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その笑みはだれのため

 「ふん。やはり匂うな」

 

 その場につくなり、ぺデット・ディーンははき捨てた。

 場所はゴード地下広場。一部の人間しか入ることを許されないゴードと外を繋ぐ数少ない施設のひとつだ。

 そこにいまぺデットはいる。用件はもちろん、ローンより託された魔物の入荷業務だ。

 

 「へっへ、仕方ありませんよぉ。なにしろココは地下だぜぃ、ダンナぁ」

 

 ローンの目の前に立つ小男―――トルクが鼻にかかった声でそう告げた。フードを頭から被ったトルクを一瞥し、ぺデットは歩き出す。

 ゴードの地下は街の下水の終着駅となっている。匂うのは当たり前だ。そんなことはトルクに言われるまでもなく、ぺデットも知っている。

 

 ―――その臭さではないのだ。

 

 「あ、ダンナ。それ以上近づいちゃあ、だめですぜ」

 「……分かっている。これか? 貴様の商品は?」

 

 鼻につく匂いは下水のそれではない。むせ返るような憎しみの香りだ。特有の獣匂が鼻を通過するたびに、ぺデットの脳内で憎しみが迸る。

 

 ―――いる。この先に、妻たちの仇が……。魔物がいる。

 

 巨大な檻がいくつも並ぶ。地下特有の暗さゆえ、はっきりと見ることはできないが、そこに自分の敵がいることをぺデットははっきりと知覚した。

 

 「おい、ハゲ。血ィ出てんぞ」

 

 変わらず失礼なシャーリの言葉を受けて広げてみれば、本当だ。いつの間にか、ぺデットの硬く握った拳から血が滴り落ちている。

 

 「ぐうぅるるうっ!!」


 血に興奮した魔物がうなる。


 「うるっせいぞい! この畜生がっ!! ……ダンナぁ。こいつらを刺激しないでくれよぉ」

 

 檻に乱雑に棒を突き刺し、トルクが魔物を制す。困ったような声を上げながらも、トルクの顔には喜色があった。安全圏からいたぶる事が好きなのだ、この男は。

 

 「で、どれなんだ?」

 

 謝罪の言葉もなくぺデットはそう聞いた。その横ではシャーリが興味深そうに檻を眺めている。さすがのシャーリでも魔物を間近に見ることは少ないようだった。

 

 「へぇ? …………ダンナぁ。どれってのは、一体どういうことでぇ?」

 

 首を傾げ、トルクがぺデットの方を向く。その反動でフードがずれ、ちらりとトルクの肌がぺデットの視界に触れた。青黒く所々が隆起した小鬼のような醜い肌だ。

 

 「んぐあっ!」

 「貴様っ!! 醜いものを見せるなっ! この呪われた相の子がっ!!!」

 

 怒声一閃。ぺデットは持っていた袋をトルクめがけて放り投げた。

 金貨の散らばる硬質な音が響く。商人にとって、時には命よりも大切な金貨をも放り出さねばならないほどの嫌悪、それがぺデットの体を駆け巡る。

 眼前の魔物にも劣らない忌むべき存在。それが、亜人種との間に生まれたトルク・ホーガンという男だった。

 

 「そんなカリカリすんなよ、ハゲ。こいつらもなかなかかわいそうなやつらなんだぜ。……ほら、こんなに怯えてやがる」

 

 諧謔を含んだ声で言い、シャーリがトルクのほうへ歩きだす。その先ではトルクが地に跪き、頭を抱えて震えていた。小さく許しを請う声が連続する。

 その様がいっそうの軽蔑をぺデットに思わせる。

 

 ―――見れば見るほどに醜いやつらだ。

 

 忌むべき亜人種との交配の果てに生まれた忌むべき存在。まれにハーフエルフなどのように、美しいものも生まれるようだが、大半は醜い。当然だ。ぺデットは肯定する。魔族との間に生まれるなど、醜くないわけがない。

 

 ―――そのような存在にどう接すればいい?

