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魔法闘技場ラベル・ツー

「それで、いつになったら教えてくれるんだよ」

 

 先を行くシスの後ろで、ラビシュは問うた。

 

 『魔法教える。着いてきて』と言われ、すでに一時間は歩いている。いい加減にじれていた。

 

 「まだ先」

 

 ラビシュの方を見ることもなくシスが告げる。

 

 「まだ先って、そろそろ南区だぞ」

 

 ゴードは中央にあるラルーファ用闘技場を中心に四つの区画に分けられる。普段ラビシュたちの生活する場は商業区に割り当てられている東区だ。

 

 「南区は入れないって、ラーズも言ってただろ」

 

 南区はゴードに住む下級貴族やその従者の居住が多くある。一般人の住む東区や北区、農耕用に開かれた西区とは異なる街だと聞いている。ラーズ曰く『中々豪華で素敵なところ』らしい。

 

 「魔法は南区でしか見られない」


 シスはそれだけ言って進んでいく。緊張でもしているのか、表情はいつも以上に硬かった。

 

 「待てぃ。ここから先は許可がなければ通れんぞ」

 

 区を隔つ巨大な壁に到達した時だった。黄と緑の格子模様の服を着た兵士らしき人物が呼び止める。胸にはバラと鐘の紋が入った刺繍が縫いつけられ、手には長槍を持っていた。

 視線をずらせば、男の背後に、人ひとりが通れるほどの大穴が開いている。その壁穴を通って行こうというのだろう。

 

 「許可?」

 

 シスがなにか答えるよりも早く、ラビシュはそう返した。

 

 「なんだ、なにか文句でもあるのか?」

 

 男が不満げにラビシュを見下ろし、穂先を向ける。ラビシュの言葉など聞く気もない。高圧的な態度だった。

 

 「べつに文句はない。……これでいい」

 

 思わず男を睨みかけたラビシュを遮って、シスが男になにかを手渡した。小さな麻袋に入ったなにかだ。

 袋の口を少し開け、男が中身を検分する。小さく金属の摺れる音がしたが、それだけだ。

 

 「……。あー、うむ。通っていいぞ」

 

 無感情に男が告げる。すでにラビシュたちに関心などないようだった。

 

 「どうしてあんなとこ通ったんだ? 門使えばよかっただろう」

 

 大穴を通ってしばらく、ラビシュが訊ねる。

 区を行き来するために通用門が設置されているのは、いくらラビシュといえど知っている。なぜあんな穴を通ったのかが、そもそも謎だった。

 

 「南区へ通じる門は私たちには使えない」

 「なんで?」

 「人は生まれたときから身分が決まっている。住むべき場所を勝手に出て行くことは重罪。使えるのは貴族と一部の人間だけ」

 

 ゴードでは人の職業と身分は基本的に固定されている。

 医者の子は医者にしかなれず、農民の子は農民として生きることを義務づけられている。ゆえに生れ落ちた場所から出る必要などはなく、認められてもいない。唯一の例外は奴隷だけだ。その事実は多くの人間が落ちてきた貧民街に生きていたラビシュには、耳新しいものだった。

 

 「じゃあ、あの穴を通ったのは……」

 「非合法。でも、大丈夫。アレは貴族が認めた公式の移動方法」

 「は?」

 

 思わず、ラビシュは問い返す。

 

 区間の移動を禁じているのは貴族のはずだ。だというのに、その貴族が抜け道の存在を認めているとは一体どういうことだ。ラビシュは困惑した。

 

 「許可は賄賂と同義。さっきの男は貴族の私兵。輪番で兵を立たせて、許可を徴収する」

 

 つまり

 

 「……金さえあれば移動は可能ってことか」

 

 あの抜け道は貴族たちの丁度いい小遣い稼ぎの場ということだ。

  

 「納得できない?」

 「べつに。世の中そんなものだろう」

 

