第3話 蛙の身 ――霧 VS カエル――
異世界転生(?)八日目の朝、僕は動くことにした。
恐怖心?そんなものはなくなった。
一周回って逆に冷静になって開き直った。
一晩耐えて朝を迎えたらあのグロ生物達がいつの間にか跡形も無く消え去っていたのも一役買っているだろう。
ちなみに朝だと分かるのは単純に周りが明るくなったからだ。太陽の位置は正確にというとわからないが段々と周りがボンヤリ明るくなる、そして段々とぼんやり暗くなる。一週間見てきた限り、その繰り返しは地球と同じぐらいだと思う。
朝なので明るいが周りは相変わらず霧に覆われている、霧の濃さにもむらがあって濃かったり、とても濃かったりする。薄いというのはない。
今日は特に濃くて3m先も見えにくい。僕は上空3m程に浮かんでいるので地面はギリギリ見えるかどうかの微妙な位置にある。まずはこの地面から調べてみよう。
僕は今まで一度として、地面をじっくり観察していないからな。何故か?何か出てきそうで怖かったからだ。ワニもどきや龍もどきとかな!(もちろんグロも勘弁)
しかし、そもそも向こうからは僕のことは見えないようだし、どっちみち大丈夫なはずだ。大丈夫なはずだ。大丈夫だ。うん、オーケー。
ふわふわと地面に降下する。一週間に及ぶこの霧の世界の動物たちからの逃走生活によってこの身体はとてもスムーズに動かせるようになっているので、これぐらいは楽にできる。
地面をジックリと見てみる。もう割りきっているが、目がないのに見えるというのも変な話だ。それはさておき観察した結果、
・・・氷だった。綺麗に透き通るような氷ではなく、まんま泥が凍りついたような感じの氷。まあ沼だしね。どうやらカラスの記憶は正しいようだな。
それでも過信はしないように客観的な考察も必要だ。慎重に行かなくちゃな・・・。
地面に沿って移動する。
・・・氷、氷、氷、氷、氷、氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷氷、・・・ハァハァ・・・氷、とりあえずここら一帯の地面は全て氷のようだ。この沼は氷河時代なのかと思う程に続く無骨な氷の大地。
まだ何も見えない。とりあえずずっと地面に沿って移動し続ける。
・・・同じ方向に延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々と、延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々・・・(以下略)
霧に視界を遮られたまま進んでいくと自分が正しい方向に向かって進んでいるのか不安になってくる。そもそも本当に自分が進んでいるのかさえ不安になってくる。
・・・同じ場所を回り続けていたとかいうパターンはないよな?
かなりの時間が経ち、そろそろ怖くなってきた頃、霧が段々と薄くなってきたのに気付いた。見通せる地面の距離が3mから5m、8m、と増えていき、向かう先にうっすらと木々の影のようなものも見えてくる。そして、とうとう、
僕は沼から森へと出た。
★★★
沼を抜けて目に飛び込んできたのは清々しさあふれる光景だった。
青々とそびえる巨大な樹木達に、所狭しと地面を覆う草々。
霧に遮られなくなったことで強烈に降り注ぐ太陽の光は木の葉達に遮られながらも森の中を照らしている。
大きすぎて頂点が見えないほどの高さを持つ巨木達、それを覆う苔や、倒れた木に生えているキノコ。大いなる大自然。
物言わぬ植物達からは溢れんばかりの生命力を感じる、どちらかというと北欧系の雰囲気の森が姿を現した。
凍りついた沼とは全く違う美しい風景に思わず見惚れてしまう。いままでずっと凍った沼のさびれた風景ばかり見ていたので心が癒される。
その後ずっと沼から出た同じ場所で飽きもせず景色を眺め続け、ふと眠くなってきたので眠ることにした。・・・そういえばこんな身体になってから寝るのは初めてのことだ・・・。森にはいって何があるかわからないし、今はまだこの沼の縁にいるか・・・。
★★★
パッチリと目が覚めた。朝だ。あたりを見渡すと荘厳な緑の世界が広がっている。この世界にきてから初めての睡眠をとった、この身体にも睡眠は必要なのだろうか?なんとなく気分で寝ただけのような気もするが…。というか空中で寝られるんだな。流石霧。
相変わらず気体だけで構成されている身体のことは謎だらけだ。とりあえず霧の身体を動かして準備身体操をしてみる、周りから見ると霧が人型をとって妙な動きをしているのだからシュールの極みだろうが周囲に誰一人いないので気にすることもない。
準備身体操を終えると森の中を探索することにした。とにかく情報収集だ。なんにしても情報がないと話にならない。
カラスの記憶によるとこの森は多種多様な生物等が独自の生態系を作り上げており、弱肉強食の食物連鎖が成立している、・・・らしい。
その食物連鎖におけるカラスの立ち位置はどちらかというと下の方らしい。
奴が、だ。
奴は生前、恐竜図鑑のテプラノドン並の巨躯を誇る化け物ガラスだった。
そのカラスを捕食するような動植物達がこの森には生息している、・・・らしい。
今まで沼で出会った生き物は僕のことが見えてなく(というか単に沼の霧だと思われて無視されていただけか・・・)、攻撃されるような危険はなかった。
しかし、それがこの森でも同じだとは限らない。もしかしたらこの森には僕のような霧の生物を捕食するような生物がいるかもしれない。
普通に考えればそんな生物がいるとは考え難いが、ここは僕が知っている世界とは違う、・・・と思う。
だから僕の常識が通用すると楽観視するのはマズイだろう。実際にカラスの記憶の中を見てみると火を吹く蜥蜴(ドラゴン?)に森の巨木を噛み砕く巨大な蛇、凄まじい速度で獲物に追いすがる蟻の群など、数々の凶暴な不思議生物達がこの森には生息している・・・かもしれないことがわかる・・・のだろうか?
