そして、服従の鐘がなる⑥
黒獅子の前肢が伸びる。
―――遅い。
陽を浴びて黒くきらめく獣爪をラビシュは見定めた。振られる腕の勢いそのままに受け流し、剣を振る。
硬質な音が鳴り、剣が弾かれる。
蛇だ。
尾の蛇がラビシュの剣を受け止めた。薄い腹ではない。硬いうろこに覆われた横っ腹だ。
弾き上がった剣の間隙を縫って、蛇がラビシュに牙をむく。
―――硬いな。
そんな感想を抱きながら、襲ってくる牙を柄で思い切り打撃した。
「しゃあぁああっ!」
蛇にも痛覚はあるようだ。牙を撃たれた蛇が唾液を飛ばしてのけぞった。
視界の端に揺れを感じて振り向けば、もうひとつの顎がラビシュめがけて飛んでいた。ひょいと身をあげ、蛇頭を踏み台に上へと跳ねた。
眼下には紫のたてがみに黒い体躯。そして、不釣合いな白い翼がある。その一点、先に投擲したダガーが刺さっているのを見つけた。
黒獅子の体は硬い。鉄線のような短い体毛が網のように絡まって、さながら鎖鎧のようだった。並みの武器では傷つけることすらできないだろう。だが、翼は違う。投擲したダガーが刺さっているということは、確実に躯よりも弱いのだ。
―――まずは、傷をつくる。
黒い地面を蹴り上げて、白い羽を一閃する。狙いは、もちろん刺さったダガー、その傷痕だ。
ひとつの傷から次の傷へと広げていく。つまりは、弱いところをついていく。戦いの定石だ。
―――なんだ?
刃の届く一瞬、翼に葉脈のように黒い細かな線がいくつも入るのをラビシュは見た。
硬質な音がなり剣が弾かれる。先の蛇腹よりも硬い感覚が腕を震わせる。
「ちっ」
―――硬質化したのか!
思わず、舌打ちする。
翼に魔力を走らせ、硬くしたのだ。
ラビシュが闘術によって、自身の動きを高速化させているように、硬くしたのだ。さきの黒い葉脈は黒獅子の魔力の流れにほかならない。
「魔法もつかえるのかよ。クソッタレが!」
そう毒づきながらもラビシュは満足を感じていた。
ラビシュの後ろで、少年がゆっくりと、だが着実に出口に向かっているのを認めたからだ。そして、闘術を使っているラビシュに黒獅子は手を焼いている。少なくとも、ラビシュが倒されるまで、彼らに黒獅子が手を出すことはできないだろう。
―――これでいい。
赤い光がほとばしる。
剣の刃先へと自身の命を薄く流し込んでいく。剣すべてを覆うのではない。薄く、どこまでも薄い膜のように、命を剣に着せていく。戦いの場だからか、シスとの訓練であったぎこちこさはなりを潜めている。いままでないほどに制御できている。
いまは黒獅子を斬ることが目標ではない。
ただ弾かれず、刃が欠けなければそれでいい。
命を使う闘術は、肉体の強化や回復など汎用性が高く便利だが、危険は高い。
術者の命を力に換える諸刃の剣だ。
自身のなかにある余剰を使っているうちはいいが、使いすぎれば死ぬのだ。見誤れば、いつか見た男のように枯れ、砂と消えていく。
ゆえに全てではなく、必要な箇所のみに使用する。
「―――ッ!」
咆哮がなり、白い刃物が乱れ飛ぶ。魔力で固めた羽根を飛ばしているのだ。
それを弾きながら、ラビシュが動く。
円を描くように黒獅子の周りを動いていく。
―――もう少しだ。
倒すための動きではない。ただ、時間を稼ぐための動きだ。
ちょこまかと動くラビシュをうるさそうに黒獅子が追う。二匹の蛇が上下左右から襲い掛かるのを捌きながら、ラビシュはひたすらに地を駆けずり回る。
「踊るおどる踊るおどる、獅子がおどるっ!! 獣と騎士との優雅な舞だっ!」
ジゼットの興奮した実況がなり、盛り上がった歓声がラベル・ワンを埋めつくす。
引きつけては交わし、引きつけては交わす。
繰り返される単調な、けれど鬼気迫る動きは、たしかに舞踏を思わせる。
