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シャーリ・エストー

 ―――強く、つよくなった。

 

 十二回戦を闘うラビシュの姿を見ながら、シスは深く息を吐いた。

 ラビシュがはじめて剣を握ってからようやく一年が経とうかとしている。たったの一年だ。だが、いま舞台の中央で軽やかに舞うラビシュの姿は、そんな短い期間しか修練を積んだようにはとても見えない。

 歴戦の剣士のように堂々と、華麗に苛烈に舞っている。十二回戦が終われば、いよいよ上位ランカーひしめくステージへと上ることになるが、おそらくラビシュの敗北はありえない。それほどの腕にいつの間にかラビシュはなっていた。

 

 ―――けれど、こんなに哀しいのはなぜ?

 

 見事な剣戟を見るたびに胸が締めつけられるような痛みを感じる。すでに純粋な剣術だけの勝負なら、シスでさえ不覚をとるほどの実力を秘めている。それは師としては喜ぶべき成長だろう。だが、素直には喜べない。なぜならシスはなにひとつとして教えていないからだ。

 亡霊を追うように、ラビシュは自身の見ている理想を突き詰め強くなった。そこにシスの影は微塵もない。

 それが哀しいわけではない。技術を教え伝えることができないのが哀しいのでは決してない。剣を振る心を、なぜ剣を振るのかを教えられないのが哀しかった。

 殺して生き残る。ラビシュの剣はその目的遂行のためのひとつの手段に過ぎない。それではだめなのだ。いつかきっとそれではラビシュ自身が剣に食い殺されることになる。だが、その未来を知りながらラビシュにかける言葉がシスにはない。

 ランドルの処刑のあとからラビシュはまったく感情を表に出さなくなった。ラーズが自分をどう思っているのかをきっと理解したのだろう。であるならば仕方ない。いまではシスとの会話もひどく事務的だ。

 

 ―――でも、それは私が悪い。

 

 ラーズを止めることができなかったシスが悪いのだ。止める機会はあった。あったはずなのだ。なのにシスはなにもしなかった。なにもできなかった。思っているだけでは人には伝わらない。シスがどれほどラビシュの未来を想おうと、当のシスがなにも行動を起こさなかったのならば、ラビシュがそれに気づくはずもない。

 

 「おおおおおおおっ!」

 

 歓声が鳴り、ラベル特有の囃しが踏み鳴らされる。その中央、幾多の賞賛を浴びながら閃光のような一撃でラビシュが相手を突き殺すのが目についた。

 

 ―――私になにができる? ラビシュのために、なにが……。

 

 血に濡れたラビシュの姿を見ながら、シスはひとり嘆息した。

 

 後ろに響く歓声を聞きながら、ラビシュは花道を後にした。今日の戦いで早くも十二回目の戦闘だ。あとたった三回ですべてが終わる。十五回を勝ち抜けば、ラーズへの借金も余裕で完済できるだろう。その後はすべてラビシュの自由だ。

 

 ―――自由になったら、か……。

 

 浮かんでくるものはなにもない。いざ自由になったらしたいこと、それがいまのラビシュにはまったく浮かばなかった。

 

 「……まだ早い」

 

 戒めるようにそうラビシュは呟いた。あと、三回生き残らなければならないのだ。先を見ることは油断を生む。隙を生む。いまはただ目の前の敵を殺すことだけに集中するべきだろう。

 

 「―――赤獅子はなかなかに好調みたいだな」

 「ふふーふ。それほどでもないよ」

 

 ラビシュの控え室の前にふたりの男が立っていた。ひとりはラーズだ。変わらず胸糞悪い薄ら笑いを顔面に貼りつけ喋っている。もうひとりに見覚えはない。長い黒髪を後ろで結んだ華美な服装をした男だ。すくなくともこの辺りで見かけたことはまだなかった。

 

 「やあ、ラビシュ。今日も勝ったのかい?」

 

 ラーズは近づいてくるラビシュへそう声をかけた。この分では戦いは見なかったのだろう。最近はそういうことが多くなった。

 