・・・・・・自分を取り巻く周囲の情報源がよくわからない原理によって取得したよくわからない生物(カラス)のよくわからない記憶だけ、というのは不便だ。
はっきり言って非常に心もとない。
しかし文句を言えるような状況でもない。
これしか情報がないのだからとりあえずは頼るしかない。
まあ、カラスの記憶の真偽はそれが実際の事実と一致するかどうかある程度確認し、信憑性を図ればいいだろう。・・・余裕ができたら。
だから今はこの記憶を是とするのだ。正しいということにしておこう。
脇道にそれていた思考を本筋に戻す。
僕の常識が通じるかどうかわからないが、僕が転生した(?)この生物があの沼特有の生物ならば沼近辺の生態系の食物連鎖にこの霧の生物(僕)が組み込まれている可能生は否定できないのではないだろうか。
・・・この身体が生物なのかは疑わしいが・・・
とにかく、現状では霧を捕食するヘンテコ生物やそれに類するものがいないと断言できない。
一応カラスの記憶にそんな生物がいるなんて情報はないが油断は禁物だ。安全第一、安全第一で行こう。
僕は慎重に森の探索を開始した。
★★★
注意を払いつつも、森の中を探索する。生身の身体なら苦労しただろうがこの身体では全く問題ない。何しろ木の枝が出ていようが、大きな茂みが立ちはだかっていようが、(霧なので)素通りなのだ。森の中をとても直線的な動きで移動していく。
色々と珍しい(というより見たことない)植物を発見した。
毒々しい色合いのリンゴのような実をつけた木。
透き通るような(というか透明)実をつけた木。
ハエトリソウを巨大化したような草。
などなど、他にも様々な植物が森の中にあった。しかし、なかなか動物に遭わない。
僕はしばらくの間フワフワと探索を続けた。
そして数時間後、事件は起きた。
結果から言えば霧を主食とするようなヘンテコ生物には会わなかった。・・・が、事なきを得たのかと言えば、そういうわけでもなかったのだ。
★★★
自然豊かな森を探索し始めてから数時間、僕は小さな池を発見した。
特になんでもないようなただの池のようだったのでその池の横を普通に通過しようと思ったら池の縁にカエルがいるのを見つけた。
そのカエルを見た瞬間になんとな~くにカエルに近づきたくなって、試しに恐る恐るこちらが見えていない様子のカエルに近づいてみた。
触れるほどに近づくとカエルの姿をよく見てみる。
丸々と太った腹、
小さなクリクリの瞳、
なんかヌメっていそうな緑色の肌、
元気にゲコゲコ鳴き出しそうに膨らんだ喉、(鳴いてはいなかったが)
まさしく、カエルである。
これ以上ないほどにカエルだ。
日本でいうところの殿様ガエルぐらいの大きさだろうか。
異世界にしては普通のカエルだ。
・
・・
・・・
・・・・カエルってなんか可愛く思えないだろうか。
別にカエルが特別好きなわけではないが 、今までロクな異世界生物を見てこなかったので、少し気が緩んだ。
どうせ見えないのだからと手(霧)を伸ばしてカエルを撫でた・・場所から身体がカエルに吸い込まれ始めた。
「!?!」
まさかこのカエル、霧生物補食系のカエルだったのかと驚き焦りながらも反射的に逃げようとする。そして気づいた。
カエルが僕を吸い込んでいるのではなく、僕がカエルの中に入ろうとしていることに。
むしろ驚いたのはカエルの方だったようだ。
ビクリとしたかと思うと池にジャンプして飛び込もうとした。が、本能的にカエルの中に入ろうとする力に抵抗するのをやめた僕の身体全部がカエルの中に吸い込まれていく方が早かった。
ジャンプしようとして、途中でそれをやめてしまって中途半端な体勢になっていた僕の身体は池の縁からポチャリと小さな音を立てて落ちた。
それからまた落ち着くまで少し間があって・・・。
★★★
・・・そして今に至る。
どうやら僕はカエルになってしまったらしい。
というかもう確実にカエルになった。
この小さな身体も、
クリクリの目も、
ゲコゲコなく声も、
緑に所々紫が混ざったような肌模様も、
慌てふためいて(カエルの本能的に)思いっきりジャンプしたら草を超え茂みを超え10mは飛んだこの脚力も、
ジャンプから落ちてくる時の落下感が予想外に怖くてゲコゲコ叫びまくってたら大きな鳥が突然現れて僕に掴みかかろうとしたので咄嗟に空中で突き出したら凄まじい速度で鳥を貫通して絶命させたこの舌も、
僕のものだ。
・・
・・・
・・・・
・・・・・誰か、この状況を説明して欲しい。本当に・・・。なんだってんだよぉ・・・。
★★★
僕はどうやら他の生物の身体に乗り移るような、身体を乗っ取るような能力があったらしい。
それでこのカエルの身体を乗っ取ったのだろう。
状況を考えてみたらそんな感じだろう。
理屈とか原理とかは全く分からないが、身体がカエル(生物)の方が、身体が霧(非生物)の方よりはまだショックは小さい。
やっぱ憑依系なの?