 ラビシュは吐き捨てるようにそう言った。それだけで、ラビシュがどう思っているのかなんて、一目瞭然だ。

 その態度を見て思うところがあったのか。シスがラビシュの方を振り向いた。

 

 「……従うことと屈服することは違う。うべなうこととへつらうことも違う」

 

 短く、それだけ告げて歩き出す。 

 なにが言いたいのか、ラビシュには分からない。

 だが、黙って言葉を受け取った。なぜかは知らないが、いまはそうすることが正しいことだろう。そう思った。

 

 ◇

 「ずいぶん違うんだな」

 

 目指していた場へと到達するなり、ラビシュはそう言葉を継いだ。魔術師専用闘技場ラベル・ツー。その一隅にいまラビシュはいる。

 

 ラベル・ワンと決定的に異なるのは、円形の闘技場の中心にある舞台の構造だ。むき出しの表土ではなく、きちんと舗装された石床と観客席との間には透明な推奨のような皮膜が張り巡らされている。魔術で作り出された結界なのだという。

 

 全体的に会場は小さい。ラベル・ワンの半分ほどの大きさしかなかった。

 

 「魔術は逃げる必要がない」

 

 シスの言葉では明らかに説明不足だったが、ラビシュは追及はしなかった。

 

 ―――見ていれば分かるだろう。

 

 そう考え、ラビシュは舞台に目をやった。すでに中央にふたりの男が向かい合って立っている。

 

 ―――細いな。

 

 というのがラビシュの抱いた素直な感想だった。

 

 ラベル・ワンに出てくるような人間とは違う。どちらも中肉中背の痩せ男だ。二人ともまるでどこかに遊びに行くかのような軽装をしている。青いマントをした金髪の少年と三角帽を深く被った男。どちらも強そうとは思えなかった。

 

 そのふたりが握手を交わして、少し距離をとる。

 

 「は?」

 

 ラビシュは信じられなかった。

 

 ―――おいおい、なにやってんだ? 一体。

 

 これから命を賭けて殺しあうふたりが、あろうことか握手を交わしたのだ。それもにこやかに。

 そして、なにより観客たちが静かだ。汚いヤジなんてほとんどない。ただ整然と目の前の試合の予想などしているくらいのものだ。ラベル・ワンの野卑さとは大違いだった。

 

 ―――いったい、なんなんだここ……。

 

 ラビシュは当惑した。

 

 「ラビシュ」

 

 シスが呼びかける。

 その横顔は普段のシスとなにも変わらない。ということは、ここではこれが普通だということなのだろう。

 混乱を抱えながらも、ラビシュは視線を舞台へ戻す。

 

 まず動いたのは青いマントの男だった。

 

 「アインスッ」 

 

 青マントが右手を掲げ、勢いよく声をあげた。

 瞬間、数個の火球が突き出された男の手から放たれる。

 

 「おおっ」

 

 はじめて見る魔術に、ラビシュは驚声をあげた。

 

 「ドライッ」

 

 三角帽が短く応え、飛んでくる火球を遮るように手を振った。瞬間、火球が砕けるように飛散した。どうやって消したのか。ラビシュには見当もつけられない。ただ、三角帽へ火球が迫る一瞬、大きく大気が淀んだことだけは見て取れた。

 

 「ツヴァイ」

 

 にやりと笑って、三角帽が声を張る。火球ではない。浮かんだ幾本かの氷柱が青マントめがけて飛んでいく。

 

 「ツヴァイッ」

 

 青マントが唱えると、氷柱が溶け落ちていく。透明な水滴が闘技場の床にたまり、水煙を残して消えていく。

 蒸発しているのだ。かろうじて、それだけは把握できた。

 

 「あれは?」

 「ストックした魔術を展開してる。登録ナンバーを唱えるだけで展開できる簡易術式。詠唱不要なぶん、扱いやすくて、弱い」

 