 「勝ってなかったら、ここにいるわけないだろう」

 

 一方が死なねば勝者が決まらないのだ。負けていれば、ラビシュがここにいるはずはなかった。

 

 「ふふーふ、それはそうだ」

 

 ラーズの相槌を聞きながら、ラビシュは目の前の男を見上げていた。商人には似つかわしくないひどく大柄な男だ。細身のラーズとは対照的に威圧感に満ちている。

 

 「……それでは私はここで失礼するとしよう。続きは後日」

 

 ラビシュを切れ長の眼で見下ろして、男は踵を返した。

 

 「あれは?」

 

 なにか武術を嗜んでいるのだろう。独特の歩き方で去っていく背中を見ながら、ラビシュは訊ねた。

 

 「ふふーふ。……それより早く着替えたほうがいい。ひどい格好だ」

 

 言われ、自身の姿を思い出す。思いきり突き殺した関係で、兜からなにから血でぐったりと濡れている。いまこうしている間にもぽたりぽたりと赤い水滴が兜から垂れ落ちて床を汚していた。おそらくここにやってくるまでの道も赤くよごれているのだろう。

 

 「死体はタリクのところへ運んでおいてくれ。それで今日はおしまいだ」

 

 言ってラーズも去っていく。ここ数ヶ月のラーズとの会話はこんなものだった。

 

 「分かった」

 

 そのまま頷いてラビシュは部屋と入っていった。

 

 ―――ごまかされたな。

 

 ラーズは先ほどの男に対するラビシュの問いに答えなかった。追求することもできたが、止めておいたほうが無難だろう。四年の期日を残しながらラビシュの返済が現実味を増しつつある現在、ラーズはなにかとラビシュの借金を増やそうと画策している節がある。迂闊に踏み込んで、なにかがあればたまったものではない。

 

 「もう少し、もうすこしなんだ」

 

 ―――それでどうするというんだ?

 

 希望を呟きながら、脳裏には別の考えがひた走る。先ほども考えたことだ。いや、最近は暇さえあればこのことばかり思っている。

 自由になっていったいどうしたいというのか。それが一向分からない。

 生きたいと思い、生き続けてきたのだ。そこでは生きることが目的であり、死ぬことを拒絶し続けることがラビシュにとっての生きるという具体的行動だった。

 

 ―――俺はどうしたい……。

 

 どこまで考えても答えはでない。ただ無意味な問いがぐるぐると低回するだけだ。生きるということ以外に目的を持ってこなかったラビシュには、生きること以外の望みがない。あとたった三回の勝利。目の前にはすでに自由という名の現実がちらつきはじめている。だが実際はその姿どころか、突端すらラビシュには漠として掴めていなかった。

 

 ―――いや、俺はまだその自由を掴んでもいないんだ。

 

 「……俺はまだ自由じゃない。まだだ。まだ早い」

 

 ―――先を見ることは、まだ早い。

 

 ラビシュを悩ませる未来という問題はいつも同じ解をもって閉じられる。それは答えなどでは決してない。ただの思考放棄なのだということに幼いラビシュは気づかなかった。気づこうともしなかった。


 「今日もいい殺しっぷりだったネ! らびっしゅクン」

 

 やたらと高いテンションでタリクはラビシュを迎え入れた。店は変わらず悪臭に満ちている。

 

 「今日の分を持ってきた。ここに置くぞ」

 

 慣れとは恐ろしい。ラビシュは平然と自身の斬り殺した人間が詰め込まれた壺を部屋の片隅へと置いた。以前のような嫌悪も、畏怖もない。ただ重いか軽いかという実際的な感覚があるだけだ。

 

 「きしっ、しし! 今日はよかったヨ。きちんとぼく様の注文どおり突きで終わらせてくれるなんて、らびっしゅクンはサービスがいいネ」

 

 ラビシュの剣を預かりながら、そんなことをタリクは言ってきた。テンションが高かったのはどうやらそういうことらしい。

 

