そして、服従の鐘がなる②
「おお、アンタが赤獅子か」
舞台へと到る道で、ラビシュはそう声をかけられた。
声の主は誰あろう、稲妻シャーリ・エストーだ。
「―――ッ」
ラビシュは思わず息を呑んだ。
面識のないシャーリに話しかけられことではない。
赤いのだ。
「ん、これか? いや、情けないよな。遊んでたら一発もらっちまってよ。骨までグシャグシャだぜ」
かろうじてくっついている左手を指しながらシャーリが自嘲する。その様は飄々としたものだ。痛みなど感じさせない、むしろ喜んでいるようにさえ見えた。
「……強かったのか?」
「いや、期待したほどではなかったな」
自身の血がへばりついた髪を不快そうにいじりながら、シャーリが答える。答えだけを聞けば、ラビシュの知る稲妻のイメージと大差ない。だが、その半身を血で真っ赤に染めたいまの姿を見る限り、言葉を素直に受け取ることはできなかった。
「あー、……待て。言いたいことは分かるぜ。こんなナリして言っても強がりにしか聞こえないよな。……くそ。これじゃあオレ、すっげぇかっこ悪いやつみたいじゃないか」
―――痛くないのか?
弁解するシャーリを横目にラビシュはそんなことを考えた。シャーリが激しく体を動かすたび、かろうじてくっついている左腕が楕円を描く。見ているだけでハラハラするような光景だった。
「シャ、シャーリッ!!」
「あ、ハゲ」
ラビシュがシャーリにどう対処すればいいか迷っていると、後ろからひとりの中年がやってきた。シャーリの言うように、たしかに見事禿げている。
―――こいつ。たしか……。
見覚えのある顔だ。ラーズの仕事の手伝いをしているときに数度見かけたことがある。たしか、ぺデットという名の商人だったはずだ。
―――それが稲妻に何の用があるんだ?
「『あ、ハゲ』ではない! なんだ、その様はっ!! だから、あれほど遊ぶなと言っただろう。ハラハラさせおって! きさまが死んだら、私は一体どうすればいいと言うのだ!!!」
ぺデットはラビシュには目もくれず、シャーリの肩を掴むとそうまくしたてた。
「あー、うるさいし暑苦しいし痛いぞ、ハゲ。オレは見ての通りなんともないだろう」
鬱陶しそうな顔をしてシャーリはぺデットの手を払い落す。
「な、なんともないだとッ! よ、よく言う。その左手はなんだっ!! ついているのもやっとではないか!!! それでなんともないなどとよく言えたものだな!」
―――ああ、こいつが稲妻の飼い主なのか……。
隣で繰り広げられるやりとりを見ながら、ラビシュはそのことを理解した。
―――俺とラーズとはずいぶん違う。
「オレがなんともないと言ったらなんともないんだ。これくらいの傷、治癒師に頼めばすぐだ。金もオレが払うんだから、雇い主のアンタが慌てることじゃねぇだろう」
「そういう問題ではないだろうっ!!」
変わらず言葉を受け流すシャーリにぺデットが怒声を上げた。流石のシャーリも驚いたのか、目を白黒させてぺデットを見返している。
「……金の問題ではない。遺憾ながら、私はきさまの雇用主だ。雇用主は、従業員の安全を心配する、義務がある」
「……ちっ。わかった、わかったよ。次からは手を抜いても、絶対に怪我しないようにしてやるよ」
シャーリは一度舌打ちして、そう言い放つ。変わらずいやそうな顔はしているが、先ほどまでとは違う種類のものにラビシュには思えた。
―――本当に、俺とラーズとは違う……。
「やっと、私の言うことを聞く気に……。いや、待て、シャーリ! 私は手を抜くなと言っているんだ!!」
「チッ。……それよりいいのか、ハゲ。さっきからアンタの嫌いなラーズの関係者がそこにいるけどよ。こういうの、身内の恥とかなんとか言うんじゃなかったか?」
「……赤獅子」
シャーリの言葉に導かれ、ぺデットがこちらをやっと見た。さびついた機械の輪る音に似た擬音が響く。
「なぜ、早く言わん!」
一度ラビシュを見咎めた視線を高速で戻し、ぺデットが抗議した。
「知るかよ。アンタが勝手にひとりでもりあがったんだろ」
対するシャーリは容赦ない。突き放す言葉を口にした。
「……こ、こほん。あー」
正論だ。
さすがに言い返すこともできなかったのだろう。気まずい雰囲気で視線を宙に浮かべると、じつにわざとらしい咳をひとつぺデットがした。
仕切りなおしということだろう。
と、ラビシュが仏心で接しようとしたときだった。
「いまさらかっこつけてどうするんだよ、ハゲ」
やはりシャーリは容赦ない。一言でぺデットを斬って捨てた。
「うるさいっ!」
二度目の正論だ。
だが、今度は抑えられなかったのだろう。ぺデットは怒号で応じた。
―――もう行ったほうがいいのだろうな。
これ以上いるのはぺデットがかわいそうだ。それに、舞台の時間もある。すっかり毒気を抜かれてしまったが、これから戦闘なのだ。
そう思い、ラビシュは一歩を踏み出した。
「待ちなさい」
その背をぺデットが呼び止める。少しうわずった、思わずかけてしまったような音だった。
――-なんだ?
シャーリにならって、ぞんざいな口調で答えようとして、逡巡する。
「……なにか?」
選択肢のは、無難な言葉遣いだった。いまだ慣れてはいない商売用の言葉遣い。対外的にはこの言葉遣いが一番問題が少なくてよい。ラーズの手伝いをして学んだことだった。
「―――っ」
一瞬、驚いたようにぺデットが振り返ったラビシュの顔を凝視する。
―――どうした?
思考するが、言葉にはしない。何かを言いかけ言葉をつぐんだぺデットの顔を、ラビシュは凝視する。豊満なほほ肉と下がったまなじり、そして禿げ上がった頭が柔らかな印象を与える。一見温和なこの顔が、ぺデットの商人としての顔なのだろう。そんな、益体もないことをラビシュは思考した。
―――いったい、なにを言う?
瞬間、ラビシュの好奇がうずく。ラーズとは異なるあり方を示す、けれど同種の商人が一体なにをラビシュに言おうというのか。思考してもラビシュに分からない。ゆえにこそ、興味がある。
だが、数瞬の沈黙の後、ラビシュの耳に届いたのは、
「……いや、すまない。―――健闘を」
そんなありふれた辞儀だった。
軽い失望を胸に、ラビシュは一歩を踏み出した。
「―――感謝を」
短く、それだけ告げる。答えなど、気にしてはいない。ただの辞儀なのだ。
歓声が聞こえる。
薄暗い通路の先、煌々と照る外の光。そこから今日も最低で最悪な舞台へ導く呼び声がなっている。
―――ほんとう、クソッタレだ。
「さあ、行こうか」
辟易とした思いを抱きながら、けれど、進む思いを口にした。