 ラビシュの疑問に間髪いれずシスが応える。言葉は少ないが、その分単純で分かり易い。

 魔術を操ることは難しい。ひとつの魔術を扱うのにも多くの学びが必要となる。ひとりの凡魔術師がほんとうの意味で使いこなせる魔術は、両の手にも満たないという。

 その欠点を補うべく編み出されたものが魔術に一定の指向性を持たせ、合目的的に生成する簡易術式だ。魔術のすべてを宿した刻印を術者の体に記すことで、鍵となる言葉だけで瞬時に魔術を発動できるようになる。応用は利かず、力も弱い。けれど、魔力を持つものならばだれにでも簡単に扱えるようになっている。いまや、多くの魔術師が使っている必術だ。

 

 「便利だな」

 

 ラビシュは短く口にした。

 

 だが、それだけだ。戦いを決定づけるものには足りはしない。バリエーションが増えるくらいのものだろう。

 拳闘で言えばジャブのようなものだ。機先の取り合いから、必殺の一撃を繰り出すに違いない。

 

 ラビシュは期待した。戦いを決定づけることの出来る必殺の魔術を見ることが出来るはずだと、期待したのだ。

 だが、その期待は悪い意味で裏切られる。

 

 それから二十分ほど二人は代わるがわる魔術を繰り出しては消してを繰り返した。なんの見せ場もない。結局、勝負は青マントの勝利で終わった。

 三角帽がギブアップしたのだ。

 

 観客たちは文句を言うこともなく、拍手で二人を見送った。ふたりとも有効打などなく、傷ひとつない。ただ交互に魔術を打ち合っただけのつまらないものだった。ラベル・ワンではありえない状況だ。

 

 「なんだこれ?」

 

 思わずラビシュは呟いた。

 

 移動などまるでない。戦闘とも呼べないような交代での魔法の応酬。お遊戯のようなものだ。それが、ラビシュの正直な感想だった。

 

 「これがラベル・ツー。がっかり?」

 

 ラビシュは応えない。ただ黙って舞台を睨む。内心にあるのは忸怩たる焦慮だけだ。裏切られたといっても過言ではない気分だった。

 

 ―――これが魔法? ……こんなもので強くなれるわけがない。

 

 「これは魔法じゃない。ただのお遊び」

 

 ラビシュの心中を汲むように、シスがぽつりと口にする。

 

 「ラベル・ツーの大半はアカデミアの学生───貴族の子。ほんとうの魔法は必要ない」

 「……どういうことだ?」

 

 当然、ラビシュは疑問する。貴族、アカデミア、そして魔法。それにどのような関係があるのか、ラビシュにはまったく分からない。

 

 「貴族にとって魔法は血の優劣を示すもの。戦いの道具じゃない」

 

 見上げるラビシュを見ることもなく、シスは言葉を続ける。

 

 「血の優劣?」

 「魔法はふたつ。外へ働きかける魔術と、内へ働きかける闘術。魔術は大気に溢れる魔素を取り込んで発動させる。ゆえに大規模で、外を改変する。でも、魔素の許容量には自ずと限界がある。普通は魔術を発動させるまでの魔素を取り込めない。だから、魔術が使えるというのは、ただそれだけでひとつのステータスになる」

 

 シスはそこで一度言葉を切った。普段からあまり言葉を続けないからだろう。シスの説明は切れ切れで、まとまったものではない。だが、それでもシスの言うことをラビシュはかみ締めるように理解した。

 

 貴族というのは、いまでこそ利権をむさぼるだけの存在だが、以前は違う。国を支える兵士としての面が強かった。

 

 優秀な兵士を育てるため、幾世代にもわたって魔素を多く受け入れることのできる血筋の開発が行なわれた。たまさか生まれ出る魔素許容量の大きな人間たちの人工交配。そんな反吐の出るような行為が、平和の創設という名の下に行なわれた。

 

 その果てが、いまの貴族だ。貴族は血を誇り、それゆえに自身が特権階級であると信じている。

 