 「剣の手入れをタダにしてくれるって言うからやっただけだ」

 

 鼻歌交じりに剣を確かめているタリクを見ながら、ラビシュは言葉を返す。最近、余裕がある時にはタリクの要望に応えることもあった。大抵は今回のように剣の手入れ料と引き換えだ。

 

 「きしし、照れてるのかイ? 毎度そんなこと言ってもやってくれるんだから、ぼく様も罪な女だネ」

 

 言いながらタリクが流し目でラビシュを見た。ラビシュにとっては冗談にもなりはしない。タリクのような女は願い下げだった。

 

 「そうだな」

 

 適当にラビシュは相槌を打った。冗談にまじめに付き合うほどのお人よしではもうなくなった。

 

 「きしし、そーだろウそーだろウ」

 

 ラビシュの適当な相槌を気にもせず、タリクはご機嫌に頷いた。ここまでご機嫌なタリクには出会ったことがない。いままでもリクエストに応えたことはあったが、それでもこんなにはしゃいでるのを見るのははじめてのことだった。

 

 「なんかいいことでもあったのか?」

 「きしし! あったんじゃなくて、これからあるのさ!」

 

 剣を研ぐ準備をしながら、タリクが声を張り上げる。いつもの不健康そうな姿がウソなほど今日は血色がいい。

 

 「見世物は入ってないぞ」

 

 どうせタリクのことだ。この後また人の死ぬところが見れるとかそんな理由だろう。だが、ラビシュにこの後処刑人の予定はない。べつの誰かだろうか。

 

 「きしし! それもあるけれど違うヨ。らびっしゅクンも十二戦を勝ち抜いて上位ランカーだからサ。これからはもっと強い相手と当たるだろウ? ぼく様の剣がより強いやつらを斬り殺す様が見れるなんて、想像しただけでわくわくするじゃないカ!」

 

 ラベルは十三回戦までいくとこれまでと少し規則が変わる。連続ではなく、三回勝てばそれでよくなるのだ。十二回連続で勝ち抜いてきた者たちによるラルーファへの昇格をかけた戦い。そこに到るまで生き抜いてきた剣奴をいたずらに殺してしまうのは惜しい。それゆえの措置らしいが、実際にはあまり意味がないとラーズは言っていた。

 結局どちらかの死が決着になることの方が多いからだ。だが、たしかにタリクの言うようにいままでとは異なるレベルの人間たちも多くいるのだろう。なかにはいつまでも三勝目が上げられずに、ずっと居る人間もいると聞く。

 

 「そうかよ」

 

 吐き捨てるようにラビシュはそれだけを口にした。どんな人間がいようとラビシュに出来ることはひとつだけだ。目の前の人間を殺して生き残る。それだけだ。そこにタリクの楽しみ云々は関係ない。

 

 「らびっしゅクンのほかにもぼく様印の武器をつかっているコがいてネ。もし、らびっしゅクンと戦うことになったらなんて想像するとたまらないヨ!」

 「もうひとり居るのか?」

 

 タリクにラビシュ以外にも客がいることは聞いていたが、それでも不思議だった。なにしろこの性格だ。まともな精神の持ち主が好き好んで付き合うはずがない。以前に聞いた武器屋には死体が必須という話も真っ赤な大ウソだった。いや、正確にはタリクの指す武器屋はタリクと同じ職業、つまりは殺人武器職人を指していたのだ。そんな変な武器屋はほとんどいない。ラビシュが知っている範囲ではタリクだけだ。

 人の生き血を使う武器屋。それだけで普通ならば敬遠して当然だろう。

 

 ―――なにか理由があるのか? 