 

 答えは決まっている。蔑むだけだ。二十にも満たないか細い生を与えられるだけでも僥倖だ。ありえないことだ。同情など……ありえるはずがない。

 

 「ふん。そんなばかげたことを言う暇があるのなら、はやく選んでしまえ。……おい、なにをいつまでも這いつくばっている。貴様の体に触れた金貨を一枚残らず拾っていろ」

 

 変わらずうずくまるトルクの背を蹴り、ぺデットが告げる。今回ぺデットがやってきたのはあくまでもシャーリのお目付けとしてだ。実際に選ぶのはシャーリとなる。シャーリが戦いものと戦わせるのがもっとも早いと踏んだからだ。


 「やれやれ、ひどいハゲもいたもんだ」


 軽口を叩きながらシャーリはゆるりと檻を見渡した。

 

 「これ全部なんて言ったら、当然怒るんだよな?」

 「当たり前だ。ふざけたことを言うな」

 「ふざけたわけじゃねぇよ。……ま、いいか。こいつはどうよ?」

 

 言われぺデットは視界を上げる。高い檻のなか、窮屈そうに身をかがめる魔物の姿がある。ギガントと呼ばれる一つ目の巨人だった。

 

 「ほう、これなら見栄えは相当いいな。めずらしい、貴様がそのようなことを考えるとはな」

 「ちげぇよ」

 「では、なんだ?」

 「簡単さ。ただ一番派手に血を噴くだろうと思っただけだ」

 「血狂いめ……。で、赤獅子のほうはどうする? あれも頼まれてはいるのだ」

 

 辟易とした口調でぺデットが言う。赤獅子の相手を選ぶ。こちらのほうが問題だった。

 

 「で、って言われてもなぁ。それはあんたに与えられた仕事だろう?」

 

 シャーリが薄く笑う。その笑みはすべてを見通している笑みだ。シャーリ・エストーはただの戦闘狂ではない。それをあらためて感じさせる笑みだった。

 

 試験なのだ。

 

 赤獅子の相手を選ぶというのは、ローンからぺデットに与えられた試験なのだ。敵に属する相手の力量をしっかと見定め、それに応じた相手を私情に関係なく選び出すことができる。それは魔物の取引をこれから一手に任される人間には必須な要件だ。その上で、舞台を盛り上げる相手を選べるか。まさにこれはぺデットにその後を任せるか否かを、任せられるか否かを決めさせるたった一度の試験といっていい。

 

 赤獅子―――ラビシュのことはあらかた調べた。

 

 それがいけなかった。

 それほどの情報が集まったわけではない。だが、まだ年端もいかない少年だということを知ってしまった。

 借金をカタにラベルに子どもを出場させるラーズにぺデットは激怒した。だが、いかんせん赤獅子は人気がありすぎる。いまさら出場年齢を満たしていないという理由で下げることはできない。そして、今度の魔物との戦いだ。

 少年をあの汚らわしい野獣どもの前にさらすことになるのは、ぺデットとしては耐え難い。魔物に殺されるものなど、ほんとうに出したくはないのだ。

 

 ―――だが、選べなければ、ぺデットの代わりはラーズだろう。それは許されるものではない。

 

 「……おい、これは?」

 「ダンナ、そいつは」

 

 ぺデットの視線が檻のひとつに固定される。なかには金のたてがみを揺らす魔物がいる。瞬間、ぺデットの脳裏に成功の二文字がきらめいた。

 

 「こいつでいい。いや、こいつにしよう」

 

 トルクの言葉には耳を貸すこともなく、ぺデットは決断した。

 

 「こいつとさっきのを出せ。金はそれで足りるだろう」

 「わかったよ、ダンナぁ」

 

 ぺデットの言葉にトルクがゆっくりと首を動かした。さきほどの折檻が聞いたのだろう。フードが揺れぬよう気をつけているようだった。

 

 「では、行くぞ」

 

 早口に告げ、ぺデットは歩き出す。このような場所、用がなくなれば、ささと去るに限るといった風情だ。

 

 「オレはもう少し残るぜ」

 

 後方からシャーリがそう言った。

 

 ―――なぜだ? 