 魔術を扱い、魔族との戦いの最前線に立つ。その役目はすでにない。けれど、彼らにとって象徴ともいえる魔術は、たとえ形式だけとはいえ築かれた支配の正当化には必要なものだった。

 

 ラベル・ツーは、その訓練施設としての面が強い。ゆえにほんとうの―――戦うための魔法ではなく、魅せる魔法になるのだという。

 

 「魔術師には先天的な差がある。魔素をどれだけ取り込めるかという差が」

 

 シスの短い言葉は続く。すでに、舞台には新参者が出て、魔術の打ち合いを演じている。ほんとうに退屈な打ち合いだ。

 

 「許容量以上取り込むとどうなるんだ?」

 

 いっこう盛り上がらない舞台を尻目に、ラビシュは疑問した。

 

 「……ああなる」

 

 眉をすこしだけしかめ、シスが舞台を指した。促されるようにラビシュの視線が舞台に立つ二人を捉え、そしてその瞬間を見咎めた。

 

 相対していたのは小太りの男と痩せた小男だった。さきほどの三角帽たちと同じように短く言葉を叫び、交互に打ち合いをやっている。

 小男が唱え、小太りが応じたそのときだった。

 

 「アインスッ!」

 

 小男の放った氷弾を打ち消すために、小太りは手をかざし、威勢よく言葉を吐いた。

 

 だが、肝心の魔法が出ない。瞬間、会場が凍りつく。

 

 小太りの汗で照り輝く顔に焦慮が浮かび、恐怖が顔面を這い上がる。

 

 ごぶりッ、という異音が響く。ぼこぼこと小太りの体が、水泡のように沸き立ち膨れ上がっていく。まるで肉の風船だ。

 

 「あっ、ああ、あああ。うッ、うううぅうそだろっ」

 

 膨れ上がる肉に押し出されるかのように戸惑いの声が鳴る。顔面はぱんぱんに膨れあがり、溢れた肉に目が隠れ、口が呑まれ、鼻が高さを失っていく。びりりと皮膚の裂ける音が鳴った。まるで水がめのように小太りの体が滑らかに凹凸を失い―――そして、爆散した。

 

 「うそ、だろう……」

 

 見ていたものが信じられず、ラビシュはただそれだけを口にした。

 小太りの姿はすでにない。

 無数のかけらになって舞台一面に散っている。血塊のこびりついた結界に、決壊した人間の叫びが響き、悲鳴が会場に木霊する。おそらく小太りの親族だろう。誰かの名を必死に叫ぶ女の金きり声が警報の如く鳴り響く。

 

 「魔法は諸刃の力。しょせん魔族からの代用品。人の身にはあまるもの。危険は当たり前に存在する。……これでも、魔法が使いたい?」

 

 眉ひとつ動かすことなく、シスが聞く。その反応にラビシュは思わずシスから目を離し、そして戦慄した。

 シスだけではないのだ。

 人が木端になる瞬間を見ておきながら、会場の大半の人間はひどく落ち着いている。―――いや、そうではない。冷笑しているのだ。身上のよい貴族たちは、舞台へ散った肉片を見ながら酷薄な笑みを浮かべ、何事かをささやきあっている。

 

 ―――こいつらは……。

 

 貴族も、このクソッタレな街の一員なのだ。上品な扇の下に下卑た本性を覗かせる貴族たちを眺めながら、ラビシュは内心毒づいた。

 

 ―――俺が死んでも、こいつらは嗤うのか! 嗤われるのか!!

