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そして、服従の鐘が鳴る⑩


 温いなにかが顔にかかるのを感じてラビシュは目を開けた。

 

 ―――なんだ?

 

 思わずやった手を見れば、びっしりと赤く汚れていた。

 

 ―――ああ、俺の血か……。

 

 黒獅子の魔法をまともに受けたのだ。血ぐらい、出るだろう。

 

 ――― ……。いや、待て。なぜ、俺は死んでない?

 

 疑問を浮かべて視線を動かせば、さきにひとつの影があった。黒獅子の巨躯ではない。人影だ。だが、陽を背に受けてラビシュを覗き込むその姿は、ラビシュからは黒く塗りつぶされて分からない。ただ陽光を受けて煌めく白銀の髪が印象的だった。

 

 「……よかった」

 

 人影は安堵するようにそう言った。聞き覚えのある声だ。

 

 「あ、……」

 

 ―――シス?

 

 言葉を発しようとしたができなかった。全身に力が入らない。ひどく眠かった。

 

 「大丈夫。ラビシュは大丈夫」

 

 シスのそんな言葉が耳に届くともに、なにか暖かい膜のようなものがラビシュの体を包んだ。

 続いて横たえられる感覚が続く。

 

 「う、あ……」

 

 力なくうめいたラビシュの体に、ぽたりとなにか温い液体が落ちる感覚が連続する。

 

 ―――なんだ? 

 

 ふたたびラビシュは疑問した。だが、頭を上げることすらいまはできなかった。だが、その温さはどこか覚えがあった。

 

 ―――まさか……。

 

 息を吸う。鼻腔を突く鉄くささはひどくなじみのあるものだった。

 

 ―――血、だ。

 

 ラビシュが温さの正体に気づくと同時に、ラビシュを覆っていたシスの影が動いた。

 

 「うっ」

 

 影の先から差し込んだ陽光に思わず眼を細めた。

 

 「シ、ス……」

 

 手を伸ばす。だが、手はピクリとも動かない。目蓋も重く、視界がどんどんと薄暗くなっていく。

 

 ―――シス。

 

 見える白銀の女を呼び止めたくて必死にラビシュは伸びない手を伸ばし、言葉にならない言葉を発した。

 だが、シスは止まらなかった。ラビシュを置いて立ち上がる。 

 

 「私が、ラビシュを護るから……」

 

 かすむ視界で、ラビシュは見た。

 血に濡れた白銀の髪を。肩口から先がない右腕を、ラビシュはたしかに見届けた。


 「私が、ラビシュを護る」

 

 さきに吐いた言葉をふたたびシスは繰り返し、左手に剣を紡いだ。

 久方ぶりの感覚だ。

 左手に握る魔力の剣も、自身の肩から匂う血の香りも。そして、なによりいま抱いている殺意は、ほんとうに懐かしい感覚だった。

 

 「―――――ッ!!」

 

 黒獅子が吼える。まるで獲物を横取りしたと、叱責するかのようだった。

 

 ―――怒っているの?

 

 双頭の蛇が牙を剥き、シスへと襲い掛かる。

 シスは跳躍した。

 つま先に魔力を集中させ、空に足場を生み出しては蹴り上がる。白銀翼(ヒュド)と呼ばれていたころより得意としていたシスが編み出した独特の移動法だ。

 久しぶりの行使だったが、安堵はない。ただ怒りだけがあった。

 

 「怒っているのは、あなただけじゃない」

 「ジャァアアアッ!!」

 

 跳躍するシスを追い、二頭の蛇が空を這う。その様を冷然と見下ろしてシスは言葉を継いだ。

 

 「私も、怒っている」

 

 無造作に薙いだ剣に併せて突風が大蛇を襲った。無数の傷が蛇の体躯に刻まれ、血が空へと舞って、地へと降る。

 

 「アインス」

 

 ふたつの風球が空へと浮かび、蛇を撃つ。

 

 「ッ、シャ、ァア」

 