 

 ラビシュは少し期待した。

 タリクに直接頼むほどなのだ。よほどの事情がある人間に違いない。もしかすれば、ラビシュと同じような境遇にあるのかもしれなかった。

 

 「いるヨ? これでも有能だからネ。結構みんな注文にはくるのサ。お気に入りは少ないけどネ。キミをのぞけば、ラベルではひとりだけだヨ」

 

 たしかに性格を度外視すれば、タリクの武器はいい。だがやってくる大半は卸専門の武器屋だ。わざわざラビシュのようにタリクのところへ赴いて購入するようなもの好きは少ないが、質はいいから愛用しているものは多い。おそらくその大半が武器職人タリク・ペイズリー本人も製法も知りはしないに違いない。知っていれば、多少質がよかろうと使おうとはとても思わない。

 

 「……そいつも死体を売りに来るのか?」

 「きしし、来ないネ。普通は教会に預けて終わりサ。それで廻りまわってぼく様みたいな人間のところにやってくるのが普通だネ。きしし、死は協会の占有物だから、死体を売ろうがどうしようが、だれもなにもわからないのサ」

 

 教会はゴードに唯一ある宗教の通称だ。短い期間ではあったが、教会の修道院にいたラビシュにはタリクの言いたいことが身をもってよく分かる。あそこならば、死体を埋葬するふりをして転売することもありうるだろう。それほどにクソッタレな処だった。

 

 「……世の中、そんなもんだろう」

 「きし、違いなイ」

 

 呆れたようにタリクが笑う。その様子ではタリクも教会に対しては思うところがあるようだ。

 

 「それで、どんなやつなんだ?」

 「ふへ? 珍しいネ。興味あるのかイ?」

 

 タリクの言うようにラビシュが特定の誰かを気にすることは珍しい。次の相手をタリクが滔々と喋るのにも、戦闘に関すること以外では一切関心を払わなかった。戦闘に関しては生き残るために必要だが、それ以外のことは剣を鈍らせる。そう思っていたのだ。

 だが、今回は違う。もしかしたら自分と似通った環境にある人間なのではないか、という期待がラビシュの興味をすこし動かした。それに今回に限っては確実に殺す相手だと決まっているわけではないのだ。ならば、すこしくらい知ろうとも問題はないだろう。

 

 「ないといえばウソになるな」

 「きしし、じゃあぼく様と見に行くかイ? このあとラベルに出るヨ」

 「この後か……」

 

 ―――クラウと会うまで、まだ時間があるな。

 

 今日はクラウと会う約束をしているが、それも随分あとのことになる。ラベルに出た日はラーズの手伝いもなく、戻っても寝るか剣を振るだけだ。それならば、タリクに付き合ってみるのもいい暇つぶしになるだろう。

 

 「そうだな、行こう」

 

 ◇

 「随分とよく見えるんだな」

 

 ラベル・ワンを囲むやぐらのひとつに腰掛けてラビシュは感慨深げに呟いた。今まで自分が出る以外にラベルに近寄ったことはない。無論、観客席から覗くことなどはじめての体験だった。

 

 「きしし、一等席だからネ。ぼく様の指定席サ」

 

 言いながら、タリクはぼりぼりとなにかをほうばった。ラベルの外に出ている屋台で買ってきたものだ。塩味のきいた手ごろな焼き菓子とのことだったが、ラビシュには分からない。外見の青さに怯えて食べることを拒否したのだ。食べものというにはあまりにも毒々しい色だった。

 

 「これでいくらくらいするんだ?」

 「年間で金貨三百枚ってところだヨ。普通は数人で購入するから、ま、妥当な値段だネ」

 

 やぐらはいくつかに区分けされており、その中の一番大きなものにいまラビシュは座っている。タリクが年指定で買った席だ。ラビシュはそこを無償で使わせてもらっている。

 いま座っているような席が舞台を挟んで左右あわせて十二並び、その下にひとりずつ小さく区切られたやぐらが階段状にならんでいる。席によってピンキリだが、通常は一観覧一席金貨二枚程度といったところとのことだった。

 

 「おおおおおおおおおおおっ!」

 

 ひときわ歓声が大きくなり、例の足踏みがはじまった。決着の時、ということだろう。

 

 「なあ、いつ出てくるんだ?」

 

 ため息混じりにラビシュが訊ねた。すでにいま決着がついたので三組目だ。どれも下位に属するのか、大抵はお遊戯を見ているかのような拙いものか、一方的な惨殺かだった。面白くもなんともない。むしろ不快だった。