 

 そんな考えがラビシュの脳裏を走る。それだけは絶対にイヤだった。

 

 「……。強く、つよくなれるなら」

 

 ―――お前たちを悦ばせてなどやるものか。

 

 いまだへらへらと囁き合う貴族たちを睨みながら、ラビシュは吐き出すように言葉を口にした。

 

 「……次に出てくる人たちをよく見る」

 

 短くそれだけ言って、シスは視線を舞台へ向けた。その顔はなにかに必死に耐えているようにもラビシュに見えた。

 

 血肉でいまだ汚れた舞台へふたりの人間がやってくる。さきほどまでとは違う。ひとりはラベル・ワンにいてもおかしくないような筋骨たくましい男だ。腰に大鋸のような湾刀を佩いている。

 

 対するは、女だ。濃紺のローブを纏う褐色肌の女だった。

 

 先ほどまでの囁きはすでにない。会場全体が食い入るように、舞台のふたりを眺めているようだった。

 

 「ツヴァイッ」

 

 男が短く簡易術式を展開する。宙に無数の火球が浮かぶと同時に、女が動く。

 

 ―――は、迅いッ!!

 

 瞬く間に女が男の眼前へ現れ、腰からショートソードを引き抜いた。ライトニングには遥かに劣る。だが、ラベルでも滅多に見れない速度の踏み込みだ。

 女のショートソードを男の湾刀が弾く。瞬間、無数の火球が意志を持つように弾き飛び、四方から女に襲い掛かっていく。

 それは先ほどまでの直線的な動きしか出来なかった火球とは雲泥の差にあるものだった。

 

 「アインス」

 

 女が短く言葉を唱え、風が巻き起こる。女を覆うように現れた風の壁が、火球を弾く。

 男には女が防ぐのは分かっていたのだろう。弾かれる火球を目くらましに、男が女にむけて湾刀を薙いだ。破砕音が鳴り、風の壁が裂け散る。瞬間、弾かれた火球が再び壁のなくなった女へと襲いかかる。

 

 ごう、という激しい音をたて火焔があがる。

 その様を浅く嗤った男の体が、弾かれたように地を転がった。

 焼かれたはずの女が、男の背後から刃が燃えるショートソードを打ち放ったのだ。タタン、タタンと小気味よい音をたて、燃えるショートソードが地面へ打ち込まれていく。

 

 「ちっ」

 

 地面に刺さった炎の杭。それを視界におさめた男が大きく舌打ちし、再びその身を転がした。

 燃える炎が伸び、蛇のような炎鞭となり男を襲う。炎蛇に噛られ、男の肩が真っ赤に焼ける。

 

 「ぐうぅ! フュンフ」

 

 男が簡易術式を唱え、肩に食いつく炎蛇を乱暴に掴み剥ぎ取った。放られた蛇はきらきら光る氷晶を残して消えていく。魔術で凍らせて剥ぎ取ったのだろう。

 

 「フュンフッ!!」 

 

 焼けた肩に氷を張りつかせ、男が疾駆する。

 

 「―――燃やし尽くすが使命なり。過ぎし後に残るものなく、ことごとくを燃やし、ことごとくを生み出だす。求むは炎。望むはことごとくを呑む火炎蛇」

 

 その先では女が、目を閉じて早口で呪文を唱えている。簡易術式ではない。魔術をはじめて見るラビシュにも分かる。なにかが急速に女の周りに集り、収束されていく。

 足止めをすべく、残った蛇が男めがけてその身を伸ばす。

 その姿を見ることもなく、男の湾刀が一刀のもとに裂き散らす。切断面が凍りついているのをたしかにラビシュは見咎めた。湾刀に魔術で氷を付与したのだろう。黒い刀身が薄氷に覆われている。

 

 「フッ」

 

 男が跳躍する。振るうは氷の刃だ。同時に宙に無数の氷柱が展開され、女めがけて飛んでいく。

 だが、間に合わない。女が薄く笑ったのが目についた。ぽつぽつと女の顔に泡が沸いて散っていく。言葉が連なるごとに現ずる熱が、女の肌を焼いているのだ。

 

 「―――はしれ百矢のように。のめ大蛇のように。大顎の炎蛇王ッ!!」

 

 その言葉で、女の魔術が完成した。

 刹那、巨大な顎が男を呑みこんだ。展開していた氷柱が跡形もなく消え、舞台全体を炎が埋め尽くす。

 

 「これが、魔術……」

 

 呆然とラビシュは呟いた。

 