でもカエルが脳内に現れたりはしてこないぞ?
まあ起こってしまったものはしょうがないし、ただただ混乱しているだけでは始まらないよね!
・
・・
・・・がんばるんだ、僕。がんばって正気を保て。いざという時に現実を直視できないとろくなことにならなかったじゃないか・・・
自分で自分を説得して、僕が冷静になってきたのは大体2時間後ぐらいだった。
パニックの内にゲコゲコ鳴きまくっていたのをやめ、鳴き声を聞いて真昼から鳴いている間抜けなカエルを仕留めようと舞い降りてきた6匹目ぐらいの鳥を舌で刺し貫いて殺すと、今更だがこの身体をチェックし始める。
そう、なんとこのカエル、舌が超伸びる。脚力も異常に高い。普通のカエルだなんてとんでもない、スーパーガエルだ。鳥を殺せるカエルなんて聞いたこともない。
やはり異世界だとカエルも桁が違うのだろうか。
まあ、そういう異常は一旦置いといて。
今の僕は霧であった頃とは違い、カエルの手足を動かす感覚が初めから分かっているようだ。霧の頃は身体を動かすのに最初はかなり苦労したものだったが、カエルの身体だと繊細な動きができる。
なんというか、身体が動きを覚えているのだろうか。
とか思っていたら、気づいた。
自分がカエルの記憶を持っていることに。
・・・流石に最近驚きまくっているだけあって、今までとは違い、少し冷静に考えられた。
今回は光の靄を見てないが、カエルの記憶を得たのは前にカラスの記憶を得たのと同じような現象が起きたからではないだろうか。
思うにあの光の靄は生き物の魂のようなもので、あれを吸収するとその生き物の記憶を得ることができるのではないだろうか?
きっと僕は魂を合併吸収したり、食べたりして成長する生き物なのでは?多分・・・、いやきっと、そうに違いない!
今回カエルになったときは光の靄・・・魂は見えなかったが、あれは死んでからしか見えないだけで生きていてもある、ということだろう。きっと。
今は自分が食べちゃったから、お亡くなりになってしまったのだろうか?
だいぶ適当だが、今の所はこんなふうに考えていていいだろう。
思考錯誤していけばいずれわかるだろうし、今延々と考えていても分からない事だらけなのだから、ある程度の仮説を立てる程度にとどめておく。
さて、カエルの記憶を見ていくと、この池の周囲には特筆する事はとくにないようだ。
といってもこのカエルが生まれたのもそう昔ではないため、最近は、としか言えないが。
カエルの記憶頼りだが周囲もある程度は安全だそうだ。少なくともワニはいない。自分でもよくわからない自分の記憶を読む能力に頼れるかは疑問が残るが今の所は上手くやっているんだし、そもそもそれ以外できることなんてほとんどないからしょうがない。
それでも一応池の中と周囲を探索して異常がないか確認する。
結果、見つけたのは
自分と同じようなカエルたち数匹、
池の中に泳いでいた小魚数匹、
虫数種類、
あと、池の主みたいな魚が池の底の方にいたけどなんか怖かったのでこっそり見ただけだった。
実際に潜ってみてわかったことだけど、この池って大きさのわりに相当深い。
池の周囲の長さは20m程、深さは10m程。自分が池といわれて思い浮かぶイメージの池は深くても精々3m程だったので、相当深いと感じる。
探索が終わって、このカエルが一番初めにいた場所に戻ってきた。今じゃマイホームだ。ここ日当たりいいし、木陰も近いし、いい眺めなんだよね。生前のカエルがここで和んでいたのもうなずける。
・・・これからどうしよう。
まあ、少しゆっくりするか。
色々と、疲れたし・・・、カエルの記憶上ここは安全そうだ、暫し休もう。
★★★
そして平和な時間が訪れる。
見知らぬ土地も、時間と共に慣れるもの。心地良いひと時。
悠々自適な生活・・・はしかし、幾許も無く破砕音と共に爆発四散する運命にあった。
終わりなき激動の日々、死と再生を繰り返す日常が、際限なく加速していく―――目的を果たす、その時まで―――