地を蹴る瞬間だけ魔力を通し、移動する。その精度が繰り返さすたびに上がっていることをラビシュは実感していた。
「速い、はやい! 迅く速えぇっ!! 黒獅子がそこらにいる馬鹿犬のようにぐるぐるとその場を廻っている! ダンス相手を置き去りに、赤獅子がひとりで舞踊の高みを駆け上がる!!」
ジゼットがそう言ったときだった。
「ふふーふ! 賭けはいまを持って終了だ。正解は二人っ! ぼくのひとり勝ちというわけだっ!! ありがとう。しっかり稼がせてもらったよ」
響く。けっして聞き逃すことはないラーズの声だ。
見れば、闘技場の出口の片隅から少年がこちらを見ている。苦しそうに壁にもたれかかりつつも、その顔は笑顔だった。
「は、それでいい」
誰に対しての、なにに対しての回答だったのか。それはラビシュにも分からない。だが、心のなかを充足が駆け巡る。
己の強さが、誰かを救うことに繋がったのだ。
「はっ、ははは!」
知らず、声が喜びとなってあふれだす。
ラビシュはいま確かに高揚していた。
赤い光がひた走る。
ここからは意味が違う。守るためではない。時間を稼ぐためではない。
ただ、全力で元凶を倒すだけだ。
「行くぞ」
赤い光線を残して剣が舞う。
「―――っ!!」
蛇が、獅子が吼え叫ぶ。
だが、それだけだ。だれもラビシュを捉えられない。
黒獅子が振る腕はすべからく宙を切り、赤い残光へ大蛇が絡みつく。
「――――っ! ―――!!」
赤い光の瞬きの合間、鮮血が宙を飛ぶ。
ラビシュの振る剣が、黒獅子の硬さを上回ったのだ。浅い、致命傷などには届かないダメージ。だが、その一撃は決定的だった。
―――このくらいで十分ってことか!
力の入れ具合を、刃に通すべき魔力をラビシュは把握した。ここからさきは斬って切って、きりまくるだけだ。
「きたきたきた! 最初の有効打! 赤獅子が速すぎる! ついに赤獅子の魔物討伐ショーの開幕だぜ、野郎どもっ!!」
ジゼットの言うとおりだ。
すでに黒獅子は、ラビシュの姿を追えていない。その上、ラビシュの刃が通るようになったということは、決着はすでに時間の問題だった。
―――もっと、はやく。
ラビシュはさらにギアを上げ、黒獅子へと襲いかかる。闘術を使っているゆえの焦りもあったが、それ以上にラビシュの心がまだ上を求めていた。
―――もっとだ。俺はもっとはやく動ける。
「ははっ!!」
知らず声が笑う。さきほどとは違うゆがんだ声だ。
闘術を実戦で使うのはじめてだ。
いつ時間切れがくるか分からないものなのだ。調子に乗ってしまえば、ふいに死んでしまうこともある。ゆえにシスは使うことを禁止していた。
だが、
―――これなら、稲妻にだって負けやしない。
興奮しきった頭にそんな言葉が走る。
「―――強くなった。俺は、強くなった!」
抑えようとしても、ヨロコビが止まらない。ラビシュは力に溺れかけていた。
「ぐるおおぉおおんっ!!」
黒獅子の悲痛な咆哮とともに赤い飛沫が飛び散った。
ラビシュの刃が黒獅子の翼を斬ったのだ。白い翼が宙を舞い、赤い血潮が噴き出した。
「は、ははっ!」
返り血をまともに浴びながら、それでもラビシュは止まらない。返す刀で、もう一方の翼を切り捨て、襲い掛かる大蛇の口腔を串刺した。
「おっ、おおおおおおっ!!」
天を揺らすかのような歓声が鳴り響く。
普段は不快なその声が、いまは不思議と心地よい。
―――この感情は。
狂ったような興奮と、クソッタレな思いが交じりあう。
知っているはずだ。ザノバを殺したときに、この感情をラーズがなんと呼び、そして、その後にどのような感情を手に入れたかを。
「……ヨロコビだ」
吐き捨てるように、ラビシュは小さく呟いた。
だが、それでも赤獅子は止まらない。止まれなかった。