 知らず体が震えている。眼前では赤々と炎が舞台を飲み干し、その中で肩で息する女が燃えいく男を眺めている。男の悲鳴は聞えない。あげているのかもしれないが、聞えはしなかった。

 

 おそらく呑まれた瞬間に絶命したのだろう。

 

 いや、とラビシュは頭を振った。

 

 ―――だろうではない。間違いなく死んでいる。そのはずだ。

 

 あれほどの豪炎に呑まれ生きていられる人間などあるはずがない。ラビシュはそう思い直し、火の消えいく舞台の中央へと目をやった。

 

 ―――やはり……。

 

 舞台の中央に、黒く焼け焦げた男が倒れている。ああして人型が残っているのが奇跡的だ。ラビシュは思った。それほどに圧倒的な火力だったのだ。

 

 ―――あんな人間がいるのか。

 

 戦慄を胸にラビシュは女を見た。熱のせいで、女の顔面の所々がやけどのようになっている。

 

 「ふふ」

 

 女が黒く焼けた男へ近づき哄笑する。会場からはなんの言葉もない。みな、圧倒的な力の前に威圧されているのだ。

 

 「……まだ、おわってない」

 

 そんな中、隣からそう告げる声をラビシュは聞いた。

 

 ―――は、なにを……。

 

 ラビシュがそう思ったときだ。黒焦げの男の死体が勢いよく跳ね起きた。

 

 「ッッツ!!!」

 

 会場全体が息を呑む。

 

 「ぶへっ、ぶはぁ!! あ~、ぎりぎっりだったな!」

 

 焼け焦げた男がそう言葉を吐いた。赤い口腔と輝く瞳が、焼けた体でその存在を強調していた。

 

 「な、なんで生きて……」

 

 ラビシュと同じような言葉を吐いて、女が尻餅をついた。

 

 「は、闘術だよ。皮膚やらはくれてやったが、重要な器官は防がせてもらった。なんだかんだ、あんたの炎は一瞬だったからよ。そのときだけ我慢すりゃなんとかなるかと思ったのよ」

 

 白い歯を見せて、男が笑う。どういう原理かラビシュには分からなかったが、男が生きているのだけはたしかだった。

 

 「だから、こうして焼けた肌も戻ってくってわけだ」

 

 男の言葉通り、焼けた肌が髪が少しずつその姿を取り戻していく。

 

 ―――あれも、魔術なのか?

 

 だとしたら、魔術というのは、どこまでも化け物じみている。

 

 「ぐっ」

 

 女が呻き、その身を後ろへのけぞらす。

 

 「おいおい。人を焼いといて、その反応はひでぇよ」

 

 女の裾を踏み動けなくしてから、男が笑う。見覚えのある顔―――人が勝利を確信したときの顔だ。他人の命を握っているときの顔でもある。

 

 「あんた、もう限界だろう? これ以上取り込んだら、パーンってイっちまうわけだ。そりゃあ、できねぇなぁ。死ぬのはいやだもんな」

 「………」

 

 女は答えない。だが、それがなによりの答えだ。女の魔素許容量(魔力)は、男の言うようにすでに限界にきているようだ。魔術を使えば、さきほどの小太りのように、女は内から爆発して死んでしまう。

 

 「オレは許容量が少ないからな。補うために闘術のほうはけっこう鍛えてたのよ。人生ってのはなにが助けになるかわからねぇなぁ。なっ、貴族様よおぉ!」

 「ぐっ! うぅ」

 

 女の腹を蹴り上げ、痛みで俯いた顔を踏む。

 

 「どうだい? 貴族でもなんでもない、元兵士に高貴なお顔を踏まれる気分は?」

 「ぐうぅ。貴様、平民かぁあ」

 

 女が怒りに顔を歪めて、男を睨む。

 

 「そうだっ! 由緒正しき平民さ、オレは!!」

 

 高らかに男は言葉を口にした。

 

