第36話 日常 ――パンダ VS 指バイト左カット右クラッシュフロントミンチ――
場所は天空に浮遊する巨大な島群、白の竜の里。
の片隅にある白の竜が一体、ネージュ=シエルの島。
の洞窟内。
の<百間の扉>により作成されたネージュの私室。
そこでは白銀の少女と青髪の少女、そしてパンダによる、傍から見ると珍妙なお茶会が開かれていた。
白銀の少女によって唐突な命令が下されるまでは。
ブシュウウウウウ・・・
室内に、勢いよく液体が迸る音が響く。白かったテーブルから滴る血液が下のカーペットをも赤に染めた。
「ペッ、・・・(ブチブチンッ!)。ペッ」
一瞬の内に右手の指5本を半ば掌ごと噛みちぎったシムは、口に含んだ肉片を目の前のテーブルの上に吐き出す。間を置かず同様に左手の指5本も噛みちぎり、吐き出す。
そして、
「またぁ? 勘弁してよ、ネージュ」
血が噴き出す二重奏BGMを背景音に、彼の親友であるネージュ=シエルへの愚痴をこぼした。ネージュはそれをニコニコと見守るだけだ。
「これスッゴク痛いんだけど! 身体も人間だったら転げ回るくらいには痛いと思うんだけど!」
痛みに強い身体(霧)で良かった・・・、とかぶつくさ言いながらため息をつくシム。
今だ出血しっぱなしの両手を目の前でブラブラと振る。
両手からの流血がピタリと止まった。
右手の断面から霧が滲みだし、人の手形に変わるとテーブル上のカップを取ってシムの口元に運ぶ。
シムがカップを干す間数秒、室内に散らばった血肉がひとりでに宙に浮かぶと、猛スピードでパンダの欠損部に吸い込まれていった。バチィ! という音と共にシムの両手が元の形に戻る。
空のカップがテーブルに置かれた頃には、両手の怪我は内外ともに完治していた。
「ウーン美味い、ネージュ、もう一杯貰ってもいい?」
「どうぞ、ご自由に」
まるで何事もなかったかのよう。
再び、ゆるい空気が室内を満たす。
先ほどの惨劇は欠片も痕跡を残していない―――
「・・・ふ、ふっ、ふっざけんなああぁぁあああぁっ!!!」
―――もっとも、それで何事も無かったことになるわけでもなかった。
特にシムの体液を頭からぶっかけられ、ついでに手元の紅茶を文字通りの紅茶に変えられてしまったミストラルにとっては。
青髪が少女の怒りからか、逆立ってぷるぷると震えている。
つり目の角度が更にきつくなっていた。
「あんたっ、シムッ! お茶会している時はそれやめなさいって言ったじゃない! 何度目よこれ! 勝利の余韻がぶち壊しよ!」
ミストラルがシムを睨んで捲し立てる。
「ごめんなさ~い。でも僕じゃなくてネージュに言ってくださ~い」
手を伸ばし、適当な返事をしながらテーブル中央のクッキーを取ろうとするシムを忌々し気に見つつ、ミストラルはネージュにもジロリと視線を向けた。
ミストラルの視線と連動するように、滑らかな動きで顔を明後日の方向に向けるネージュ。
シムの血が付着するのを防ぐため彼女の周囲に張られていた魔力壁が音もなく消えてゆく。
ちゃっかり自分だけ被害を免れていた親友。
ミストラルの額に青筋が浮かんだ。
「・・・ネージュ。前回、『次からは私の居ないところで命令する』って言ったわよね?」
「悪かった。忘れない内にと思って、うっかりしてしまった」
横顔のまま、棒読み口調で何回目かの言い訳をのたまうネージュ。
ミストラルの記憶が正しければ、似たような言葉を既に5回は聞かされているはずだった。
咎めるような視線を絶やさない。
「・・・・・・気を抜いてしまった事は謝ろう。しかし、今までの実験から、シムは同化した生物の肉体を回収する際は血の一滴や体毛の一本も残さないことが分かっている」
観念したのか、ネージュが向き直ってなにか言い始めた。
