そして、服従の鐘がなる①
ずしんと大地が鳴動する。
―――なんだ?
いつも以上の揺れを感じ、ラビシュは疑問した。
場所は、ラベル・ワン選手控え室。いま、舞台では稲妻シャーリ・エストーが戦っているはずだ。
「いやあ、すごい客だ。変わらずすごい人気だね、稲妻は」
「……強いからな」
いつも通り薄ら笑いを浮かべたラーズを、ラビシュは首肯した。
―――だが、少しうるさすぎないか?
ラビシュがシャーリの戦いを見たのは一度だけだ。その時にも超満員の観客たちの声に度肝を抜かれたものだったが、今日はそれ以上の熱気がある。そう思えた。
「相手はだれだ?」
―――よほどの相手なのだろう。
「ふふーふ。……さて、だれだったかな」
ラーズがあいまいに答えをはぐらかす。
知らないわけはない。理由は分からないが、とぼけているのだ。
「よほどの大物なのか?」
再度、ラビシュは問いかける。
「大物かどうかは知らないが、大きいのはたしかだね」
だが、ラーズは答えない。ただ笑みを含んだ声でそう言うだけだ。
―――なにがある?
ラビシュの背に意味のない警戒がひた走る。
それは普段出場前にやってくることのないラーズが、控え室を訪なった時点で感じていたことだ。まるで監視しているような風情がある。
「―――っ」
再び部屋が大きく振動した。獣声に似た叫びが二、三度響く。
――― 一体、なにが起こっている。
「気になるかい?」
問いかけにラビシュは答えない。ただ無言でラーズを見返した。
「……つれないなぁ。人間、素直なほうがいいこともあるもんだよ」
つまらなそうにラーズは嘯いた。
「は、あんたがソレを言うかよ」
ラビシュは失笑する。人を簡単に信じるなとは他ならぬラーズから教えられたことだった。そのことに思い至ったのだろう。ふむと一度ラーズが頷いた。
「ふふー。そうだった。君に猜疑を教えたのは他ならないぼくだった」
「……それで?」
ラビシュは再度疑問する。ラーズのことだ。別に話す気がないわけではないのだ。ただその過程を楽しんでいるだけに過ぎない。
「それで、とは一体なにかな?」
「一体、なにを仕掛けたんだ?」
単刀にラビシュは問いかける。その最中にも舞台の上の興奮は絶え間なく届いている。シャーリにしては珍しく長引いているらしい。
―――苦戦しているのか?
ふと浮いた疑問を、けれどすぐさま打ち消した。
あのシャーリのことだ。苦戦だけが長引く理由ではないだろう。
「ふふーふ。……そういえば、魔術はどうも苦手だったみたいだね」
「―――っ」
予期せぬ言葉を向けられ、ラビシュはラーズを仰ぎ見た。
シスに連れられたラベル・ツーからすでに一月以上が経っている。連れられたその日からラビシュはシスを先生に魔術を乞うた。だが、その結果は惨敗だ。
ラビシュに魔術の才はない。
魔素を受け入れられないのだ。それでは魔術は使えない。残されたのは闘術だけだが、それもうまくいっていない。
魔素を受け入れる力のないラビシュには、自身の命を魔素に変換する方法を会得することも難しかった。むやみに使えば、命は枯渇し死ぬことになる。
「……商品価値が下がったか?」
皮肉をこめてラビシュは言った。
聞けば、ラルーファでは魔術が普通に使われるそうだ。
当然、シャーリ・エストーも使うことができる。
現時点でも埋められない差があるのだ。それが魔術が使えないという理由で、もっと大きく引き離される。
その距離は、隔絶といっていいレベルのものだろう。
シャーリに勝てぬことが明らかになったいま、ラーズのラビシュに対する評価は決まっている。
ラーズは答えない。それが一層鮮やかにラビシュの位置を教えてくれる。思えば、ラビシュの価値は買われたときより変わっていないのだ。
―――だが、それはそれでいい。
すでに覚悟していたことだ。分かりきっていたことだ。割り切れば、なんの問題もないことだ。
じりじりとした沈黙が部屋を支配する。
言葉はない。ひとりは挑むように見つめ、ひとりは真意を感じさせぬ笑みを浮かべている。
沈黙を破ったのは、ラーズでもラビシュでもなかった。
響く。まるで地が震えるような断末魔。およそ人のものとは思えない凄絶な末期の声が鳴り響く。
「……終わったな」
「っふーふ。そのようだ。バケモノらしい醜い鳴き声だね、これは」
―――バケモノ?
ラーズの言葉に引っかかるものを覚えながら、ラビシュは鎧へと手をかける。
胸当てをつけ、脚絆を巻き、篭手をつける。そうして心を固め、血の沁みた獅子面を手に取ったときだった。
「価値はあるさ」
短く、ラーズが言い放つ。
「……?」
「価値はある。ぼくにとってラビシュ、……君はすこぶる価値があるんだぜ」
薄ら笑いを浮かべたまま、朗々とラーズが言葉を継いだ。
―――なにを、言っている?
困惑を宿してラビシュはラーズを見つめた。いったい、なにがどうなっているのか分からない。
―――ラーズが、俺を?
「ぼくは哀しい。あとたった三戦だ。あと三回勝てば、君はぼくのもとを去ってしまうだろう。それが、ぼくはすごく残念だ」
「ラーズ、なにを……」
ラーズは手を伸ばしてラビシュを制す。
「いや、いいんだ。みなまで言ってくれるなよ。分かっているんだ。金で結んだ契約は金によって解消される。商売の基本さ。それは仕方のないことだ」
そこまで言ってラーズは扉へ向けて歩き出す。
その背を無言でラビシュは見送り、血の染みた獅子面を手に取った。
―――いまは、生き残ることだけを考えろ。
戒めるようにラビシュは獅子を被る。
それは崩れかけたラビシュの心を縛るタガだった。