 面白くないのはタリクも同じようだ。歓声を上げることもなく、はむはむと買ってきたものを咀嚼し続けている。

 

 「きしし、短気は損気だヨ、らびっしゅクン。十三回戦だからネ。トリもトリ、オオトリだヨ。でもこうやって待っている間があるからこそ、めいんでっしゅを美味しく感じるのサ。……ま、時にめいんでっしゅのない食卓に当たることもあるのだけどネ」

 「そーかよ」

 

 若干の苛立ちを宿した声でラビシュは応じた。自分が立っていなくとも、やはりラベルはいやな場所だ。楽しさのかけらもない。人の死を高みから見て楽しむクソッタレな見世物だ。

 

 ―――やっぱりくるんじゃなかったぜ……。

 

 隣で鳴り続ける咀嚼音も、響く歓声も罵声もすべてがラビシュを苛立たせる。こうして高みから見ればよく分かる。どこまでもくだらない見世物だ。そして、そのくだらない見世物の駒である自分に辟易とする。この場に居るやつらはみんなクソッタレだ。ひとの殺し合いをわざわざ金を払って見に来るクソッタレ。そして、そんな観客を喜ばせている自分もクソッタレだ。

 

 「ちっ」

 

 ―――帰るか。

 

 不快さに耐えかねたラビシュがそんなことを思ったときだった。

 

 「―――――――――――ッ!!!」

 

 それまでとは比較にならない特大の歓声が鳴り響く。

 

 「な、なんだ」

 「きた!! きたヨ、らびっしゅクン!!!」

 

 食べていた菓子を放り投げ、タリクが叫ぶ。身を乗り出して、持参した望遠グラスを覗いている。

 

 「あれが……」

 「不可視の稲妻(ライトニング)シャーリ・エストーの入場だぁ!! 」

 

 実況が名を叫ぶ声すら掻き消えるほどの歓声がラベルを震わせる。すでに最高潮を迎えたように観客たちの威勢よく鳴る足踏みが鳴り響く。ラビシュの試合とは比べものにならない熱狂ぶりだった。

 その中をひとりの女がゆるりと歩く。白基調の軽鎧を身につけ、腰には異様に細い剣を佩いている。血に染まったかのような赤毛を風になびかせ颯爽と歩く姿はとてもではないがラベルの野卑なイメージとはそぐわない。気高さを感じさせるものだった。

 

 「ら、ライトニング?」

 「きしし、見てれば分かるヨ」

 

 言いながらも、タリクの視線はシャーリと呼ばれた女に釘づけだ。そうしていなければ、なにか重要な瞬間を見逃してしまうかのような熱心さがそこにある。

 

 「相手は豪腕ダルク! 鋼鉄を握りつぶすといわれるその腕は稲妻をも握りつぶすのかっ!! はっはぁ! 待ちに待った一戦のはじまりだぁあ!!」

 

 うるさくがなる実況に導かれ、逆方向からシャーリの相手が現れる。豪腕という名にふさわしい大柄な体に大剣を帯刀し、体は傷で溢れている。さすが十三回戦に出場する上位ランカーともなれば、その威圧感も半端じゃない。観客席にいても感じる圧迫感があった。

 

 「フッ!!」

 

 先に動いたのはダルクだった。

 気合一閃、その巨躯からは想像もできない速い踏み込みで一瞬の間にシャーリとの距離を詰め、挨拶代わりとばかりに大剣を横なぎに振り回す。

 力任せに振られたダルクの剣が空を裂き、その風圧に巻き込まれて砂が舞う。ざらりと舞った白い砂埃のさき、ラビシュはたしかにそれを見咎めた。

 

 「なっ!!」

 

 思わず驚きが口をつく。

 

 「おおおおおおおおおおっ!!」

 

 ラビシュの驚きから遅れること数瞬の後、観客たちの驚声がラベルいっぱいに響き渡る。それもそのはず当然だ。

 