「だから?」
「だから現在ミストラルの髪や服も乾いて元通りになっているだろう? その紅茶の成分だって先程までとなにも変わらないはずだ。安心して飲むといい!」
「気分の問題よバカッ!」
ミストラルが手元のカップの中身をネージュに向かってぶちまける。
忌々しいことに、その全ては横から伸びた霧によって、空中にある内に吸収された。
「というか、本心からそう思ってるならなんでネージュは障壁で自分の紅茶とか守ってたのよ!」
再びネージュの視線が室内を泳ぐ。
一方シムは脳内で、図星じゃないか・・・、とか考えつつ、他人事のようにそれを眺めていた。
成分上はエビの尻尾とゴキブリの羽は同一のものである。かといって両者を区別なく扱えるものは少ない。・・・等と、ふと新しく思い出した記憶を反芻しながら、ネージュがのらりくらり追及を躱す様子を肴に更なるクッキーに手を伸ばすシム。
暫しの時を経る。
★★★
やがてミストラルが責め疲れ、いつものようにネージュに(仮初ながらも)約束をさせた後、大きく自分の椅子に倒れこんだ。
そしてこれまた何回目かだが、苦々しく、ポツリと言葉を漏らす。
「・・・大体、これ本当に必要なの? ネージュ」
「念の為にね。心配性だとしても、ズボラであるよりはマシだろう。簡単な効果の確認だよ」
対するネージュは軽妙に言葉を返した。
「《尊き我が友愛の刻印》は私が長年かけて作り上げた最高の魔法。【洗脳】【魅了】系統の魔法でも比するものはそうないだろう。しかも、1時間ごとに自動で重ね掛けされるのだ。更には私自身が任意で遠隔から重ね掛けすることも可能。何らかの要因で効果が途切れても瞬時に元通りにできる。シムのような意味不明物体だろうと逃れられるとは思わない。ただ、」
「「最近何かが妙」・・・こら」
ミストラルが言葉を重ねる。これも既に何度も聞いた言葉だった。
「ふん」
責めるように視線を向けるネージュに、ミストラルが不満げな顔を逸らす。
「・・・・・・そう、いやそんな妙というほどでもないのだが、最近『ムラサキ』を使った後の重ね掛けの際、時々微妙に多く《尊き我が友愛の刻印》に魔力を消費している気がしてね・・・。消費魔力は対象の精神状態に依存するから、本来の性格と違う『役』を使用する事を考えれば、むしろ当然とも言えるのだが、少し気になる。念の為、近いうちに重ね掛けの頻度と効果を再調整する予定だ」
「そんな細かすぎる心配事の為に、わざわざシムに自傷させる意味なんてないじゃない。見てるこっちが痛くなるのよ。それに、確認するまでもなく、ネージュの魔法は問題なく働いてるわ。白の竜の里に留まっているのが証拠じゃない! 効果が切れてたら逃げ出すでしょ!」
ミストラルが吐き捨てるように言う。肩を竦めるネージュ。
「まあまあ、ミストラル。次はなるべく血がかからないようにするからさ。今回は勘弁してよ」
シムが横から口を出してきた。
「それとも~? もしかして僕を心配してくれてるっ!? 痛いって言ってたから気遣ってくれてる!? えっ、もしかして!!? いやぁ、ミストラルは優しいなァ!」
からかうような声を出すシム。
青髪の少女の眉毛がピクリと痙攣する。
「ダイジョーブだって、痛いのは痛いけどすぐ直るし、普段のネージュの実験の方が全然痛いからこれくらいなんてこと(ガタッ!ガシッ)・・・あれ、ミストラル? どこ行くの?」
ミストラルが椅子から立ち上がると、僕の身体の紋様から薄く出ている霧を掴み、ズンズンと部屋の扉に向かっていった。
引っ張られて伸びる僕、僕まだゆっくりとしていたいのですが。
「私があんたを心配しているですって? そんなことありえないって教えてあげるわ。もう一回ボコボコにしてあげるから早く来なさい! 本気でやるわよ」
