見ながら、ふとラビシュはそれに気がついた。

 

 ―――殺気? いや、これは警戒か……。

 

 眼前のアルガスにさきほどまでの温かさは欠片もなかった。変わらぬ温顔の下から害意を含んだ警戒がにじんでいる。それをラビシュは感じた。

 理由は分からない。

 

 だが、

    ―――そういうこともあるのだろう。

 

 ラビシュはそう割り切った。

 ラーズについている間に、意味のない警戒や敵意にはすでに慣れてしまった。当初こそ戸惑い、今もまた疑問はするが、それだけだ。

 そうしなければ、いざという時には動けないということは、すでに学んだことだった。

 

 「そうだな。まずは、そのことから話さないとな」

 

 浮かんだ当惑を割り切って、ラビシュはゆっくりそう告げた。


 ラビシュはすべてを話した。

 クルルが盗みをして捕まっていたことから始まって、結局行き場を失おうとしたときにシャーリに助けられたことなどだ。

 淀みなく語るなか、ラビシュは一度だけ言葉を切った。クルルを拾ったときのことだ。

 救ったとか助けたなどという言葉は、口が裂けても使いたくはなかった。だが、適当な表現を思いつけず、言葉を切ったのだ。

 

 「俺が……でしゃばった」

 

 苦し紛れに、そんな言葉でラビシュはごまかした。

 ラビシュが話し終えるまで、アルガスはただ頷くだけだった。

 

 「……まず、ぼくは貴方に謝らなければいけません」

 

 「え?」

 

 ラビシュが経緯をすべてを話したあと、アルガスの初言はそれだった。

 ラビシュは困惑した。なにを謝罪される(いわ)れがあるのか、分からなかったからだ。

 その困惑を看取したのだろう。アルガスが微笑んだ。さきと同じく、申し訳なさそうな笑みだった。

 

 「ぼくは貴方を疑っていたのですよ。ぼくのことをシャーリから聞き及び、お人よしのぼくにクルルくんを売りに来たのかと思ったのです。今までにも何人かそういう輩がいましたから……」

 

 「そんなことするか」

 

 思わず、突き放す言葉が口をついた。そんな風に見られていたなど、心外だった。

 

 「分かっています。だから、謝らねばならないのです。ぼくの早合点で、ぼくは貴方の純粋な思いを踏みにじるところだった。大変申し訳ない」

 

 ラビシュとは対照的に、ひどく落ち着いた声音でアルガスは言い、頭を下げた。

 

 その誠実な態度が、ラビシュの心を打った。

 

 悪いことをした人間が謝罪する。思えば、当たり前のことだが、それが当たり前でないのがラビシュの生きてきた世界の常識だった。

 とくに子どもと大人の場合はそれが顕著だ。大人と子どもは対等ではない。子どもは大人に生かしてもらっているもの、ことの善悪を力でねじ伏せることが容易な存在だと考えられてきた。

 放っておいても増え、増えれば面倒が増える存在。それが子どもだというのが、下層の常識だ。ラビシュはそんな世界で生きてきたのだ。

 だからこそ、アルガスの言葉はラビシュに大きな衝撃を与えた。


 「許していただけますか?」


 無言で硬直するラビシュへアルガスが言葉を重ねた。


 ラビシュの常識から言えば、許すも許さないもないのだ。

 大人、それも教会の関係者という聖なる人間を、そもそも善悪の天秤にかけること自体がおこがましい。アルガスが、そんな風な考えであっても、この世界ではまったくおかしなことはないのだ。

 実際、ラビシュの見てきた神父はそうした人間たちだった。自分たちがラビシュたちとは異なる高次の人間であると信じて疑わないクソッタレな人間たちだった。


 ―――けど、言ってることが本心とは限らないだろう……。


 「……。許すも、許さないもないだろう」


 ラビシュはただそれだけを口にした。それはこれまでの鬱屈とする体験が、ラビシュに吐き出させたクソッタレな皮肉だった。


 ―――言葉ではなんとでも言える。


 人は平気でウソをつく。

 あけすけな嫌悪や暴力よりも、巧妙に隠された悪意と気まぐれな善意のほうが厄介だということをラビシュはすでに知っていた。ラーズがその典型だ。


 ―――あんたもそういう類の人間なんだろう? 善人か、悪人か。見極めてやるよ。


 ことは己の問題ではないのだ。自分が関わり連れてきたクルルという少年の未来がかかっている。

 気負い、意気込み、ラビシュは挑むようにアルガスを睨み見た。


 だが、

 「…………は?」 


 思わずもれたのは、そんな拍子の抜けた声だった。


 「貴方は……、なんという。

 いったい、どんな人生を歩んできたというのです……」


 ラビシュの眼前、アルガスは声を震わせ泣いていた。


 泣いていたのだ。



いい加減「服従の鐘」を鳴らしたい・・・・・・。

最初は、7くらいで鳴るはずだったのに。

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