 「ちくしょうっ!! またまた見逃した! 目にも止まらぬ高速攻撃とはこのことだっ!!! いいか、よく聞けヤローども! なにを言っているかわからねぇと思うがダルクが攻撃を仕掛けたと思ったらダルクご自慢の豪腕がお空をぷっかと飛んでいやがった!! いやほんと!! いつも通り目に見えない! 観衆泣かせの一撃!! これがライトニングだぁああっ!!!」

 

 実況が半ばやけっぱちな叫び声をあげるのも無理はない。 

 いまラベルにいる人間でいったいどれほどの人間が、シャーリの剣を見ることができたのだろう。

 

 ―――三回、いや五回……。いま何発突いた……。

 

 声を失ってラビシュも舞台中央のシャーリを見た。相対しているダルクはさすがになにをされたのか分かっているのだろう。だが、それでも驚きは隠せていない。痛みよりも驚愕を宿した目でシャーリを見ている。

 

 ―――タリクが目を離さなかったのも納得だ。速い、いや迅い……。

 

 「どうだイ、らびっしゅクン」

 

 タリクが喜悦に満ちた声でラビシュに呼びかける。タリクにも見えていたのだ。シャーリが放った文字通り稲妻のような連撃が。

 言葉を返すことなく、ラビシュはごくりと喉を鳴らした。一瞬でも目を離すことがいやだった。おそらく話しかけたタリクとてラビシュの方を見てはいないだろう。一度目を離せばその瞬間に終わっていることすらありうる。それほどの迅さを持った剣だった。

 

 ―――剣? あれは剣なのか?

 

 シャーリのやったことは簡単だ。ダルクの振るった剣がシャーリへと届く間にダルクの手を突き落したのだ。剣を振り無防備にさらされたひじを幾度もいくども突き刺して寸断する。鎧では守ることが出来ない間接部を狙った的確な攻撃だ。

 言葉にすれば実に簡単だ。だが、そんなことできるわけがない。相手の攻撃の最中に数度の攻撃を加えることなど、ラビシュにはとてもではないが不可能だ。なにより一度の突きで相手の体を貫通するほどの一撃を、いとも簡単に放つことが難しい。

 

 ―――だが……。

 

 ラビシュはダルクの切断された腕を見る。切り落としたときのようなきれいな切断面ではない。幾つもの穴が連結して落ちたかのような歪な形。皮膚と寸断された肉が醜くぶら下がっている。斬ったのはではああはならない。

 

 「おおおおっ!! 今度は左腕がいつの間にか飛んでいるっ! まったく見えやしねぇえ!!」

 

 ―――剣だ。

 

 むろんシャーリの実力は段違いに高い。だが、あの突きのみでの切断を可能にしているのは武器の力も大きい。剣と呼んでいいのか分からないほどに幅のない刀身。穿孔力を極限まで生かす鋭い切っ先。まるで(ランス)だ。先にラビシュが困惑したのも無理はない。剣と呼ぶにはあまりに突くことに穿ちすぎている。細く一点を穿つことのみに特化した武器。その影響も大きいのだろうとラビシュは確信した。

 そしてそれはひとつの失望をラビシュにもたらした。シャーリがタリクを求めたのはこれのためなのだ。槍よりも細く、けれど鋭く人体に穴を穿つことのできる武器を求めた結果が、タリクだっただけなのだ。そこにはきっとラビシュが求めたような理由は存在しないに違いない。つまり、シャーリとラビシュはまったく異なる人種、だということだ。

 シャーリの攻撃が見えにくいのも細く造られている剣が関わっているに違いない。事実透き通るような刀身が血に濡れてくるに従って、その姿をおぼろにさらすようになってきた。いまでは実況にも見えているはずだ。

 

 だが、そんなこととは関係なく、

 

 ―――強い。間違いなく俺よりも……。

 

 シャーリ・エストーは段違いの強者だ。 


 「おおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

 観客の歓声が鳴り響き、いつも通りのふざけたお囃しが鳴り響く。いまやラベルは興奮の坩堝と化している。だれもが殺せと叫びながら眼下の惨劇に魅入られる。

 両腕を失ったダルクはなすすべもなく、その肉をえぐられ、穴の開いた体を無残にさらす。飛び散る鮮血をその身に浴びて、シャーリの口角がつきあがる。明らかに楽しんでいる顔だった。

 

 ―――クソッタレめ!