 

 そう言いかけてぺデットは言葉を呑んだ。そのような瑣末なことを問うよりも早くここを去りたかったのだ。ここはあまりにくさすぎる。

 

 「そうか。屋敷に戻る前にはきちんと風呂に入って来い。魔物のにおいなどさせていたら屋敷には入れんぞ」

 

 振り返ることもなく告げ、ぺデットが去っていく。

 

 「りょーかい、りょーかい」

 

 適当に応対しながら、シャーリ・エストーは微笑んだ。

 その笑みは広場の闇と同じくほの暗いものだったが、ぺデットが見ることはなかった。


 

 ◇

 

 「いやあ。はじめてきたけれど、ひどいにおいだな。ここは」

 

 そう言ってひとりの男が闇よりやってくる。

 

 ―――来たか。

 

 ほの暗い灯りに男の顔が照らされる。いつも通りの気味の悪い薄ら笑い。ラーズだ。ぺデットのもっとも嫌う人間を、しかし、シャーリは笑顔で迎え入れた。

 

 「よう。時間通りだな」

 

 旧友に接するようにシャーリが言葉を発す。応えてラーズも軽く頷いた。

 

 「ふふーふ。商人ってのは時間を必ず守るのさ。時は金に変えられない数少ないものだからね。ほら、よく言うだろう? 時は金なりってさ」

 「よく言う。時も売り買いすんのがあんたら商人ってやつだろう?」

 「ふふーふ。いや、まいった。ぺデットなんかより、君のほうがよほど商人に向いている」

 「あのハゲが商人に向いてなさ過ぎるだけの話だろ。オレは金なんか興味ない」

 

 そう言い捨てて、シャーリは傍らの檻を眺め見た。その先にいるのは、強靭な魔物たちだ。

 

 「分かっているさ。分かっているよ、シャーリ。君が欲しいものは金じゃない」

 

 変わらず微笑んだままラーズが近づいてくる。

 

 「―――っ」

 

 小さく息を呑む音が後ろで鳴った。トルクだ。見ればその身をむりやり引き剥がすようにじりじりと後退している。

 

 ―――怯えているのだ。

 

 おそらく意図してではないだろう。ただ本能的に下がったに違いない。

 ずらしていた視線を戻し、シャーリはラーズを見据えた。強さなどは感じない。斬ろうと思えば、一刀でできるだろう。だが、なにかが違う。並みの商人とはなにかが……。

 

 「暴れる場所が欲しいんだろう? 自分の力を思い切りぶつけられる場所が、相手が欲しいんだろう?」

 

 ―――来たか。

 

 話があると言われたのはずいぶんと前だ。それまでも何度か話す機会はあったが、本題に触れることはなく終わった。今回切り込んできたということは、準備が整ったということだろう。

 

 ―――もしくは、整いつつあるのか。

 

 「あんたがくれるってのか?」

 

 商人というのは口先だけで生きている。ゆえに相手へ重圧を与える方も心得て当然だ。飲まれぬようシャーリは下腹に力を入れた。


 「ふふーふ。逆に聞こう。ぺデットについて行ってソレは手に入るのかな?」


 ―――イヤなところを突きやがる。


 「……。それはあんたについていってもそうだろう? それともなにか? あんたについていけばオレは必ず満足できる保障でもあるのか」


 内心舌打ちしながらシャーリは答えた。


 ラーズの問いは正しい。事実先ほどの魔物を選ぶ場面においてもシャーリは物足りなさを感じたものだ。いまでないとしても、近い将来シャーリはぺデットのもとを離れなければならないだろう。


 ―――その瞬間が、いまなのか?


 シャーリは自問する。それゆえの問いかけだ。ここでラーズが満足する答えを与えるならば、すぐにでもシャーリはぺデットを裏切るだろう。


 しょせんはその程度の関係だ。


 「いや、そんなものはないね。強いて言えば、たぶんボクと一緒のほうが面白いぜくらいのものだね」

 「それなら答えは聞かなくても分かるな。ノー、だ」


 それが安心ゆえか失望ゆえかは分からない。だが、シャーリは全身から力が抜けるのを感じた。


 「ふふー、それは残念。キミがぺデットをそんなに気に入ってるとは思わなかったよ」

 「べつに。理由なく裏切る意味がないだけの話だ」


 それは真実だ。

 たまたま空腹のときに出会ったのがぺデットだけの話なのだ。だが、それだけでもなにもないラーズと比べれば雲泥の差があった。


 「そうかい? 面白そうも理由にはなるとは思うけれど……。ま、時間を取らせて悪かったね。本題の魔物を見せてもらおうかな」


 ―――なんだか拍子抜けするほど簡単にあきらめたな。


 「ん、こいつだ」


 そんなことを思いながらも、シャーリは応じた。

 もともと赤獅子の相手となる魔物の確認がしたいと頼まれただけなのだ。ぺデットに嫌われている自覚のある相手ならばこれくらいの用心は普通だろう。頼まれごと自体は、焼き串十本で請け負った。もちろんぺデットには内緒だ。


