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求める理由

白刃が乱暴に宙を切る。

 

 ―――だめだ。これじゃ届かない。

 

 暗くなった通りを照らす灯火の下、ラビシュは舌打ちした。思い描くは先ほど見たシャーリの剣だ。速く、どこまでも迅い剣。その剣に対抗するにはあまりに遅すぎる。

 中段から下段へラビシュは再度剣を振る。

 

 「くそっ!」

 

 思わずラビシュの口から文句が飛び出した。

 

 ―――だめだ。遅すぎる。

 

 たった一振り。けれど決定的な一振りだ。いま剣を振るった間に、シャーリの剣はラビシュに幾つの風穴を空けただろう。致命的な差がそこにはある。

 シャーリの剣は抜刀から突くまでの動作があまりに洗練されすぎている。剣を抜くという行為と攻撃が一体化したものだ。それを超える速さを身につけなければ、あの剣を捌くことなどできないだろう。

 

 ―――これじゃあダメなのか……。

 

 自身の握る剣を眺め見る。大剣とはいえないが、決して小ぶりでもない刀身だ。慣れたとはいえそれなりの重さがある。だが、軽くすればラビシュの非力では切れないものがあるのも事実だ。それに軽くすれば速くなるなんて単純なものでもない。

 剣は腕でなく腰で斬るものだが、それにしても搭載された筋肉と無関係ではない。いまのラビシュでは圧倒的に肉体の成長が足りていなかった。

 

 ―――いや、必ずなにか手はあるはずだ。

 

 剣を硬く握り、ラビシュは正眼に構え直す。

 

 剣が、体が、などすべていいわけだ。事実そうであろうとも、戦いになればそんなものは意味を成さない。そしてなによりラビシュは知っている。なぜか剣を握るたびにちらつく理想が教えてくれる。自分は、自分の剣はもっと迅く、強くなれるということを。

 

 ならば足りないだけだ。自分の研鑽がまだ足りない。ただそれだけのお話だ。

 

 「よしっ!!」

 

 沈みゆく気持ちを奮わせる。ふっと下腹に力を入れ、剣を振ろう

 

 「ねぇ、そろそろ休もうよ」

 

 としたところで呼び止められる。

 

 「……クラウ? いつ来たんだ?」

 

 剣を止め、ラビシュは声のした方を振り返る。暗がりを照らす一本の灯火の下、クラウが立っていた。

 

 「ほんとうに気づいてなかったんだ……。もう夜だよ」

 

 呆れたような口調でクラウが笑う。

 

 「え? ……うわ、ほんとだ。もう夜か」

 

 辺りを見回してラビシュは驚いたように口にする。ラベルから直行してきた時には、まだ夕焼けの赤さを残していた空はいつのまにかとっぷり暮れている。真っ暗だ。

 

 「毎度毎度よく飽きないね。……感心するよ」

 

 持っていたバスケットからビンを取り出しラビシュに放る。中身は水だ。いつのころからかクラウは毎度こうして持ってきてくれるようになっていた。

 

 「お、サンキュ」

 

 喉を鳴らして嚥下する。抜けた水分を補うように、体中に染み渡り心地よい。体中から汗が噴出し、たらりたらりと体を垂れ落ちていく。かなりの時間、剣を振っていたようだった。

 

 「悪かったな。待っててくれたんだろう」

 

 空になったビンを持ったまま、手ごろな段差に腰掛ける。ラビシュが剣を振っているときにはいつもひと段落着くまで待っている。きっと今日もそうだったのだろう。

 

 「今日は遅かったから。いま来たところだったよ」

 

 言ってラビシュから少し離れてクラウも腰掛けた。出会ったころより伸びた茶色の髪が静かに揺れる。瞬間、風にのって果実のような甘い匂いがラビシュの鼻をつく。シスの香りとは違う。どこか人工物めいたものだ。いつのころからか、クラウからはその香りがするようになっていた。