扉を開けて洞窟内へ姿を消すミストラル。
そこからおそらく島の外まで歩いて竜に戻るつもりなのだろう。
僕が延々と引き延ばされていく。
「おーーい、ムラサキでいいーーー?」
大声で確認すると、
「シムが来なさーーーい!」
少し遠くから声が返ってくる。久しぶりのご指名、これは相当キてますね間違いない。
ネージュに目配せする。
「いいよ、行ってらっしゃい。・・・ああ、その間に実験再開しておきたいからムラサキを此方に寄越してくれ」
「了ー解。じゃあ行ってくる」
再び遅れをとるわけにはいかない。
しかし、本気でやるのか、熱くなり過ぎないように気を付けないと。
★★★
シムが<百間の扉>から出てから少し間を置き、大柄な人影がガチャリと室内に入ってきた。
「はいドォーモ~。ムラサキでーす」
薄い笑みを顔に張り付けたオーガ、ムラサキ。ネージュが『役』と呼ぶそれは、本来の性格を損なわないように、本体と区別して作成したシム=ミストの別人格だ。
ネージュはシムを逃したくないだけで、彼が不可逆の変貌を遂げることを望んでいる訳では無い。しかし、一方で、時にはシムを自分の要望通りに動かす必要があるのも事実。どちらも両立できる手法として考え付いたのが、『役』を作ることだった。
意識や記憶を共有しつつも、『これは本来の自分ではない』と認識させることで、本来のシムなら渋るような行動をとらせたり、効率的なレベル上げを行わせることが可能。より従順に、より積極的に特定の命令をこなすよう適応した新しい人格、人生における新しい『役割』。
「『狩猟役』・・・くらいに思っていたんだがね。どうも予期しない方向に成長してしまったよ、君は」
「ハッハッハーーーッ!! ちゃ~んと『狩猟役』もこなしてるでしょう? オレっちは加えて楽しんでるだけ。何事も淡々とやるよりゃあ、元気いっぱいにやった方がイイに決まってんだからさぁ!」
ムラサキは背後に引きずってきた物体を目の前に掲げると満面の笑みを浮かべ、手を離す。
空中で茶髪を離されたクラウが、ゴトンと音を立てて床に転がった。うめき声をあげるが、意識はない。
それを見てネージュが嫌な顔をした。
「ムラサキ、ソレは外に置いてあっただろう。汚いから室内に入れるんじゃない。そこちゃんと掃除してくれよ? あと罰として『的当て』の的役しなさい」
★★★
「だからっ、あんたは、それでいいのかって聞いてんのよッ!」
先刻の戦いで使われた島とはまた別の場所、浮遊する島群の一番端の外周にて、ミストラルの振るう剛腕がシムを弾き飛ばした。
200キロを優に超える熊の身体がピンボールのように地面を跳ね、大岩に激突する。
「いくらなんでも理不尽と思わないの!? 毎日毎日ネージュのいいなり。逆らうこともできずに自分の骨を折らされたり、肉を食べされたり、何もしてないのに拷問じみたことやらされてッ! なのに全然気にした風でもなくなくてッ! ヘラヘラ笑ってッ! このバカッ!! 《風弾》! 《風刃》! 《風砲要塞》! 」
不可視の風で出来た、大型トラックを上回る大きさの弾丸と刃が岩にめり込んでいるシム目掛けて放たれた。一拍置いて、周囲に金属同士が高速でぶつかったような大音量が奏でられる。
土煙の中で崩れる大岩から飛び出したシムの右腕は潰れ、左腕は半ばから切断されていたが、赤と紫の弧を引きながらもミストラル目掛けて全力で爆走を開始。疾走しつつ両腕を再生・強化して反撃に備え飛んできた風の巨弾と正面衝突。
運動エネルギーが相殺されて吹き飛ばされなかったものの、身体前面を満遍なく挽肉に変えられ、あまりのダメージにたたらを踏む。
そこに残りの砲弾が殺到した。