 ふたつの蛇が空で呻きを上げる。

 

 「まず、一つ」

 

 言葉とともにシスが一匹の大蛇めがけて落ちてくる。シスの振る剣に併せて蛇が縦に割れた。叫びもなく蛇は裂け絶命する。返す刀でシスは剣を横へと薙いだ。

 

 「ふたつ」

 

 大口を開けた蛇の頭が空を飛び、大地へ落ちた。

 

 「ツヴァイ」

 

 風の盾が、下から放たれた魔砲を防ぐ。さきにラビシュへ放たれた圧縮された魔力の塊だ。

 空を蹴って、一直線に獅子へと向う。

 途中、魔力に耐え切れず、左足が砕けるのをシスは感じたが、構いはしなかった。

 

 ―――どうせ、もう戻れない。

 

 シスの体は病に冒されている。いや、呪いといったほうが正確だ。軽いものなら問題ないが、戦闘につかうような莫大な魔力を行使すれば、耐えられずにシスの体は崩壊していく。そんな呪いをかけられた。それが理由で、シスはエル・ラルーファを諦めたのだ。

 シスにとって魔力を行使することは、命を削る行為に等しい。だが、いまはそんなことどうでもよかった。

 ラビシュを救えるのならば、命など惜しくはなかった。

 

 「―――ッ!!」

 

 獅子が吼え、魔砲を幾条も撃ち放つ。シスを近づけることがどういう結果を導くか、分かっているのだ。だが、シスは止まらない。無数の足場を使って、空を高速で移動する。

 白銀の髪が広がって、さながら羽根を広げた鳥のようだ。

 

 ―――もっと、早く! 私はこんなものじゃない。

 

 思い出すのは、かつての自分だ。

 白銀翼(ヒュド)と呼ばれた時代の自分は、だれにも負けない速さがあった。

 黒い魔力が宙を裂き、黒い爪がシスを捉えようと乱暴に振るわれる。だが、つかまる気配など毛ほどもない。黒い影を嘲るように、白銀の影が優雅に空を舞う。

 

 異音とともに自身の腕がひび割れるのをシスは見た。

 

 ―――時間がない。

 

 「フュンフ」

 

 風の杭が空へと現れ、獅子めがけて飛んでいく。

 

 「―――ッ!!」

 

 無数の杭が獅子の体を穿ち、血と絶叫を吹き散らす。

 

 「これで、終わり」

 

 集めた魔力を剣へと注ぐ。

 巨大化した剣を構え、シスは思い切り空を蹴った。

 

 ―――あと、すこし、もって……。

 

 ぱりぱりと音を立てて腕が剥げていく。おそらく、腕はもう使い物にはなりはしないだろう。だが、それでも構いはしなかった。

 

 「―――――――ッツ!!!」

 

 獅子が絶叫し、シスを落とそうとすべての魔力を注いだ魔砲を放つ。巨大な光線が裂け、シスの逃げ場を消していく。

 

 ―――そんなもの、いまは無駄。

 

 すでに時間制限の近いシスには止まる気などすでにない。刺し違えてでも殺せればそれでいい。

 

 「ツヴァイ」

 

 構える剣の前に、風の盾が現出する。淡い緑光が瞬いて、黒い光線を受け止める。盾は一瞬で砕けるが、構わない。もとより一瞬のときが稼げればそれでよかったのだ。巨大な剣の刃先がねじれ、翠光の槍を形成する。高質の魔力を一点に集中させて、相手を貫く。文字通りの捨て身の攻撃だった。

 

 黒い光と淡い緑の閃光が瞬き、特大の砂埃が舞った。

 

 「――――ッ! ――――――――ッ!!」

 

 声にならない断末魔がラベルに広がり、爆発したかのように勢いよく血が飛散する。鈍い音が連続し、黒獅子は地へと倒れ伏した。

 

 ―――護れた。

 

 「私、護れたよ。ラビシュ」

 

 多量の血に濡れながら、シスは満足そうにそう言った。


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