 

 「遅かった? なにかあったのか?」

 「べつに。大したことじゃないよ。すこししつこい人がいただけ」

 

 そして、その香りの高まりと相反してクラウからかつての無邪気さは消えた。以前の世間ずれしてない純真さは薄まり、どこか影を帯びた表情をするようになった。

 

 「はー、そうか。客商売はいろいろ大変だな」

 

 他人事のようにラビシュは相槌を打った。ラーズの手伝いをしているとはいえ、基本ラビシュは裏方だ。人と接することはほとんどない。唯一の例外がラベルでの戦闘くらいのものだった。


 「うん。……大変かな、いろいろ」


 クラウが苦笑する。困ったような悲しいようななんともいえない曖昧な顔だ。この顔をクラウがするたび、ラビシュは自分の無力さを実感する。話を聞くと言いながら、クラウからあれから一度も弱音が吐き出されることはない。


 理由は分かっている。分かりきっていることだ。


 ラビシュに話しても仕方ない。クラウはそう思っているのだ。ラビシュに話したところでクラウの悩みは解決しない。それならば、ラビシュの重荷になるかも知れぬことなど話さないほうがいい。きっとそう思っているのだろう。


 ―――俺に、力があれば……。


 「ん、なに?」


 無言で顔を眺めていたラビシュに、クラウが問いかける。言葉は出ない。自分より三つ年上のクラウの顔がやけに大人びて見える。ラビシュを見つめる淡い瞳の奥に、どれほどの感情を殺しているのだろう。


 クラウの母親にはアレ以来会っていない。だが、この一年でクラウの父親は早くも二度入れ替わった。その事実だけで、クラウがどんな環境に生きているかは明らかだ。


 ―――俺に、なにが出来る?


 ラビシュは視線を落として黙った。眼下には剣がある。クラウの実父を殺した剣だ。そして、この一年で変わった父親たちを殺した剣でもある。ラーズに命じられ殺すたびに、クラウの母親にはそれなりの金が入っているはずだ。だが、それはクラウの幸せとは繋がっていない。逆にラビシュのしていることはクラウを苦しめているひとつの要因をなしている。


 ―――助けるどころか、俺は……。


 クラウを苦しめている。それでいてすべてを告げる勇気もなく、クラウを助けることで自分の罪を贖おうとしているのだ。それはなんて自分勝手な願望だろう。


 ―――クソッタレめ。

 

 「どうしたの? どこか調子悪い?」

 

 下を向いたまま黙りこくったラビシュにクラウが声をかける。

 

 「え? い、いや。悪い。えっと……どうやったらもっと剣速くなるかなーとか、そんなこと考えてたり……」

 

 ラビシュは笑ってごまかした。助ける力も、告げる勇気もない自分にできることは、ただ明るく振舞うことだけだ。少なくとも自分と会っているときだけは、クラウには普通でいて欲しかった。

 

 ―――まあ、これも自分勝手な願望だけど……。

 

 「はあ、ラビシュくんはいつも剣のことしか考えてないんだから。仕方ないなぁ」

 

 クラウが苦笑する。呆れたようでいて、少し楽しそうだ。なぜかは分からないが、クラウはラビシュが剣にのめりこむ様をどこか好ましいもののように見ている節がある。

 

 ―――理由も知らないのに……。

 

 クラウがラビシュに理由を聞いたのは一度だけだ。

 

 『強くなりたい』

 

 ラビシュが答えたのはそれだけだ。説明もなにもない。だが、クラウはそれ以後なにも聞いてこない。

 

 「強くなってね」

 

 唐突にクラウが口にする。

 

 「え?」

 「私、待ってるから。ラビシュくんが強くなるの、待ってるから」

 

 灯火に照らされ顔の半分がオレンジに染まるクラウが優しく微笑んだ。

 

 「……」

 