 

 ラビシュは大きく毒づいた。両腕を失くした時点でダルクに勝機はないのだ。腕と同時に反撃する意欲すら失ったダルクを穴だらけにして楽しんでいる。その様がラビシュをいらいらさせる。そして、なによりそんな人間よりも自分がはるかに格下であることが一層ラビシュの苛立ちを掻きたてる。

 

 「終わった!!! 強い、つよすぎるっ!! あの豪腕すら弄ぶ不可視の稲妻っ!!! このままラルーファまで一気に行くのか!! 残されたあと二戦がじつに楽しみだっ!」

 

 シャーリの剣がダルクの体を分断した瞬間、実況が試合の終わりを告げる。勝者であるシャーリは、ダルクの血で汚れた剣を一度小さく振り、振りそそぐ歓声にお辞儀で応えた。その様がどこまでも見世物じみている。

 

 「あれが不可視の稲妻(ライトニング)シャーリ・エストーだヨ」

 

 歓声にお辞儀で応えるシャーリを見つめながら、タリクは自慢げに嘯いた。ラビシュは答えない。その視線は分断されたダルクの体へと注がれている。

 

 ―――稲妻ってのは迅さだけじゃないのか。

 

 幾十もの穴を穿たれ分断されたダルクの上半身と下半身の歪な切断面が、その歪さゆえに稲妻を想像させる。なにより高速で突かれたせいで、肉が焼け黒くこげている。それはまさに落雷を受けた人間を思わせるものだった。

 

 「……戦いたいかイ?」

 「はっ! まさか……」

 

 タリクの言葉にラビシュは苦笑した。いまのラビシュでは勝てる見込みなどありはしない。勝てば必ず殺される。そんな相手と戦いたいと願うことなどありえない。あとたったの三回なのだ。そんな時にあんな化け物と闘うことはありえない。

 

 ―――そうだ。そんな選択はありえない……。

 

 「そうかイ? ぼく様にはそんな風には見えないけどネ」

 

 残っていた青い菓子を噛み砕き、タリクがにやりと微笑んだ。そのどこか含んだ顔はなにか言いたげでいらいらさせる。

 

 「勝てる見込みもない相手と戦いたがるほど馬鹿じゃない」

 

 タリクの顔も見ることなく立ち上がり、ラビシュは言った。日もすでに沈みかけている。そろそろクラウと会うのによい時間だろう。

 

 ―――そう。勝てるわけはないんだ。

 

 「じゃあ、俺は行くよ」

 「おろ、いいのかイ? 会わなくて?」

 

 不思議そうにタリクが言葉を返す。それもそのはずだ。ラビシュはシャーリに会いに来たようなものなのだ。

 

 「もう十分だ。会う必要はなくなった」

 

 シャーリはこのクソッタレの見世物を楽しんでいる。会って言葉を交わすまでもなく明らかだ。立っていることしか出来ない人間を穴だらけにして笑っている人間などに、ラビシュの気持ちは分からない。会えばきっと不快な思いをするに決まっている。ならば、このまま会わぬままでいくことが一番いいだろう。

 

 「じゃあネ、らびっしゅクン。ぼく様は楽しみに待ってるヨ」

 

 背後で手を振るタリクを尻目にラビシュはその場を後にした。クラウと会う場所までは歩けばすぐだ。

 

 「……闘うやつは馬鹿だ」

 

 黄昏に染まる空を見上げながら、ラビシュはそうひとり呟いた。返ってくる言葉も続く言葉もない。いつの間にか、ラビシュの頭を悩ましていた自由という問題は、脳裏に焼きついたシャーリの姿で覆われていた。

 

 



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