 「はーん。なるほど。まあまあだね」


 指差した先、檻の中の魔物を見るなりラーズはうそぶいた。


 「そうか? あのハゲにしてはよくやったと思うがな」

 

 檻を覗き込みながらシャーリは告げる。奥にいるのは獅子をベースにした魔物だ。赤獅子という二つ名を持つ者のはじめての相手としては適当なところだろう。

 

 「ま、無難なぺデットらしいよ」

 

 そんな誉め言葉とも文句とも取れぬ言葉を続け、ラーズが振り向いた。その先にいるのはフードを目深に被った小男―――トルクだ。

 

 「トルクだったね。ちょっといいかな」

 「へ、へぇ。なんでしょう、ダンナ」

 

 変わらぬ薄ら笑いのラーズに手招きされ、トルクがやってくる。本心では逃げ出したいのだろう。顔は見えないが、体全体が近づくことを拒否している。

 

 「これをラベルのはじまる直前にコイツにやって欲しいんだ」

 

 言いながら、ラーズはぐっとトルクの肩を掴み寄せ、その手に小さな小瓶をひとつ手渡した。

 その衝撃でふわりとフードがずれ、醜いトルクの顔があらわになった。先ほどのこともある。トルクが「あ、ああ」などと慌てふためいた。その様は見ていて悲しくなるほどの滑稽さだった。

 

 「いいかな?」

 

 だが、そんなこと気にも留めず、ラーズは言葉を接いだ。その目は避けられることなくトルクの顔を捉えている。

 

 「え、あ……」

 

 はじめての体験だったのだろう。そう言ったまま、トルクが固まった。

 

 「これをコイツにラベルのはじまる直前にあげて欲しいんだ。頼むよ」

 

 再度ラーズが頼む。

 あろうことか小瓶を握らせたトルクの手を握っている。青黒く変色した亜人種の手だ。先にぺデットの対応を見ていたからだろう。その丁寧さはありえないほどのものだった。

 

 「……なんでさぁ、これ?」

 

 困惑を宿した目で、トルクが聞いた。

 

 「ふふーふ、それはあげてみてのお楽しみさ。金は払うよ」

 「あんた、それは」

 

 笑いながら言うラーズをシャーリが咎める。いま渡したものは、シャーリの見間違いでなければ、いまこの場に一番似つかわしくないものだった。

 

 「ふふーふ、シャーリ。キミの望みを叶えてあげるよ」

 

 質問に答えることなく、ラーズが笑う。

 

 「な、なにを言って……。いや、そうじゃねぇ。それをどうするつもりだ」

 「どうって、食べさせるのさ」

 

 平然とラーズが口にする。

 

 ―――なにを言ってやがるんだ。この男は……。

 

 「正気か。それがなんなのか知っててやるのか」

 「ふふーふ、当たり前じゃないか。知らなきゃやらないよ。暴走するね、間違いなく」

 

 ―――やはり、見間違いではなかったのか。

 

 ラーズが手渡したものはある花の蜜を集めたものだ。墓場草と呼ばれる植物のにおいは魔物を狂わせる。正常な判断をすべて失わせ暴れ狂わせる。その何倍もの効力を蜜は持つ。

 

 ―――そんなものを飲ませれば……。

 

 「赤獅子を殺すつもりか?」

 

 シャーリは単刀直入にそう聞いた。墓場草の蜜は魔物を狂わせ、果ては絶命に導くかわりに一時的に肉体の限界を飛び越えさせる。

 

 「いや、べつにそんなつもりはないよ。きっと盛り上がるだろう? まあ最悪死ぬこともあるかもしれないけど……。それはいいよ、べつに。もう十分稼がせてもらったからね」

 「な……」

 

 平然と告げるラーズにシャーリは戦慄した。赤獅子のことなどなんとも思っていない。

 

 ―――こいつは……大概だ。

 

 いまだ会ったことがない赤獅子にひそかにシャーリは同情した。これなら使えないとしても、ぺデットの方が数倍マシだ。

 

 「シャーリ。これはチャンスだぜ? ラビシュが倒せなければどうなると思う?」

 「……は、そういうことかよ」

 

 ラーズの言葉にシャーリは微笑んだ。

 

 ―――前言撤回だ。こいつは危険を度外視しても面白い。

 

 暴走した魔物に仮に赤獅子が負ければどうなるか? 