 ラビシュは言葉を呑んだ。いままで見たこともない艶やかなクラウの微笑に圧倒されたこともある。だが、それよりもラビシュの心を埋めたのは、なんともいえないヨロコビだ。それはひとつの解放に近い感情だった。

 

 クラウの力になりたい。どうすればクラウを助けることが出来るだろうか。そう考えていたラビシュの眼前に答えがやってきたのだ。それもほかならぬ本人の手で。

 

 ―――強く、つよくなればいい。

 

 知らず剣の柄を握っていた手に力が入る。

 

 「ああ、強く、俺は強くなる」

 

 力強くラビシュは頷いた。

 

 その日、ラビシュは理由を手に入れた。

 

 生きるためではない。誰かのための理由を手に入れた。脳裏に浮かぶは、今日見届けた女の剣だ。稲妻シャーリ・エストー。あの女を超える力を手に入れれば、きっとクラウは喜んでくれるだろう。

 

 ―――倒す。いつかあの女を俺は倒すんだ。

 

 「きっと俺は強くなる」

 

 再度ラビシュは口にした。稲妻(ライトニング)への恐れはすでにない。あるのはただ火が燃えるように強烈な強さへの渇望だ。

 

 「頑張ってね、ラビシュくん」

 

 熱く剣を握るラビシュの横でクラウが呟いた。

 呟きはラビシュの耳に届くことはなく、暗い空へと呑まれ消えていく。残ったのは真黒な空、ただそれだけだった。


 「あーた、早く寝たら? 毎度こうだと大きくなれないわよ」

 

 クラウと別れてから、ラビシュは再び剣を取った。というよりも取らざるを得なかった。自身がシャーリに届いていないのは明白なのだ。ならば、すべきことは決まっている。剣を振るしかないだろう。

 

 「うるさいな。俺は早く強くなりたいんだ」

 

 荒く息を吐き出しながら、ダングスに答える。

 剣を振り出して一年ちかく、ラビシュは毎夜のひとり遊びを欠かしたことはない。それは純粋に剣を振ること、自分が強くなることを実感することのできるこの時間が楽しかったからだが、最近はひどく倦んでいた。どこまでいっても自分の剣は人を殺すための手段だ。それを思えば楽しさに靄がかかる。

 

 ―――自分はなんのために剣を振る?

 

 楽しさを霞ませるそんな思いが溢れ、あまり愉快な時間ではなくなりかけていた。だが、今日からは違う。違うはずだ。ラビシュは剣を振る目的を、強くなる目標を手に入れた。

 

 クラウのため、シャーリを追い越す力を手に入れる。

 

 「そんなに急がなくてもいいじゃない? あーた、ガキにしたら随分強いわよ」

 「ガキにしたらじゃ、ダメなんだよ」

 

 ダングスの慰めに似た言葉に、ラビシュは短く答えた。

 

 「でもあーた、体はまだまだガキじゃない? しっかり寝て大きくなることも必要だとあーし、そう思うわけよ」

 「………大きくなれば強くなるわけじゃないだろう」

 

 不機嫌にラビシュは言葉を返す。

 ダングスの言うことも正しいからだ。それをラビシュも分かっているが、簡単に首肯するわけにはいかない。たとえそうだとしても、ラビシュは早く強くなりたかった。

 

 「ま、そうね。……じっさい足りなければ魔法とかで補えばいいだけの話だけど。でもあーし、基本は体だと思うのよね。いくら魔法が強くても体が貧弱だとダメだし」

 「魔法?」

 

 振り下ろしかけていた剣を止め、ラビシュがダングスを見る。

 

 「なによ。そんな目であーしを見て。悪いけど、あーし、ガキと付き合うような趣味は無いわよ」

 

 なにを考えたのか、ダングスは言って体をねじった。がしゃんと鉄輪がドアを叩く。

 