 「平民? 平民だとッ!」

 「平民が、この魔法闘技場(ラベル)で貴族を足蹴にしていると言うのかっ!!」

 「平民!! 身分をわきまえろっ!!!」

 

 会場中の観衆が立ち上がり、男への非難を口にする。それは罵倒よりも命令に近い。平民は従って当然という考えがあるようだった。

 

 「は、黙りやがれっ!」

 

 男が火球を客席へ向けて縦横に放つ。

 結界に阻まれた一撃は、されど観衆を黙らせるには十分だった。

 

 「クソッタレな貴族どもっ! よぅく見ておけ!! 貴族も平民も関係ねぇ。世の中、強い奴が勝つんだ」

 

 つよく女を踏みにじり、男が高らかに喜悦を謳う。

 焼けた顔に宿るは、ひとつの狂熱だ。焼け焦げた体躯で謳うその姿は、圧倒的な優越と狂喜を思わせるに十分だった。

 男になにがあったのか。ラビシュに分からない。だが、強さが、男の手にした強さが、その狂いの一助となったのだということだけはかろうじて理解した。

 

 「つよさに溺れた井の蛙」

 

 シスが短く、言葉を吐いた。

 

 見上げれば、なにかに耐えるシスの顔がある。いったい、なにに耐えているのか。そんな疑問が脳裏をよぎる。

 

 「……ラビシュ。よく見ておくといい」

 

 ―――なにを見ろと言うのだ? 

 

 思わず、ラビシュは疑問した。

 これから起こるだろう惨劇を見ろ。そういうことか? 

 

 ―――だとしたら、俺は……。

 

 失望の陰がラビシュを襲う。だが、それはひとつの動きによってかき消えた。

 

 「……てめぇ、死ぬのが怖くないのか?」

 

 男の戸惑う声が鳴る。

 

 いつの間にか、結界内が白く濁っている。霧だ。ラビシュの視線が男に足下へ走る。

 

 「見くびるな、平民」

 

 にやりと女が微笑んだ。

 高く伸びた女の右手が醜く膨れ上がる。柳のようにたおやかだった女の腕は、いまや丸太より太く、いびつなものだった。

 その腕が教えてくれる。いま舞台を覆う霧は、女の決死の覚悟だ。

 細かな雫が男の焼けた体を濡らし、その身を溶かす。ただの霧ではないことは明らかだ。

 

 「溶ける? 畜生めっ!! 一体、いつのまにこんな仕掛けを!!!」

 「は、喋りが……。平民ごときが我らに意見なぞするからこうなるのだ」

 

 口端を歪めたまま、女が嘲弄する。その様はいまにも殺されようとする人間にしては、あまりに不遜なものだった。

 

 「この死にぞこないがっ!!!」

 

 男が怒号とともに湾刀を振り下ろす。魔術などない。ただの力技だ。

 瞬間、女が再度深く微笑んだ。

 首筋めがけて振り下ろされる湾刀の軌道に、女の掲げた右手が入る。

 

「そんなもので防げるかよっ!」


 男が叫ぶ。

 言葉通り、湾刀は女の手のひらを断ち切って、破裂音と赤い迸りを四方に飛ばして腕を切り開く。

 

 「っ、ぐぎゃあぁぁああっ!!」

 

 響くは男の声だ。

 

 「く、くそっ!! てめぇ、オレになにをっ! なにをしやがったぁあ!!!」

 

 混乱を含んだ叫びが鳴り響く。

 

 「ふっ。ふふふ」

 

 低く笑い、女がゆらりと立ち上がる。

 肩口から迸るせい血が舞台を汚し、かつて腕だった肉片が醜く咲いている。だが、それだけだ。

 幽鬼のように立つ女は、たしかにそこに立っている。魔素許容量を超えたというのに、体中が膨れ上がることもなく立っている。

 

 ―――どういう……。

 

 「腕を捨てた」

 