 答えは決まっている。シャーリが相手をするのだ。暴走する魔物。ギガントなどには及ばない興奮があるに違いない。

 

 「それだけじゃない。もしも、ラビシュが勝ったとしたらキミはどうする?」

 

 ―――それは、さらに面白い。

 

 ふつと体の奥底から熱が上がってくるのが分かる。暴走した魔物を殺せるほどの相手。そんなもの、ラルーファにもいるかどうかは分からない。

 

 ―――戦ってみたい。

 

 だが、それをするということはぺデットを裏切るということだ。魔物が暴走すればその責任を取らされるのは、ペデットのほかにはいない。

 

 「勝つと信じているのか?」

 「信じてはいないよ。もしもと言っただろう? でも、まあこれだけは約束できる。ラビシュが勝てば、君にとっての楽しみは増すだろうね」

 

 薄ら笑いをひっこめて、ラーズが応じた。その顔は自信に満ちた商人の顔となっている。

 真偽は分からない。商人はゼロを百に見せることができるからだ。だが、それがいっそうシャーリの心を沸き立たせる。この興奮は、この度胸はぺデットにはなかったものだ。

 

 ―――こいつについていけば、確かに退屈はしなそうだ。

 

 「く、くはっ! あっははっははは! なるほど、確かにアンタとハゲじゃ格が違う。いいぜ、いいよ。のってやる。赤獅子が勝てばオレは全部黙って従ってやるよ」

 

 知らずシャーリは哄笑する。強敵を前にする以外でこれほど愉快な気持ちになったことははじめてだ。

 

 「ふふーふ。それはよかった。重畳だ」

 「だが、赤獅子が負ければオレはすべて言うぜ?」

 

 獣のように笑いながら、シャーリは告げる。すでに一連のやり取りは眼にとってある。それをすら承知で嘯いたのだ、ラーズは。

 

 「かまわないさ。賭けるものが大きいほど見返りも大きくなる」

 

 ―――よく言う。負けるつもりなど毛頭ないくせによ。

 

 「さて、商談成立というわけだが……。もうひとつ案件を片付けないとね」

 

 ふたたび薄ら笑いを浮かべ、ラーズが前を向いた。その先にはもちろんトルクの顔がある。

 

 「……殺すか?」

 

 短くシャーリは告げる。どうせ殺しても誰も同情しないやつだ。殺すのが一番面倒がなくていい。

 

 「はひぃ」

 

 小さく喚き、トルクが身をよじる。だが、逃げられない。ラーズの手はいまだトルクの手を握っている。

 

 「おいおい、あんまりひどいことを言うなよ。大丈夫さ。ここはボクに任せてくれよ」

 「大丈夫かよ?」

 

 ―――そいつらは簡単に保身に走るぜ。

 

 トルクたちは人に蔑まれ生きている。そういう人間の生き方は簡単だ。つねに強きものに尻尾を振る。いまここで忠誠を誓ったとして、すこし離れれば分からない。そんなやつらなのだ。一番簡単なのは、やはり殺すことに限る。

 

 ―――でも、従える方があるなら、それはそれで面白い。

 

 「ふふーふ、なんだい? 心配してくれるなんて存外やさしいね」

 

 なにを勘違いしたのか、そんな間抜けたことをラーズがのたまった。

 

 「違う。あんたをまだ信用してないだけだ」

 「大丈夫。ぼくは商人だぜ? 交渉はお手のものだ」

 

 薄ら笑いを浮かべ、ラーズが答える。どのような手法を使うにせよ、見せるつもりはないようだ。

 

 ―――それもそうか。商人にとっては交渉術が唯一の生命線ってところだもんな。

 

 「そうかよ。んじゃま、今度のラベル楽しみにしてるぜ」

 

 言って、シャーリはその場を後にする。実際トルクが従おうとラーズが失敗しようとなにも変わらないのだ。

 

 ―――変わるのは、あんたが勝ったときだ。

 

 知らず、口が笑みを形づくる。これほど次のラベルが楽しみなのははじめてだ。それだけで、今日この場であった価値がある。

 

 「ふふー、任せておきたまえ」

 

 暗い広場に落ちてくる下水の音の合間に響く。そんなラーズの応答の声を聞きながら、シャーリ・エストーは深く微笑んだ。


 

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