 「そんなことどうでもいい。魔法が使えれば、俺はもっと強くなれるのか?」

 「どうでもいいって、失礼ね」

 「なあ、強くなれるのか?」

 

 不満そうに喋るダングスを無視して、ラビシュは問うた。強くなれる可能性があるのなら、いまはなんにでも縋りたい思いだった。

 「そうねぇ。普通は魔法も使えたほうが強くなるんじゃない? 知らないけど」

 

 適当にダングスが相槌を打った。自分で言い出しておきながら、その答えはひどく曖昧だ。だが、ラビシュにはそんなこと関係なかった。たとえ可能性であったとしても、現状から少しでも強くなれるならば試してみたい。そう思った。

 

 「そうか。強くなれるかもしれないのか」

 

 言い聞かすように呟いた。

 

 魔法の存在は知っているが、剣に夢中であまり興味がなかったからか詳しくは分からない。それに魔法など見る機会もあまりなかった。知っているのも、ラビシュの怪我を治したという治癒魔術師の存在と、目の前のダングスくらいのものだ。

 

 ―――魔法か……。誰に聞けば分かるんだ。

 

 「なあ、ダングス」

 

 ラビシュがダングスに聞こうと口を開いたときだった。

 

 「あーしから言ってなんだけど、やめときなさいな。魔法はあーたには早すぎるわ。……違うわね。魔法なんて使えないならそれにこしたことはないのよ」

 

 ダングスの口から否定の言葉がもれる。いつものダングスの口調より低い、なんだか諭すような色がそこにはあった。

 

 「なんでだ。強くなれるんだろう?」

 

 当然ラビシュは疑問した。魔法で強くなれる可能性があるならば、それを試してみるべきだ。それを頭から否定されてはたまらない。ほかならぬダングス自身が言い出したことなのだ。それを理由も説明せずに否定されるのは不可解だった。

 

 「止めときなさい」

 

 短くダングスが言葉を継いだ。それは忠告よりも明確な拒絶だ。そこでラビシュは勘づいた。おそらくダングスは魔法について知っている。考えれば当然だ。ダングスは魔法生物なのだ。魔法を冠する生き物であるダングスが、自身に深く関わるであろうことを知らないわけがない。

 

 ―――ということは、やっぱり魔法を覚えれば強くなれるんだな。

 

 さきほどダングスがぼやかした言葉を、ラビシュは確信へと変えた。

 

 「なんでだ」

 

 再度ラビシュは理由を問うた。さきほよりも少しだけ語気が激しいのは、それだけ感情が高ぶっているからだ。

 

 「……とにかく、やめときなさい。あーしから言えるのはこれだけよ」

 

 ラビシュの疑問には答えることなく、再度ダングスは拒絶した。叫ぶわけではない静かな口調だ。その態度がダングスの意思をよりはっきりと伝えてくれる。

 

 「だから、なんでだっ!!」

 

 落ち着いたダングスの口調とは裏腹に、ラビシュは怒声を上げた。すげなく拒否されたことはもちろんだが、なんの理由もなく拒絶されたことが一番不快だった。子ども扱いされているようで不満だったのだ。

 

 「…………」

 

 ラビシュとダングスは無言で向き合った。ダングスの仄かに輝く水晶の眼は明確な拒絶を、ラビシュの黒い瞳は怒りを灯している。

 

 「ラビシュ」

 

 何の発展性もないにらみ合いを破ったのは、ラビシュでもなくダングスでもない。シスだった。玄関を開けて出てきたシスが、無言のままラビシュの前に立つ。

 

 「シス。……なんだよ、寝てなかったのか」

 

 シスから目を背けながらラビシュはそう口にした。

 剣を握り立ち上がる。こうして邪魔が入っては、再びダングスに魔法のことを聞くことは難しいだろう。そう考えたラビシュが立ち去ろうとして、シスの隣を通り過ぎようとした時だった。

 

 「ラビシュ。魔法のことは明日私が教える」

 