 ラビシュの疑問に答えるように、シスが言う。

 魔素の吸収元をすべて腕に集約させたのだ。そうすれば腕は破裂するが、体は無事、ということになる。

 魔術の発動に際して魔素吸収元をひとつに固定することは難しい。だが、女はその技術をもち、なおかつ自身の腕を捨てる胆力も持ち合わせていた。そういうことだろう。

 

 「じゃあ、あれはなんだ?」

 

 ラビシュは男を指した。

 振るったはずの湾刀もなく、左腕も肘より先が失われている。いま、あきらかに精神的なダメージが大きいのは男だった。

 

 「魔素の暴走をうまく利用した、その結果。でも、足りない。あれでは、殺せない」

 

 短く告げるシスの言葉へ重ねるように、男が叫ぶ。

 

 「て、てて、てめぇ!!! よくもオレの腕を。腕をっ! 殺してやるっ!!」

 

 猛る獣のように男が吠え、幾十の火球を現出させる。

 腕を捨てるという決死の行動をとっても、いまだ圧倒的に不利なのは女だ。魔術はすでに使えない。使えるのは、自爆覚悟の暴走だけだ。それもすでに知られてしまっている。

 だというのに、女は優雅に左手を翳して微笑んだ。それは先に男が見せた勝ちを確信した優越の表情に他ならない。

 

 「平民というのはまったく愉快だな。貴様はもう終わっている」 

 

 ため息に混じりに口にして、女は失笑した。

 

 ―――なにを言って……。

 

 疑問がラビシュの脳裏を走る。

 だが、すぐに答えはやってきた。

 

 「はっ、なにを言っている? 頭でも狂っ…………」

 

 威勢よく吠えていた男が、突如糸の切れた繰り人形のように崩れ落ちる。

 

 ラビシュはすぐさまその異変に気がついた。男の体がひび割れ、その末端からぼろぼろと崩れているのだ。

 

 「シスッ!」

 「……命が尽きた」

 

 端的に、シスはそれだけを口にした。その瞬間にも、舞台の男はさらさらと砂のように風にのって飛んでいく。

 

 「闘術は、命を削る」

 

 シスの言葉が続く。

 

 闘術は、魔素とは違う生命の糧を使用して発動する。それが底をつけば、いまの男のように、自身の命を振り絞った果てに消えることになる。

 

 「自動修復を発動させていたのが、決め手」

 

 男は怪我をすれば、治るようにしていたのだ。女の大顎の炎蛇王(魔法)で大量に消費していた中での、さきの暴走による傷だ。おそらく、それを治すために発動した自動修復が、殺すことになったのだ。

 

 「あの女はそれをすべて計算してたのか?」

 

 その問いにシスは答えない。答えなど明白だ。あの勝ち誇った態度、女はあの瞬間には勝利を確信していたのだろう。

 舞台では女が優雅に腰折って、歓声に応えている。すでにさきまでの行儀のいい観客はいない。平民を罵り、貴族の優越の証明に熱狂する者たちがあるだけだ。

 

 「ラビシュ。見て」

 

 五月蝿く鳴る歓声を無視して、シスが指し示す。

 その先には、消えいく男の顔がある。生気のない目をして絶命している男が、なにを思うか聞くことは出来ない。だが、そこに残された感情は明白だ。

 

 ―――死にたくない。

 

 そんな深い後悔と妄執が滲んだ死に顔だった。

 シスが言いたいことは明白だ。

 そんなことは、ラビシュにも分かっている。

 だが、と思う。

 

 ―――力が欲しい。強さが欲しい。

 

 生きるためだけではない。クラウとの約束を守るため。自分の未来を切り開くために、力が欲しい。

 

 ―――それに……。

 

 ラビシュはシスを見上げた。

 銀の髪を風に揺らして、シスがじっとラビシュを見咎める。

 

 「ラビシュ。……これでも、貴方は力が欲しい?」

 

 目を離すことなく、シスは短くそう聞いた。

 予想されたその問いに対する応えをすでにラビシュは決めていた。

 


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