 いつも通りの落ち着いた声音でシスがそう言った。

 

 「あーたっ! シス!!」

 

 「本当かっ」

 

 瞬間、ダングスの咎める声が鳴り、ラビシュは勢いよくシスを仰ぎ見た。

 

 「本当。だから、今日はもう休む」

 

 ガッシャガッシャと音をたて抗議するダングスを尻目に、期待に顔をほころばせるラビシュを見てシスは頷いた。

 

 「分かった」

 

 うれしそうに頷いてラビシュは扉を開けて家へ上っていく。

 

 ―――これで強くなれる。

 

 そんなことを思いながらラビシュは扉を後ろ手に閉めた。その後ろ、閉じゆく扉の隙間に覗くシスの切なさの宿る瞳に、だからラビシュは気づかなかった。



 「シス。あーた……」


 ラビシュが去ってからしばらくの後、ダングスが重く言葉をつむぐ。咎める色はない。それが心配してくれているのだということに気がついて、シスは少し微笑んだ。


 「……リリー。危惧する気持ちは分かる。でも、教えないときっとラビシュは無茶をする。それなら、先に教えておいたほうがいい」


 ラビシュは賢い。魔法のことを知りたいと思えば、きっとどこかから聞いてくるだろう。いや、そもそもこのことがラーズの耳に入れば、きっと嬉々として教えるはずだ。魔法も使えれば、ラビシュの商品価値は跳ね上がる。


 ―――そして、もっと利用される。


 シスは悲哀をこめた目つきでダングスを眺め見た。きっとラーズのことだ。ラビシュに魔法のすべてを教えることはしないだろう。自身に都合のいい事実を、けれど決してウソを吐くことなく教えていく。それは最近のラーズを思えば明らかだった。


 そしてそれはシスが教えたとしても変わらない。きっとラーズはラビシュを利用しようとするだろう。それでも、ラーズが教えるよりもシスが教えるほうが幾分かはマシだ。だからこそ、シスはラビシュに自身で教えることを選択した。


 「あーし、余計なこと言ったわね……」


 ダングスが気落ちした声で呟いた。やりとりを聞いていたシスには分かる。ダングスに魔法のことをほのめかす気はまるでなかった。だが、致命的なことに、昔から意図しない発言によって問題を招くという癖がダングスにはある。今回もそのパターンということだろう。


 「気にする必要はない。いずれラビシュはどこかで知ったはず。早いか遅いか、ただそれだけの話」


 淡々とシスは事実だけを口にした。魔法についてはラルーファをラビシュが目指すならば、いずれは教えなければいけないことでもあったのだ。それを先延ばしにしてきたのは、ひとえにシスの甘さのせいだった。


 ―――でも、できれば知って欲しくはなかった……。


 「あーし、あーたのそういうところほんと嫌い。物分かりがよくて、いらいらする」

 「奇遇。私も私のこういうところが嫌い」


 不満げに告げられたダングスの言葉をシスは肯定した。


 自分の感情を置き去りにして、仕方ないという名の諦観に下支えされた合理は、己の中でもっとも嫌いなもののひとつだ。誰かに命じられるままに生きてきた自分の人生のすべてがそこに凝集されている。ほんとうに吐き気を催すほどに嫌いだった。


 ―――そういう意味ではすこしうらやましい。


 シスは無言でダングスを見た。ダングスは変わらずぐちぐちと気の赴くままに文句を言っている。型破りで世間知らず、気まぐれで、自由なダングスならば、どんなことがあろうとも自分の意見を曲げることはないだろう。それこそ死んだとしても、曲げることはない。その自分とはあまりにかけ離れた在り方がうらやましく見えるときもある。


 「あーし、あの子が獅子面を被るたび辟易とするわ。真っ赤通り越して赤黒い面の下で、あの子どんな顔してるのかしら」


 くだくだと続いていた愚痴の合間に、ぽつりとダングスが呟いた。それは呟きではあったけれど、さきほどまでの愚痴とは違う。明らかにシスへの問いかけだ。答えなくともかまわない。けれど、誰かと共有したい。そういった類の呟きだった。


 「わからない」


 シスは静かに頭を振った。


 ダングスの選んだ獅子面は、いまでは血に塗れている。以前はダングスが煩く言うせいもあり、汚れるたびにラビシュがきれいにしていたが、いまではそれはない。ただ殺した相手の血に濡れるに任せて放って置かれている。


 その理由を聞いたことはない。けれど、シスもダングスも察してはいた。あの血で汚れた赤黒い獅子面は、ラビシュの罪の証明だ。己が人を殺して生きてることを、常に知るためにおそらくラビシュはああしている。


 だから、

    ―――きっと泣いている。


 あの獅子面の下で、ラビシュはきっと泣いている。殺したくないのに殺さねばならないというクソッタレな状況をどうすることも出来ない自分を罵りながら泣いている。


 ―――それは、なんて……。


 瞬間、奥歯がぎちりと軋む。

 ラビシュを救うことも出来ない身で、なにを自分勝手なことを思おうとしているのだろう。自分は。シスは思った。


 「強さを求めて魔道に手を出せば、みんな結末は決まってる。あーたも分かってるんでしょ? あーしみたいになってからじゃ遅いってこと」


 無言で奥歯をかみ締めるシスを気遣うように、ダングスが言葉を継いだ。その声には幾分の悲哀が混じっているように思えたのは、シスの勘違いではないのだろう。


 「そんなことはさせない。ラビシュは私が守る」


 ダングスをまっすぐに見つめてシスはそう口にした。シスに出来ることは少ない。だが、それでもラビシュになにかがあれば全力で守りたいと思うのは、偽りなく本心だった。


 「……ほんと、時々自分がやんなるわ。割り切ったと思ってたんだけど、そうでもなかったってことかしらね。明日、もし適当なことがなければ、あーしのことあの子に話していいわ」

 「リリー」


 ひどく驚きを宿した声でシスはダングスの名を呼んだ。その声には幾分の気遣いも混じっている。

 それも当然だ。リリー・ダングスにとって、魔道の果ての話は自分自身の愚かさの告白に他ならない。それはダングスの人生でもっとも恥ずかしい過去だ。それを話してもよいと言うのだ。昔を知るシスとしては、その変化に驚き、気遣わないわけにはいかなかった。


 「仕方ないじゃない。……あーしも結構気に入ってんのよ」


 そっけなくダングスはそう口にした。それは彼女が照れているときに、よく見せる人間時代からのクセのようなものだった。


 「……ありがとう」


 短くシスは礼を口にする。ダングスがラビシュを気にかけてくれているのが、うれしかった。


 「やめてよね。あーたに礼なんてサブイボ出ちゃうじゃない」


 がちゃりとダングスが体を震わせる。嫌そうな様と比べて、声は冗談めいている。きっと礼など言われることが恥ずかしいのだろう。


 「でも」

 「でももかかしもないわよ。いい女ってのは、いい男を育てるもんなの。あーしは自分のためにやってんの」


 続くシスの言葉を押しのけて、ダングスはそう言った。そのひねくれた態度が、かつての彼女を幻視させる。なんだかんだといいながら、最後には手を貸してくれるところは相変わらずのようだった。


 「そう。ラビシュはきっといい男になる」


 笑いながらシスはそう口にした。

 それは願望ではなく、確信だ。きっとそうなるに決まっている。


 なぜなら、

 「はっ! 当たり前じゃない! あーしとあーた、いい女が二人も気にかけてるのよ。ならなきゃ、ウソよ」

 ということだ。


 二人は顔を見合わせて、声を出して笑い合う。

 空に月はないけれど、月見酒でもしたいような、そんな気分の夜だった。



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